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万雷  作者: ミノマ
4/4

 舞台あいさつが終わると、私はさっと立ち上がり、興奮冷めやらぬ観客の間を縫って外へ出る。裏口からもう一度中へ入ると、劇場関係者が立っていた。

「佐東さん。山脇監督が待ってますよ」

「ありがとう」

「こんなときになんですけど……あの、あとでサインもらってもいいですか?」

 本当にこんなときに、空気の読めない奴だ。けれども、この劇場のおかげで、私は思い出せたと言っても良い。適当に頷いて、彼の控え室だという部屋に入った。

 そこには男がパイプ椅子に座って、こちらに顔を向けていた。


 どうして忘れていたのだろう。

 彼こそが、私の好きな人だ。


「……カントク」

「どうした、佐東」

 彼は穏やかに返事をする。

「どうしたじゃないでしょう、私、思い出したのよ」

 彼は私に座るように促したが、私はそれに応じない。座る彼の正面に立って、腕組みをした。

「そうみたいだな」

「何が、仕事のストレスよ。もしかしてあんたたち、私がわざと飛び降りたなんて思っていないでしょうね」

「……思っていないよ」

 間があった。これは、ちらとでも思ったにちがいない。冗談ではない。あれは完全に事故で、私は仕事にストレスなど持っていない。ましてやそれを断ち切るために身を投げるなど、するはずがない。

「私があなたの映画に出ずに、死のうとするとでも?」

「……ああ、確かにそうだ。君が、受けた仕事を放り投げるはずがない」

 ……間違ってはいないけれど、少し違う。私は、仕事を放り投げることはもちろんしないが、それ以上にそれが山脇からもらった仕事だということを強調したかったのだ。

「しかし俺は……」

 山脇は何かを言いかけ、そして黙る。しばらく待っても、口は開かれない。

「何よ?」

「いや……」

 珍しく歯切れ悪く、山脇は口ごもる。黙って見つめると、観念したようにぼそぼそとしゃべった。

「……俺が、気にしていたのは、君がまた演劇に戻りたいのではないかということだったんだ」

「はあ?」

「いや、それと君が自ら身を投げたのではと疑ったのは、別だ。しかし君が仕事に疑問をもっていたのは確かだろ?」

「確かじゃないわ。どうして、そんなことを考えられるの?」

 きっぱりとした否定に彼は戸惑いつつも、しどろもどろで彼の考える根拠とやらを言う。

「君は最近元気がなかった。マネージャーの森さんからも、俺の映画の話を受けても迷っているようだと聞いていた。それに演劇のときの……仲間と、会っていただろ」

「あのね…」

 ため息をついて、私は腕組みを解いて腰に当てた。叱りつけるポーズだ。

「演劇のときの仲間と会ったのは偶然だし、それで元に戻りたいと思うなら、私高校のときのバイトの店長と話すだけでまたファミレスで働かなきゃならなくなるでしょ! 元気がないのは、あなたの映画で力を出せるか不安だったから。迷っているように見えたのは森ちゃんの誤解よ! 断るなんて論外なんだから」

「そ、そうか」

「まさか、それだけで私が映画から離れるなんて思ったんじゃないでしょうね」

 そう言って山脇を睨むと、彼は慌てて最後の根拠を述べた。

「それだけじゃない。……公演後の、万雷の拍手を聞くと、生まれ変わったように感じると言っていたな」


『生まれ変わったような気持ちになれない?』


 あっ、と思い出した。そうだ、あのとき、一瞬思い出したあの言葉は、いつか自分が言ったものだ。

「……確かに、言ったけど……よく、覚えていた、わね」

 驚きで、つっかえながら認めたが、山脇は表情を暗くするばかりだ。

「あのときの君は、きっと舞台を懐かしがっていたんだろう」

 あれは、無理矢理山脇を誘って、演劇を観に行ったときのことだ。カーテンコールの拍手を聞きながら、私は彼に話しかけた。


『ねえ、カントク?』

『なんだ』

『拍手って、いいわよね。感動を伝えるどころか、それ自体が感動になりうる気がするわ』

 山脇は自身も拍手をしながら聞いている。

『ねえ、今響いている拍手、それがすべて、私たちに向けられていると思ってみて? この万雷の拍手が、全部、私たちのものよ』

『ああ』

『いえ、想像じゃないわ。私、今まで何度かこんな拍手に迎えられたことがある。ねえまるで、生まれ変わったような気持ちになれると思わない?』

 

 そう、確かに私は言った。

 しかし。

「あのね、確かにそう言ったし、そう思ってる。でもそれをあなたに言ったとき、私が想像していたのは、演劇の舞台の上じゃなくて、……試写が終わったとき、映画祭で上映が終わった瞬間、映画館で初上映が終わった瞬間……そんな場面だったの」

 そして私の隣には、山脇がいる、そんな想像をしていたことは、本人はちょっと恥ずかしくて言えない。私は思いの外、何気なく放ったこの言葉を自分のうちに留め、大事に想ってきたようだ。加えてそれに続く恥ずかしい夢想を、半ば本気で抱いていた。本気な分、より照れくさい。

 でも言葉にしないと、この朴念仁には通じないから、まっすぐ目を見つめて、きっぱりと言った。

「あなたが愛してる映画を、私が愛さないわけない」

 そう言うと、彼は少しうつむいて、目線を逸らした。


「君を外界から引き離していたのは、君が映画のことを思い出していやな気持ちになってほしくないということと、……思い出したことで映画に見切りをつけて、さっさと演劇に戻ってしまうことが怖かったからだ。君にその気があったなら、思い出せばいつでもそうしただろうから、ただ先延ばしにしただけなのは分かっていたが」

「そうよ、無駄よ。そんなことで私を病院に閉じこめるなんて」

「……俺の、愛している映画を、君に嫌ってほしくなかった。そんな結論を聞かずにすむなら、ずっと思い出さなくてもいいとすら、どこかで思っていた。……悪い、ただのわがままだった」

 私の言葉をそのまま使い、彼は『愛している』と言った。それが愛の告白みたいで、私は少しどきどきする。その相手が映画であることは重々承知だ。 

 益体のない妄想を振り切って、私はもう一つ疑問に思っていたことを解消せんとした。

「ストーカーはどうしたの」

 尋ねると、彼はきょとんとこちらを見て、あっさりと言う。

「捕まったよ。もう、心配はないと言っただろう」

「言い方が紛らわしいのよ。気にしなくていいなんて、解決したと言ってくれれば良かったのに」

「言ったって君は俺のことをストーカーだと思っていたんだろ?」

「……ま、まあ、そうかもしれないけど?」

 午前中の私を殴りつけたい気分だ。よりによってこの人をストーカー扱いなどと。……というよりむしろ、この人がストーカーならなんの問題もない。今までずっと追いかけてきたのだ、向こうから追いかけてくれるなど、願ったりなことである。

「でも私、ストーカーのことなんて、ほんとうにどうでも良かったわ。森ちゃんが守ってくれるって知っていたもの」

「しかしそこに、俺は関われないな」

 山脇は、表情を曇らせる。

「え?」

「君は、俺に、あなたは私のなんですかと聞いたな。俺は、仕事仲間としか答えられなかった。君のプライベートに、何一つ関わっていなかったからだ」

 何を言っているのやら。私はずっと前から、この男に告白し、つきまとっていたのだ。『君に迫られて困っていたんだ』とか『君は俺のことが好きだったんだ』とか言ってしまえば簡単に説明できるのに(信じるかどうかはわからないけれど)。それに彼と仕事をするのはそれこそ今回が初めて、今までは会うのはプライベートばかりで……。

「ん?」

(山脇は分かりやすく表情を暗くした。この男が私に好意を持っているのは間違いないと思う)

(『仕事仲間だ』

『本当に?』

『それ以上でも以下でもない』

 それ以上になりたいって顔にかいてあるようだ)……

 …………ん?

「そしてその立場が、いやになった」

「……それって」

「俺は、君を守れる立場になりたい」

「マネージャーにでもなる?」

 ああ、そうやって茶化す。そんな場合ではない。しかし信じられない。

 山脇はさんざんためらい、頬を少し赤くして、とうとう言った。

「…………俺を、君の私生活のパートナーにしてくれないか」

「ああもう!」

 私は目の前の男に抱きついた。

「私がとっくに、そう言ってるじゃない!もう、好き、カントク、好き!!」

 男はびしりと固まり、ようやっとという感じで、言葉にならない返事を吐き出した。

「……あ、う、そ、そうか」

「あなたも言う場面よ、ここは!」

「す、好きだ、佐東」

「ちえ」

「……好きだ、ちえ」




 演劇は楽しかったし、好きだった。けれど、私が初めて出会ったのはやはり映像で、今私を夢中にさせてくれるのも、映像だ。

 まだまだ及ばないと思う演者はたくさんいるし、うまく表現できないことも、忘れたいくらいいやな演技をしてしまったこともたくさんある。

 けれど、私はきっと。



森田:離れていることで君の気が休まるんなら、そのままの方が良いのかもしれない


森田、吉住の正面に回り込み、顔をのぞき込む。


森田:それがきっと、君のためになるんだろう。もしかしたら、君はそれを望んでいたのかもしれない 

吉住:そうなのかしら……


吉住、森田の視線から逃れる。

カメラここまで固定、ここから左にゆっくりパン。



「あの台詞、気づくわけないでしょ。私、まだ脚本を読む前だったのよ」

「いや、君が、脚本を握りしめた状態で見つかったから、既に読んでいるかと思ったんだ……それで思い出してくれるかと」

 『離れていることで君の気が休まるんなら、そのままの方が良いのかもしれない。……』

 あのとき彼が言った言葉は、彼が新しく撮る映画の中の台詞だったのである。

「……君が、それで思い出さないのなら、もう映画に心はないのかもしれない、そう思い込んでいたんだ。もしそうなら、そのまま離れて、演劇に戻るのも良いのかと思って」

「あのね、頭を打って忘れた人間が、都合良くこれは忘れるこれは思い出す、なんてできるはずないでしょ。大体……」

 と、ここで私はある可能性に気がつく。

「……カントク。あなた、私が昔の劇団の人と会っていたことを気にしていたわね」

 山脇は肩をこわばらせる。擬態音をつけるとしたら、『ぎくり』だ。私は推測が正しいことをほとんど確信してにやりと笑う。

「それって、あの人よねえ。最近テレビにも出てた人、イケメン俳優って、ねえ?」

「だから何だ。君は俺のことを好きと言っていたじゃないか」

 私の羞恥心を煽ることでごまかそうとしているようだが、そんなことで今さら私は恥ずかしくはならない。

「そっかあ。嫉妬したんだあ。カントク、私に嫉妬したんだあ」

「してない。やめろ」

 ここまでの押せ押せに若干引いていた様子の彼だが、私が記憶を一時的になくしていたことで、結果的に『押して駄目なら引いてみろ』の状態になったようだ。これは僥倖、想いが叶ったのなら、この事故も悪くはなかった。

 しかし、彼はふと真面目な顔になって言った。

「脚本を、よく守ってくれた。けれどもう、あんな無理はするな。まだまだ撮りたい映画はたくさんある。もしひとつくらい駄目になったって、問題ない」

「いやよ。私がやる映画だったのに」

「君という女優を失うことで撮れなくなる映画がどれだけあると思う」

 山脇はまっすぐに私を見たが、それは男としてでなく、監督として女優を見る目だ。私はそれが嬉しくもあり、いささか不満でもある。

「……それなのに、今の今まで私に声はかけなかったわね。ようやく呼んでくれたじゃない」

「本来なら君みたいなビッグネームはそうそう呼べない。出演料がようやく目処が着いたからな」

「結婚しちゃえばいらないのに」

 口を尖らせてそう言うと、山脇は途端つんのめり、戸惑った目で私を見る。そこに冷静な監督の姿はなくて、私は少し満足する。

「け、結婚か……」

 真面目な彼はきっと考えるだろう。この調子ではプロポーズも遠くないかもしれない。 内心ほくそ笑む私であったが、山脇は真面目な顔で私を振り返った。

「…………しかし、出演料のために結婚するのはだめだろ」

「ばか!」


 私はきっと、カントクと一緒にまた生まれ変わる。万雷の、拍手を受けて。



拙作「満月と新月」のスピンオフでした。二人の高校生時代はこちらhttp://ncode.syosetu.com/n0562bn/(全く二人は絡んでませんが)

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