第4話・鐘の音が聞こえる
イサは現在、組合から正式に灰騎士達の調査を任されている。先日サーレンと出会ったのもその過程であった。正式な依頼だが、対象はイサのみであるのがイサが単独行動している理由である。
彼のチームは前衛二人と支援二人の間に大きく差ができている。そしてイサ自身が群れを力量に相応しくない場所へと、無理矢理に連れて行く趣味は無かった。
だが……依頼されたのはイサだけであり、今一人名高い戦士であるレイシーにその依頼は来なかった。
組合も本来ならばイサとその相棒であるレイシーを現場の人間としたかったはずである。イサは書類上で見る限りは全く文句のつけようがない優秀な戦士だが、相手が相手である。
新たな階層で早々に現れた灰騎士は恐るべき力量の持ち主であり、その場でそれなりの実力者たちを虐殺してのけた。騒ぎから浄銀とそれに相当する実力者が出張ることになったが、今度はトドメを差せないという事態が発生した。最後には騎士デメトリオの剣の前に崩れ落ち、影の魔物と同様の存在であることが発覚したわけだ。
こうなると冒険者組合側でも灰騎士達を調査できる者は限られてくる。遺物と相応の実力を兼ね備えた戦士となると5名にも満たないのだ。
同時に今は新たな階層の到達により入り口街の勢力図にも変化が出始めている時期だ。有力な冒険者が万に一でも討たれるようなことも避けたいのが当然の心理。冒険者組合の手駒が減ってしまうわけなので、リスクを減らすために遺物持ち4名を同時に指名しようとしたのだが……ミロンと第二位冒険者の片割れは再び行方不明。
そしていま一人の第二位レイシーは変調を来したために、イサしか動けるものはいなくなったのだ。
問題児であるところのレイシーも、イサは上手に手懐けている。どこの人間もそう考えていたのだが……新階層へたどり着くに当たってそれが幻想だと思い知らされた。
大鎌の凶刃を扱うなど誰にも不可能であったのだ。レイシーから人々は再び離れた。今や接触を保っているのは、セイラとイサぐらいのもので、彼らにもマトモなコミュニケーションは取れずにいた。
「あのぅ……レイシーさん? 今日は大丈夫ですか?」
「……ぁ……」
「……食べ物ここに置いておきますねー」
焦げ茶の髪と、僅かに残ったソバカス顔の女性冒険者は悲しそうな、そして安堵したような顔をしてレイシーから離れていった。
当のレイシーは第二階層にある家屋の屋根でぼんやりと中空を見ているだけで、仲間であった少女に一度も目を向けなかった。
陶器のごとき肌色に、灰の髪。整った風貌と役者のような格好が現状と相まってまさに人形そのものだ。かつては小憎らしい笑顔を浮かべていた顔から表情が抜け落ちていた。
それはまさしく灰人そのものだった。
多忙なイサに代わり、セイラは時折レイシーの様子を見に来ている。条件を満たさねば魔物が現れないということは、慎重に動けば何の危険にも合わないことを意味している。
だが、この状態にあるレイシーに近づける者はそう多くない。レイシーは四六時中このままなのでなく、脈絡のない会話をすることもあれば、真剣な顔つきをしていることもある。それは他人から見れば何をするか分からないということにつながる。
レイシーが近くの者に襲いかからない保証など一切ない。
過去にレイシーが加わっていたチームは全て壊滅しているというのも、その評価に拍車をかける。次はイサ達の番だと多くの者が思っている。
だがセイラからすればイサとレイシーがいなければ無かった命。そしてここまで導いてきた彼女の英雄が、そんな無体を働く訳がないと本気で信じている。
「ご機嫌いかがだったかな? 我らの副頭領は?」
「あ、カレルさん待っていてくれたんですね。今日はぼんやりの日みたいですから、何日分かまとめて置いておきましたよ……ちゃんと食べてはくれていますよっと」
以前と比べものにはならないが、それでも超人ではないセイラは可愛らしい掛け声とともにハシゴを降りていく。カレルはこのハシゴを持ちに来たようなものだった。
カレルは同じ一党でもレイシーとはさほど親しくもない。加わったのもイサへの恩義からだ。カレルからすればセイラは良く凶刃へと近づく勇気があるものだと感心さえしている。
片腕を失った自分も未熟なセイラも、レイシーと万が一戦うような場合に陥れば一方的な展開になるはずだ。少なくともどちらかは確実に死ぬ。そのことを知らぬわけでもないはずなのだが、セイラはそのあたりも織り込み済みなのであろうか?
「ともあれ、我々の一党はしばらく開店休業だな。あくまで一党としてはだが……頭目殿は組合からの要請で単独行動であるしな。修行ばかりでも詮無いこと……下の階層を我々が行ける範囲だけでも回ってみるか」
「そうですね! 今は無理でもいずれはこの第2階層から先を皆で行きたいです。カレルさんも早く腕に慣れると良いですねぇ」
「そうよな。全く伝説の篭手など転がっていないものかな?」
「あ、〈銀の腕〉のお話ですね。この前読みましたよ……絵本ですけど。文字が読めるって楽しいです」
他愛ないことを話しながら、己の力量に見合った場所へと戻る二人。輝く者ではない彼らには彼らなりの戦いが待つ。相応しい場所こそがその人の戦場足り得る。
ここはまだ彼らの場所ではなかった。遠くからそれを眺めていた狼は納得したように頷いて、彼らを待つだろう。あの二人ならいずれはここへは来れるはずだと信じている。
銀の狼面は家屋の上へと視線を移す。そこには先程まで見せていた優しさは一切無かった。やれる実力が有り、果たすべき目的がある者がそれを行わない。それを狼は虫と同じくらいに嫌悪していた。
何だその体たらくは……許せはしない――相手を認めるからこそ敵意が毒のように牙に垂れる。銀閃の狼……イサはかつての相棒を見捨てることだけは決してしない。決してしないだろうが、それがどのような形で差し伸べられるかは一般の幸福と異なる形になるのかもしれなかった。
狼は牙を研ぐために再び姿を消す。そう……今はまだ手を出す段階ではないのだ。