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青閃と銀閃の灰都探訪  作者: 松脂松明
第1章下層貧民区画
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妖刀

 イサは静かに鉈を構え直した。

 鋼で造られた無骨な作りの武器は、その頑丈さが外見にも現れていたが、タークリンの大剣と比べれば大木に対する小枝のように頼りなく見える。


 自ら先手を仕掛けたのは、小回りを重視して短期決戦を狙ったためだったが路線変更……とまでは行かずとも少なくとも頭を捻らなければならなくなった。

 


「おう、おぅ? りぃお?」



 訳の分からぬ言葉を紡ぎながら、よだれを垂らすタークリン。傍目には完全に狂っているし、内面に置いてもそうなのだろう。

 冒険者の昇格には最低限の人品も考査対象である。第3位たるタークリンが最初からこのような人物ではない、というのは初対面であるイサにもわかることだ。


 それが今や顔の面の通りの狼……否、病に侵された犬の様子だ。

 だが……



「やる……! 直接相手をした中では、これほどの使い手は初めてですよ!」

「ィシー、おぅ、おお!」



 タークリンの戦闘技術はその状態でも全く落ちていない。

 人は脆い。破壊するのに大剣のような破壊力は必須ではない上に、イサは端から重装備ではない。一撃入れれば死んでしまう儚い生命同士の戦いであるからには、軽快に動けるイサの方が有利に思えるがタークリンは冷静に対応している。


 それは構えなのだろうか。大剣を分厚い鋼の板のように扱って、その影に潜むようにタークリンはすり足で接近してくる。

 恐らくは大剣に拘った結果として生まれた戦闘スタイルだろう。イサ自身がそうであるように、高位の冒険者は変わり者であり独自性に異常に拘る者も多い。

 大剣は長物に対抗するために用いられる。長槍などを切り落とし、その重量で防具もろとも中身(・・)を痛めつけるのだ。使い所が限定されているのは他の得物同様。


 その大剣を、素早さが売りの相手に向けるための戦い方がこれだ。

 鎌鼬のように低い姿勢から通りすがりに放たれる、小刻みな攻撃。それをタークリンはわずかに向き直るだけで、全て遮断する。


 見事な手並み。だからといって舌を巻くイサが不利かと言えばそういうこともない。

 攻撃の回転率でイサは圧倒的にタークリンを上回っている。比率としてはイサが5回剣を振るえば、タークリンは一回返せるかどうか。

 たまの一撃は掠っただけでも致命傷だろうが、大剣ではまぐれでもイサには当たらない。どちらが先に相手の動きを見切るかで、勝敗の天秤が傾く。


/


(手強い、慎重で怖い相手だ。なのに……)



 なぜか心は燃え上がらない。答えは実に単純で、これは私が望んだ展開ではないからだ。


 それは戦闘における展開のことではない。戦いなどどうせ私が勝つのだ(・・・・・・)。多くの戦士がそうであるように、私もまたそう信じている。


 求めていたのは苦戦をスパイスにして、刺激の強くなった心のふれあい。

 それこそが人と戦う時の醍醐味だった。


 敵が盗賊のような三下であれ、むき出しになった本性と必死さは胸を打つ。この灰都に至るまでの道程の中で、人を相手にした回数は少なくない。


 相手が余りにも愚かで胸が空くような気持ちだったこともある。偉ぶったお山の大将の手下を全て排除して、一人きりにさせた時などがそうだ。

 身を切るような悲しさを感じたこともある。生活のために仕方なく襲ってきた者や商売敵に雇われた者達を鉈で叩きつけた時など、本当に気分が悪かった。仕方ないので思い出せなくなるまで、街路に相手の(・・・)頭部を叩きつけ続けた時は吐きそうだった。


 この戦いはどちらかと言えば後者に似ている。

 私はどちらかと言えば前者に期待していたが、落胆の理由はそこにはないだろう。狂った殺人鬼へと怒りを叩きつける面白みが無くとも、涙は楽しめるはずなのだ。



「タークリン殿……確かに貴方は強い。だが面白くありません」



 相手には哀れみを、境遇には憤りと期待を込めている。だから許せない。なんだ、それは。


 鉈が大剣を迂回するように奇怪な線を描き始める。



「なんですか、その様は? それでも私と同じ狼ですか? 冒険者第3位はそんなに軽いものだったのですか? その体躯が飾りではないというのなら、少しは気骨を見せてください!」



 私は己を楽しみたい。

 己。自分。我。あるのはそれだけ。


 自分と同じ狼面が、浄銀の冒険者が無様を晒すのは私の所有物に対する冒涜である。


 とうとう、川のように流れる動きと化した無骨な鉈は大剣という盾を完全に無視し始める。影に隠れた巨体が纏う防具、その金属部位でタークリンは辛うじて受けているに過ぎない。



(――腹立たしい)



 先に相手のスタイルへの対応をしたのは私だ。

 それも当然だ。何かわけのわからない理屈によって正気を失わされて、戦闘力だけを活かされているタークリンには心の力が無い。

 心の力などと言うと世慣れた者ほど笑うが、それは実在すると私は信じている。そもそも集中力や忍耐力も無形の力だ。ならば他の感情が実際に力を産まないと、誰が確信できるか。



「――してくれ。おぅ……」

「もっと、はっきりと!」



 とうとう巨狼が声を発する。

 それこそが本来のタークリンの精神力。私が何かの影響を与えた訳でもなく、それぐらいのことはできる男なのだと信じている。



「殺して、くれ」

「――」



 続いた言葉に、イサは全ての動きを止めた。


/



「腹が、減っていただけなんだ。ミロン、レイシー、あいつらに負けたくなくて……腹が減っていただけだったんだ」



 ここは外周円北部。レイシーが言うにも、自分で経験したことでも、自分一人で抱えられる物資での踏破限界地点。

 もし、タークリンが徹底して単独行動を好む者であったのなら。



「まさか、食ったのか。 ここの魔物を……」

「おぅ、おぅ。食ったのか? 食われたのか? 俺がマメのスープ? おぅ……」



 この地の魔物は不死に近く、刻限になると帰っていく。誰かにそう言われているように。ならばその血肉を取り込んだ、あるいは取り込まれた者はどうなる――?

 普通ならばやらないだろう。だが、現地で補給すれば良いという当たり前の考えを実践してしまった。その一つの例がタークリンという哀れで強い男だった。



「鐘が、鐘が聞こえないように、俺の脳を、のう、おぅ!」



 スピアーマン。ソードビー。この街の魔物と同じ鐘の音で動く走狗。

 いや、この街は遥か昔から存在している。探索の過程で文字通りの食うに困った者など数え切れまい。つまり、この街の魔物は皆――



「救いなど柄ではありませんが、承知しました。……本当に貴方にはがっかりですよ。どうせなら私が斬る(・・)前に、抵抗の可能性を示して欲しかった」



 大ぶりの一撃を後ろに飛んで躱すと……何を思ったか、イサは鉈を鞘へと収めた。そして今一つの白布へと手を伸ばす。

 彼が生家を追われた原因。持ち出した呪物。


 タークリンは声を自分の意志で取り戻したものの、肉体は相変わらずに暴威を振るっている。

 それを前にイサは全く動じない。本来の得物を手にしたのならば、彼は浄銀を超えて神青鉄(オリハルコン)に匹敵する。しかしそれとて技量だけの話。その武器の性能を考えたのならば――


 イサには全身を取り戻すための手助けをしてやる気もない。

 後は相手の哀れを拭ってやる程度の善意しか持ち合わせていない。



「――眠れ」



 生き恥を晒した後に、生き残るのは辛かろう?

 そういう断定するイサの勝手な意志が、全身に充溢する。低い腰だめの構え、白布から覗いた柄頭に脱力した手を乗せる。


 ――そして、銀閃が迸る。


 液体のように銀の残光が輝いたと思った瞬間。タークリンの大剣が、防具が、そして彼の肉体が……線に沿って切断された。

 大剣を振ろうとした構えのまま、ぐるんと巨狼の上半身が回る。



「……ありがとう」



 巨漢に似合わぬ穏やかな声と共に、折れた大剣を手放して冒険者が崩れた。

 その言葉をイサは突き放した。



「いや、恨んでくださいよ。これから貴方の全身をすり潰さないといけないんですから。感謝などされたら気持ちが悪い」

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