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3rd Record:Lusifer②

遅くなりました。AIRLINEの最新話です。色々あって遅れたことを謝罪します。

【2nd Flight】

「へ? フリューさんって艇乗者セイラー希望なんですか?」

 図書館に並べられたテーブルの一つに座っていたリリスが、興味深そうに茶髪の背が高い先輩へ顔を向けた。

「ん、まあな。俺自身はそこまで凄い操縦技術は持ってないからな。せいぜい『カエルム』をのんびり操縦するのが性に合ってるのさ」

 リリスの対面に座るフリューは自虐的な笑みを浮かべていた。

 艇乗者セイラー。これは操縦者の一種に類する職業だ。彼らは『カエルム』といった巨大な飛行艇を小鳥と同じ要領で操縦することが義務となっている。都市型飛行艇は小鳥と同じエネルギーで稼働しているが、その運転に対しては性質的に人力で進めるしかない。そこで必要とされるのが艇乗者である。

 飛行艇の操縦は主に艇内のシステムに補佐される故、困難な点はあまり多くはない。だが、長時間の操縦を交代制で強いられる為に体力に秀でた者が優先される。

 そこまでの事情を思い返したリリスは、改めてカインドとフリューを見比べた。

「なるほど……確かにフリューさんはカインドさんと違って体力がありそうですしね」

「うん? 今さり気なく僕に反撃した?」

 フリューの左隣に座るカインドが穏やかな表情のまま首を傾げた。

 事実、二人を並べて観察すると差異が良く分かる。身長は同じ位なのだが、フリューグの方が筋肉質な身体つきをしているのだ。

「ま、それでもここの艇乗者は他と比べて成り難いんだけどなー」

 そう呟き、フリューががっしりとした肉付きの背中を椅子の背もたれに沿ってのけ反らせた。

「……『カエルム』って艇乗者の募集人数が少ないんですか?」

 彼のさり気ない示唆にリリスが訊ね返す。

「ん~。はっきりと分からねえんだ。どうも厳しい審査があるみたいでな。それに受かるのがまず難しいみたいなんだ」

「変……ですねえ?」

 元小鳥整備士だったリリスは飛行艇といった大型の機体にはあまり詳しくない。だが、この『カエルム』を操縦するにあたり、艇乗者はなるべく数が多い方が有利だと予想できた。

 人数が多いほど一人当たりにかかる負担は軽減できる。ましてや、小鳥と同類の操縦システムを採用しているならば特殊な才能も必要はないはずだ。最低限でも、天使階級さえ保持していれば十分だと考えられる。

 ――パンッ。

 不明瞭な謎に挑もうとするリリスの脳内が、大きな手拍子によって真っ白に変わった。

「はいはい。今はそれで悩む時間じゃないだろ、フリュー」

 リリスの考えを遮ったのはカインドだった。

「この課題をさっさと仕上げないといけないんだから」

 そう呟き、カインドはテーブルに広げてあった何枚かの資料を手に集めた。リリスも転校生ということで、学習の遅れを取り戻させる為の課題を幾つか出されている。

図書館に来たのもそれを済ませるのが目的だった。カインド達も同じ用件でここに来ていたらしい。

「カインドさん達は何を調べているんですか?」

「ああ、僕達は第二世代のことをちょっとね……」

 何故か言葉の切れ目でカインドの語勢が失墜したように思えた。だが、それを上回る様にフリューグが大きな声を出す。

「いやあ、お前も何でわざわざ面倒くさいテーマ選ぶんだか? 手伝ってやる俺に感謝しろよっ」

「手伝ってるも何も……お前もサボっているから一緒にやれって言われたんだろ」

 親しげに肩へと手を回すフリューグの腕をカインドが振り払った。

 束ねた資料に視線を降ろし、彼は口をすぼめる。

「確かに、第二世代へのインタビューまでしなきゃいけないのは面倒だね」

「……カインド、お前エグニーム家の長男だろ? 誰かこの世代の知り合いとかいないのか?」

 カインドが首を左右に振った。

「いるにはいるけど……皆カエルムにはいないんだ。僕の父も操縦者だったけど、ギリギリ第一世代の年齢だからね」

 そうか、とフリューグは名残惜しそうに相槌を打つ。

「…………カインドさん。ちょっとその資料を見せてくれませんか?」

 リリスは首を伸ばしてカインドの手元を覗きこもうとしていた。自分にはその第二世代に心当たりがあったのだ。

 向きを反転させた文字の羅列を数十秒眺め、リリスが良く通る高い声を発する。

「私、この人を知っていますよ」

「……え⁉」

 普段の付き合いでは滅多に聴けないカインドの驚愕が新鮮だった。

「この人です」

リリスは並んだ複数の単語からある人名を指さす。

 細い指が示していたのは『ミテラ・ツァールト』いう操縦者の名前であった。前後の文章を確認すると、ネア・セリニ学園でかなり活躍した生徒だということが分かる。

 カインドが隣のフリューグと目を合わせた。茶髪の二年生がすかさず無言で頷く。友人の答えを受け取った彼は正面の後輩を見つめなおした。

「リリスちゃん」

「はい?」

 二人の先輩は全く同時に頭を下げた。

「その人にインタビューできるよう話をつけて欲しい」



 ――翌日。リリスによる予約は成功となった、というメールがカインドの携帯デバイスに届いていた。日時は学園の授業が終わった放課後。カインドはリリスとフリューグの二人へ学園の入口にあるアーチで待つと連絡した。

「で、フリューグさんは不慮の事態で来られなくなったのですか?」

「いいや、リリスちゃん。こういう時はサボったと言うのが正しいんだ」

 学園名物の巨大アーチの下。カインドが待ち合わせと選んだ場所に現れたのはリリス一人だけだった。

 指定した時刻はとうに過ぎているが、フリューからの連絡は未だに来ていない。

「……仕方ない。僕とリリスちゃんだけで行くとするか」

 携帯デバイスのデジタル時計を確認した上でカインドはリリスに提案した。これ以上は時間的余裕が足りなかった。

「はい。私は大丈夫です」

「じゃ、案内を頼むよ」

「任せてください!」

 リリスが薄い胸板を右拳で叩く。

 彼女は自分を率先するように前方を歩きだした。小さな歩幅に合わせ、カインドもゆっくりと追いかけていく。

 目的の人物はある喫茶店で働いているという話だった。カインドは見知らぬ街並みを進みながら、後輩の慣れた足取りを不思議に考えていた。

 元々整備士の学校に通っていたリリス。そんな彼女が現役ではない第二世代と親しげに通じ合っている。

「ミテラ・ツァールト……か」

 名前から考えるに女性である可能性が高かった。学園での実績を見るに、かなり才能があった操縦者らしい。リリスとどういった接点があるのかカインドは少し気になった。

「何か言いましたか?」

「……ん? いや、ちょっとね」

 微笑を浮かべて彼女の質疑を何とか避ける。ミテラ・ツァールトは九年前に遭遇した大きな事故が原因で引退していた。それをわざわざ掘り下げるような発言は控えるべきだと考えたのだ。

「あ、着きましたよ」

「……意外と学園から近いね」

 リリスに言われてカインドは視線を上に向けた。

 こぢんまりとした小さな店がぽつんと立っていた。住宅地に埋もれたように並んでいる。

 木造風に趣向を凝らされた外見にカインドは好意を持った。看板には「翠園亭」と銘打ってある。学園では耳にしたことがない。店の立地や規模を含めて考えると、失礼ながらあまり流行っていないのだろう。

 そんな喫茶店の扉をリリスが遠慮なく押し開けた。

「遠かったら私が大変ですよ」

 入口に設置されたベルが来客の合図を鳴らす。

「え? 何のこ――」

 カインドはリリスが発した意味深な言葉に気を引かされた。

 だが、それは自分が尋ねる前に答えが出てしまう。


「ただいま帰りましたー。お母さん」


 目を皿にしてカインドは立ち止まった。

「……………………は?」

 リリスが見つめる店のカウンター。そこには一人の年若い女性の姿があった。サファイアのように蒼く輝いた髪が印象的だ。ストレートのセミロングは双肩に位置したエプロンの結び目をくすぐっている。

 彼女が「翠園亭」の店主なのだろう。他の店員がいるようには見えなかった。

「あら、お帰りなさい。リリス」

 青い髪をなびかせ、女店主が帰宅を告げたリリスに微笑む。

 外見や声の若さから二十代後半だと思えた。そして自分の前に居るリリスは確か十六歳のはずである。容姿としては残念ながら十三から十四歳が適正年齢だ。

 ――どちらにせよ、先程の爆弾発言の真偽は不明だった。

「リリスちゃん……?」

 カインドは自分の眉間を抑えた。様々な疑問が脳裏に浮かんでは消えてゆくのだ。

「あ、カインドさん。どうぞ我が家に入ってください」

「ごめん。そういう話じゃなくて…………、え、ちょっと……我が家?」

 脳内で冷静に情報を整理してゆく。

 自分達二人はミテラ・ツァールトという第二世代のパイロットに会いに来た。リリスの案内で辿り着いたのがこの喫茶店「翠園亭」だ。店員は一人の女性だけだった。彼女が店主であり、目的のミテラ・ツァールトであろう。

 そして、ここがリリスの我が家であり、ミテラがリリスの母親なのだ。

 抑えていた指先を離し、カインドは大声で叫んだ。

「えええええええええええええええええ⁉」

「あ、何か既視感がありますね」

 思いも寄らない事実にカインドは長い間愕然とし続けた。傍らでリリスが面白そうに頬を吊り上げている。

「とにかく……座ったら?」

 ミテラはカインドの驚愕を意にも介さず、手際よく三人分のコーヒーを淹れていた。


「リリス。貴女、何も言ってなかったの? ……そりゃ、驚くわよ」

「うにゅ~。忘れてました」

 呆れたようなミテラに言われ、リリスはしょんぼりと肩を落とした。

「いえ、もう大分落ち着きましたから」

 カインドは湯気が立つコーヒーカップを口元まで持ち上げた。芳ばしい香りが鼻腔を刺激する。黒い水面に映る自分の顔を数秒眺め、一口分飲み込んだ。

 砂糖を入れるのを忘れていた。

 だが、その存在が不要と思えるくらいに自分の舌は魅了されていた。

「美味しいですね。このコーヒー」

「そう? お口に合って良かったわ」

 一方、普段から飲み慣れているはずのリリスは卓上に並んだ砂糖の容器へ手を伸ばしている。カウンターの上から小さな白い壺を手に取り、彼女は純白の粉を黒い水面へ投てきした。一回、二回、三回と、総量が多くなってゆく。

 カチャカチャと付属のスプーンでコーヒーを混ぜ、かなりの糖分を含んだそれを呑み始めた。

「ふにゅ。甘くて美味しいです」

 右隣に座ったリリスが満足そうに吐息する。

「コーヒーの味が全く関係なくなっているっ」

 カウンターの向こう側に立つミテラが「そうそう」とカインドに尋ねかけた。

「カインド君。美味しいシュークリームがあるんだけど、食べる?」

「あ、私も食べたいです!」

「君はまだ甘い物を口にする気かい?」

「シュークリーム二つ。合計四百二十円になります」

「しかも有料⁉」

 聞き捨てならない台詞が更に重なる。

「カインドさん。ご馳走になります」

「何で僕が払うことになってんの⁉」

 さらっと頭を下げる後輩にカインドは絶句した。

「まあ、貰い物なんだけど……」

「それでお金を払えと言うんですか⁉」

 ミテラとリリスがそろって声を合わせる。

「「まあ、冗談だ(です)けどね」」

 ――カインドはこの二人が親子だと苦笑しながら確信した。自分が会話に入れない程、彼女の中は固く結びあがっているのだ。

「なるほど……君が以前言っていたのはミテラさんのことだったのか」

 ミテラが頷くカインドの言葉に目を付けた。

「あら、この子、私のこと何て言ってたの?」

「えっ……と」

 顎に手を添えてカインドは悩んだ。まだ半年も経っていない覚醒事件時のことである。今日まで色濃い生活を送ってきたので、思い出すには一定の時間が要求された。

「私は確か……その時……」

 リリスも当時の事柄に頭を抱えているようだ。

「「あ」」

 記憶の蓋がカインドによって開けられるのとリリスが顔を青ざめさせるのは全く同時だった。

「カインドさん、ちょ――」

 にこやかに待ち望むミテラ。カインドはそこに発火に必要な単語を投げつけてしまう。

「魔女」

 瞬きも許さない速度でミテラの左腕が動いた。

 右隣の後輩が咄嗟に頭を下げる。しかし、長い付き合いであろう女店主が先に下方へと軌道を修正していた。

 がしっ!

 リリスの頭がミテラの左手に捕まる。

「にゃああああ! 頭蓋骨が軋んでますよおおお!」

「おほほほほ! この子は何を言い触らしているのかしら~?」

 頬を引き攣らせたミテラがリリスの頭を押さえつける。リリスは自由に動く両腕を上下に振って何とか脱出を試みようとしていた。

 その横でカインドは涼しげにコーヒーを飲んでいる。いつもの位置を取り戻した自分の心境がとても清々しかったのだ。

「よりにもよって学園時代の悪名を口にするなんて!」

 少し咳き込みそうになった。本当なんだ……、と周囲に聴こえない程の小声で漏らす。

 カインドによるインタビューはそれから数分後に行われた。

 第二世代について。ミテラ・ツァールトはそのテーマに快く応じてくれた。だが、彼女は他の操縦者について話すだけで、最後まで自分のことについては語らなかった。

「………………じゃあ、僕はそろそろ帰りますね」

 卓上のコーヒーカップをカウンター奥に居るミテラへ手渡そうとする。

「あ、私がやりますよ」

 リリスもお客に手を煩わせまいと後片付けを手伝っていた。彼女の銀色に輝くお下げが細かに揺れている。ちなみみにその額は少し赤みを帯びていた。

「じゃあ、リリス。私はカインド君をちょっと送ってくるわね」

「助かります」

 自分はこの周辺を良く知らない。それ故にミテラの申し出は有難かった。彼女自身が案内の役割を果たしてくれる点は望んでもいないくらいだ。

エプロンを外しつつ、彼女がカウンターから出てくる。改めてミテラの全身を目にするが、リリスの母親と呼ぶには若すぎる外見であった。

「…………リリス」

 三つのカップを運ぶ娘に母親が指示を出す。

「それ、洗っておいてね」

「はい。分かりました」

 畏まって返事をするリリスにミテラは表情を変化させた。今までの微笑と華やかさを持ち合わせた顔に、一筋の悲嘆が差し込んでいたのだ。

 見知った人物しかいない環境下。

 普段の敬語交じりで喋るリリス・エレフセリア。

 その口調の不変が示す事実をカインドは容易に察することが出来た。

「また、明日。リリスちゃん」

「はいっ。また明日会いましょう、カインドさん」

 笑顔で見送る後輩を背にカインドとミテラは店から抜け出した。

 本日二度目となるベルが響く玄関の先。

 赤い陽光が双眸に突き刺さった。

「もう夕方ね。暗くなる前に終わって良かったわ」

「ここからは明るみに出せない話になるからですか?」

 ――ミテラ・ツァールトとの話はまだ終わっていないのだ。第二世代とのインタビューは完了したかもしれない。提出すべき課題は滞りなく進めだろう。

 残っているのはこれまでカインドの奥底でくすぶっていた疑問だけだ。

「嫌いじゃないわ。そういう皮肉的な表現」

「どうも」

 カインドはミテラの賞賛に肩をすくめて応じた。余裕のある言い回しをしたが、自分の内心は疑念で満杯だったのだ。焦りの裏返しと思われても仕方がない。

「……カインド君には感謝しているわ。リリスの才能を目覚めさせてくれたんだもの。それも大天使階級! 話を聴いた時はもうびっくりしたわ」

 本当に余裕がないのは対面しているミテラ自身なのかもしれない。彼女の言葉は情緒的な説得力に欠けていたのだ。

 一呼吸の合間が空き、ミテラはようやく話の腰を上げた。


「話せることだけ話すわ。……まずは、どうして血縁関係もない私達が親子なのか」


【3rd Flight】

 学園内の放送にてリリス・エレフセリアの名が呼ばれたのは放課後のことだった。

「呼んでるわよ、リリスちゃん」

 掃除当番として教室に残っていたリリスを一人の少女が呼んだ。

 ウェーブがかかった緑色の髪に凛とした態度を醸し出す眼鏡。彼女こそリリスが在籍する1―Dのクラス委員長アネット・レンヴェルフその人であった。

「珍しいな、お前が呼び出されるなんて」

 リリスと同じ掃除当番であるアネットの傍で、赤い短髪の少女が素早く箒がけをしていた。一年の力天使階級デュミナスクラスにして学園一の最速を誇る操縦者、ミエン・エグニームだ。その正体は加速狂アクセルホリックである。

「こっちはもうすぐ終わる。お前は行ってきなよ」

 速度を尊ぶ彼女は掃除の作業さえも素早かった。

 大分綺麗になった教室を見回し、リリスは彼女らに甘えることを選んだ。

「では、失礼します」

 教室の扉を真横に押し開けたリリス。

 自分がどうして呼び出されたのか。思い当たる点は幾つかあったが、とにかく内部と外部の境界線をまたぐ。

 清潔な廊下に短い足音が刻まれていった。

――この時点で、既に後戻りができなかったことをリリスはまだ知らない。


 放送で来るように指示された場所は学園長室だった。

「ここは初めて入りますね……」

 気後れした語勢でリリスは口ずさんだ。そもそもネア・セリニ学園の学園長自体が姿を現すことこそまれなのだ。

 学園長の名はボーデン・ディアスティア。

 またの肩書をカエルム総艇長。

 つまり、カエルムの最高責任者でもあるのだ。本業はもちろん総艇長である為、学園長として働く姿は滅多にお目にかかれない。呼ばれたリリスも彼に合うのは初めてだった。

「緊張しますね」

 リリスは慎ましい動作で学園長室の扉をノックした。力を抜いて叩いたはずだが、素材が特別なのか別段と良く響く。

 中から「入れ」という一言が発せられた。

「……失礼しまーす」

 重い扉を左右へと広げる。

「っ」

 リリスの小さな体が鋭い眼光に貫かれた。

 一目で学園長だと理解できる風格を持った男が座っている。彼が例のボーデン・ディアスティアだろう。その大きな体格は工場で務める男性の物に近く、外見だけを取れば艇長とはまるでかけ離れていた。

 そして、テーブルを挟んだボーデンの正面にもう一人の男が腰かけていた。こちらはボーデンと違い、知性に富んだ細見の容姿だ。リリスに向けられた視線は彼から発せられている。

 自分がそんな男性の存在を識別した途端、激しい動悸が胸の奥で唸っていた。直感的にリリスは己の身に降りかかった危機に気づいたのだ。

「どうして…………」

 目の届かない後方で両開きの扉が静かに閉まる。ぎぎ、と微かな音はリリスへと教示していた。

 退路は断たれた。

「ふむ。貴様がリリス・エレフセリアか」

 学園長の来客らしき男性が声をかけた。彼の両目はリリスを値踏みするかのようにせわしなく動いている。

 上から下へと細身の男性は自分を観察し終えた。

「なるほど。九年前から基本的に健康を維持しているな。…………外見は、まあ、不問として」

 聞き捨てならない発言が途中と最後に用意されていた。しかし、リリスは文句を口にできる程の気力を失くしている。

 ――ああ、この男性はあそこの人間だ。

 認めたくもない確信がリリスの思考を支配していた。

「私の名はクレイン。クレイン・ヴァイスハイトだ」

 細身の男性がリリスへと名乗る。

「飛行艇『ロージナ』の副艇長でもある」

 記憶の底が刺激され、視界に様々な映像が飛び出てきた。

 不安定に揺れ続ける操縦席。

 正面に飛び出てくる小鳥。

 そして、自分の頭上から垂れてくる真っ赤な雫。

「大天使階級、リリス・エレフセリアよ」

 ぐらぐらと震える自分の眼を余所に、クレインは立ち上がってリリスの前へと歩み出た。

 クレインはかつてリリス自身が見慣れた服装をしていた。整備士関係の恰好ではない。思い出したくもない忌まわしい記憶だ。

 軍服を連想させるクレインの制服にはある刺繍が施されている。リリスの瞳が否応なくその一か所に張り付いた。白い長方形の枠内に、左右に設置された黒い円。その二つにはそれぞれ上下左右対称に並んだ白い片翼が描かれていた。

 リリスが知る限り、そのデザインはある国の国旗として採用されている。


「私はお前を九年ぶりに故郷へと連れ戻しに来たのだ」


 他飛行艇との交流を完全に断った鎖国国家ロージナ。

 そこがリリス本来の生まれ故郷であり、九年前に抜け出したはずの国でもあった。


 リリスはボーデンに着席するよう命じられた。その位置はクレインの対面にしてボーデンの隣である。今のところ自分はカエルム側の人間だ。妥当の席順ではあった。

 ただ、その関係を変えるのがこの話し合いの意義とも言える。

 気づくとリリスの目の前にカップに注がれた紅茶が差し出されていた。以外にも艇長自ら淹れてくれたらしい。リリスは一礼を返し、熱を帯びたカップを口へと運んだ。

 口中にまろやかな甘みが広がった。これは砂糖ではなく蜂蜜によって甘味を足されているのだ。ボーデンの年齢相応の味とはとても思えなかったが、自分のような甘い物好きにはとても満足できる代物だった。

「……では、話の続きといこうか」

 クレインの鋭い眼窩が発した威圧感がリリスの身中へと伸びる。意識的には抗おうと体を突っ張らせたが、自分の体が強張っているのに変化はなかった。

「九年前、ロージナからある親子が無許可のまま小鳥を発進させ、逃亡を試みた」

 かつてのことを語り始めたクレインを見ていられず、リリスが面を俯かせた。

「逃亡先はここ、カエルム。当時は不法侵入扱いだった為、当然機体停止を呼びかけるカエルムの小鳥が数機発進していた。だが、不幸にもその時事故は起こった」

 滑らかな語勢が一旦途切れた。

 リリスは彼が自分の反応を確かめているのだと悟る。ここで視線を上げてしまえば、それは動揺している証拠となるだろう。かといって、無言で聞き流していていい話でもなかった。

「……衝突……事故」

 蓋をしていたはずの口が知らずの内に開いていた。リリスは瞬時に表情を固めるが、クレインが浮かべていた陰湿な笑みに手遅れだと知らされる。

「そう。ロージナ側の小鳥とカエルム側の小鳥が衝突してしまったのだ。ロージナの小鳥の操縦者は死亡。カエルム側の操縦者は幸いにも軽傷で済んだようだ。……あくまで肉体的な負傷に限定して、な……」

 次々と出てくる言葉の節々には自分へと向けた悪意が上乗せされていた。クレインが関与している話ではない。リリスは敵意を混ぜて一瞥し返す。

 だが、クレインは自分の睨みを歪曲して受け止めていた。

「おっと、九年前の事件だ。私はその時にはまだロージナの副艇長ではなかった。悲惨な事件だと思うが、私を責めるのは筋違いだろう。文句は当時の責任者に言ってくれ」

「…………っ」

 水中で空気を求めるようにリリスの唇が開閉する。結局はクレインの唱える本題が露わになるまで沈黙を尊ぶこととした。

 反論をしようにもクレインが語ったことは全て事実なのだ。永遠に癒えることのない傷跡を抉られるのも耐えなければいけない。

「話を戻そう。先程、ロージナからの逃亡者は親子だったと説明したな。父親とその娘だ。もちろん死亡した操縦者は父親の方だ。彼は娘を衝突から守って重傷を負ったようだな」

 リリスの双肩が震えた。その顔は真っ青に染まっている。

「唯一生き残った娘はカエルムのある操縦者に引き取られたようだな。だが、その操縦者はなんと…………くっ、くっくっく。すまない。つい可笑しくて笑ってしまったよ」

 唇を噛み、リリスは叫びたいのを必死に堪えた。副艇長の名を任される人格にしてはあまりにも無礼な態度だ。これは恐らくクレインの罠なのだろう。恩人を馬鹿にする仕草を取ることで、リリスの感情をコントロールしようとしているのだ。

 クレインは咳払いをしつつも、目元は取りこぼしたように笑っている。

 ――そこで、リリスが我慢ならずに口走ろうとした。

「お」

「操縦者の名はミテラ・ツァールト。元ネア・セリニ学園の生徒だ」

 溢れんばかりの甲高い怒号が手前で塞き止められた。学園長であるボーデンが自らかつての生徒を指摘したのだ。彼の落ち着いた低い声音はリリスの内面で静かに反響し、落ち着きを取り戻させる。

「彼女は衝突事故においては軽傷で済んでいたが、精神的に深い傷を負ってしまった。いわゆるPTSDというものだ。その事故以来、ミテラは小鳥に乗れなくなった」

 小鳥に乗れない操縦者。この事実は学園の生徒としては致命的な欠陥であった。そんな傷を負わせられた父親の娘を本人が引き取ったのだ。

 簡潔を極めたボーデンの事実確認はリリスの心を深く揺らした。

 けれども、事務的な口調であるが故に故意の悪意や同情は一切感じられない。今の自分にとってはそれが救いだった。

「…………」

 クレインがリリスの発言を奪ったボーデンを忌まわしそうに見つめた。だが、束の間に視線に宿した光を裏返す。

 事実だけを取り上げればボーデンが言葉に詰まったクレインの代行をしてくれたのだ。彼がカエルム総艇長に感謝を捧げるならいざ知らず、不満を突きつけるいわれはない。

「例の操縦者は転職し、事故で生き残った娘を養子として引き取った」

 短く巻き戻されたクレインの説明より先のことはリリスが良く知ることだった。

 ミテラに引き取られた娘は九年の間、無事に成長する。今年になって彼女は十六歳となり、九年前では予想もされなかった才能を開花させた。

 その娘が持っていた天使階級。

 ――それは、大天使階級。

「そして、その娘は今ここにいます」

 リリス・エレフセリアは意を決したように自分から告げていた。

 まるで罪を告白した如く重々しい空気が流れる。事実、リリス本人は途轍もない罪悪を感じていた。自分さえいなければ、あの母は優秀な操縦者として活躍していたはずだ。リリスはそれを妨げてしまったことを悔いていた。

「そんな辛い日々も今日で終わりだ。リリス・エレフセリア」

 ロージナの副艇長が放った表現にリリスが眉根を寄せる。

 ――ツライ? そんなことはなかった。母と暮らす毎日はとても輝いていた。ネア・セリニ学園で仲間達と過ごした日常は幸せに満ちていた。不幸だと表せる余地など一片もない!

「ふざけないでください。確かにお母さんの操縦者生命を奪ったことはずっと後悔しています。…………でも、それ以上にここでの日々は幸せだと感じているんです!」

 隣からボーデンによる自分を戒める声が飛ぶ。リリスは無意識に憤慨に駆られて立ち上がっていたのだ。

 お構いなしにリリスはクレインの企みを腹の底からぶちまける。

「貴方の考えは分かっています。九年経った今になって私を連れ戻そうとするなんておかしいと思っていましたっ。欲しいのはリリス・エレフセリアではなく大天使階級なのでしょう⁉ 残念ながら、私はここから離れるつもりなんて――‼」

 リリスが怒っていたのは一目瞭然だった。

 先程からのクレインは自分の状況を不幸だと罵っている。その上で、逃げ場所を用意したと言い加えて引きずり込むつもりなのだ。

 卑怯な手には乗らない! 

そう胸中で激昂したはずの自分の心情は一瞬で引き裂かれた。

「お前の帰りを待ちわびている者もいるぞ」

「ありませ――――えっ?」

 場に出された切り札のカードにリリスは思わず聞き入っていた。

「…………何を……」

 クレインを問いただすリリスは既に察している。帰りを待つ者。この存在を示唆されるまでは内面に押しとどめていた不安だ。

 だからこそ、リリスが尋ねたことは別な質問へと変化していた。

「だって……もう、九年も…………経っているんです……よ……」

 怒りの熱が逃げてゆき、代わりに自分を温かく見守る感覚が体を包んでゆく。

「九年? まだ二桁にも及ばない年数ではないか」

 注意を配っていたクレインの発言に段々自分が魅了されていった。リリスはいけないと考えながらも、嬉しさで頬を赤くしていく。


「大切な娘を……実の母親が簡単に忘れるはずがないだろう」


 ぽふ……、と力ない音を立ててリリスは再度座り込んだ。正確には支えきれなくなった体が近くのソファに倒れ掛かったのだ。

「さあ、リリス・エレフセリア。お前の母親が帰りを待ちわびている。私と一緒にロージナへと帰ろう」

「………………」

「……少し待ってもらえるか」

 思考を放棄してしまったリリスの代わりをボーデンが務めた。

「今日中には話が付く問題ではない。数日、彼女に時間を与えてはくれないか?」

 ボーデンの提案にクレインがわざとらしく首を縦に振る。

「ああ、それはそうだな。この子にも時間が必要だな。……しかし、私も長くは滞在できないのでな。そうだな、四日間なら十分だろうか?」

 四日間。これがリリスに与えられた猶予だ。

 カエルムを選ぶか。ロージナを選ぶか。四日後までその決断をしなければいけない。

「了解した。……言っておくが、最後に決めるのはリリス・エレフセリア。お前自身だ」

 傾けられた事実にもリリスは反応できなかった。ただ無言で下を覗くばかりである。

「ふむ。では、これで話は終わりだな。リリス・エレフセリアよ。ロージナへと帰る前にここでの未練は残しておくなよ?」

 クレインは最早リリスの判断を決めつけていた。彼が言い残した未練。それは明らかに周囲への別れを澄ましておけということだった。

「――――っ!」

 リリスは頭を下げたまま口を強く結びつけた。クレインの先走った見解を撤廃しようと思ったのだが、それでは本当に未練が残ってしまう。

 ロージナは鎖国国家。ここでどちらかを選んでしまえば、残った片方には二度と戻れなくなってしまうのだ。

 やがて、クレインが何の挨拶もなしに学園長室から立ち去った。実際はボーデンへと礼を残していたのかもしれない、だが、それも今のリリスには届かなかった。

 ボーデンとリリスの二人が残った部屋。

「もう一度言う」

 重く部屋内の空気に根付いたかのような声音が響く。

「全てはお前の意志で決まる。お前にしか、決められない」

 ――私の意志……。

 大天使の名を持つ少女は出口の見えない迷路を彷徨さまよい続けた。

今回は色々な事実が明らかになってきました。まだまだ隠された謎はあります。その辺りの伏線に気づいてもらえるとうれしいです。

ちなみに、私のもう一つの執筆作新『エクステンデッド・ドリーム』は不幸な事故で書いていたデータが消えてしまいました。次話投稿はしばらく先になってしまいそうです。

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