通れぬ近道
それは全くの偶然だった。
場所は丁度タークリンを倒した区画であるが、彼の姿はなかった。
魔物の肉を食ったぐらいでは完全なる不死には至れないようだ。そうイサが勝手に結論づけていた時、後方で可愛らしい声と同時に大きな音が響いた。
「あたたた……」
「冗談のようですが、その荷を背負ったまま下手に転ぶと死にますよセイラ」
ドジな者が足をもつれさせて転ぶ。よく聞く話だが余程に慌てていなければ起きないことでもある。セイラは最下位でも腐っていても冒険者であり、平時に転ぶほどに平衡感覚に異常があるわけでもないだろうが……
ともあれ背嚢の重みで清々しい、もとい痛々しい転びっぷりを見せた。
「いやぁ、すいません。何かに躓いて……? アレ、コレ……」
「石材?」
セイラが躓いたのは石材だ。
それは不思議ではないのだが、外れており……何かの蓋を覗かせている。一瞬、他の冒険者の隠し場所かとも思えるが、それにしては古い。
「むぅ……考えたこともなかったが」
カレルも顔を上げる。タークリンが立っていた場所には噴水があった。つまりは水路があるのだ。
「昔、実際に都として使われていたとしたら……整備用の入り口なんかがあってもおかしくないわけであるな」
「道として使えるモノなの?」
「それは入ってみなければ分からぬが……水源や水はけのために他の区画。それも別の階層に繋がっていてもおかしくはなさそうではあるな」
見上げれば城のあるはるか彼方の中央部分は、下層よりも高く見える。流れに従って繋がっている可能性は高い。それも水を流すために結界のような見えない壁も無いかもしれない。
「へぇ~。ねぇ行ってみようよお兄さん」
「……油虫とかいないでしょうね? 入ったらびっしりと……というのは御免こうむりますよ?」
「え、なにその意外な反応。……お兄さん、虫嫌い?」
「……小さくて多いのは」
如何にも万能選手らしいイサに苦手なものがあるとは思ってなかった一行は、微妙な顔を浮かべていた。
誰も好き好んで地下水道に入りたいわけも無いだろう。そうイサ自身は考えていたのだが、結局は理屈に負けて降りることになった。
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地味なイサの恐怖心を裏切って、暗渠内部はこうした設備にしてはまぁまぁ清潔だった。不快な虫は数えるほどにしかおらず、湿り気とカビの匂いも耐えられる範囲に収まっていた。
現在の暗渠とは雲泥の差がある。何年あるかも分からないとなれば、灰都の先人達の技術は想像を絶していた。
……完全に余談だがイサの虫嫌いは数が多い場合に限る。彼の名誉は守られた。
「セイラ、灯りをお願いします」
「はっ、はい!」
狭い空間内での会話だ。谺するように響き渡り、想像以上に響いた。穏やかに流れる水の音しかしないとなれば、人の声の方が異質で目立つ。
「……かなり広いな。我でも悠々と通れる広さだ」
「音の感じからして、何本も枝分かれしているみたいだね。便利に使える道だけど…迷ったら危険どころじゃないね」
レイシーの異常に冴えた感覚に呆れながらイサは思考した。地下水道は便利に使える道にもなり得るが、ある一点を確かめなければならない。
というよりはソレがなければ使う価値が複雑な構造に負ける。
「蓋を目印にして南に進んでみましょう。壁の下を潜った時、どうなるか……それ次第で使う価値の有無が分かれます」
現在地点は外周の北に当たる。中央へのショートカットとして利用できるかを確かめるために南へと向かわなければならない。地上の壁には空間を歪ませるような働きがあったが……果たして地下まで効果が及んでいるのだろうか……
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中央に水路、両端に通路。このあたりは古代も今も変わらぬ作りらしい。
カレルを除いて軽装であるため、水の音以外は甲冑のこすれる音と鉄靴の音が響くだけで後は全員無言だった。
「そろそろ……南の壁あたりですか?」
「歩いた感じだと、そうだね」
強いて声を出すと返事をしたのはレイシーだけだ。
歴戦の騎士であるカレルは無言。セイラもそうだが、首を小動物のように不安げに動かし続けている。
私自身も首の後ろにチリチリとした不思議な感覚を覚えていた。
「……止まって。なにか……」
一際感覚に優れたレイシーに制止され、一行は歩みを止める。
何かがいるのだ。
こちらは灯りを点け、その上わずかながら声をあげてしまっている。“何か”にはとうに気付かれているだろう。
無言のまま鉈を引き抜く。カレルは片腕になってしまっているため、ランスではなくバックソードを構えた。レイシーは初動すら見せぬままに既に、鎌を自然体で構えている。
一人未熟なセイラは相手の存在よりも、他の仲間の行動を見て逃げる準備を始めた。これは逃げ腰なのではなく、あらかじめ定められた役割だ。
「……セイラ、カンテラを龕灯に嵌めて前を照らしてください。カレルはセイラと荷物を守って距離を」
静かな指示。
暗闇に対してささやかな灯りが先を照らした。
そして“何か”はそこにいた。
人型ではあるのだろう。だがそれはシルエットだけの話しだった。
目がない。鼻がない。口もない。髪も無ければ、耳もない。
人型だが、人にあるべき部位は全て無い。ただ人と同じような輪郭をしているだけだ。
灯りの色によって判然としないが、恐らくは肌色に近い色なのだろう。指のない四肢。全身には一定間隔で細かい節の線が走っている。
表現するなら、ミミズを無理やり人型にしたような姿だった。
そしてソレはぷるっと震え……
「避けっ――!」
腕のような部位の震えを見逃さなかったことを自分で褒めてやりたい。だが出した言葉は間抜けにも程があった。
「――ろっ!」
そう言った自分が躱せていないからだ。
人間もどき、あるいはミミズもどきが振るった腕による攻撃を鉈で受け止める。峰にもう片方の腕を押し当てて、渾身の力で受け止めたがそれでも押される……!
レイシーですら辛うじて躱せた。それほどの速さだった。
もし腕があと一本あったのならば、カレルとセイラはこの世の人では無くなっていただろう。
「――っ! ………っ!」
何か。
何か指示を出さなくては。
だが鞭のように振り回される腕が止まらない。左、右、左、右……! 単調なリズムだというのにあまりの速さから防ぐのに集中力を使い果たしている。
レイシーは流石に受け止めること無く、躱し続けている。だがそのレイシーも他人に気を回す余裕はない。いつもなら聞こえてくる笑いも、おどけるような言葉もない。ただ縦横無尽に暗渠を駆け回っている。
どういうわけか、このミミズ人間は徹底してレイシーと私を的にかけている。基準が分からないが……あえて推測するとしたら強さか。
まずレイシー。そして私。他の2人は脅威にならないという判定を下しているかのようだ。
だが、舐めないで欲しいものだ。格上相手の経験が無いとでも思っているのか!
続く一撃を壁際で受ける……と見せかけて逸らす。
壁に穴が空いたのを確認もせずに、そこへ鉈を叩き込む。この魔物の膂力を持ってすれば石造りの壁ぐらい砕くだろうが、一瞬の間はできる。
「カレル! セイラを守って退いてください! ……レイシーは、合わせなさい!」
「ボクに命令する人はお兄さんが初めてさ!」
美しい声が頼もしい。
そして苛つくことに、レイシーが主役だ。
守っていてはこの奇妙な魔物には勝てない。ゆえに二人がかりで無理矢理に攻める。実に単純明快な解決方法である。
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イサは前に出て、鉈をひたすらに振るった。その動きは速く、そして大振りである。正当な剣技を習得しているイサの剣は常ならば最小の動きで最大の効率を求める。
だが、この動きはまるで敵手の鞭のような動きそのままだった。
イサは最初から援護に徹する構えで、敵の腕を弾くことだけに集中することにしたのだ。
レイシーとの連携。それを考慮した結果、これまで魔物の片腕に振り回されていた事実を跳ね除けるべく限界を超えた動きで相手の両腕を弾き続ける。
当然、このような無理は長続きするはずもない。
常人離れしたイサの身体能力でも分に満たない時間が限界だ。しかし、それで充分――!
なぜならば、真打ちであるレイシーは“常人離れ”などという範疇にすらいない。一種の超人だ。その卓越した身体能力を用いてレイシーは敵の真上に跳ねた。
傍から見ているものがあれば目を疑っただろう。どれだけの脚力で飛んだのか。
わずか一瞬だがレイシーは天井に立っていた。
ああ――
「たまには支援役も!」
「悪くないね、お兄さん!」
迸るは青閃。
美しいまでの曲線を描いて、レイシーの持つ不可思議な鎌が怪物の首を刎ねた。
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誰はばかることなく息を荒げる。
勝算があったとはいえ、単純な性能ではレイシーと私を合わせたよりも上回っていた。こんな怪物と戦った経験は流石にない。
終わってみれば一瞬の攻防だろう。だが半端な敵を100体相手にするよりも疲れ切っていた。
レイシーですら極度の集中からか、人形のような肌を白くしていた。
「はぁ…………はぁ……。ははっ! やりましたね、レイシー」
思わず笑みが漏れる。
相手が強大すぎてしばらくは似たような経験はゴメンだが、達成感は凄まじかった。だが、レイシーの返事はない。
「………レイシー?」
「お兄さん、あれ……」
感情が抜け落ちたような顔のレイシーが、静かに道の先を指差す。そちらへと目をやると……
「……はっ! 地上は不思議の結界。そして地下にはコレか……!」
道の先には、あれほどに苦労して倒したミミズ人間が更に5体。
いや、まだまだいないとも限らない。
「退きますよ、レイシー。ここは近道では無かった」
「そうだね、お兄さん。でも次は勝とうね」
なぜか追いかけては来ない怪物たちを尻目に私達は地下水道から撤退した。