関門の前に
スラリとした細い足が、ひさしを踏んで着地した。
街路から窓まで跳ね上がる脚力、それでいて踏んだひさしが壊れていない。灰色の髪の下にある目は周囲を真剣に見渡しており、いつものふざけた雰囲気は鳴りを潜めていた。
狼面のイサはそれを猫のようだと思う。被っているのはフクロウの仮面だが、レイシーはその気まぐれさと時折見せる野生からそのように思えるのだ。
しかしイサよりも年長者である冒険者組合の長が選んだからにはそれ相応の理由があるはずだ。
大体、狼と猫では仲があまり良く無いはずだがイサとレイシーの仲は極めて良好だった。
レイシーは度々巻き込まれる惨劇から疫病神呼ばわりされるが、それを受け入れる懐の深さ……というよりは頭のおかしな部分がイサにはあった。
見ていて面白ければ何だって良い、参加できればもっと良い。それがイサの精神の方向性である。
「いるよ、お兄さん。あんまり距離も離れてないし……隠す気も無いみたい。集団の数は……多分三組かな?」
「三組? 妙だな、それだけか?」
華奢なレイシーの優れたところは身体能力だけではなかった。一種異常とさえ言える知覚能力を備えており、レイシーを全面的に信頼できるという前提があるならば斥候いらずだ。
そして、一行のリーダーである狼面の男、イサはそのレイシーを信頼する酔狂な者だ。
そのレイシーが多分、と口にするときは正確である。根拠が無いから多分になるだけで結果的には当たっている。
「ハルモアを除外するにしても……浄銀だけで我々を含めて4組できるはずです。そして、もうひとりの神青鉄冒険者に騎士や戦士……南の前は競争になるのかと思っていたのですが」
「単純にまだ追いついてないだけじゃないの?」
それも可能性としては充分にあり得ることだ。イサも荷物持ちによる物資の補充、レイシーという戦力が無ければここまで早くはたどり着け無かっただろう。
常人離れした戦士たちも飯を食わねば生きていけない。そして食と水の心配をせねばならないほど、この魔都は広い。
階級だけで見てもイサと同格は4人いる。上の者はレイシーを除いても2人いる。
その状況で自分たちが常に他者よりも抜きん出ていると確信できるほどには、イサの脳内には花は咲いていない。例えその他者達からは脳内に庭園を持っていると思われていてもだ。
「加えて“一番乗り”の称号が欲しくない者もそれなりにいる。それは分かってはいますが……何となく気に入らない流れですね。危機のようには感じませんが……」
「心配性だねぇお兄さんは。日頃はそんな素振り無いのに」
「他人が全て私より低能ならば考える必要も無いのですがね」
現実にはそうもいかない。イサより低位の者にもイサより優れた部分を持つ人間は数多い。
見栄えの良いような長所だけが世界に溢れているわけでなし。そしてこのような地では、その見向きもされないスキルが日の目を見ることだってままあることだ。
この街以外でも活躍した経歴を持つイサには、しのぎを削るような速度争いが少ないことがどうにも気にかかるのだ。
第一位、上位の騎士、教会関係者……彼らは何かを知っているのではないか? その疑念が拭えない。
教会関係者が何らかの情報を持っているのは確実だろうが、それにしたところで宝の正体について心当たりがあるぐらいのもののはずだ。
この街を常に覆っている脅威を知っているのであれば競争に参加自体すまい。
「とはいえ、予定より少ない数の競争に負けても面白くないのは事実。一旦戻りますよ、レイシー。セイラとカレルに荷を運んでもらいます……恐らくは次が下層区の最後の拠点になるはずです」
「りょーかいだよっと。はぁ、どうせ一位のおじさんはもう先に着いてるんだろうなぁ」
面識のあるレイシーには予測がつくものらしいが、イサにはまだピンと来ない。その地位にある以上はそれくらいやってのけても不思議は無いのだが……
第一位は相変わらず影も形も見えない。
それどころか彼あるいは彼女の拠点らしきものすら、ここまで進んだイサにも見出だせていないのだ。
魔物の肉を食う訳にもいかないのは先日の事件で分かっていることで、まさかに霞を食って生きているわけでもあるまい。ひょっとすれば第一位は実は後方にいてイサ達があくせくしているのを、面白がっているのでは無いかと思われる。
今のイサ達より先に進んでいるのであれば必然として、既に次の階層にいてもおかしくないのだ。
「……一位が先に進んでいるとすれば、いわゆるところの下層区。その最南端……つまり次の階層への入り口には何かあるみたいですね。貴方の勘はどう判断していますか?」
「どう……というか、読めないし感じない。逆に言えばそこにはお兄さんの言うように何かあるんじゃないかな。生命の危機に関わるようなものが」
イサは首を傾げる。
レイシーの言はどういう訳か先に進めば進むほどに曖昧なものになっていく。それは常人ならば当たり前だが、直感の怪物とさえ呼べるレイシーには話が逆になる。
ここまでの道中でも、気配が一様に無い魔物達にさして苦労も無かったのだが、それもレイシーの勘を取り入れて動いたからだ。
「勘も働かぬ、まさに未知ですか。楽しみですねぇ……これまでも面白くはありましたが、レイシー以外は既存の範疇でしたからね」
「ふーん。……ボクのこと、何か聞いたの?」
「ええ。ご丁寧に忠告してくれる人がどういう訳か時々現れるのですよ。貴方と関わるのは止めた方が良いとか、そんな感じのことをね」
イサ達、高位冒険者に擦り寄ろうとしてくる者は多い。そうでなくとも趣味嗜好で仲間割れしてくれるのを楽しみにする者も多い。
イサに対しては特に疫病神と称されるレイシーについて吹き込もうとする者がほとんどだ。
「皮肉ではなく、いい趣味ですね。他人が争うのを高みの見物とは! 実に贅沢なことですが、あいにく貧乏性なので優雅だけは縁が遠い」
「……お兄さんも、ボクのこと化物だと思う?」
レイシーは度々それを問う。その時のレイシーの顔は歳相応に見えるのだが、イサはその顔が余り好きではない。見ていて少しも面白くないからだ。
レイシーは多少不可解な方が魅力的であると、イサは考えていた。ごく少数のレイシーを邪険に扱わない者もそう思っているはずだとも。
「残念ながら、別に思いませんね。もっと外見からして人間離れしてくれていたら、素直に化物と共闘する物好きを自称できるのですが……」
「……疫病神っていうのは?」
「災難を呼び込んで来る? 本当にできるのなら、派手にお願いできますか? こう、入り口街ごとまとめてドバっと飲み込むようなのを。真っ先に突っ込みたいので」
気を遣ったようにも聞こえる発言だが、非常にタチが悪いことにイサは本気でそう思っている。この街は変人が多く、全体を巻き込めばさぞ愉快な混沌になるだろうと。
ここまで来ると、レイシーも呆れるような顔をして応えるしかない。
「お兄さんって本当に変わってるよね」
「失礼な。何がどうあろうとお祭りはお祭りでしょうに……まぁ今は眼の前の敵を血祭りに上げますか。なにせ次にもっと大きな演目がある」
楽に勝てる戦いもそろそろ終わりだろう。
最後の機会を舐めるように、気配無く現れた魔物たちにイサが大鉈を向ける。
ここから先に進めば、身の凍るような脅威が待ち受けている。
それだけはイサにも感じられた。