闇より生まれし光の使者 アスカ、プロローグ②「極善偽悪」
作者の生まれ育った街は、当時は繁華街の名残を残した駅前から徒歩5分の旧遊郭街であった。遊郭街とは、遊女がいて泊まりで遊べる粋な風情さえ漂う大人の遊び場だった。
それ故に現代も変わらず、こうした場所であるからしてヤクザが多く住み着き、旧遊郭街の面の華やかさの裏には、当時は世の中もおおらかでもありヤクザも含めて多くの「訳あり」の人々が住み着いた。
旧遊廓街のいわゆる大小の「売春宿」は、昭和33年売春防止法の発効されたその後には規模の大きな遊廓は殆んどが旅館業を営むことになった。
その他の中小の規模の建物は構造的に必然と「貸間」にならざるを得ず、安価な家賃の六畳や四畳半一間の部屋は、ヤクザと情婦だったり、駆け落ちの果てにたどりついた夫婦者や、その日その日をしのぐのがやっとの「当たり屋」の老人などの棲家となった。
これがこの地域の「赤線」の末路である、また旧遊郭の従業員の女たちやはほとんどが頼る身内もなくこの街に住み着いた。
また街の東側の大きな方の川の河川沿いには、被差別部落の人々が住み着き、この街にすむ人々に陰影の深い気質を加えた。
作者は少年期に、その集落の区域全体が、何かしら特別なベールに包まれ近寄りがたい雰囲気があるのだが、何故か心を惹かれ、よくこの集落に潜入し冒険したものだ、というのもこの集落の人々はまるで平家の末裔のごとくにひっそりと暮らしており、また警戒心が非常に強かった。
それはそうであろう、この街に住む私たちは少年期に大人から、その集落のことを、「あそこは「四つ」だから、行ったらいかんよ」と教わるのだから、何かしらただならぬことがあってのことだろうと作者は子供心ながらに気づいていたが、理由はよくわからない「四つ」というのは人間は指が五つあるが、その被差別部落の方々は、人間より、ひとつ足りないという意味らしいのだ。
それはその集落の方々が特別な下賤の人種のごとく、しかも人に非ずというニュアンスが含まれており、この意識とは非常に残酷残忍な意識であり「人種差別」に匹敵する差別意識であったと、今になり私は思う。
この街の独自の気質により街人は、悪く言えば粗野で暑苦しいのだが、義理人情に厚い反面、排他的な側面があるのは、陰影の濃い人生の重味と厳しさを体験していたからだろう。
その気質のアクの強さを緩和するために悲劇を喜劇に変えて日々を笑いに変えて生活を営む必要があった。
それ故に本音をズバリと言いながらそれをどうやって返すかで言葉遊びにしていく独自の文化があった。
しかし毒舌的でありながら機知に長けており、隠れた思いやりは他者の評価を求めない傾向がありそれを「粋」としていた傾向がある。
この街は二つの河川に挟まれたデルタ地帯であり唯一の北側の入り口であるメインストリートは、
人間の頭が入り口とすると、頭頂までの約500mで二つの河川は道一本の間隔で接近しながら平行に流れており、入り口から徐々にその川幅は広がりながら、その狭間で人々は様々なドラマを繰り広げた、
その大きな川と小さな川に挟まれた約500mの道一本は昭和時代までは赤ネオン青ネオンのバラック建ての店がずらりと道の両側にひしめくように建ち並び、建前は酒場であるが、内情は秘かに売春宿を営んでいた、これが「青線」にあたる。
作者の生家も旧遊郭街であり、その一帯は高級遊郭街であった故に作者の生家には当時のプロ野球選手のスター阪神タイガースの藤村投手や横綱の東富士などの全国的なヒーローが滞在して遊んでいて、サインや手形が残っていた、明治大正、戦前の昭和時代までは財閥が解体される前でもあった。
相場や石炭で一山当てた成金などもいて「気前のよいお金持ち」というものが存在しており、世間もおおらかでもあったため、
そうした人々が遊郭街の建設に関わったために、遊び心に贅を尽くした遊郭が建ち並び、独特のエキゾチックな建造物や大きな公園ほどもある日本庭園は、東海道五十三次を模ってあったり、小さな川が流れて中央には富士山まであった。
この街に「極善偽悪」のルーツがあるのは、作者がこの街の気質を強く受け継いでおり、またこの街に生まれ育ったことを誇りにして感謝しているからだ。
「極善偽悪」とは、作者の造語であるが、もしも神様という方がいて、死後の人間がその生前の行いの判断により「天国」なるところへ行くとしたら、神様から最も誉められ、最も「天国」行きに相応しい生き方こそ「極善偽悪」と言えよう。
何故ならば「極善偽悪」とは、この世において最も「見返りを求めない」生き方であり、これを極めていくと。
本人は自ら悪役を引き受け、時には嫌われ役となり、人に誤解されようが、相手の幸せを願い、情けをかけるが報いは求めないようになるだろう、しかしまず自分自身を最も磨き輝くことで周囲を照らす光になるためには、導き手となるような責任を持つことだ、責任は人を成熟させる。でなければ様々な未成熟な面が表に曝されてしまい人間関係は破綻しかねない。
また同時に様々な「豊かさ」の能力を高め成熟させることに尽力しながらも、自然と自分も磨かれ気づきと学びを得て人間として成長し成熟することとなるのだ、人間が最も成熟するのは他者を責任を持ち人間的に成長させることだ。
そして愛の真実に目覚め、「ありのまま」の自分こそが本当の自分であり「ありのまま」の自分とは善悪のない純粋な子供のような自分である。
愛や道徳を「演じる」のでなく自然発生的な、愛や道徳が表現され賢実でかつ無邪気な状態になりながら人間が成熟していくのだ、これこそが「霊性」が育まれるプロセスでもある。
そして老若男女を問わずに、共に学ぶことに大きな意義がある、だからこそイーブンの関係を保ち、見返りを求めない結果、末永い付き合いが出来るようになる、
しかしイーブンな関係というものの本質はその前に強烈な上下関係の洗礼を受けたものにしかわからない。
しかしながら年齢は幻想である、本来はみんな、ありのままで「個性」を尊重しあえればそれが最高なのではないか?
さて、戦後の日本の経済発展は一種の「革命」でありアメリカ合衆国の日本を米ソ冷戦当時の「西側」の要にするための戦略的な大々的な支援により一般大衆はそれを好意的にとらえ、文化まで急速にアメリカナイズされ価値観までガラリと変わってしまった。
故に戦後世代といっても文化や風俗の変容は凄まじいスピードであり世代格差は著しいものがある、しかしながら、それが進化と言えるものか?ということだ。
しかも人間性まで変わってしまった、戦前の日本人は正義感が強く情けに厚く、弱いものがイジメにあっていたら助けに入るのが当然だった。
「義を見てせざるは勇なきなり」、といって、良心がそのまま行為となった、しかし今はどうであろう、社会の人間関係は冷酷な無関心主義や、ことなかれ主義者が育ち、自分のことしか考えないものが激増している。
しかしこの情けの薄い孤立した人間関係の時代に「愛」はあるのか?「死」で人生は終わり?すべてはそこに行きつく、自分は一体何者か?一体何のために生まれてきたのか?
一生を家庭のために仕事のために尽くしたその果てに老人になり世間は老人をどんな扱いをしてるだろうか?そしてあとは死をまつだけ、それではあまりにも人間とは虚しいものである。
しかしながらこの「極善偽悪」とは、困難な道筋であり個人的で理解しにくい「行」だ。しかしその根本的な問題を宗教に求めない「神秘行」に匹敵する悟りへの道とも言えよう。
その作者の「極善偽悪」の源流となった元遊郭街と被差別部落の入り交じった、かの地域に隣接する、この都市で最大の市場である、田崎市場の、「ちょぼ焼き末広」のオーナーであり、田崎市場で「浅井商店」を営む浅井伸治さんに15才の時に弟分にして頂いた作者は兄貴分の生きざまから学んで、この「極善偽悪」という「人生スタイル」を発案したのだ。
ここには、人の評価を無視した超越的な愛がある、従ってこの「極善偽悪」は他者から誤解されようが仕方ない、つまり報いがない、しかしだからこそ価値があるとも言えよう。
作者は元クリスチャンであったこともあり、聖書の中に、イエス・キリストが、人の行き交う通路で神に祈るユダヤ教徒を見て、「この人たちは人に良くみられることで、すでに報いを受けている、だから祈るときはひっそりと祈りなさい」と弟子に教えた記述がある。
つまり「極善偽悪」は一見悪に見せてひっそりと善を行う生き方でありそれこれは最も見返りを求めない生き方なのだ。
聖書にはイエス・キリストの言葉として「見返りを求めるな」という主旨の教えが多くみられるが。作者にとってイエス・キリストは我が師と仰ぐ「尊師」であるが、弟子の時代からキリスト教はどれもこれも下らない、
キリストの弟子やローマ帝国の聖書や教会への政治介入がキリストの教えを貶めてからキリストの本当の教えは歪んでしまった。