色欲の果てに
──王side──
「おはよう、マホロ」
部屋に入って来たマホロにラテが微笑みかけるが、マホロは不機嫌そうな顔をピクリともさせない。
「おはようございます」
「明日は結婚式だよ」
ラテは、マホロを妻に娶る事を決めていた。
そう、この座に就く前から……。
マホロは涙を浮かべ、歯を食いしばって俯いた。
ラテはため息をつきながら、白いソファに腰掛けた。
「十年前のことだ」
ラテは天井を見つめながら、昔のことを話しはじめた。
「マホロは、俺たち兄弟のお姉さんだった。 忙しい父上や、母上の代わりに俺たちを可愛がってくれていた」
ラテが思い返していたのは、幼い頃の優しいマホロだった。
マホロは魔法学校から帰ってくると、広大な庭で座り込んでいた二人の頭を撫でて、お小遣いで買ったべっこう飴をくれた。
「俺はそんなマホロが大好きだった。 母性への尊敬だったかもしれない。 でも、好きという気持ちは確かにあった」
やがて成長し、魔術師団・副団長に就任したマホロは、王宮に来る日の方が少なかった。
なぜなら会議に出席する職務がある団長と違い、副団長は実務の方が多いからだ。
植民地や保護国への駐留の指揮官は大抵副団長が務める。
「いつしかマホロを懐かしむ内に、その『好き』は恋愛のそれに変わった」
「マホロが欲しかった。 欲しくてたまらなかった。 だから俺は、最後にあった時に言われた『回り道することも大事』という言葉を胸に、王位継承権を捨てて士官学校に行き、娯楽を楽しみ、卒業してからマホロを追って戦線に出た」
それが、ラテが戦線に立った理由だった。
王位継承者として、部下の痛みを分かち合うことではなかった。
或いは、少しでも国の役に立ちたいという使命感でもなかった。
「それに比べて兄上は陰気で、貧弱で本しか読まず、野心も社交性もない、娯楽にも無頓着で遊びも知らない。 俺は兄上の持たない全てを持ってるし、こうして権力も手に入れた」
「なのに、なのにどうして俺よりそんな兄上を……」
「ラテ」
マホロが始めて口を開いたことに、ラテは驚愕して振り向く。
「貴方、本当に何もわかってないのね」
「え?」
「私がシンを選んだのは、そんな理由じゃない。 貴方は何か勘違いしている」
二人の間に、長い沈黙が流れる。
マホロはため息を吐いてから続けた。
「まず、彼は貴方のように傲慢じゃない。 そして信念がある」
シンの幼い頃が想起される。
彼の持ってる本は、常に魔族に関する本だった。
「周りを見渡し、的確な状況判断ができる」
シンの価値基準は、流行や欲求によって判断されていなかった。
娯楽を好まず、持ち物が質素だったのもそういう面があったのかもしれない。
「だから彼が好きなの。 形だけ戦場に行って、形だけ民の苦しみを理解したフリをする、空っぽの貴方とは違う! 貴方が王になれたのも、アレンが貴方の血縁を利用しようとしただけ! 貴方の努力じゃない!」
立ち上がって捲したてるマホロを、ラテは呆然と見つめていた。
ハッと我に帰ったマホロは、口を噤んで頭を下げ、「失礼しました」と呟いて部屋から消えた。
しばらくただその場に座っていたラテは立ち上がり、部屋を歩き回った。
しばらく黙り込んで俯くと、突然机を蹴り飛ばした。
コート掛けを蹴り倒し、踏み壊す。
木材の破片を踏み躙りながら、大声で絶叫する。
「なんでだ! なんでなんだ! 俺が空っぽだと……兄上のが俺より空っぽだ!」
机に置いてあったガラスのコップを拾い、叩きつける。
地面と衝突したコップは、粉砕し、辺り一面に飛び散った。
「俺の何が間違ってたっていうんだ! 俺は正しい道を選んできた! 俺のが王に相応しい!」
本棚の本を全部引きずり出し、床に落とす。
「俺の……何が間違ってるんだ!」
ラテは本をひたすら壁に向かって投げた。
本は壁を傷つけ、へこませる。
疲れ果て喘ぐラテはガラスの散った床に寝転がり、涙を浮かべて呟く。
「なんで兄上が……」
その様子を壁ごしに寄りかかって聞いていたアレン。
アレンの格好は憲兵騎士団の制服ではなかった。
どこかの国の海軍だろうか。
アレンが呆れて物も言えぬような顔を浮かべながら、ドアをノックする。
「誰だ」
震えた声が返ってくる。
アレンは、ため息混じりに返した。
「エスプレア国家主義国連邦の全権大使です」
アレンの横には、金髪の美少女が立っている。
彼女はアレンの壁越しの語りかけを冷ややかな目で見つめていた。
「何しに来た……」
ラテの声は嗚咽混じりで掠れている。
「先日のリュミエールとの同盟の件ですが……」
「うるさい! 黙れ! リュミエールはお前らの助けなど無くてもイルガチェフェごとき叩き潰してくれる! 帰れ!」
「左様でございますか」
アレンは鼻で笑うと踵を返した。
隣の美少女はアレンの後ろについていき、魔法陣を目の前に展開した。
「総統、アプロです。 伝達魔法失礼致します。 リュミエールとの同盟の話は指示通り破棄致しました。 総統、万歳」
魔法陣が消えると、アプロは前を歩くアレンに問いかけた。
「兄様、良かったのですか? スパイのためといえ長年住み着いた国だというのに」
「元々、ラテ=クラヌスは不安要素でしかなかった。 他に兄弟がいないからあのボンクラを使っただけってわけだ」
「残念ですね、国家主義革命、成功しなくて」
「リュミエールのような穢れた国に我々の掲げた崇高な思想など理解できるわけがない」
兄弟の会話は、リュミエールの王宮を離れるまで続いた。
二人の胸には、「パウル・フォン・ヒトルブルク」と刻まれた黄金のバッジが輝いていた。
──勇者side──
「……今日で何日だ?」
「多分、三日は経ってないと思う……」
手を後ろで縛られながら、真っ暗闇の部屋で放置されている真人が、同じ境遇のクレアに短く質問した。
二人は最初こそ喋って暇を潰していたが、機密情報を漏らさぬよう、あまり大した内容を話せなかった。
世間話を一通りし終わると、飽きて無言が続いた。
もう随分と長い時間束縛されていた。
飯も与えられず、水も飲めない。
体力は限界だった。
自らの腕を抓って意識を引き戻そうとしていると、ドアから光が漏れ始めた。
誰かが助けに来たのか……!
そう思った矢先、その光に浮かび上がったのは、ガタイのいい化け物の影だった。
化け物がこちらに近づくにつれ、輪郭ははっきりしてくる。
ダークオークは足を止めると、屈んでクレアと真人の腕に巻きつけられた紐を掴み、持ち上げた。
二人は体力の限界を迎えていたため、まるで操り人形かのように脱力しながら立たされる。
「来い」
真人の腹が鳴ると、イラついたダークオークは彼を地面に叩きつけ、蹴り飛ばした。
そうやってダークオークに引きずられる内に、二人の意識はだんだん遠のいていく。
意識を失ってる内に、気づくと地下礼拝堂らしき場所に連れてこられていた。
ろうそくに灯された炎が怪しく揺れ動き、神聖な場所である礼拝堂を不気味に演出していた。
「ほら、約束の物だ」
ダークオークに向かいあうように誰かが立ち塞がり、奴の目を睨みつけている。
滝のように流れる長い黒髪、シャリテ教のエンブレムが刻まれた帽子、銀縁の眼鏡。
横に倒れ伏しているボロ布を着た男は一体誰なのだろうか。
真人は疲労ゆえ把握できなかったが、たしかに会ったことがあったような気はしていた。
辺り一面には、ダークオークであったのであろう残骸が散らばっている。
「なぜ私だけを攻撃しないのですか!」
歯を食いしばり、まっすぐ前を見るシスター、リリーにダークオークがニヤリと笑う。
「不運な爆撃で部下を失い、差し向けた残りの奴らはその薄汚い盗賊に始末されてしまった。 もう俺には何も残ってない。 だから俺は叫ぶんだよ」
ダークオークは鞘にささったナイフを、乱雑に放り投げた。
リリーの目の前に落ちたナイフが、その木の柄と石畳の床の衝突によって音を立てた。
いや、正確にはリリーがそれを取るように音を出して促したと言えるだろう。
「シャリテへの、アンチテーゼを」




