目には目を。神秘には神秘を。
冒険者の階級を力量で測るのならば、第3位浄銀と第4位弾力鋼の間には大きな壁があるとされる。浄銀の段階から人間の常識を大きく超えるような者が出始めるためだ。
一般的な精鋭は第4位止まり……ということから第一位から第三位の所謂高位冒険者がどれだけ桁外れか分かるというものだ。
そして魔都で活躍する冒険者はさらにその度合が色濃くなる。この街で鍛えた者ならば外では一段階上の位階になるとされるほどに。
生まれからここにいた、そしてこの魔都カルコサの中だけで育ち、第二位まで登ったレイシーはまさに異常な存在だ。性質上、戦闘能力だけが突き抜けた形の能力値となっているため冒険者としては微妙なバランスだが……逆に言えばただそれだけで第二位に座している。
「あっはははぁ!」
笑い声とともに空を駆ける。実際には跳ねているのだが、跳躍力と身体感覚が人の領域を遥かに超越しているために飛んでいるようにしか見えない。
門の前には石柱も家屋もある。壁という名の足場には事欠かない。自在に空舞う狂戦士は相手に取っては可愛らしい皮を被った悪夢だ。
「なんで、逃げるのさ! 遊ぼうよ、影なんだから付いておいでよ!」
それは門影にとっても変わりは無いのか……影はどう見てもレイシーを避けていた。触手めいた鋭い影を飛ばすこともなく、ただゆらゆらと距離を取っている。怯えているようにさえ見えた。
「やっぱりおかしいわよ……あの子、気味が悪い」
「そうですか? いつもあんな感じですが……」
「貴方も変よ」
影は床にこぼれたワインのように広い。レイシーから逃げているのだとしても、他の浄銀達は未だに驚異の範囲内にいる。
リンギに向かってきた影刃を、大鉈の一撃で進路を変えつつイサは内心で首を傾げる。レイシーの能力は確かに人外じみているが、それを言うならば自分たちもそうだ。少なくとも常人から見れば十分に超越者だろう。
だから美麗の相棒を他人が恐れる理由は、イサにはあまり納得がいかない。恐怖の対象にするにはいささか大人しいだろうと思う。
「その辺りの人間の方が余程おかしいと見えますがねぇ……多少の浮世離れなど可愛いものです」
レイシーは危うさを確かに持っているが、実際に人間を害するところはイサも見ていない。口で生意気に嘲る程度だった。修羅場でレイシーだけが生き残る……という噂もあるが、それをレイシーがやったとしても殺した人間の数は自分の方が多いだろうとイサは見積もっている。
良くも悪くもイサはレイシーと近似種だ。彼はなぜレイシーが世界から浮いているかも判断が甘くなってしまうようだった。
「矢を降らせろ! 浄銀の方達がいないところにだ!」
(しかし……この影は生き物なのですか?)
おっとり刀で駆けつけた冒険者達が矢を食らわす。影は非常に的にしやすい形状をしており、実際その全てが影に食い込んだ。だが動きは鈍らず、そして痛痒を感じている様子もない。イサならずとも不毛な行いをしているように感じだしているだろう。
竜も巨人も規格外ではあるが、生物だ。それゆえに倒すのが可能なのだ。出現数がほとんど無いために、人は対抗策を見出せずに同じように強力な人類……冒険者などの……に頼る。もし数が多かったのなら試す機会が増えて、只人でも討伐できるようになるだろう。
実際に冒険者達は僅かな戦闘時間の間にそれを学び、撃退してきた。しっぽを振れば次はどう来る。あれは怒りの表現だ、という風に。
信じ難いことだが、もし目の前の影が生物であるならば同様にパターンが見出だせるはずだ。触手ならぬ触影がコールマーに向かうのを邪魔しながらイサは思考する。
本来ならばリンギの役割だろうが、弓隊が戻ってきたことで彼女は考えることが増えすぎた。ならば今は中衛のコールマーとイサの役割だ。
「コールマーさん。援護するので、あの影に思いっきりハンマーをかましてくれませんか?」
「我輩の望むところでもあるが、貴様は傷を負うぞ? それほどに重要なことか?」
「ええ、頼みます。賭けみたいなものですが」
その言葉を皮切りに躊躇なく前へ出るコールマー。その思い切りは大したものだ。
そして今の今まで前衛をしていたサーレンも咄嗟にコールマーへの援護に切り替える。こちらも疑問と私情をあっさりと排して退ける凄まじい決断力である。
向かってくるコールマーに対して影は槍のように先を捻った端を、片っ端から見舞う。その数は5。いかにイサとて一度に捌ける数ではない。
それでもイサは2つ叩き落とした。目視すら危うい速さの突きの軌道を予測して振ったのだ。
……残りの3のうち1はサーレンがどうにかするだろう。さらに2つは身を盾にするしかない。イサはそう考えていたのだが。
「ふーっ、ふっふっ!」
奇妙な呼吸音と共に放たれる短槍。これにはイサも驚いた。
サーレンは線よりもさらに難易度の高い点の攻撃。すなわち槍による突きで3つ軌道を逸らして見せたのだ。必要になるのは精緻な見切りと圧倒的な引きの速さ。
これほどの槍士をイサも見たことが無かった。サーレンもまた超人なのだ。
「ぬぅおおおりゃりゃーーーー!!」
猿叫を助力として振るわれるコールマーの鉄槌。それはこの面子における最大火力だ。相手はどこか穴が開けば死ぬ人間のような存在ではないが、それでも効果はあるだろう。
「ぬぅ!?」
「おいおい……」
「やはりですか……!」
影は恐るべきはずの鉄槌を避けもしなかった。渾身の一撃で穴が空きはしたものの、すぐさまそれをふさいでしまった。そして、何事も無かったように行動を再開する。
イサとサーレンは甲冑を着込んで遅いコールマーに示し合わせたかのように、回し蹴りを食らわして吹き飛ばすと自分たちも前転気味に回避行動を取る。先程まで立っていた場所に、影の柱が立つ。
「間一髪……ですが、サーレンのおかげで犠牲無く試せましたね」
「冗談じゃねぇ! 勝てねぇのが分かっただけだろ!」
「ごほっ……少し強く蹴り過ぎだろう。味方に犠牲にされるところだったぞ」
人とは比較にならない速度と大きさ。そして再生能力。
撤退が妥当なところだろうが……
「いいえ、見えましたね。こちらにはレイシーがいる。あの子こそが勝機です」
「はぁ?」
「最初……コールマーさんの鉄槌をアレは避けた。だから倒せると思っていましたが、実際にはただの攻撃に移る予備動作だったのでしょう。……あの影は最初から我々など眼中に無い。ただ範囲内にいるから排除しようとしているだけなのですよ。不快な害虫と同程度の扱いですね」
「成る程な。だが、レイシーからは逃げ回っている……つまりアレにとって敵足り得るのはあの小僧だけということか?」
「なんだと! 俺たちがあの疫病神に劣っているってのか!?」
「いえ、劣っているわけではないのが問題なのでしょうね」
イサはサーレンを超人的な業前の持ち主だと評したが、レイシーはそれと比べても図抜けている。だが身体能力や技巧であの影が判断するだろうか?
レイシーは人間とは思えない身体能力を持っている。だが、同時に所詮は生き物だ。最大でどれくらいなのかはイサにも判断がつかない。
しかしやはり所詮は人を逸脱している程度だ。これまでの経緯から判断するに……力はコールマー。速度はサーレン。技巧はリンギ。それぞれの分野における最高峰を少し上回るぐらいしかない。
ならばなぜ影はレイシーを恐れて逃げ回る?
「力とか技の前に資格……ですか。最初から分かっていたのですかレイシー。多少ムカつきますね……つまり、我々とレイシーの違いは後付によるもの……つまりは武器」
イサは白布から東洋の剣を取り出す。カタナと呼ばれる切れ味最優先の異郷の傑作。その中でも曰く付きであり、流れに流れてこの地まで辿り着いた武器の刀身が顕になった。
今日は緑の輝きがはっきりと見えた。
イサが脇構えになると同時に、影がイサへと向きを変えた。どこが前かも分からぬ怪物と確かに目が合ったとイサは感じる。そして小悪魔じみた相棒とも。
「あはっ。そうだよお兄さん。ここからは選ばれたヒトだけが入っていいところさ」
「それはどうかは分かりませんが……この場は胡散臭い伝承を信じるとしましょう。実在したほうが面白いですしね」
敵がいきなり増えた。そう感じたのか影は身震いした。それは犬が迷っている仕草のように感じられるだろう。そう……この影は番犬だ。荒唐無稽な生物は神秘でしか打倒することができない。
血を吸う鬼は白木でしか倒せない。金属でしか死ぬことがない竜。それはどこにでもある物語。
「そろそろ、少しは働いてくださいよ。第一位。どうせ、貴方も持っているから、傍観者を気取っていたんでしょう?……まぁ勝つのは私ですが」