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拠りどころ

作者: わたあめ

四十九日まであと1週間。



死体とは、骨とは、何なのだろう。



 告別式の日、葬儀の日、そこにもうかつての彼がいないことなどとうに分かっているのに、しかし顔を見ると涙がこぼれそうになるのはなぜだろうか。そこにありはしても、いはしないのだ。

 私に向かって彼ならきっとこういっただろう、という台詞が脳内で鮮明に聞こえる。

「そんな顔すんじゃないよ。泣かなくっていいんだから。俺はもう分かってたんだから。」

明るい声で、きっと思ってもいないことを言うのだろう。分かりやすい人だったから。本当は心配して欲しくても、それを言わない人だったから。


死ぬ前日、父に向ってこう言ったのだそうだ。

「俺、死ぬからさ。」



 死を前にして、彼はどんな気持ちでそれを言ったのだろうか。全てを悟って安らかに逝けるような人ではないと、もうずっと前から思っていた。それほどのことが彼の人生ではおこり、そしてそれを心の中でだけでも処理するのはもう無理だと思っていたのだ。だから、本当に危ない状況になった時、彼は取り乱すかもしれない、泣きごとを言ってすがりついてくるかもしれない、そう思っていたのだ。その場面に直面したら、気長にただただ傍に居よう。私はその覚悟すらしていた。


 しかし実際の彼は嫌になるほどあっさりと、潔くこの世を去ってしまったのだ。本当に分かりやすい人なのに。心配して欲しくても絶対にそんなことを言わないから、だから最後の最後まで平気なふりをしていたのだとしたら、ただただ胸が痛い。もっとたくさん、本当は気がついて欲しい事があったのではないだろうか。


 「全身で見る、生前のお姿はこれが最後です。」


 その言葉を聞いた瞬間、大粒の涙がボロボロと私の頬を伝った。もう瞬きなどしなくとも、涙があふれた。悲しくて仕方が無かった。全身で見れようが、見れまいが、もう叔父はそこに居ないのに。もう私に喋りかけてくれなどしないのに。叔父の死を聞かされた日も、驚きこそしたが泣かなかったのに。なぜ今こんなにも悲しく思えて仕方が無いのか。

 火葬場で、棺桶が押し込まれ、見えなくなっていく瞬間、胸が張り裂けるかと思ったあの感覚が今でも忘れられない。


 現在骨壺は私の家に置いてあり、私は夜に叔父に今日の出来事や明日のことなどを話している。楽しい予定の前日は「おじいちゃんも良かったらきてね。」と伝えたりもしている。そのせいだろうか、四拾九日まで1週間となった今、その骨壷すら私の近くから遠くに行ってしまうことに寂しさを感じている。


 最初死体に対して抱いた思いは、私がまだ叔父の死を受け入れていなかったのに対し、もう本当に喋らないという事実、そしてまさに今その目に見ている姿すら最後になってしまう現実を前にして、受け入れ、死を理解する他なくなったことで生まれた悲しみであると思っていた。しかし今それを終えてなお私は骨壷というものに愛着と執着を覚えているのである。


 喋らなくとも、動かなくとも、人は何か感触で分かるものに、どうしてもその人を求めたくなってしまうのだろう。しかしそれではいつまでたっても、いなくなった人とお別れが出来ないから、だからお墓を建てるのかもしれない。


 お墓があるから、また会いに行ける。けれどもうそこは普段の生活圏ではないのだ。


 いなくなってしまった人を、完全に忘れてしまう必要はない。でももう会えないことを理解し、ちゃんとお別れをしないといつまでたっても前を向けない。お墓はそのためのものなのだろう。

 

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