常のイサ
宴会は終わり、皆それぞれのねぐらへと帰っていった。
宴会場にした食堂のある宿が、そのまま仮の家であるイサはもっとも早く、己だけの空間に戻ることができた。
酒精が少しだけ回って、顔は赤らんでいた。だがその状態に似つかわしくない冷静さで、大鉈を引き抜いて3度素振りをする。その動きに一切の淀みもなかったが、珍しく不機嫌そうな顔になっていた。
(……大分ガタが来ているか。少しこの街の異形を甘く見すぎましたね)
常用している大鉈は、頑丈さのみを考慮して購入したものだ。イサにとっても中々に思い入れのある品だが、元々は使い捨てを想定している。
しかし、イサの技量が高いことから思いがけず長期間に渡る使用となった。
目釘を一旦取り外し、新しい釘と紐で柄と刃を念入りに固定していく。
刃の部分も砥石で少しばかり研いだはいいが、焼け石に水といったところだ。
魔物の身体能力は一般的な生命……人間を含む……と比べて極めて高い。イサが蹴散らしている下層区の雑魚ですら、鍛え上げたイサと大差無いほどだ。
それらの攻撃を受け止め続けた大鉈の寿命が近づいて来ている。
(刃と一体型にするべきだったでしょうか? しかし曲がると手入れが……)
考えながら、手は勝手に作業をしていく。
イサが特別器用なのではなく、単独行動の多い冒険者は自分の手で道具を手入れするのが基本だった。高位騎士などは従騎士にさせると聞くが、イサからすれば正気とは思えない。武器や防具は冒険において第一の命綱だ。それに細工などされればどうするのだ?
実際にその手の話は多い。素人が悪戯でしたのならばともかくも、鍛冶の心得があるものに細工をされれば愛用者ですら変化が分からない。戦闘の最中に剣が突然折れ曲がった……など冗談ではない。
ゆえにイサも自分の手で手入れをしていく。
特に不調が無くとも寝る前に整備して、起きてから状態を再確認。それが日課に含まれている。
染み付いた習慣であるため、苦に思ったことはない。今のように酩酊していようが、病で唸っていようが、気がつけば1日の終わりには手が勝手に装備の状態を確かめるのだ。
大鉈の刃を念入りに固定し、衣服を繕い、仮面の汚れを落とす。
それらを終わらせてから、イサは厳かな様子でいつもは白い布に包んでいる、奥の手たる刀を手にとった。
両手を添えて、拝むようにして包を掲げてから解いていく。勘当されたとはいえ遺物管理の家に生まれた者として、作法は叩き込まれている。
この刀に引き寄せられたのが原因で家を離れたが、イサはこの刀も生家も別に嫌いではない。ただやりたくなったことをやってしまう己の性とは合わなかっただけで。
(しかし……毎度のことながらどうなってるんですかね、このカタナ)
イサは難敵に対してコレを使用する。繊細な武器である東方の剣は、切れ味こそ鋭いが、その分非常に柔らかい。伸びに曲がり、捻じれに悩まされるものだと聞いている。
だがイサの愛刀には刃こぼれも無ければ、汚れすら無い。反りも常に一定に保たれており、敵手の血を拭う以外の手入れをしたことが無かった。
気のせいなのか、この魔都で抜く時にはうっすらと緑色がかって見える時もあった。案外に伝承は本当であるのかもしれないとイサは感じていた。
遺物管理官の家で丁重に祀られていただけあって、このカタナ……〈好愛桜〉には色々と曰くがある。それもあまり良くは無い類のモノが。
ある種の変人であるイサはそれを本当であったなら良いな、とは思っていたが……この魔都に居着くようになってから最早確信へと変わりつつある。
これは正しく神秘の遺物。妖刀魔剣の類に他ならぬと。
同様のものをデメトリオの剣やレイシーの鎌にも感じている。これは偶然だろうか? だがいずれにせよ、面白いことには変わりない。
(長らく安定していた魔都の変化。集う神秘。良いですねぇ、劇的です)
最後に笑うのは己である。
それは何も幸不幸の話だけではない。例え道半ばで絶えるとも、普通や退屈とは程遠い……己に相応しい最後であるに違いない。
どこまで見届けられるか。いやさ、最後まで主役であろう。
デメトリオもまだ見ぬ第一位も、相棒たるレイシーすらも己の端役に過ぎない。
人生とは己の目で見ることしかできぬ。ゆえに自分こそが世界で最高の者であり、特別な存在なのだ。そして他者もそうあるべきだ。
「さぁ……魔都よ。その未知を私の前にさらけ出して貰いましょう」
状況は不確定。集いし者たちも一筋縄ではいかない者ばかり。
それでも、いやだからこそ……
「勝つのは私です」
静かな宣言を前に、妖刀がわずかに鳴って答えたがイサはそれには気付かなかった。
最後にブーツとベルトの手入れを終えてから、イサは子供のように眠りについた。魔都の入り口、最下層区。その探険が終わりの時を迎える。