闇より生まれし光の使者 アスカ (プロローグ①)
この物語は何ら資料もなく自動書記状態で書かれている。
「太陽が昇り始める直前が、夜の闇が一番深いときだ」
それと同じように人間も一回り器が大きくなり成長する前には、大きなピンチを迎えたり、失敗を乗り越えたり、激しい落ち込みのあとで、大きな成長がある。
今の人類は非常に重要なピンチに立たされている、しかしながらピンチとチャンスは表裏一体だ。
昔のコトワザに「虎穴に入らずんば虎児を得ず」ある通りに、この今の時期こそ、虎穴に入る如くに、自分自身に入ることだ、「己を知り敵を知らば百戦危うからず」自分を知ることが何より大切なことで、逆に、自分を見失うことで、大切な人間関係や仕事も無くしてしまう。
さて、あなた方は自分を熟知しているのか?しかしながら無意識の領域には、あなたの知らないあなたが歴然と存在しているのだ。
それが未熟な過去の癒されていない自分であり、それは理性が機能しなくなると噴出してくる、聖職者の無意識の領域には性衝動が抑圧されパンパンに膨れ上がり、噴出して犯罪となることが多々あるように。
さて「偽善者の社会」に生きているみなさん!「善良なる市民」であることを前提にあなた方の社会は形成されており、故にあなた方は「建前」で表面的なコミュニケーションをすることに慣れてしまい、それが社会の教育になっており常識になっている、
それ故に「本当の自分」さえわからない、自分探しとは内面の旅から始まるのだ!自分とは何者か?自分とは何者か?自分とは何者か?
闇から学べ!闇は偉大なる教師であり、それはあなた方の内面の本音を直視することから始まる。
人間は悪を内包している存在だ、様々な悪感情、悪想念、タブー誰もが内面にそれを抑圧している、しかし悪とは社会では排除され罪になり罰を与えられるべきものだ。
しかし罪と罰は神が人間に与えた概念ではない、人間が社会を形成するプロセスで考えだされた意図的なものだ、だから。
自分を裁くな!責めるな!優劣をつけるな、許し受け入れ「ありのまま」の自分を受け入れるのだ!自己否定の罠に嵌まるな!
自己否定、自己嫌悪は他者否定、他者嫌悪となる、真実は「自他同一」自己と他者は同じなのだ、そしてみんな繋がっている。
自分を愛せないのに他者は愛せないし、人間は【無意識】に自分のされたことを他者にしてしまう。
また、あなた方は非常に厄介な信念体系であり社会的な刷り込みを先祖代々から、また遺伝子のレベルで受けついで苦痛に喘いでおり、自他に罪と罰を与えながらその刷り込まれた倫理観、道徳観、宗教観で生き方を苦しくする。
道徳観念や宗教観念や倫理観に厳しい人ほど自ら「罪悪感」という永遠の地獄を味わうようになっている、人に罰を与えればその罰で自分も苦しむことになる、実に矛盾しているようだが、それが現実だ。
善悪の概念はあなた方を傷つけるだけなのだ、罪悪感を手放せ!しかし現実世界で悪を行えということではない。
ならばどうしたらよいかは、この物語を読むうちに、この現実世界は幻想であることに気づくだろう、そこに答えはある、すべては夢であり幻なのだ、問題はリアリティであり記憶形態にある。
こうした自他を罪に陥れ、罪と罰を与え合いながら喘ぎ苦しむ様は我々から観れば悲劇的な状況である。
この物語はリアルファンタジーという形で小説化しており、ここには宇宙の陰陽の法則が働き、あなたはこの物語により、内面から革新的な進化を遂げるに違いない。
この仮想現実には現象世界並みのリアリティが付与される仕組みになっており、あなたの意識は宇宙規模に拡大し世界観は多次元的に変化し既成概念は崩壊するだろう。
さて森羅万象、日常、非日常にしても出来事はすべて起きるべくして起きている、偶然などないのだ、すべては必然として起きており、すべてに意味があるとも言える。
しかし出来事はすべて「中立」であり意味付けするのは人間個人の自由だ、しかしながら、あなた方には自由がないように見える、
様々な既成概念に囚われて身動き出来ない身心の状況だ。先進国は自由主義や民主主義らしいが、あなた方は自由どころか非常に不自由に見えるし幸せなのかどうかも分かりにくい。
私はこの物語の語り手の宇宙からの魂である高次元生命体。プレアデス星団の中心太陽「アルシオン」の周囲を回る、第8太陽系の地球支部のハザク支部長だ。しかしあなた方の社会の大多数は、我々を認識するレベルにない。
しかし近年飛躍的な進化を遂げるに違いないあなた方の科学は神秘学とクロスオーバーし互いを証明しつつある、それは私たちが「チームワーク」でこの物語を書いている段階でシンクロ二シティが起きており世界中に同じ現象が起きる仕組みになっていることでも証明されるだろう。
それが現象世界に反映するには時期に誤差があるのみである「チームワーク」これさえ私たちには、一般の概念とは違いチームワークとは多次元的にであり、また距離や時間の概念さえ全く違うのだ。
「宇宙」とは調和した状態であり、陰陽の法則が働いて自然とバランスを取るようになっている、自然界は完全に調和した状態であり調和とはバランスであり均衡だ。
太陽があり月があり、昼と夜があり、光があり闇があり、善があり悪があり、このコントラストは実際は表裏一体であり、対極でもなく対立もしてない。
そのように「信じ込んでいる」だけなのだ、少し観察してみればわかるが物事は本質的には善でもなく悪でもない、ただ起きているだけなのだ、意味を付けようと思えばどうにでも意味づけされる。
もっと観察してみると例えば、善と悪、は互いに価値を支えており、例えば強い正義「善」が実際に行使されるかその可能性が想定させるときは、それに匹敵する不正義「悪」が実際に行使されたときか、またはその可能性が想定された場合だ。
警察官が社会的な正義を刑法を駆使して実際に行使する場合は、それに匹敵する不正義である刑法違反が行使されるか、その可能性が確実視された場合だ。
それを分かりやすく言えば、ウルトラマンが戦えるのは怪獣がいるからで、水戸黄門も悪代官がいるから存在しているのであり、善と悪は互いに価値を支え存在しており、強い悪には強い善としてのヒーローが正義の味方として必要であることに気づくだろう。
光が強いと闇も強くなる、日差しが強いと影も濃くなる、しかしここで気づいて頂きたいのは、日差しが弱くなるにつれ影もうっすらとなり昼と夜の間には夕方という中間があり、昼と夜は繋がっており地球が自転する一日の陰陽で太陽と月が役割を分担しての表裏一体の一日だ。
これはすべてにおいて当てはまる真実でありながら、あなた方の社会では本来はこの表裏一体である2つの概念が対極と見なされ対立していることが数多くあることがわかる。この2つの概念は対極ではなく方向が真逆と言えばわかるであろうか?
夜は闇として悪役を引き受けざるを得ず、しかしながら夜にこそ、闇にこそ、あなた方は非常に感謝せざる得ない生命の神秘や謎、そして恩恵がありながら未だかつて知らさないままだ。
(一つのものが二つにわかれて離れていけば行くほど別の物に見えてくる)
さて人間は眠りながら何をしているのか「無意識」のレベルで何が起きているのか?夢を見るのは何故なのか?実は人間は現実と思っているが、この現実も夢と同じなのだ、すべては夢幻、これを「マーヤ」(幻想)という、あなたの空想や想像も「マーヤ」だ。
だから人生を自由自在に生きることもできる、願いは叶うのだ!実際に今現在、あなたは今の現実を無意識に自分で実現しているのだ「思考は現実化する」これは本当だ、あなたの信念体系が現実化しているのだ、
しかし自分の信念体系さえ把握出来ないのは、致し方ないことかもしれない、隠された信念体系が無意識の領域にあるからだ、自分の信念と真逆の信念体系が無意識の領域にあればあるほど、物事は自分の思いとは逆に実現される。
ところで「人は自分の鏡」と古からの諺にあるが、それを拡大した一言で言うならば「すべてはひとつ」であるのだ、「人は自分の鏡」これは「他者」に自己の反映を観るという意味だろうが「他者」とは人間だけでなく、あなたの家、あなたの属するグループ、あなたのペット、あなたの食べ物、あなたの社会、すべてにあなた自身が反映されている。
つまり「すべてはひとつ」ならば逆もまた真なりで「ひとつはすべて」なのだ、「全体と個」に現れるように、全体に現れるものは、個にも現れる
あなた自身が「全体」を構成する「個」である細胞のDNAの情報であなたのクローンが造れるしまた個は互いに共振する性質がある。
あなた方の内部では、全体を調和させるために、個は互いに支え合う、例えばひとつの細胞が癌化しないようにチームワークで貢献している、
それに常に成功しているから、あなたは今こうして生きている。逆に一つの細胞が活性化されると他の細胞も共振して活性化する、これを人間関係に例えるならば、
活気のないネガティブな集まりにたった一人のムードメーカーが現れたことでポジティブに活気づき始めたりするのだが。
宇宙規模においてもしかりだ、地球人類が飛躍的に進化すれば、それは宇宙全体に影響を与える。
よって我々はあなた方の進化に、あなた方の教科書の歴史の始まりより遥かな昔から関わってきた。
人類のレベルでは個であるどこかの国の誰かが人類全体の進化に革新的に関わった時、つまり法則に従い調和へと貢献し進化を促進する場合、シンクロニシティ現象が起きてる。
個は互いに共振し、世界のどこかの国の誰かそれに気づいた者は、全体のために同時に革新的な行動を開始するだろう。
それがある一定の数となると「百匹目の猿現象」とも言われている現象が起きる。
またあなた方の内面はあなた方の外面に現象として現れる、あなた方の内面は分裂しており、多面的にならざる得ない複雑化し矛盾した社会に住むうちに複雑化し矛盾した信念体系、思考形態を持たざるを得ず、内面では人格が分裂している、
そもそもが人間は顕在意識(表面意識)と潜在意識(無意識)に分離しており、泥酔状態の人間を観察してみればわかるが、無意識に抑圧した人格が表現されてくる。
それが通常でも表面化し更に社会生活に支障を来す場合、精神疾患と見なされるだけの違いだ。
しかしながら論理的な思考に確証をおく科学に偏重した左脳社会で生きていくための教育を幼児期から躾けられ、右脳とのバランスが取れていない状況で物質的な価値観に偏り「霊性」が全くと言ってよいくらいに無視されている状態であり。
「霊性」についてはタブーというくらいに語らずか無関心かのどちらかだ、しかしこの「霊性」こそが本来人間が必要必要不可欠な要素でありながら「霊性」が高まると超意識が目覚め超能力も目覚めていくのだが。
あなた方は「超能力」を駆使して好きなことをして人生を自由自在に操りたいと夢を見るのがせいぜいなだけだ、しかし超能力は「霊性」が高まるプロセスで、オマケみたいに現れるものでありしかも手品と超能力というものが同じレベルで扱われているのが現実だ。
霊性が高まると物事への興味が変化する、もしもあなたが霊性を育まずして超能力を獲得したとしても、それは「毒」になることだろう、北朝鮮が核を持つことに等しく、子供にマッチを与えるようなものだ
「霊性」を育むプロセスで物事の価値が社会的な価値とは反転することはかなり多くなる。逆に言うと超能力に恵まれても、美女に囲まれ高級車を乗り回しでは何の意味もない、単に堕落しただけなのだ。
しかし人間は本来は霊的な存在なのだ、私がこうして文章を自動書記状態で書けるのも「霊性」を高めたからだ。
霊性の高さは精神性の高さとは必ずしも一致はしないが、精神性の高さは霊性を育むために役には立つ、
しかし道徳心の強さはかえって霊性の阻害にもなるのだ、何事も「するべきこと」などないし「してはならないこと」さえない。
こういった言い方は、あなた方を混乱させるかもしれないが、「ありのまま」とはそう言うことなはずではないかな?「すべてはひとつ」ならば、「ありのまま」の自分を受け入れ「ありのまま」の他者を受け入れざるを得ないことにお気づきだろうか?
「こうしなければならない」「こうあらなければならない」これは道徳心の強さから「ありのまま」の自分を否定することにならざるを得ず、本来の自分らしさを見失うことになるのだ。
森羅万象を見よ?植物も動物も、「ありのまま」で自然と調和している。いや「ありのまま」だから自然に調和している。
さて「霊性」についても様々な定義がされており霊能力のあることだと思われるかもしれないが、そうとも言えない、例えば人類で霊性の高い民族は先進文明国には少なく、未開文明の小数民族に多いのが特徴だ。
少なくとも現代の日本では「霊性」を高めるために出家して僧侶になるより、瞑想やヨガや気功は効果的な方法だ、「霊性」を高めるには様々なアプローチがあるが、
実は人類はこの混乱に満ち混沌とした社会の人間関係をこなし生きながら「霊性」を高め磨くことに大きな意味があるのだ。人間関係の中で磨かれる自分を「意識的」に高めるのも「行」であり、瞑想やヨガや気功も、神秘行という「行」である。
「霊性」が高まると自然と精神性も高まるし「道徳」を学び演じるのではなく、本物の道徳や慈悲が自然発生的に表現されてくる、人間でありながら神々に近くなる。
あなた方の「道徳」とは「道徳観念」を社会生活を営む上で教育上、子供たちに押し付けているかのように見えるが、違うだろうか?。
神々とは悪く見れば自由奔放で傍若無人でもあり非常識な存在でもある。
人間の計りでは計れないのだ。ここに神々に対するファンタジーな誤解である「善信仰」という大きな壁が人類の前に立ちはだかる。
これこそが、あなた方に罪と罰を与え苦しみ喘ぐ最大の原因であることにさえ気づいてないところに悲劇がある。善があれば当然、悪が存在することになる。
かつて多神教というものが、ヨーロッパにもあった時代にローマ神話、ギリシャ神話、ケルト神話という神話の神々であるが。
現代のキリスト、ユダヤ、イスラムの、いわゆる一神教の「創造主」は、「崇高で厳格な神」だが。
多神教の神々は「神」というより自由奔放で傍若無人でありながらスーパー人間という感じだ、争い戦い堕落し怠けたり現代の人間より人間臭いのだが、威厳があり気高い、この神々をヨーロッパから追放してしまったのがヨーロッパに覇権を築いた「ローマ帝国」が国教として政治に利用した一神教である「キリスト教」である。
砂漠地帯の厳しい神の宗教であるユダヤ教を基盤にキリスト教は生まれイエスキリストの弟子たちが聖書を書いた。
因みに日本人には神道があり、これは多神教であり八百万の神々は人間より人間臭い、やはり自由奔放で傍若無人なスーパー人間という感じだ。
例えばキリスト教の神が善であり光であるならば、人間は永遠の罪人となり常に神に許しを乞い、
罰を与え苦しみ喘ぐ仕組みになる、従って死ぬまで教会に通い神に許しを乞い献金し、お金持ちは免罪符を教会から買って天国への切符とする、
教会には金が集まり政治と結託することで民衆はローマ帝国の都合のよいようにコントロールできたのだ。
なぜならば聖書には「内在する悪の問題」という教えがあり、
人間とは内面に悪を内包している存在であり罪悪感という永遠の罰を自分に与える仕組みになっているからだ、
ここで「愛」については愛と善が混同されているようだが「愛」は「悪」の形でも現れるのだ。
天使と悪魔は実在するならば、それも陰陽表裏一体、であり、これらは共に人間の「霊性」の成長に貢献しており、これについては作者が稀な神秘体験を通じ象徴的に、初日は「生きたまま魑魅魍魎に食べられる」こうした神秘行を毎晩一週間続けて「超意識」に「やらされた」結果、体験的に断言する。
この物語に入る前には、ウォーミングアップが必要だ、この物語のリアリティは本物であり、しかしあなた方は地球で非常に強力で長期に渡るマインドコントロールを受けており、自分自身が何者か?さえ忘れている。
非常に過酷な環境でありながら、先進国の国民という、あなた方でさえ、それを運命として受け要らざる得ない状況になりながら、宗教に救いを求めながら洗脳され、社会の教育システムに洗脳され、テレビに釘付けとなり洗脳され、繰り返されるCMにより必要のないものを必要と思い込まされ欲望を刺激されており、せっせと新車に買い換える。
大量消費大量生産のために、工場はフル稼働され従業員は大量消費の消費者であり、せっせと働き生活している。
例えばアメリカ合衆国で棄てられる食物だけで飢餓で苦しむ人々の必要なカロリーに匹敵する程の物量である矛盾にさえ気づかないままに、あなた方は肥満に悩みダイエットのために室内マラソンマシーン?(笑)なるものを買い求め、それで汗をかいたらビールが旨い!
こうしたユニークな日常茶飯事のあなた方の傾向を、我々は観察していてブラックジョークにしか思えない(つまり悲劇は喜劇にも視ることが可能なのだ)
あなた方は宇宙の先進文明の人々から見たら非常に残忍で残酷で自虐的でもある、地球はこの宇宙では非常に魅力的な不動産であり財産だ、
これほどに多様な種の生態系や豊富な鉱物や資源は非常に貴重でありながら、あなた方はそれを生命として尊重しておらず、また「生命」の概念の範疇が狭く、石ころや土くれさえ「意識」があることに気づかない、すべてには「意識」があり「波動」があり、生きているのだ。
それでいて、そのためのエネルギー源は地球の限りある資源であり、原油の確保に国々は争い、熱帯雨林は消滅しつつ、海洋は汚染され、空気も汚染されつつあり、母なる地球は悲鳴をあげている状態だ。