反撃の狼煙
夕暮れ時、イルガチェフェとリュミエールの国境へと二つの軍隊が進軍していた。
一つは南下する「リュミエール憲兵騎士団」。
対抗するもう一つは北上する「イルガチェフェ義勇軍」。
義勇軍といえど、実際は亡命してきたリュミエール王国騎士団の団員がほとんどである。
「気鎧」の装備を制限されていたリュミエール王国騎士団が、その縛りをといて挑むクーデター後初の戦争である。
彼等の士気は当然ながら高かった。
それに加え、急激な志願兵の増加に合わせて追加されたイルガチェフェ陸軍予備隊も義勇軍に加勢することとなった。
両軍の総司令官はラテ=クラヌスとシン=クラヌス。
衝突までの時間はもう長くはない。
『我々イルガチェフェ民族は、長い間政界の横暴による混沌を潜り抜けてきました』
志願兵だけでなく、義勇兵一人一人の心に、モカ大公の言葉がこだまする。
義勇兵の一人が、森の中で敵兵を発見する。
『来る日も来る日も戦争や内紛、そしてクーデター。 私が申すのも恐縮ですが、さぞ大変だったことでしょう』
銃声が鳴り響く。 だがその鉛玉は気鎧を纏った義勇兵には届かない。
雄叫びとともに義勇兵たちが走り出す。
『恐怖と飢えに苦しみ、そして次は保護国化。 皆さんを不安にさせたことかと存じ上げます』
憲兵の攻撃を恐れず、鬼人の如く突撃していく元王国騎士たち。
そしてそれに続く志願兵。
『しかし私にはある目的があって、この大公という椅子に座りました』
男たちは、血を流すことを厭わなかった。
各々の目的は違った。
信奉するトルイを取り戻す為かも、リュミエールへの個人的な復讐の為かも、或いはただ純粋に祖国の為に戦っていたのかも、それは個人単位でしか理解はできない。
ただ、男たちの目標は、皆リュミエール現政権の打倒だった。
『私は、全ての元凶を魔族、いや魔王に求めていました。 不作、飢饉、疫病……これらが我々を強欲にし、そして不毛な争いを続けることになったからです』
次第に、戦線は北へ押し返されていく。
数では憲兵騎士団のが圧倒的だったかもしれないが、憲兵騎士達はひたすら逃げ失せた。
気迫のこもった怒涛の攻撃に、恐れをなして。
『その魔王を倒すことこそが、人類がまずすべき事です。 シン=クラヌス陛下は私の意図を汲んでか、それをまさに実行に移そうとしていた』
鹵獲された銃から放たれた弾が、油断して高い気鎧を出し渋っていた憲兵騎士団員を貫いていく。
「進めェェエエ!」
『だから私は保護国化を受け入れた。 ……だが、ある者がシン陛下から王位を不正に簒奪しました』
もはや散り散りになって逃げた憲兵騎士団を義勇兵たちが追撃しに奔走する。
『男の名前はラテ=クラヌス。 我々は粒維協定により保護国化されていたが、平和を唱い乗り越えなければならぬ壁から目をそらす、平和ボケに我々イルガチェフェ民族の命運を、人類の命運を任せてはいけない!』
義勇軍と陸軍予備隊は森を抜け山を越え、リュミエール首都へと進み続ける。
『今ここに、イルガチェフェ公国の独立と共に!』
モカ大公の声は途切れ、シンの声に代わる。
『自由リュミエール王国臨時政府の発足を!』
二人の声が重なる。
『『宣言致します!』』
義勇兵の最前線が、王宮の城門を突破し、王室の扉を蹴り壊して突入する。
「トルイの処刑はまだか!」
慌てふためくラテを他所に、義勇兵は門兵に刺した剣を引き抜き、ラテへと駆け寄り、四肢を抑える。
後に続く兵士達もラテを取り囲み、レメル、シュヴァルツとリュミエール現政府の要人を次々と拘束していく。
「お前らは義勇兵……我々を拘束しても政権はひっくり返らんぞ」
シュヴァルツは低い声で、自分を捕縛する兵士を威嚇した。
「我々全部隊はシン王の宣言と同時に、『イルガチェフェ義勇兵』ではなく、『自由リュミエール王国騎士団』へと異動になった。 現在国家転覆罪で貴様等を拘束しているのは『自由リュミエール王国騎士団・憲兵隊』だ」
その瞬間、ハッと目を見張ったシュヴァルツは、何やら微笑みはじめた。
「この国も捨てたもんじゃなかったようだな……。 この私を大胆不敵な政策で陥れることが可能な施政者がいたとは……」
シュヴァルツは心からの喜びを涙に浮かべ、憲兵隊員に連れていかれた。
「ただ、私も見たかった……彼のような施政者の描く未来を」
確かに、シュヴァルツも最初は戦場に出たことのない施政者「シン=クラヌス」を偏見の目で見ていた。
だが、それが間違いだったことに気付いたのだ。
間違った予見をした事のなかったシュヴァルツには、それが嬉しくもあり、またプライドを傷つけられることにもなった。
「私の見ていた未来……それはある意味、空想だったのかもな。 マホロ、いい男を捕まえたな」
シュヴァルツの寂しげな独り言は、静けさに満ちた王宮地下牢に響き渡った。
軍事基地にて待機していたリュミエール魔術師団員も、抵抗する事なく全員投降した。
多分、彼らにはもはや抵抗するほどの忠誠心と士気が残っていなかったのだろう。
民衆の為に命を張っているのに、反戦に加担する彼らに、魔術師団員はうんざりしていたのだろう。
混乱により巻き起こった暴動は、臨時的に付与された警察権を行使した憲兵隊により無事鎮圧された。
「ご苦労だった、 王国騎士団の諸君!」
威風堂々、王宮の謁見の間に現れたのは、前と変わらぬ軍服に外套を身に付けた進だった。
その横にはクルトとレイリーがトルイの肩を支えて佇んでいる。
王国騎士団の団員達は瞬く間に整列し、敬礼を向ける。
自らの国家を取り戻した進は、まだ地下牢には送られておらず、その場で縛り付けられていたラテを哀れむような目で見つめた。
黙り俯くラテに、王たる進は歩み寄り、自らその縄を解いた。
「……!? ……兄上は……兄上はまた俺を侮辱するのですか!」
「お前の、本心が聴きたくなった」
進はハンドサインを使って、王国騎士団達をその場から下がらせた。
「ふざけるな……兄上に慈悲などかけられて……生涯の恥だ」
「かもな」
進の飄々とした態度に、ラテは怒りを感じて睨みつけた。
どこまで自分を馬鹿にするのか。 こんな事をするなど、マホロが絶賛してたような男とは到底思えない。
ラテはそう感じていた。
「お前に、聞きたいことがある」
「……」
「お前の考える、良き王とはなんだ」
「そんなこと、俺が知るかよ!」
地面を殴りつけ、進めがけて殴りかかるラテ。
進はその拳を軽やかにかわし、身体を反転させながら掴み、ラテの脇を通り抜けてその右腕を後ろ手に極めた。
そのまま前に押し倒し、その背中に乗る。
「クソ! 離せ!」
痛みで怒鳴り散らすラテを、進は真剣な眼差しで見下ろす。
「今俺がやった行為が、『自衛』だ。 俺が自衛しなければ、お前の拳は俺に当たっていた。 その自衛を捨てれば、お前の言う『平和』は訪れていたのか?」
ラテが唇を噛みながら、涙を堪え、犬のように吠えはじめる。
「確かに俺は権力が欲しくて仮初めの『平和』を謳った……でも魔族への先制攻撃が自衛だって……? 兄上は狂ってる!」
「確かに、自衛という名の先制攻撃で、人は幾度となく凄惨な地獄を生み出してきた。 だが魔族と人の戦争はその限りでない。 人類という括りで見れば、イルガチェフェがすでに攻撃を仕掛けられている」
ラテの様子が変わる。
進の言葉を聞き、彼がシン=クラヌスでないことを察して、自分と話している者が一体何者なのか知れぬという恐怖に直面したからだ。
「……貴様……兄上ではないな……!?」
「……!」
気づかれたと思いつつも、自分がシンであると貫き通さねばいけない進は、どうにか誤魔化そうとする。
しかし、それはすぐに暴かれた。
「兄上は……そんなに好戦的じゃない。 たとえ自分が先に殴られても、調和を好み話し合いを好く人物だ。 だから戦場に行くのも嫌ってた……でも貴様は、兄上じゃなくて父上にそっくりだ」
「……俺はこの世界の人間じゃない。 そしてお前の兄でもない」
「なんなんだ貴様……」
「俺の名前は、『志島進』。 異世界からここに飛ばされ、帰れなくなった者だ」