星空の約束
──勇者side──
外は静寂に満ち、冷え冷えとした空気が漂っている。
満天の星空は破壊の傷跡を見下ろしながら、それを誤魔化すかのように美しく輝いていた。
「考えるだけ無駄だ。 アイツが何考えてるかなんか、人間にはわからない」
クレアは苛立ちと共に低い声で呟いた。
「どうしたんだよ、クレア」
真人の問いの後、数秒の沈黙が周囲を包んだ。
クレアが大きく息を吐き、口を開く。
「アタシの父さんは、優れた武闘家で、負けたことがなかった……アイツが現れるまでは」
確かに、クレアが元いた町には、人が見当たらなかった。
仮にも超大国リュミエールの王都からそう離れていない場所だ。 クレア以外に人がいないわけがない。
つまり……。
「あの日、父さんがアイツに黒焦げにされたとき、誓ったんだ。 必ずアイツを殺すって」
クレアのいうそれが、一体どれだけ凄惨な戦いであったのだろうか。
この前のヘルツの暴れっぷりから用意に想像がつく。
真人はクレアが涙をこらえ、自分やリリーにバレぬよう目元を必死に袖で拭うのを見て、胸が苦しくなった。
「……ああ。 必ず倒そう」
魔族は何度でも人を幸せを奪っていく。
無条件に。 無差別に。
真人は身近な人の哀しみに触れたことで、怒りが増幅された。
いくら価値観が違うといえど、奴等を生かしておくわけにはいかない。
「早く回復するよう、私ももう寝ます」
明かりを消し、床についた。
あんなに頼もしかったクレアの弱さを知って、真人は少し驚いた。
それと同時に彼女の内面を少しでも知れて嬉しかった。
……前世では社会から疎まれ、孤独に生きてきたこの命は何の為捧げるべきなのか。 誰の為に使うべきなのか。
それがようやくわかった気がした。
「おやすみ」
真人はゆっくりと目を閉じて、クレアの涙から目を背けるように深い眠りへと落ちていった。
──進side──
進が男達を追って走っていると、次第に彼らはピアの街の裏路地へと吸い込まれていった。
進もそれを見失わないよう、曲がった方向を確認して追い続けた。
そして、こそ泥少年と商人の逃走劇は二分にも満たずに幕を閉じた。
商人は息を荒げながら、行き止まりで少年を問い詰めた。
「てめぇ! 商品を返しやがれ!」
暗い裏路地の中、商人は小さな少年に何の躊躇もなく拳をぶつけた。
少年一人に対し、大の大人が六人がかりで罵倒を浴びせ、殴りつけている。
進は怒りと共に、その間に割って入った。
「やめろ。 たかがこんな少ない商品を盗まれたからって六人がかりでいたぶって楽しいのか?」
「何だてめぇ!」
商人は進の言葉も聞かずに、邪魔だと言わんばかりに殴りかかる。
次の瞬間、彼は吹き飛んだ。
彼は自分が何をされたのか理解できぬまま、後頭部を地に打ち付けて気を失った。
他の商人達はその異様な光景に慄きながら、吠える。
「名を名乗れ!」
残心を持って着地した進は、姿勢を直して答えた。
「そうだなぁ。 俺の名前は志島進とでもしておこう」
「シジマ・シン……覚えておけよ!」
商人が逃げようと前を向くと、そこには後ろにいるはずの進が待ち受けていた。
商人は絶句した。
今たしかに後ろにいたはずの進がどうやって前に現れたのか。
「おっと。 この男の子をリンチした事についての謝罪はない訳か。 なら」
進の後ろ回し蹴りが商人に炸裂する。
慌てて残った四人も進に襲いかかるが、それぞれ膝蹴り、膝関節蹴り、上段正拳突き、かかと落としで完膚なきまでに叩きつぶされた。
進は大きく深呼吸すると、辺りに転がっている商人を踏みつけないようにして、行き止まりの端でうずくまっている少年の方に近寄った。
「大丈夫か?」
「あ、あの、ありがとうございます!」
少年は顔に青あざをつくりながら、何度も何度も頭を下げた。
「いや、大したことじゃないよ。 それになんで泥棒なんかしたのかも聞いてないのに助けちゃったからな。 善行ですらない」
「これは、妹達にあげるんです」
少年は紙袋を開いてみせた。
そこには詰められるだけのパンが詰められており、パンはほとんど潰れていた。
魔王のせいで小麦も米も不作で、パンは基本的に高額商品だ。
結果中産層まではパンや米などの炭水化物を口にできるが、貧困層は基本的に食べる事ができない。
その結果、貧困層は見るに耐えないほどやせ細ってしまっている。
この子もまだ幼いながらもだいぶ痩せている。
きっと空腹で死にそうながらも、妹の為に必死で逃げていたのだろう。
「俺も連れて行ってくれないか?」
少年はその言葉を不思議に思いながらも、頷いた。
進は少年に手を差し伸べた。
少年はその手を掴もうとし、一瞬躊躇うと、その手を引っ込めてズボンで一生懸命拭いた。
進がその手を掴んで引き上げると、少しよろけてから体勢を立て直し、歩き始めた。
「君、名前は?」
「トーマス・アーロンです」
「お父さんやお母さんは?」
その問を聞いてトーマスはハッとする。
すぐに唇を噛み締めて無理に笑顔を見せる彼に、進は両親について聞いた事を後悔した。
「お父さんはエチオ侵攻事件の時、瓦礫に押しつぶされて死にました。 その後、お母さんと一緒にピアまで逃げてきて、お母さんは一生懸命働いて育ててくれてたんですが、ピア襲撃事件で黒焦げになりました」
もはやトーマスの言葉には、運命を受け入れたのごとく事実しか残っておらず、それに対する怒り、哀しみ、憤り。 その全てが感じられなかった。
「そうか……災難だったな」
トーマスは立ち止まり、裏路地にある空き家の隅に敷かれたダンボールの上にいる三人の少女に向けて「ただいま」と声をかけて歩み寄った。
少女達はもはや辛うじて息をしているだけで、やせ細って生気が感じられない。
途端に毎日当たり前のように三食を口にしていた自分が情けなくなった。
こんな幼い少年少女がまともに食事を口にできないというのに。
「ほら、パンを持ってきたよ」
一番小さい子のお腹は風船のように膨らみ、もうパンを持っても食らいつく事はしなかった。
他の二人は、トーマスの持ってきたパンを涙ながら貪り食い、腹が膨れると眠りだした。
「シジマさんも、どうぞ」
差し出したパンを進はつき返し、「君が食べて」と目を逸らした。
真実を突きつけられた進は、その光景を黙って見ているしかできなかった。
夜になり、トーマス達は壺に貯められた埃の浮いた雨水を少しずつ流し込み、空腹を堪えていた。
「本音を言うと、もう楽になりたいんです。 せっかくお母さんが必死に働いて育ててくれたのに、こんな事考えるなんて、おかしいですよね。 でも……もうたくさんで……」
ずっとトーマスはこらえていたのだろう。
妹達だってご飯も食べられず、親も帰ってこず辛いはずだ。
それを支える為に弱音を吐くわけにはいかなかったのだ。
妹達の寝た夜、その苦しみを一身に背負っていたトーマスは、それを壁に寄り掛かって眠りに落ちそうな進に打ち明けた。
進は王家の人間である事を隠している以上、トーマスを無理矢理にでも元気づけられる道化にはなれなかった。
進は「ごめん、眠くて聞こえてなかった」と答えると、壁によりかかって目を閉じた。
申し訳無さで、胸が張り裂けそうになった。
貧困層の苦しみが進の心を捉えて離さない。
もう、この呪いからは逃げられないのだろうか。