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万雷  作者: ミノマ
3/4

 次の日、山脇は再び現れた。森はケーキを買ってくると言って出て行ったばかりだ。

 「騙したり、貶めたりするつもりはない」と森は言った。森のことは信じたい。けれど、何も知らされずに納得できるはずもない。何より、森に言って私の仕事を辞めさせようとしたり、ストーカーの話をうやむやにしようとしたり、この男の言動は少しおかしい。私が眠っているときにばかり来ている? 何をしに?

 私が目を覚ましたとき、彼は私に触れようとしていた。

「……佐東さとう

 彼は私の名前を呼んだ。もうそれは私にすっかりなじみ、同じ名字を持つ私の家族のこともすぐに思い出せるようになった(しかし森が言った通り、彼らとはとても『折り合いが良くなかった』ことも思い出した)。

 しかし、未だ、彼のことは思い出せないのである。

「……思い出さないか?」

 この男は私に思い出してほしいのか、そうでないのか?

 思い出してほしくないのではないか? ……都合の悪いことを、隠すために。

「……普通、こういうのって、いやな記憶ほど閉じ込めたくなるものだと思うの。今の私とって、それは仕事のこと?」

「そうかもしれない」

「じゃあ、あなたのことは?」

 聞くと、山脇はもの問いたげな表情をした。

「もうひとつ、私には嫌なことがあったんでしょう? すっかり忘れてしまいたいほどに」

 彼は目を見開いて、慌てたように口を挟んだ。

「おい、君は何かとんでもない勘違いをしていないか?」

「勘違いなのかしら? あなたは森ちゃんにもなぜか信頼されてるみたいだけど、こっそり動いていたならどうとでもなったんじゃない? 大体仕事仲間って何よ、本当はプライベートな知り合いだったんでしょう? なんで隠すのよ! 怪しいわ!」

「ちょっと、どうしたの?」

 ドアの向こうから聞きつけたのだろう、ケーキの箱を持った森が入室してきた。これ幸いと私は男に指を突きつけて、森に向かって喚いた。

 

「森ちゃん! この男がストーカーだったんじゃない?」


「…………何をばかなことを」

 と言ったのは山脇だった。本人は何とでも言え。

 しかし森までもがあっけに取られた様子で言う。

「……山脇さんは違うわよ。それだけは違うわよ」

「どうしてそんなことが言えるのよ」

「逆にあなたはよく記憶がないままで彼を犯人扱いできるわね」

「……だって、なんでただの同業者が、しょっちゅう様子を見に来るのよ。しかも、私が眠っているときに。こないだだって、こいつ、私に触ろうと……」

「君の様子をよく見に来ていたのは、……君のことが心配だったんだ。ストーカーについて、君に相談されたことがあったから。君が眠っているときに限ってというのは、本当に偶然だ。スケジュールが立て込んでいて、十数分しか立ち寄れないことが多かった。起こすのも悪いから、いつもそのまま立ち去っていたんだ」

「彼がストーカーじゃないのは、私が保証するわ。忙しい人だし、彼が仕事をしている間にあなたが狙われるということもあった」

 どうやら彼にはアリバイがあったらしい。冷静になってくると、確かにこれだけの情報で彼をストーカー扱いするのはあまりに浅慮であった、のかもしれない。

「……ごめんなさい。確かにちょっと早とちりしたみたいだわ」

「ま、まあいいさ。こんなところに一週間もいれば気も滅入るだろう」

 山脇はシャツの襟を直しながら言った。ストーカー呼ばわりされて、彼も少なからず動揺したらしい。

「君はまた仕事のことを思い出さないんだろう? なら気晴らしに、映画でも見に行かないか」

 森がぎょっとした表情で山脇を見た。

「え、山脇さん、それは……」

「大丈夫だよ」

 山脇はそれに意も介さず私の腕をとって立ち上がらせる。

「服も持ってきてある。着替えたら出かけよう」

 急に強引な彼に、私も森もただただ驚きながら従うのみだった。


 車は大きめのバンだった。せっかくの外だというのに、後部座席の窓は黒くなっていて景色はほとんど見えない。

 私に与えられたのは、青いノースリーブのワンピースだった。自分で見てもそれはよく似合っていて、着替えた私を見た山脇もどこか満足そうに頷いた。それにスカーフを巻いて、サングラスを渡される。ストーカー対策なのだろうが、それにしてもこれは、

「なんだか私、有名人みたいね」

「そうかもしれない」

 冗談めかして言うと、山脇もいたずらっぽく笑った。その笑顔を私は見たことがあるような気がする。

 しかし彼はすぐにその笑みを陰らせ、少し伏し目がちになって切り出した。

「……君を、病院に閉じ込めていたことだが」

「え?」

「確かに、君を危険にさらさないようにという理由もあったし、だから森さんや医者も同意した。でもあれは、……根本的には俺のわがままだった。申し訳ない」

 『閉じ込めていた』と言った。医療的な措置というふうに聞いていたけれど、少なくとも山脇は、そんなつもりではなかったことを私は初めて知る。そして山脇は、『申し訳ない』とは言ったものの、私の許しが必要ではなさそうだった。謝罪すら、自己満足のようだ。

「いい加減、解放しなくてはならないな……君が、どちらを選ぼうとも」

 私が何も言えないうちに、山脇は立ち上がり、車のドアに手をかけた。

「さあ、行くぞ」

「……あなた、私とどういう関係なの?」

 三度目の質問。山脇は一瞬目を閉じて、

「実は、高校の同窓生なんだ」

 と言った。


 車を降りて辿り着いたのは、小さな映画館。「伝手があるんだ」と裏から入ったけれど、表の方からは大勢の人がいるようなざわめきが聞こえてくる。

「何かイベントなの?」

「ああ、映画監督の舞台あいさつだそうだよ」

 全席指定らしく、私たちは無事に席に着く。

「来るつもりで席を取っておいたの? しかも、こんなイベントの日に」

「ああ」

 『君がどちらを選ぼうとも』『解放しなくてはならない』と山脇は言った。この映画を見ることで、私に何かの変化が起こるんだろうか。山脇は、仕事の話と断って携帯電話で何かを操作していて、話しかけて邪魔もできない。

 十分程度で映画が始まるらしい。私はこれから見る映画のタイトルもキャストもイントロダクションも知らない。ミステリーツアーみたいで、不安もあるが正直少しわくわくしていた。

 と、そこで、

「悪い、少し呼び出された」

 携帯電話を持って、山脇が場外へ出て行ってしまう。

 私はにわかにそわそわしながら待つ。映画館でサングラスはもちろんおかしいから、入る際に外してしまっている。ストーカーがこんなところにいるとは思えないけれど、こんなところで一人にされると、なんだか心細い。誰にも見とがめられないようにと背中を丸めて、できるだけうつむいていた。周りの観客は、ざわざわと、映画と舞台あいさつを心待ちにしている様子だ。

 やがてブザーが鳴った。山脇は帰ってこない。

 そのまま映画が始まってしまった。


 ストーリーは、一つの部屋の中で、ひたすらに男女が話すというものだった。男女に何か隠し事があって、物語が進むうちにそれが明らかに、ということかと思えば、そういう話でもない。「何か」という存在が話の中心にあって、それについて彼らはひたすらに話す。

 一方外では、何か事件が起きている。それを彼らは知らないまま、話し続ける。

 「何か」について、男は忌々しく、女は愛しく思っている。その感情は伝わってくるけれど、最後まで、「何か」が何かはわからなかった。ともすれば冗長で難解と思われそうな内容だが……いや実際難解だが、絶妙な演出と俳優の演技で、私は一時間強、ずっとスクリーンに目を奪われていた。

 この俳優、見たことがある。

 髪型は違うし、この映画の中の方が若い気がする。私が見たのは最近のことだ。スクリーンの向こうではなくて、もっと身近な……。

『参ったなあ、何も思いつかないよ。佐東さん、君と仕事以外の話なんてしたことないんだよ』

 北林さん……?

 見舞いにきていた仕事仲間の一人、渋くて格好良い男性に、俳優はそっくりだった。


 やがて映画は終わる。見終わってから、私はこの映画を見たことがあるような気がしていた。そうだ、見たことがある。短いエンドロール。やはりその中に、北林という名前が載っている。

 何が何だか、混乱しているうちに、ぱっと場内の灯りがつき、スクリーン前のステージに司会者が上ってきた。はっと隣の席のことを思い出すが、結局山脇は戻ってこなかった。何をしているのだろう。

「いかがでしたでしょうか。皆さんのアンコールに応えて、五年前に公開された監督渾身の意欲作、『彼ら』を見ていただきました」

 中途半端な拍手が起こる。期待通りの内容ではなかったのか、このあとの監督の登場に気が気ではないのか。リバイバル上映だったから、私にも既視感があったらしい。きっと以前見たことがあったのだろう。しかしそれどころではない。私は何か、大事なことを掴もうとしている。今の音、何か、聞いたことがあるような。近頃ずっと、聞いていたような。

 司会者は話を進めている。

「では、今回のスペシャルゲストである、山脇昭浩監督をお呼びしましょう。監督、お願いします」

「……え?」

 わっと拍手が起こった。

 待ち構えていた観客たちが、一斉に手を叩く。

 その音。

 たくさんの人の、拍手の音。

 私の耳の奥に、ずっと響いていた。

 そうだ、雨音なんかではない。これは、拍手の音だ。

 壇上に、見覚えのある男が上る。いつの間にか、スーツを着込み、しれっとあいさつなんかをしていた。あいつ、私と映画を見ずに、何であんなところに。

 ……ああそうだ、あいつは監督だった。高校のときから映画を撮っていたから、あだ名もカントク。

 ……………そうだ。私は、思い出した……。

 あいつは高校が一緒で、私と同じ、映画界の人間で、それで、私の……。


「この間制作が発表されました新作ですが」

「はい。キャストは……もう、皆さんご存知かと思います」

「あの人気女優、佐東ちえさんを起用されるということで、注目が集まりました。いつも、ブレイク前の若手俳優を見つけて起用するというのが、監督のスタンスと思っていた人も多く、この度すでに充分な評価を得ている佐東さんの出演決定に驚きの声もあがりましたね」

「別に、名が出る前を狙っているわけではありません。私がほしいと思う人に、出演してもらうだけです。佐東さんは、前々からお願いしたかったのですが、なかなか機会に恵まれず……」

「そうなのですね。劇団出身の確かな演技力でデビュー作から一気に注目を集め、今やその地位を不動にしている佐東さんの演技を、山脇監督の采配で見られるというのは、いちファンとしてとても楽しみです」

「ありがとうございます」


 様々な疑問が解けた。

 病院に閉じ込めておいたのは、私が不用意に外に出るだけで見つかりかねない、いわば『有名人』の類いだったから。

 それと、私が出演した映画の公開が始まって、街中でポスターを見ることが多かったからだ。どうしてそう思ったのかはわからないが、彼らは私が自分の仕事を嫌っていると思っていて、不安定な状態の私を刺激しないために仕事のことを思い出させるまいとしていたのだろう。

 女優、佐東ちえ。

 それが私の職業だ。




 私はその日、渡された脚本を手に家路につこうとしていた。待ちに待った出演依頼に、一も二もなく答えたのだ。女優として食べていけるほどには仕事をもらえるようになったが、まだボランティアで出演できるほど余裕はない。私にも、私を支えてくれるスタッフにも生活があるのだ。その点、彼の申し出た出演料は妥当なものだった。

 ……私は彼の隣に立つことができるだろうか。

 大学時代、演劇に打ち込んだ。映画に転向してから、こちらの方が向いていると思っているし、この仕事を気に入っている。今、彼より私の方が、知名度も収入も勝っている。けれど、映画に対する想いは、彼に勝てるとは思わなかった。彼は、それがなければ死んでしまうのではと本当に思えるほど、映画を愛していたのである。

 そんな彼の映画に出て、私は認められるのだろうか。

 出演依頼はもちろんうれしかったが、そんな不安に、ときどき足を止めそうになった。彼にがっかりされたら、耐えられそうにない。

「ちえ。最近、元気ないわね」

 マネージャーの森にもそう言われてしまった。

「そうでもないのよ」

 ただ、怖いだけ。それと同じくらい、私は喜び、発奮しているのだ。それが表に出ていないだけ。しかし森には、私が、近頃騒いでいるストーカーに怯えているものと思われている。いくら否定しても強がりととられるので、諦めた。本当は『元気がない』と思われる態度を取らなければ良いだけなのだけど。

 ストーカーなんて、本当にどうでも良いのだ。私には映画がある。森がいる。……カントクがいる。

 森が、車を回してくれると言ってくれていた。しかし私は、なかなか来ない彼女にしびれを切らして、事務所のあるビルから外に出て、道路を渡ったところに移動していた。そこならば、駐車場から出てすぐの車線上で、転回する必要がないのだ。

 深夜。そこそこ大きい道路には車がまだそれなりに行き来していたが、それを囲む建物は、私たちの事務所のビル以外ほとんど灯りを消していて、辺りは暗い。私は街灯の真下に立って、封筒から脚本を取り出した。待ちきれなかったのだ。一ページ目を開く。カントクから、脚本の第一稿を渡された。彼の頭の中を、誰より最初に見られるのだ、この私が。

 高校生のとき、教室で脚本を渡されたときのことを思い出した。

 映画部の部長だった彼は、当時部外者だった私に主役の女の子役を頼んできたのだった。君しかいないと、普段冷静な様子からは想像できないほど熱心に誘われて、嬉しく思うより先に戸惑った記憶がある。あのときの映画が、私に演劇を志させ、そして映画へと向かわせた。

 今、こうなるなんて、10年前の私は想像もしていなかったな、と笑みをこぼした。仕事のことも、今こうして、彼を想っているということも。だってカントクは、私の好みのタイプにあまりあてはまらない。あんなひょろくて、鈍感な、映画バカ。


 ……一人でふふと笑う私は、ストーカーなんてどうでも良いと思っていた。過剰に反応する森に苛立ちすら覚えていた。つまり、すっかり油断していたのだ。

 左後方、目の端にぎりぎり映った視界で、壁から身を離した影を捉えた。

 そいつは素早く私の背後に回り、腕を掴もうとする。私は思わず身をよじり、偶然にもそれを免れた。

 振り返って確認した人物は全く知らない男だ。息が荒く、黒っぽい服を着ている。

「ちえ…」

 呼ばれた声にぞっと背筋が粟立つ。急いで踵を返して、駐車場の方へ向かった。道路を渡るのを待つのは怖い。駐車場に向かって行けば、森に出会えるはずだった。

 しかしヒールを履いた女の足では、すぐに追いつかれる。今度こそ腕を掴まれ、ねじり上げられた。

「離してっ」

 がむしゃらに腕を振り回し、ヒールで男の足を思い切り踏みつけた。

 手が離れる。不審者撃退の方法は間違っていなかったらしい。

 つんのめりながら男から逃れ、再び走り出そうとしたところで、手に持っていたはずのものがないことに気がつく。

「脚本……!」

 男はそれを捨てようとしたらしいが、私のすがるような表情に気がついてしまったらしい。紙の束を握りしめ、走り去ろうとする。

「待って! 返して!!」

 今度は逆に私が男を追った。誘い込まれているのかもしれないとも思ったが、かといって見逃すわけにもいかない。彼の、私の、映画なのだ。盗まれ、公表されでもしたら。いや、盗作されでもしたら。そんなことはさせない。これは私たちの……。

 飛び上がり、男の斜め後ろから、体ごと突っ込んだ。目指すはその手の中のもののみ。それをもぎ取って、私はその先には気づかなかった。

 男を突き飛ばしたその先、そこには手すりの向こうに、数mのコンクリートの崖があったのである。飛び込んだ勢いで、私の体はあっけなく手すりを乗り越える。

 地面の上に叩き付けられる前に私は意識を失ったが、その手の脚本だけは、しっかりと握りしめたのだった。



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