開戦の警笛
──王side──
進は自らの目を疑った。
魔術師団撤退と同時に、外務大臣を派遣することで保護国化に成功したイルガチェフェ公国に対し、急に執り行ったリュミエール王宮での会食。
そこでテーブルを挟み対面しているイルガチェフェ公家の妃であるキリコ・イルガチェフェは、進の元カノである「霧島伶子」にそっくりだったのだから。
それは「キリコ」も同じ様で、進の顔を見るなり呆然としていた。
会食は予定通り進み、何の問題も起こってないが、彼女は「伶子」本人なのかが気になって外交する気も起きない。
進も伶子も、笑顔はどこかぎこちない。
だが、話をしなくてはならない。 それが進自身の役割ならば、それを果たすべきである。
台の上に用意された、外交官が繰り出した拡声魔法の魔法陣の前に、咳払いしながら立った。
「イルガチェフェ公国の皆様。 本日はお忙しい中、急な会食に出席頂きありがとうございます」
進の姿に、イルガチェフェ公国の官僚の視線が突き刺さる。
自国を保護国化し外交権を奪った「実質的な宗主国」に対して良い感情を持っている者は居ないだろう。
イルガチェフェ家を除いて。
覚悟を決めて、話を切り出そう。
「本日招待させていただいきました件ですが、単刀直入に申し上げると対魔族戦争への協力をイルガチェフェ公国に依頼したいということです」
会場はどよめいた。
保護国に対する戦争への協力というのは、本来建前だけでも自主的な物でなければ保護国民の反感を買い、反戦運動や独立運動に繋がってしまう。
それだけではなく、国際社会からの反感も買う。
ここに居るのは公国のトップだけなので揉み消せなくもないが、ここでその言葉を言ってしまった以上、遅かれ早かれリュミエールはその責任を追わなければならなくなってしまった。
即ち進の言葉は、非常識な物だった。
「今、我々は数々の災害に脅かされ、人類絶滅の危機に扮しています。 しかし戦争ばかりでまるで脅威は減らない。 脅威が脅威を呼ぶ戦争なのです」
だが、これは進の提案した『対魔開戦論』のシナリオの一部である。
既にヴァイセには話してある。
「我々は力を合わせてその脅威に立ち向かわなければならない。 魔族に対する戦争は、全人類が当事者なのです。 そこで提案なのですが、イルガチェフェ公国が対魔戦争に協力し、勝利する事ができれば、完全な独立を認めます。 どうかご検討ください。 宴はまだまだ続きます。 どうか心行くまで楽しんでください」
壇上から降りた進は、胸を撫で下ろしながら席に戻った。
言わなければならない事は言った。
これでひとまず仕事は終えたのだたと。
辺りを見回すと、特に隔たりなく会食は進んでいた。
シャンデリアから降り注ぐ淡い黄金のシャワーは、緊張の解れた進の心を包み込んでいった。
──勇者side──
「ごめんくださーい」
真人は王宮の門に向かって声を張った。
すると出てきた二人の門兵が剣を抜いて「何者だ」と睨みつけてきた。
「いや、俺達は勇者で、その」
テンパって震える声をどうにか言葉にする。
そんな情けない真人の後ろから、リリーが一歩前に歩み出た。
「私達は勇者パーティです。 大神官カルマ様の命で、王へご挨拶に参りました。 接見の間に通して頂きたいのです」
リリーの落ち着いていてかつ甘い声に納得したのか、門兵は剣を降ろした。
「わかった。 ここで待っていろ。 その旨を伝えてくる」
門兵の片割れは、その場から踵を返して王宮に戻っていった。
「はぁ……」
真人は自己嫌悪に陥っていた。
真人はコミュ障である。
初めてあった人や怖そうな人とちゃんと話せない。
だがこれではパーティのリーダーは務まらない。
なぜ旅の長として、色んな人と話さなければならない勇者職に転生してしまったのか。
どうせなら雑兵で良かったんだけどな……。
そんな事を考えた。
「マサト? あ、もしかして怖気づいた事気にしてんの」
クレアは楽しそうに笑った。
「うるさいよ」
そう返しても、クレアはケタケタ笑っていた。
「じゃあ、話さなきゃいいんじゃない? アンタはパーティを率いるんだから、パーティの意向を決定できればいい。 だからアタシたちが話を進めて、それに『はい』か『いいえ』で答えるとか」
なるほど、その方法なら、真人の苦手なコミュニケーションは回避できる。
確かにクレアの言うとおりだ。
真人は「はい」と言った。
先程戻っていった門兵が戻ってきて、「通れ」と頷いた。
門兵についてそれ一つで都市の様に広い宮殿の中を歩きまわって、ようやく巨大な城の玄関に辿り着いた。
「すっげぇな……王宮広すぎでしょ……」
クレアの漏らす言葉の通り、身長の二倍はありそうな漆塗りの扉を門兵が推し開いた先には、大迷宮──廊下が碁盤の目のように張り巡らされていて、奥が見えない程の大きな宮殿であった。
「歩くのに疲れますね……」
元々かなり広い寺院に住んでいたリリーですらこの引きようである。
現代の価値観でも、この時代の価値観でも、この王宮は広すぎるようだ。
謁見の間の玉座には、王は座っていなかった。
隣国、イルガチェフェとの会食中で忙しい為、代わりに宰相・エルスト=ヴァイセが対応してくれた。
「本日はわざわざ遠くからようこそおいでくださいました。 私リュミエール王国宰相兼執事長のエルスト=ヴァイセでございます。 立ち話も何なので、場所を応接室にでも移しましょうか」
謁見の間の奥の扉から歩み寄る白髭の高身長な男が優しそうな笑みを浮かべながら、真人達の前を通り過ぎ、その後ろの扉を引いた。
「こちらです」
応接室のフカフカのソファに座らされ、置かれた高そうな紅茶を啜る。
さすが執事長。 紅茶は適温まで冷まされており、猫舌でも飲みやすい。
「王も残念がるでしょう。 王は勇者達を探していたのですから」
「王が俺達を?」
紅茶を飲み干し、真人は眉間に皺を寄せた。
勇者といえど、リュミエールはそれを遥かに上回る騎士団を保有している。
そんなにありがたがるものなのかと疑問に思った。
「はい。 今回我が国の大賢者より、勇者が出現が予言されまして。 魔王は基本、勇者にしか倒せないのです。 故に魔界と国境線で接しているリュミエールからすれば、我が国で勇者が現れるのは、非常にありがたいことなのです。 今王は他の国に、対魔戦争の支援を得られるように活動しています。 直に王が謁見致します。 今日はここで休んでいってください」
そんな中、話しているヴァイセを他所目に、応接室に騎士が飛び込んできた。
ヴァイセが話し終えた所で、騎士は彼に耳打ちした。
「なんだと……」とヴァイセは言葉を失い、応接室から飛び出した。
──王side──
「どうしたんだいきなり」
進は会議室に向かって歩きながら、その横で騎士に指示を出すヴァイセに尋ねた。
「イルガチェフェ公国宮殿に魔王軍が襲撃した模様で、現在現地の駐留軍が応戦中だそうです」
進はその言葉に面食らった。
イルガチェフェということは、魔王軍は大きく迂回してこちらに上陸しているということだ。
つまり現在リュミエールは挟撃されているのである。
しかも、上陸間もなく、物資の供給をまともにしないまま駐留軍をも足止めしている。
このまま前線が押されてリュミエールまで侵攻してくる可能性も高い。
護衛の騎士が扉を開けると、そこには既に賢人と呼ばれる面々が着席して待っていた。
ただ、何人か居ないものもいる。 緊急事態である為、ヴァイセはそのまま開始を宣言した。
参加していたのはトルイ、マホロ、ヴァイセ、外務大臣フェルムと、憲兵騎士団団長のアレンである。
進が着席すると、すぐにヴァイセは司会を執り行い、意見を求めた。
「つまり、イルガチェフェにリュミエール軍を派遣すべきかという件について、端的に意見を頂きたいのです。 なお、大神官カルマ様からは『派遣するなら聖騎士団も派遣する』というお言葉を頂いております」
フェルムが手を上げる。
「外交問題の観点から申し上げます。 即刻軍を派遣すべきだと思われます。 このままではエスプレアの干渉を受けることは確実です」
つまりフェルムの言いたいことは、エスプレアは魔王軍のイルガチェフェ侵攻を理由に、エデン大陸に軍を駐在させるということだ。
それはつまり、エスプレアのエデン大陸での覇権が広がる可能性を意味し、さらにそれはリュミエールの衰退を直接意味する。
「いや、ここは維を切り捨てて、撤退するべきだ。 どの道エスプレアが来たところで、三種の霊剣も勇者も持たぬ奴等が魔王軍に等勝てるとは思えねぇ」
次に意見したのは憲兵騎士団のアレンである。
三種の霊剣とは、魔王に有効打を加えられる伝説の武器であり、その内の一本がトルイの持つ『断罪聖剣イノセンス』である。
因みに『維』とは、イルガチェフェの略称である。
「だがそれでは駐留軍を見捨てるということです。 魔王軍がイルガチェフェに力を持てば、確実に国境を北に上げていくしかできなくなります。 さらにイルガチェフェは三種の霊剣の内の一本を保有しており、奴等の狙いは恐らくそれでしょう。 それを奪われる事は人類にとって大きな損害です。 できれば戦闘……いやせめて救援は」
トルイは堪えられなくなったかのように机を叩いた。
駐留軍は全王国騎士団員の5分の1と全王国魔術師団の7分の1。
王国騎士団としても、それを切り捨てるのは許さないだろう。
イルガチェフェの霊剣を奪われれば、魔王に対する切り札が一枚無くなるも同然。
これも防がねばならない。
「私も全く同意。 魔術師団の長としても見捨てるわけにはいかないし、エスプレアもすぐには侵攻には踏み切らないだろうし。 いくら敵対してても国際社会での立場もあるから、直接の介入はありえない。 あったとしても反政府組織に武器や資金を支援するくらいだと思うわ」
あの夜ベッドで馬鹿騒ぎしてた女がここまで聡明だとは進も思わなかった。
的確な指摘にアレンは唸った。
「王太子、どう思われますか」
「ここは派遣しようと思う。 元々魔族との戦争は避けて通れぬ道。 それにここで軍を派遣し勝てれば、イルガチェフェへの影響力も強まる。 負けても全世界に『リュミエール軍を負かした魔王軍』として、奴等の脅威をより深刻に受け止めるだろう。 それに負ければ我が国とイルガチェフェ双方に対して国際社会の同情が集まる。 その点でも即刻派遣すべきだと思う」
元々開戦はしようとしていた。
ここらで奴等手の内を明かさせるのも一つの手。
それに、人間の力がどこまで魔王軍に通用するか見れる絶好のチャンスだ。
進はピンチはチャンスなのだな、と不謹慎ながら感じた。
「トルイ」
進は椅子から立ち上がり、不敵に笑った。
「なんでしょうか?」
「地上最強軍の力、見せつけてこい」
トルイは驚いたように真顔になった後、勇ましく頷いて見せた。
「承知しました」
「あ、シン君これ勝ったら今晩もしようね〜」
会議室からトルイとマホロが慌ただしく飛び出した。
「シン様、勇者パーティが応接室にて待機しております」
「ようやく来たか。 せっかくの機会だ、王国騎士団に同行させてくれ」
「承知しました」
ヴァイセも会議室の扉を開けて去っていった。
それを見届けたアレンは、椅子に体重をかけながら、首を進の方へ向けた。
「いいよなぁ、オウタイシサマは。 座ってれば軍が戦うんだから。 虫けらみたいに散ってく命を、国を守ると正当化して英雄面。 馬鹿馬鹿しいぜ。 キリ王は統合指揮官として現地にいって、アンタの弟は兵士として最前線で戦ってた。 アンタだけだよ、温室で大切に育てられてんの」
「お前! 王太子になんたる無礼!」
怒鳴るフェルム。
アレンは立ち上がり椅子を蹴り飛ばし、威嚇する。
「黙ってろジジィ。 死にてぇのか」
怯えるフェルムを尻目にアレンは舌打ちしながら会議室から去っていった。
確かに俺は座ってるだけで何人もが命を削って戦う。
だが、俺が同じようにするのはいささか何かが違う気がする。
政治と軍事はどちらも重要だが、政治に関して「代わり」はいない。
軍事も「代わりのいない人間」、例えばトルイ等が居たりするが、大半は代わりがいるのだ。
立場の弱い強いじゃない。
役割の違いなのだ。
俺は俺のすべき事をするだけだ。
進はそう噛み締めた。
アレンの侮辱に対する怒りを堪えながら。