ターヤへ戻れ
深い微睡みの中、たゆたう意識が引っ張られるのを感じ、現実世界へ意識が覚醒していく。目の前に広がる天井を認識し、ここは戦艦〔ヤタガラス〕の自室だと自分の居場所を再確認する。
寝起き特有の気だるさを、振り払う様に上体を起こし、枕元の机に置いておいたミネラルウォーターで乾いた喉を潤す。
懐かしい夢…。
当時四歳の自分が、父さんに宇宙を翔びたいと、しつこく食い下がり何とか許可を貰った時の夢。
あれから十一年も経ち、今年でリョウも十五歳になる。
無造作に切られた黒い髪に、父親に似た凛々しい顔だち。
十五歳の少女特有の甘い雰囲気は廃され、その黒い瞳は、苛烈なまでに宇宙を翔ぶ事への情熱に満ち、同時にそんな自分を制するかの如く、理性の輝きも垣間見える。
まだ微かに残る眠気を振り払うように、リョウは傍らに放って置いた、ジャケットを羽織ると食事を取る為に部屋を出て、食堂へ向かった。
現在ヤタガラスには、リョウを含め八名の乗組員が居る。
戦艦ヤタガラスの行き先を決める艦長である翔。
ヤタガラスに搭載している戦闘機、ジーヴと呼ばれるそれを使い、周辺宙域の偵察などを行うリョウ。元はこの役割は翔自身で行っていた。
艦のシステムを把握し、様々なデータの管理者であるオペレーターのリヴォル。リヴォルは手先が器用なアリナと言う種族で、肌に所々鱗があるのが特徴だ。
操舵士のジーニはリヴォルの双子の兄で、技術は凄いが脳筋である。
双子だが、見た目も性格も正反対だ。リヴォルは一見優しげで、温厚だが、執念深く敵対する者には容赦がない。ジーニは反対に強面で物静かなので、大概は不機嫌そうだと勘違いしがちだが、単なる恥ずかしがりやである。リョウが見習いとして入ったばかりの頃、怪我をしていたら、必ず何処からともなく救急箱を持って治療しに現れていた。心根の優しい人物である。
ヤタガラスは戦艦の枠に入っている通り、幾つかの攻撃手段を持っている。それらを一括して管理しているのが砲撃士のビスタだ。
ビスタは120㎝しかない、小人族出身で、これでも他の小人達より10㎝は高いらしい。自己申告なので、真実は闇の中だが。
サイズは愛らしいのだが、性格はかなりの強気で負けず嫌い。
その性格が元で、度々リヴォルとぶつかっている。
そして最後に、この戦艦のメンテナンスを担当している三人組。
源次郎とアギノ、グレンの三人だ。
源次郎は昔、ヤタガラスが造られた時に見習いとしてヤタガラスに雇われた人物でかなりの古株だ。偏屈で頑固なじいさんだが、面倒見は良く、乗組員からも親父と呼ばれて慕われている。ヤタガラスについての知識を、持ち主である翔とその後継者であるリョウに、教えている。
アギノとグレンは源次郎が昔、孤児だった二人を見つけ、艦に連れて来たのだ。
最初は人拐いと勘違いした二人は、源次郎に反抗ばかりしていたが、自分達の勘違いに気付いた後は一転、源次郎になついた。
今では源次郎の弟子として、様々な技術を教わっている。
この八名で、ヤタガラスは今日も、この宇宙を翔んでいる。
宇宙に出た事によって、リョウの宇宙に対する想いは収まる処か、もっと知らない場所に行きたい、視た事の無い景色を見たい、とその好奇心は留まる処を知らない。
そんな刺激とスリルに満ちた日常も、ターヤに戻れば三年間は我慢するはめになる。
「…えっ、ターヤに戻る?」
「あぁ、ついでに活動拠点を変えようと思ってな」
食堂で偶然かち合った翔と一緒に食事をしている時、翔から次の行き先を聞かされた。
「ターヤって、約束の十六歳まで後一年はあるし、テストも半年後だよね。いきなりなんで?」
おかしい…。
父が唐突に、次の方針を切り出すのは何時もの事だが何処か違う。
原因として考えられるのはここ最近、頻繁に海賊に襲われている事と、組合の一部と折り合いが悪く、よく因縁を付けられるくらいだ。だが、相手が海賊だろうが、組合だろうが、弱気になるような可愛らしい気性の持ち主ではない。
どちらにせよ半年後には一度ターヤに戻るのだ。別に今戻らずともいいではないか。そんな疑問が、形になるように口をついて出た。
「んなこたぁ、解ってるよ。だが通う学校も決める必要があるし、準備する物もあるだろ?
別に船から降ろす訳じゃないし、遠くでの仕事に連れては行けないが、近場では今まで通り続けてもらうつもりだ。文句あるか?」
大有りだ。
そんな言葉を額面通りに受け取るリョウではない。
まだ十五歳だが、これでも父親から手解きを受け七歳からずっと運び屋として暮らしてきた身だ。その中で培った経験と勘が、リョウに違和感を覚えさせた。
だからといって、そんな父を説得出来るような言葉は、今のリョウは持たない。
それでも素直に返事をするのは癪なので、悪足掻きしてみる事にした。
「そんなの半年後に戻ってからでも充分間に合う。もう少しだけ此処で仕事したら駄目な訳?
…それとも、此処に居ると何か都合が悪いの?」
「_船員が艦長の決定に逆らうなんて、余り感心出来ないわよ、リョウ」
笑みを含んだ声が響く。視線をそちらへ転じると女が一人食堂の入り口に凭れて立っていた。
女は血の様に赤い腰までの髪に、切れ長の灰色の瞳、男を虜にする魅惑的な肢体を、窮屈そうなパイロットスーツへ押し込んでいる。女としての自信に満ちた表情、その中で紅く彩られた唇に笑みを浮かべるその女は、一般的に見ても極上の美女に分類されるだろう。
「フレイ、お前いつの間に…。船はいいのか?」
フレイと呼ばれたその女は、父が昔、運び屋としての才能を見出だし、ヤタガラスに雇い入れた父の元部下で、妹の様に可愛がっていたそうだ。
見た目は美しい女性だが、父の訓練にも耐えたタフな女性で、運び屋としての才能にも恵まれていた。
フレイはヤタガラスで貯めたお金で独立し、組合所属の運び屋になったが、その後も時々、仕事で一緒になるので相変わらず仲が良いいのだ。
「大丈夫よ、副長に任せてきたしね。それよりも活動拠点移すの?
その方がいいと思うわ。最近、やたらとヤタガラスは難癖付けられてるもの。やっぱ前の海賊がらみが何処からか恨みを買ったんじゃないの?」
フレイはその美しい顔に、蠱惑的な笑みを浮かべながら言葉を繋いだ。
「海賊…、それってローネ星付近で幅を効かせてた奴等の事だよね。_なるほどね、だから」
フレイの言葉で、何故いきなり自分をターヤへ戻そうとするのか察し、父親へ視線を転じる。
ローネ星とは、ガルシア帝国と国境が接している組合加盟|コミュニティ〈社会〉デバロの辺境惑星だ。
デバロ星系はガルシア帝国と国境を接している事もあり、戦争が起きた時には幾度となく堅牢な盾となり、ガルシア帝国の侵略を防いできた。そんなガルシア帝国とも、ここ数十年の間に国交が開かれ交易を行うようになっている。
ディーテ組合とガルシア帝国の交易を行う際、様々な文化、物資、技術を運ぶ主要な交易路として、発展を続けてきたデバロ星系。
戦争をしていた頃の物々しい雰囲気は払拭され、今や様々な運び屋達の船が行き交い、雑多さと活気がない交ぜになったような星系へと変化していた。
ローネ星はその中に置いて、主要な交易路から大きく逸れた位置に在る辺境惑星で、雑多さや活気とは無縁の、静かな惑星である。
惑星に住む住人達はそのほとんどが別の星系どころか、惑星からすら出たことのない人達だ。
何故ならばガルシア帝国との戦争中、正規軍は大半の戦力を国境付近に宛がい、残りを治安維持などに宛てたので、ローネ星付近には宇宙海賊が出没していた。海賊からすれば戦争で大破した戦艦などを解体したり、上手くいけば疲弊した戦艦などを鹵獲すればいい金儲けになるので、余り目の届かないローネ星付近を拠点に活発に活動していたのだ。
ローネ星の執政官はその現状を政府に伝えたが、正規軍のほとんどは国防の為に動けなかった。だからといって、守らないと言う選択肢は最初から存在しないので、デバロ政府は最低限の戦力を送る他に地元で有志を募り、自警団としてローネ星の守りを任せる事にした。
住人達も初めは戸惑っていたが、執政官のこの惑星を守りいという訴えに応え、積極的に自警団へ参加し、宇宙海賊を相手に戦ってきた。
ローネ星付近には宇宙海賊、それを過ぎてもガルシア帝国相手に戦争している状況下では、呑気に他の星系まで旅行する事も出来ないし、戦時中は正規軍と組合から許可が出た運び屋しか行き来が許されなかった。
その結果、ローネ星の住人達は長年の間、自分達の惑星から一歩も外に出ず、尚且つ他|コミュニティ〈社会〉の住人とも触れ合う事もなく過ごしてきたので、保守的な気質の人が多く、交易が始まってからも外に出る住人は少ないのだ。
戦争が終わった事により、活発に活動していた海賊も軍により追い散らされ星系内の治安は回復した。
ヤタガラス一行は件のローネ星へ一度だけ立ち寄った事がある。その頃、運び屋達の間ではおかしな噂が流布していた。
……ローネ星付近には幽霊船が出る。
噂の発端はとあるフリーの運び屋だった。彼曰く、仕事でローネ星に立ち寄った時に、ある所属不明艦に遭遇したのだそうだ。
今の時代では、どの所属の船でもフリーの運び屋でさえ専用の識別信号をそれぞれ各|コミュニティ〈社会〉のデータベースに登録する事により、軍にも認識され領域内で活動しても、法に触れなければ攻撃されないというシステムになっている。
裏を返せば、登録していなければ敵と認識され軍の攻撃によって沈められても、文句を言えないという事だ。それを百も承知で所属不明にしているのだとしたら、それは所属を明確に出来ない何らかの理由があるという事だ。
その理由の大半は、海賊だからというものが多いのだが。
その運び屋は所属不明艦が海賊だと思い、後を追った。
海賊ならば沈めて証拠でも提出すれば賞金が出るし、相手の船が手強ければ、軍に話して情報料を貰えばいい、と。だが、追っていたはずの船が小惑星に隠れた直後に消えたのだ。
最初はステルス状態にしたのかと思い熱探知センサーなどに目を通したが、何も映らない。他の探知センサーにも目を通していくが何も、そこに船がいたという証拠さえ見つけられ無かった。そう、まるで幽霊が現れて消えたかの様に。
ワープ装置は何処でも使えるが独特の粒子現象が起こるので、それが発生していない以上その線も無い。
運び屋は、きっと軍に話しても信じて貰えないと思いながらも、一応知らせたが、やはり誰も取り合わない。それもそうだ、社会的信用度の低いフリーの運び屋の言う事で、おまけに証拠映像があるといっても、軍が使用している改変、編集出来ないエディタ映像ではない。
そこまで言い張るなら、せめてエディタ映像で記録して来いと追い返した。
だがその後も、その所属不明艦を見たと主張する運び屋は度々現れた。
それ以来、運び屋達の間では面白可笑しく、幽霊船が出る宙域として噂されていたが、行ったことがない場所だったので、仕事ついでに立ち寄ってみる事にしたのだ。