3rd Record:Lusifer③
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久々に投稿しました。AIRLINE3rdの第三話目です。紹介ではライトと述べていますが、今回はかなりダークです。話に区切りがつく4thまでご辛抱をお願い申し上げます。
【4th Flight】
喫茶店、翠園亭。
リリス・エレフセリアとミテラ・ツァールトの二人はテーブルを挟んで向かい合って座っていた。時刻は既に夜を迎えている。夕食も済ませ、皿洗いなどといった家事も二人は終わらせていた。
ミテラが主要な家事を全て片付けたところでリリスに提案したのだ。
――大事な話があるの。
それは本来ならリリスから先に切り出すべき誘い方だった。リリスがロージナからの使者と出会ってから一日後。自らミテラへ語り掛けるのを恐れていたのだ。
自分がカエルムに残ると考えているなら話す必要もない。だが、リリスはカエルムとロージナのどちらを選ぶか揺れている。それはロージナへ帰ってしまいたいと打ち明けたのも同然だった。
ロージナには自分の実の母親がいるのだ。彼女の顔をリリスは鮮明に思い出せない。けれども彼女の温もりをもう一度確かめたいと祈っていた。
「……お母さん」
そんな心境もクレインの話を耳にして更に揺らいだ。九年間、自分の帰郷を待ち望んだ実の母親。リリスは彼女の期待に応えたいとも考えている。
「はい、コーヒー」
迷いにのめり込んだリリスの前に一杯のカップが置かれた。中身は淹れたばかりであろうミテラ特製のコーヒーだった。
「ありがとう、ございます……」
リリスはミテラに差し出されたカップをすぐさま口元へ運んだ。緊張のせいかカップを持ち上げる手が震えている。
舌中に熱さと苦みの刺激が広がった。
「あつっ!」
突然の衝撃にリリスがカップからコーヒーをこぼす。真っ黒な液体が湯気を立てながらテーブルを流れていった。
習慣になっていた大量の砂糖を忘れていたのだ。その上、口に含むには適温ではないと知っていながら冷ます行為をしなかった。猫舌の自分を笑ってしまう程の失敗である。
「大丈夫?」
焦ったようで何処か冷静な様子のミテラがリリスの顔を覗き込んできた。彼女は同時にこぼれてしまったコーヒーも拭き取っている。テーブルの上を往復する白い布がすぐさま黒い液体に占領されていった。
「はい……。すいません」
「いいのよ。舌、火傷してない?」
大丈夫だ、とリリスが答える。
すると、ミテラは続けて何かを口にしようと息を吸った。だが、彼女はリリスから顔を逸らして発言を取り消した。
リリスは自分の義母が次に言おうとしていたことを曖昧には察している。普段ならミテラはここでリリスの行為を笑って辱めようとするのだ。次に自分は頬を膨らませて軽い反論を打ち立てる。それこそが九年という年月をかけて築き上げた親子の関係だった。
壊れたのはたった一日。いや、たった一時間程度の話し合いが原因だ。
「話、始めるわよ」
自分が頷くと同時にミテラはリリスの対面に座る。
「今日、学園の方から電話があったわ。それで学園長から全部聞いたのよ」
そこから先は予想通りの内容だった。リリスの生まれ故郷であるロージナから使者が来訪し、自分を実母の元へ帰そうというものである。
大体の事情を確認し終えた義母が重々しく溜息を吐いた。
「それで? 貴女はどうするつもり?」
「…………」
「選択肢は二つだけよ。ここに残るか、ロージナに帰るか」
言葉にして出せば簡単な話だ。奇しくもその二択は義母と実母のどちらを選ぶかという問題にも直結している。リリスがどちらかの飛行艇を選べば、必ずどちらかの母親と永遠の別れを強いられてしまう。
カエルムを選べば、自分と血がつながった実母に二度と会えなくなる。
ロージナを選べば、自分を育ててくれた義母に二度と会えなくなる。
「…………」
両方とも酷く窮屈な結末にしか至らなかった。
陰鬱な気分でリリスは左右に首を振る。
「ねえ。何か答えなさい、リリス」
ミテラの語勢が何処か強くなった。彼女の勢いに押されたリリスが動かしたくなかった唇を小さく開ける。
「わかり……ません…………」
自分の本心は迷い続けていた。出来ることならどちらも選びたくはないのだ。
「……じゃあ、話の筋を少しだけ変えるわよ」
リリスは前方で背もたれが軋む音を耳にした。恐らくミテラが椅子へと重心を預けたのだろう。
「リリス。貴女はどちらかを選ばなきゃいけないの。それを貴女は理解しているはず。でも、理解しているのと決断できるのとは全く違う」
一拍おいて、肝心の疑問が放たれた。
「――貴女、どちらかを必ず選べるわよね?」
「っ……」
己の下唇に歯を強く押し当てる。荷重した分の痛みが口中を駆け抜け、リリスは心に浮かんだ耐えられない傷を上書きした。
「顔を上げなさい。黙っているのをやめなさい」
母親の依然とした態度でミテラが要求する。あの会談前ならば、自分は当然と言った態度で受け止めていたであろう。
だが、リリスは面を伏せたままだった。
「…………」
「黙っていたら何も分からないわ。それとも他の誰かに結論を委ねる気? そんなことで納得できるような話じゃないでしょう?」
ボーデンにも注意されたことだ。お前にしか決められない、と学園長は自分を深く戒めたのだ。
言われなくとも分かっていることである。
心が苦しい。こんな迷いや別れへの恐怖は当事者である自分にしか背負えない。代わりに傷ついてくれる他人がいるなら押し付けたいくらいだ。
「わた、ひは」
舌がもつれて上手く喋れない。形にならなかった自分の思いが落下していった。未完成の言葉がテーブルに塗りたくられた頭部の影に飲み込まれる。
リリスはミテラの顔を見上げた。
その途端、彼女は憤慨するように口元を歪めた。怒気を含んだ眼光で自分を見返してくる。九年間の生活でも目の当たりにすることがなかった代物だ。
「そんな目で私を見て何になるって言うのっ?」
ドンッ。テーブルを拳で叩く音が盛大に響く。
彼女は娘を責めるように睨み付けていた。
「おかあ……さん……?」
リリスがミテラの変貌に唖然とする。今まででも厳しい一面はあったものの、このような敵意を晒した状態は初めてだ。下手をしたら邂逅当初のミエンよりも鋭い敵意が蠢いているのかもしれない。
「私にすがっても何も解決しないわ。これは貴女の問題なの! 貴女が自力で選ばなきゃいけないのよ!?」
自分を追い詰めようとする責任の数々に小声で反論する。
「でも、私は、お母さんのために……!」
頑張ってきた、そう続けようとリリスは更に息を吸った。
衝突事故を後ろめたく思っていたのは事実だ。だが、小鳥の操縦者として努力してきたのは全てが義母の為ではなかった。半分は自身が飛行する楽しさと喜びに浸っていたからだ。
だからこそ自分の本心ではカエルムかロージナかという選択に良し悪しをつけられなかった。どちらにせよ大天使階級の操縦者として飛ぶことには変わりがない。
「……お母さんの為に、ずっと、頑張って……」
これだけの感情を口にするだけでリリスの心は枯れ尽きていた。安らぎの水を自分の全身が欲している。
――私を必要としてくれる、誰かがいるなら。
自分の希望的観測を最も実現してくれる人物はすぐ目の前に位置しているのだ。リリスは心の底からミテラの愛情を求めて手を伸ばした。
――お母さんは……これからも私と一緒にいたいですか。
彼女の答えを聞けば、きっと自分は決心が付くだろう。
「うるさい」
吐き捨てられたのは、拒絶、だった。
「……………………え……?」
本当は捉えていた。
それでも事実として掴みとることをリリスは恐れたのだ。平常を装い、紛い物の微笑みを張り付ける。ミテラの冗談だと必死に自分を言い聞かせた。
「私が、いつ、そんな責任を取れって頼んだのよ?」
即席の笑みが破られた。
ミテラは偽りなく悪意を向けている。彼女の瞳は段々と細まり、リリスの思いやり自身を憎悪の刃で刺さり込んだ。
「勝手に抱え込んで勝手に償っていただけ。滑稽な喜劇を一人で演じていただけなの。……結局は無駄なのよ。何の意味もないわ」
目の前が真っ黒に染まった。
平衡感覚が異常なくらいに歪んでいく。気を抜けば一瞬で椅子から転げ落ちそうな気分だった。
「駄目になった私の代わりを貴女が継いでどうなるっていうの? それで私の症状が治るわけでもないでしょ!? 逆に私を余計に惨めにさせるだけよっ!」
もう両耳を塞いでしまいたかった。やめて欲しい、と訴えようとする唇がカタカタと小さく震えている。
「お……かあ……さん……!」
掠れた声で母親を呼びかけた。
対するミテラは爆発した感情の反動で荒々しく息を切っている。顔を真っ赤に染めながらも、憎悪を打ち込むことを止めようとはしなかった。
「誰が、何、ですって……」
――嫌です! 言わないでください!
懇願するリリスを余所にミテラは叫ぶ。張りつめた空気の中、その現実は二人だけの空間に酷く木霊した。
覆しようもない、絶対の事実。
「私は貴女の母親なんかじゃない!!」
リリス・エレフセリアは、ミテラ・ツァールトに必要とされていなかった。自分がここに居る理由は削られてしまった。
気づいたら正面に鎮座していたはずのリリスは飛び出していた。勢いで押し倒された椅子が床の上で派手な音を立てる。
ミテラは聴覚で発生したその異常によって冷静さを取り戻した。
「リリス……!」
急いで最愛の娘を呼び戻そうとする。
後を追おうと両足に力を込めて立ち上がった。だが、ミテラはそこまでの動作で追跡を完了させてしまった。
呆然とした表情でリリスの去った場所を目に焼き付ける。
「仕方、ないじゃない」
誰もいなくなった席に言葉を投げつけた。
「……何度も、何度も私は言ったのよ? 事故のことは何も考えなくていいって。あれは私の前方不注意が原因だって」
己が迂闊に口走った事実をミテラは激しく後悔した。あの少女は自分にとってかけがえのない大切な存在なのだ。先刻の様に疎ましく思ったことなど一度もない。
「それなのに、貴女……。馬鹿みたいに責任取ろうと頑張って……でも、結局は自分から飛ぶことに熱中したのよね? ……そうなのよね? そうだと言ってよ」
リリスの絶望に瀕した顔が目を閉じても浮かんでくる。
――ごめんね。だけど、私も貴女と同じなのよ。
姿が見えなくなった娘に胸中から囁きかける。実を言えば、ミテラはこうして築いてきた絆を粉々に砕くことこそが目的だったのだ。
「私が引き止めたら、きっとカエルムに残るんでしょうね。……それじゃ、駄目よ。私を嫌いになりなさい。そして本当の母親に会いに行くべきなのよ」
冷酷な虚勢を張っていたミテラはテーブルに両手を着いた。虚ろな脱力に体を任せようとする。二つの掌では体を抑えきれずに左右の肘を落とした。加えて低くなった視線を補佐するように上半身を軽く横たわらせる。
最後には腰から頭までを全てテーブルの上に敷くことになった。
「貴女が九年前の事故を償おうとするように……。私だって、貴女を不幸にしたくない」
自分の両目から熱い涙が流れ始めた。
「私のせいで、貴女が実の母親の元へ帰れる機会を潰すわけには……いかないでしょ?」
サファイア色の髪が濡れて顔に張り付いてきた。ミテラは鬱陶しく考えながらも退ける為の行動を起こさない。気力が欠けていたのだ。
…………私、母親失格ね。愛している娘にああまで酷いこと言っちゃうんだもの。
……いいえ。
お母さんと呼ばれる限り、私はあの子の母親には成りきれていない。……なりたかったなあ。あの子に本当の母親だって認められたかった。
ミテラは娘を泣かせた後まで自分のことを思いやる傲慢を笑った。
ふ、ふ、ふ、と自虐的な息が掲げられる。
「こんな私なんかが、あの子の母親になっちゃいけないわよ」
眼前の苦しみから逃れるように強く瞼を閉ざした。
反動で跳ねた雫に光が反射する。
閉ざされた瞳の向こう側で、蒼い輝きが一瞬灯って消えていった。
……結構、暗い。そんな印象が残ったでしょう。忠告ながら、次回もかなり陰鬱な話が混じってゆきます。4thにまで必要な伏線です。どうか、お付き合いいただけないでしょうか。因みに、この作品の感想が聞きたいです。
さて、本来なら3rdはこの第三話で区切りがつくはずでした。ですが、重い場面は執筆が遅くなってしまい、結局は分割になってしまいました。面目ありません。
……最後に、くどいようですが感想をぜひ書いてはもらえないでしょうか。それが私のモチベーション向上になります。要望もあったらどんどん書いてください! お待ちしております。次回でまた会いましょう。