青閃との出会い
誰かに見られている。
それを感知できるのはイサの優れた感覚の賜物…というわけでもない。単純にイサを追う何者かには、隠そうという気が無いのだ。
(敵意……ではないことは確か。興味、好奇に近いが…奇妙なのは好感を抱かれているような、甘やかな視線だということですね)
洗礼。この街の冒険者となるための通過儀礼の最中であることを考えれば、監視役がいることに不思議はない。
先程の魔犬のように危険な何かが徘徊する場所でも活動できる者がいる……というところも納得はできる。イサは自身を高く評価しているが、だからといって他人が劣っていると考えるほどに脳が天気でもなかった。
(好意。好意ねぇ……麗しい女性なら嬉しいですが。さて、好感を抱かれるようなところは先の戦闘ぐらいしかないことを考えれば……)
追跡者に余り良いイメージが沸かないイサだった。
先程の魔犬は容易い敵とは言えない。街の外で見てきた魔犬とは少しばかり種類が違うようだったが、脅威度は勝るとも劣らない。
ああした“魔物”は中々お目にかかれないモノであり、倒した人間には賞賛と…敬遠が与えられるのが世の中だ。つまりは確かに偉業ではあるが、魔物を超えた戦闘能力を持つ者が人間と言えるのか? ということである。
(追跡者は戦闘に長けた人間か。それも当然の選択ではありますが、何をすれば失点になるのか分からないのがいただけない)
洗礼失格などという汚名を被ることは御免こうむりたいイサは、なるべく真面目に見えるように探索に精を出すことを心がけた。
何か古代の事情に繋がるような物が盗り残されていないか見るために、6軒目となる家屋へと入る。
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追跡者は笑いを堪えるのに必死だった。
追跡対象…とはいうが別に言われたわけでもない。単に趣味と興が乗ったから見ているだけだ。イサが感じ取った通りに、隠れている気もあまり無い。
「ぅっくっ。あのお兄さん、本当に一軒一軒見て回ってるよ……ぷっくはっ」
笑っては悪いと思うぐらいの善性はあるようだが、時折堪えきれずに息が漏れている。笑いの主は灰色の髪を撫でながら、青黒い衣装を揺らして軽快に屋根から屋根へと飛び移っている。
その顔は美しいが、少年とも少女とも判断がつかない。声も同様で、中性的という言葉はこの者のためにあるようである。
美しい顔が笑いに歪んでいるのは、イサのバカ正直さのためだ。
先輩として洗礼がどういうものかは既に知っている。だから、イサが何を勘違いしているのかも察しがついていた。
『東の区画を見てもどれ』……言い方はその時の店主の気分次第ではあるものの、洗礼の内容はいつもそんなところだ。これは何も今いる区画を完全に探索しろという意味ではない。
極端な例を挙げるなら入った瞬間に引き返しても構わない。要はこの異常な空間を見て、心がへし折れ無ければ問題ない。ここにいる魔物らしき生物の首などは取れれば箔が付くが、それだけだ。
にも関わらず、イサという新人は至って真面目に探索している。追跡者と同じように、この空気に何も感じないというわけでもないはずだが……
「うぅん……良い穴埋めになりそう。ある程度人数がいないとどうにもならないし、腕の方も合格だよねぇ。これは帰って、報告しておかなきゃだねっと」
この街では数は穴埋めにならない。あるいはそれが万を超えれば探索も進むかも知れないが、酔狂者がそんな人数に達するはずもなく……大事なのは質である。
穴埋め……追跡者のように、イサのように、真面目に先へ進もうとする物好きの中の物好き。その数を補填しなければならない。常に優秀な者は欲しいが、今は尚更だった。先月一人失われたばかりなのだ。
「さぁて、どうやって勧誘しようかなっと」
追跡者は再び屋根を蹴った。
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思わずえづきたくなるような臭いが鼻孔をふくらませる。狼の仮面はこうした時に五感を妨害しないようにもできていた。
錆びた剣のような血の匂いと、腐れた臓腑の生臭さを肺に取り込むとイサは人心地がついたようになって笑った。匂いとしては最悪の部類のはずのそれでさえ、薄紫の瘴気よりはマシであった。
瘴気に匂いはないが、魂まで鈍化していくような不快な感覚がある。それに比べれば分かりやすく嫌な臭みはまだ救いがある。
(失礼します)
内心で少しだけ断ると、イサはしゃがんで死体を仔細に観察した。
頭部は無い。……というよりは飛び散って四散している腐肉がそうなのだろう。手の近くには飾りのない簡素な長剣が転がっている。
しばらくしてからイサはあることに気付いた。胸下に階級章が無い。冒険者の階級章は身分証代わりになるもので、とりあえず付けておく程度にはメリットが有る。
世間の人々にはチンピラを見る目で見られる下位の位階でも、いきなり同業者に襲われる可能性を大幅に減らしてくれる。例え骸を野に晒そうとも、拾った人間の性格次第では回収されて身寄りに連絡をくれることもある。
(装備が重い。特に鉄靴は拍車がついたままだ…冒険者ではないのでしょうか?)
傍から見ても実質としても死体漁りそのものとなってイサは、遺骸の鎧下を探る。…高価な水薬が一本と手記が出てきた。
魔法と呼ばれる大儀式で造られる回復の薬は総じて高価だ。手記があるということは文字の読み書きができるということでもあり、懐が暖かい人物の成れの果てであるようだ。
(騎士? あるいはどこかの戦士…成程、冒険者だけがこの街での躍進を夢見ているわけでもないのですね)
遠慮なく遺物を拝借したイサは、特に手記の方を愉しみにする。こうした物を読むことをイサは好んだ。好まないことの方が少ない男ではあるが。それにこの遺跡の謎を知るには中々にいい材料であった。
沸き立つ気分に、イサはまず抱くべき疑問を忘れていた。この戦士のような人間の頭部を潰したのが何か、という当たり前の疑問。危機に対する備えである。
珍しいことに直感ではなく、風を斬る音に対してイサは前転して距離を取った。石畳を圧壊する轟音が響き渡り、命を拾ったことを実感する。
振るわれた何かで再度の圧壊を受けた誰とも知れぬ遺骸は、爆散して屍臭をさらに撒き散らす。
「また気配無し……!」
成程。これではこの街が未知のままなわけだ。
戦士が何よりも頼りにする、実戦を経験したからこその勘の働き。それがここでは一切役に立たないどころか枷となる。
この街で物を言うのは“この街での経験”であり、“それまでの経験”ではないのだ。
「とはいえ、技は通じる。後悔させてあげましょう」
逆に言えば、初撃を躱せばイサは本領を発揮できる。正調の剣術を現実へとすり合わせた剣で打ち破れぬ者など無い。
(しかし……これまた、初めて見る魔物)
魔物と呼んでいいのかも分からない。
背丈がイサの倍ほどはあることから、少なくとも人間ではなさそうではある。しかし粗末ながら衣類をまとっている上に、武器を使う。武器は麻袋に詰め込んだ石のようだ。
(巨人にしては小さい。妖鬼にしては大きい。人を相手にする感覚で戦ったほうがマシでしょうね)
人を相手にする感覚……その考えは驚くほどにしっくりと来た。
余りにも納得が行き過ぎて、イサ自身が奇妙に思ったほどだ。
その間隙を巨体は見逃さない。鈍重だが力強い動きで、肉が付着した頭陀袋を振り回す。しかし……
「遅いです」
予備動作が大きすぎる。当たれば危険なために慎重さは要求されるがそれだけだ。縦に振られれば、横に体を移動させれば良い。横に振るわれるのならば縦の動きか、近付くかで事足りる。
事前の見切りのみで対処が可能な手合だ。事実、その暴力の竜巻はイサに一切届かない。
呼気とともに踏み込む。流石にこの瞬間だけはイサも緊張を強いられる。
相手は大きくて力がある。格闘のスタイルを取らせることだけは避けたい。そのために巨体が振るう武器の紐を斬るという考えを捨てて、敢えて台風の目へと飛び込んだ。
ステップとともに膝へと大鉈の一撃。呻きと共に巨漢が崩れ落ちる。
「ヌゥオオオオオ?」
「人の言葉とかしゃべらないで下さいね?」
闇雲に暴れまわられると厄介だ。
対手の手の向き。目線に注意を払いながら、ヒット・アンド・アウェイで巨体の関節を砕いていく。
そして、最期は眉間への一撃。生々しい感触と共に脳へと剣先が通ったことを確信する。
「オブっ!」
奇怪な声と共に巨体が跳ねた。そのために念を入れて胸骨にも打撃を幾らか加えておくと、一分ほどで初見の敵は大人しく冥府へと旅立った。
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結局、この魔物に似た“何か”は何なのか?
考えても全く分からないことではあるが、考えるのだ。この遺跡の最奥……中心部を見てみたいのだから。
出現すれば気配は読み取れる。だというのにその前の段階では全く察知できないのだ。突然生まれたように……
自分と同程度の強さまでなら、対応は不可能ではない。しかし格上となれば致命的となる。このままでは道半ばで息絶えるだろう。
いや、格上であればまだ良い。複数相手の雑魚に集られて死ぬことだってあるだろう。例えばこのように……
気がつけば前後に先程の巨漢がいた。同じように粗末な衣類で顔まで覆った大男が、群れを成して進路と退路を塞ぐ。
その戦力差以上に、巨漢が全く同じ姿形だということが怖気を誘う。同種であれ普通はわずかにでも差異が出るものだ。
「これは……」
今いる場所は大通りではなく、狭い路地だ。巨体では数を活かすことはできない。だがそれを勘定に入れても、切り抜けるにはあと一手足りない。
「使いますか……?」
腰に帯びているもう一つの得物…白包に手を伸ばす。大鉈では4体倒したところで、手詰まりになる盤面が予測できているが、こちらなら話は別だ。少なくとも倍は健闘できる自負がある。
賽の目次第では切り抜けることも…
「いい感じにピンチぃ? お兄さん?」
「……なに?」
傍らに降りてきたのは美しい少年……いや少女? ……だった。声も顔も性別を判断できる決定的な材料にならない。
暗い青の上衣と剥き出しの足。快活と不気味さ、美しさとおぞましさが両立した奇怪な人物。その気配にだけは覚えがある。
「……監視役が助けに入って良いのですか?」
「べっつに依頼でもなんでも無く、趣味でやってただけだしね」
追跡者が笑う。手に持つ物からその意図は明白だ。
ハルペーと呼ばれる大鎌の一種を携えて、取り囲む巨漢達に全く怯まない。その胸に輝くのは青光。
「神青鉄の冒険者ですか……その歳でよくもまぁ」
つまりはイサよりも一つ上、第2位階の冒険者であることを示していた。武威が年齢と関係無いとは言え、装飾人形のような美しい人型が自分よりも暴力に長けると突きつけられると流石のイサにも現実味が無い。
「……んー、貸し一つで大通り側の敵を相手にしてあげるけど?」
「受けた。請求書は組合を通して回して下さい」
「へぇぇ、疑わないんだ? ボクが強いって? お兄さんのこと気に入っちゃいそう」
「そんな鎌を持ったまま、音もなく着地できる雑魚なんていませんよ。随分と高くつきそうな援軍ですが」
「あー、お金じゃないんだけどなぁ。ざっくり言うなら勧誘? まぁお客さんの後にしようよぉ」
天使が微笑んだ。
しかし天使は天使でも告死のソレだろう。
男でも女でも虜にする笑顔のままで、怪物たちに死ねと宣告している。
「じゃあ行こっか」
ハルペーを構える姿も美しい。
だがその佇まいから感じ取れる力量にこそ、イサは戦慄した。恐らくこの性別不明の魔人と戦えば、イサですら10の内7まで分が無い。
続く光景はその証拠となった。