贖罪の暗殺者
──リリーside──
オルテンシアはダークオークに囲まれていた。
なぜかといえば簡単である。
やつらの目的はリリーであるが、戦闘技能を持たない彼女が戦えば多勢に無勢、目的は容易に達成されてしまう。
必然的にオルテンシアがダークオークらと対峙して、不本意とはいえオルテンシアがリリーのガードマンとなったのだ。
オルテンシアは厄介ごとに巻き込まれた事を煩わしそうに苦言を呈したが、なんだかんだでレイリーに貰った剣を抜く。
取り囲むダークオークは、森の獣道を埋め尽くす程の大軍勢である。
ダークオークらは圧倒的数の有利を後ろ盾に余裕を持っていた。
「てめぇら! 族長の顔に泥を塗るんじゃねぇぞ!」
ダークオークは元々の数が圧倒的に少ない。 リュミエールの爆撃で相当数を減らしているはずだ。
おそらく、種の再建を諦めた彼らは、最後の力を振り絞って何かを成し遂げようとしているらしい。
黒幕の存在が臭う。
「オラオラどうした人間!」
野次と罵声がオルテンシア一人に四方から浴びせられる。
オルテンシアは呆れたように深呼吸してから剣を構えた。
次の瞬間、オルテンシアは残像を残して消えた。
そして空中から現れた彼は、慢心して気を抜いたダークオーク数体の首を跳ね飛ばした。
さらに着地して間もなく、状況を把握したダークオークの軍勢を迎え撃ち始める。
一瞬で急所を見極め、軽やかなステップとともにスナップの効いた剣さばきが、襲いくるダークオークを一瞬で溶かしていく。
「ルシフェルの……」
心臓に手を当て、気を込めた背中から翼が伸びる。
オルテンシアは勢いをつけて飛び上がり、空中で素早く羽を折り畳み高速回転し始める。
「鉄槌ッ!」
超高速回転で振り下ろした剣がミキサーの刃のように肉壁を粉微塵に変えていく。
彼から半径3mほどまでの敵が肉塊へと姿を変える様子はまるで神の鉄槌が落ちたようにも見えた。
着地したオルテンシアの身体からから紫の粒子が飛散する。
かつてゼルスの加護を受け光の属性を持っていた彼の技は、ところどころその跡が垣間見えるが、リリーの勘で区別するとすればこれは無属性と言える。
聖職から離れた彼の力には、ゼルスの加護の片鱗すら見えやしない。
光から光を除いた純粋な力。
まさに「無」を司っているといえよう。
死屍を量産し、森を駆け抜ける高速の元騎士。
たった数分で、現れたダークオークは半分まで減っていた。
「チッ、何で俺が無償で働いてんだよ」
不満気に口を叩くオルテンシアの背後に、ダークオークが飛びかかる。
オルテンシアはそれを知っていたかのように、後ろ回し蹴りで吹き飛ばす。
「申し訳ないです、もう少しの間だけお願いします! 神の加護を!」
「要るかよそんなもん。 無頼龍!」
オルテンシアの剣に紫のオーラが宿り、彼が横薙ぎに剣を振るうと同時に直線上の敵を一刀両断する。
中距離斬撃技・無頼龍。
リリーはゼルスの加護があった頃のこの技は、どれだけ美しかったのだろうかと想像を膨らませた。
「なあ!」
剣を振るいながらオルテンシアが叫ぶ。
「何かありました?」
「せっかく助けてやったんだ! コイツらを片付け終わったらお前の過去を教えろ!」
「……何故知りたいのですか?」
躊躇いがちにリリーが押し黙る。
「お前が何で神を信じているのかに、少しばかり興味が湧いた!」
無心で暴れまわるオルテンシア。
その手が返り血で染まっているのを目にし、リリーは少しだけ彼の気持ちが理解できたような気がする。
きっと彼の無心は、意図的なものだ。
「わかりました! 存分に……存分に暴れてください!」
リリーが叫ぶと、オルテンシアはさらに加速した。
一瞬で地面を疾走し、剣でなぎ倒していく。
ダークオークはさらにその数を減らしていった。
大方片付き、オルテンシアが軽く喘いでから深呼吸する。
「そこのお前で最後だ」
歩み寄り、脚が潰れたダークオークの喉元に剣を突きつけてから、振り下ろす。
その時だった。
オルテンシアは背中に違和感を感じた。
違和感はすぐに激痛へと変化し、意識が遠のく。
「気を抜いて毒を貰うとは、まぬけな奴だ
。 そこの娘。 コイツを助けたければ、夕暮れここから一番近い地下礼拝堂に来るといい」
何者かがオルテンシアの背から剣を引き抜く。
リリーが叫ぶと同時に、謎の笑い声と共に、オルテンシアの意識は闇の濁流へと呑まれて消えていった。
──勇者side──
「じゃあ、ゲームを始めようじゃないか」
族長と呼ばれたダークオークは真人とクレアを持ち上げ、リリーに問う。
「コイツらを助けるチャンスを一度だけやる。 ルールは簡単。 そのナイフで俺を刺し殺せ」
「……!?」
リリーが唖然とする。
例え相手が腐れ外道の魔族でも、彼女にとって殺生とは深い意味を持つことに変わりはなかった。
「タイムリミットはそこの盗賊に毒が回って死ぬまでだ。 そしたらこの二人も俺が殺す」
「そんな……」
ダークオークの族長は高らかに笑った。
悲壮を含んだ勝利の笑みが、リリーに怒りをもたらす。
「大事なお仲間を助ける為にゼルスの加護を捨てるか、或いは神の戒律を守るために仲間を見捨てるかァ! 楽しみだァ!」
彼女は黙ってナイフを握りしめて俯いた。
これまで破ることのなかった戒律を侵してしまう恐怖が、リリーを支配していく。
「俺たちを悪魔と蔑む割に弔うような矛盾した教えを、無様に守ろうとする愚か者が、どっちを選ぶのか! ゼルスという存在の脆さを! この神聖な場所で! 暴いてやる!」
目を瞑り、リリーが大きく深呼吸する。
ゆっくりと息を吐くと、暴れまわる心臓の鼓動を感じながら、一歩ずつ、一歩ずつ前に進んでいく。
「ふっ……ふっ、ふっふっふっ、はっはっはァ!」
ダークオークは溢れだすように笑い出した。
嬉しそうに歩み寄るリリーを見つめる。
リリーはゆっくりと、少しずつダークオークに近づいた。
だが、ナイフに鞘はついたままだ。
「かかったなァ!」
ダークオークはそのままの体制で渾身の拳をリリーめがけて放った。
風を切ってリリーを襲う大きな拳。
ただの修道女である彼女にそんなものに反応する瞬発力などない。
真人には何が起こったのか理解できなかった。
リリーは騙し討ちを受け、原型を留めず吹き飛んで、死んだ……クレアも真人も、オルテンシアさえもそう思った。
だが。
轟音と共に倒れ伏したのは、ダークオークの長の方だった。
その背後には、血の付いたナイフを握りしめたリリーが、冷徹な目でその死体を見つめていた。
ダークオークの喉元は三枚におろされていた。
「リリー……?」
リリーは巧みなナイフ捌きでそのまま三人のあちこちに巻かれた紐を切り裂いた。
「早く毒をなんとかしないと! 」
リリーがオルテンシアに駆け寄る。
その場の誰もが現状を理解できぬまま、今にも生き絶えそうなオルテンシアの毒をどうにかする方法を考えはじめた。
彼の顔には黒い血管が浮かび上がり、高熱が治らない。
早く処理しない限り彼の死は確実だ。 しかしここから運び出して教会に連れていく余裕などない。
「解毒薬……! 解毒薬があれば……!」
リリーの漏らす悲痛な声が、真人の頭の中でこだまする。
解毒……
解毒薬……
そうだ!
真人はいつか買った、特売品の解毒薬を取り出し、ぐったりとしているオルテンシアに飲ませた。
黒い血管はすぐに引いていき、高熱も徐々に下がり始めた。
彼女はナイフを持ったまま、その様子を見届けて、安心した後血の付いたナイフを凝視する。
ハッと気づくように我に返ったリリーが、怯えた目で血まみれのナイフを見た。
「私……もう……戻れない……」
リリーはナイフを落としてさめざめと泣いた。
そんな様子が、なおのことその場の皆を困惑させる。
「リリー……どういうこと……?」
クレアの質問に、リリーは嗚咽混じりに答え始める。
「私は……元暗殺者です」
見ればわかる。 ダークオークの異常に静かな死に方は、どう見ても只者にできるような殺し方じゃない。
「幼い頃から、ずっと身寄りがいなくて。 それで私は追い剥ぎをしてました」
オルテンシアが神妙になりながら、その言葉に耳を傾ける。
「追い剥ぎをしていた少女はいつしか暗殺術を身につけ、暗殺業を請け負うようになりました。 罪悪感はありませんでした。 たった齢12歳。 それまで殺す事を何も躊躇したことのない人生でしたから、当然倫理観などありません」
真人も、初めて語られるリリーの過去に真剣に聞かざるを得なかった。
「そんな時、シャリテに拾われたんです。 だから私はもうあんなことしないって! しないって決めてたのに!」
「私にシャリテに残る資格はありません。 破戒などして神のお許しを頂けるわけがない……!」
リリーの頰に水滴がとめどなくつたう。
自分達の命を助ける為に、信条を捨てさせてしまったことに、真人は申し訳なく思った。
「違うだろ」
オルテンシアが、泣き続けるリリーに語りかけた。
「お前が頑張ったから、勇者も俺も救われたんだよ。 それはゼルスの怒りに触れるか?」
「でも……!」
「どう考えるか、それはお前の勝手だ。 ただ、仲間を選んだことに間違いはないと思う。 俺にはできなかったからな。 それだけだ」
オルテンシアは苦しそうに踵を返して、びっこをひきながら礼拝堂の扉の前に立った。
「……勇者。 助かった。 感謝するぞ」
ぶっきらぼうに残し、礼拝堂の鉄の扉を押し開けて、オルテンシアは外へと姿を消した。
「さあ、一旦帰ろうか、リリー。 本当にありがとう」
無気力になったリリーを抱き起こす。
まるで赤子のように泣く彼女は、なんだか切なくも愛らしく、真人はこんな幼い子を戦場に連れてきてしまったことを後悔した。
言いたかった言葉をクレアが代弁し、抱擁する。
「ごめんね」
真人はリリーを抱えたまま、クレアとともに礼拝堂を後にした。
風が吹き荒れる地上には、どよめきがあちこちから聞こえる。
異変に気付いた真人は、イルガチェフェ人達が見上げる時計台に視線を移した。
そこには、イルガチェフェ公国の大公であるモカ・イルガチェフェと、進の姿を映し出すオーロラが、魔法陣から生成されていた。
ふらふらの足を自ら鞭打ち、真人はその映像に見入った。
そしてついに、深呼吸した進が一歩前に出て、口を開いた。
頰をすり抜ける風が、全身を覆う汗を乾かしていく。




