3rd Record:Lusifer①
ネア・セリニ学園の図書館。リリスはそこで自分をチビとからかう先輩に出会う。それは些細な日常の一部。何気ない生活のはずだったが――?
【1st Flight】
地上で起こった謎の大災害、『超重力爆発』から三十年。それ以来発生し続ける重力を備えた『黒雲』は、未だ勢いが衰えることを知らない。
だが、その歴史に応じて重力を抑制する技術も次第に発展していった。
大災害直後の操縦者――第一世代では完全に重力を中和しきれていなかった。天使階級の保持を確かめる術も未熟。当時は黒雲による死者も多数続出していた。
そして、次の第二世代にあたる操縦者。彼らは超重力爆発の発生時においてはまだ子供であった。第一世代が残した情報を元に、第二世代は小鳥の性能を順序良く上げている。また、統率を目的とした操縦者による組織もこの時代に幾つか設立されていった。
第二世代によって整えられた状況を引き継ぎ、最大の進歩を遂げたのが現在の第三世代だ。小鳥の機能も格段に上昇し、操縦者の育成も滞りなく進んでいる。現段階では黒雲による死者も全く出ていなかった。
都市型飛行艇によって空へと退避した人々は、今の世代になってようやく安全な生活を手に入れられた。安堵が心を埋め尽くし、空の住人は何の心配もなく飛行艇で暮らしている。
第三世代の操縦者は主に十代から二十代の若者だ。第二世代が立ち上げた組織の後押しもあり、人材は豊富である。
ただ、第三世代は第一・第二世代とは大きな違いがあった。
第三世代は飛行艇で生まれた者。
空の中で生まれて空の中で生きている。
彼らは、かつての地上を知らない。
ネア・セリニ学園の巨大な一角。そこは学園秘蔵の本が多く蓄積された図書館だった。図書館と言っても有しているのは本のデータである。携帯デバイスが一般化しており、大半の者は電子書籍を用いていた。
データの保存には細かい注意が施されており、図書館内は薄暗く、冷房によって最適の温度が常に保たれている。紙を束ねた本を溜めていた頃の雰囲気と殆ど相違はなかった。
そんな中、読書に合っているとはあまり思えないうめき声が響く。
「うにゅ~」
声の主は大きなデータケースの前で懸命に背を伸ばしている少女だった。蒼が少々混じった銀髪のお下げをなびかせ、ケースの最上段へと必死に手を伸ばしている。
――リリス・エレフセリア。かの伝説とされる『大天使階級』を持つ少女だ。
リリスは限界まで手を伸ばし、目的のデータが入ったカードを取り出そうとしている。カードは複数のセットで一つのケースに入っていた。一冊の薄い文庫本程度の大きさで、側面の下方に張られたラベルが内容の種類を示している。
「……こうなったら」
小さなケースなので、一旦手に触れれば容易に取り出せる。けれども、指先が接触するまでが大変困難だ。爪先立ちでも届かないと判断したリリスは、ついには掛け声とともに飛び始めた。
「えいやっ! てあっ!」
ぴょん、ぴょん、とリリスがお下げを揺らして跳ね上がる。
数回にわたる試みの末――この作戦も失敗に終わった。
学園史上、最も身長が低いとされるリリス。彼女の努力は無慈悲なデータの前で虚しく散ってしまう。
「う~」
リリスが最上の棚に収まったケースを憎々し気に睨み付ける。
ふと、彼女の視線が交差する箇所へと一本の腕が伸びた。
「ほらよ」
ぶっきらぼうな掛け声と共に、リリスの上空で目的のケースが取り出された。次の刹那、彼女は自分の頭に何かが置かれたのを察した。
すぐに落下しそうになった物体を両手で支え、自分の正面へと持ってくる。
間違えようもなく、リリスが取ろうと図っていたデータケースだった。
「ふーん、お前が噂の大天使階級か」
「ふにゅ?」
リリスは首を傾げて腕が伸びてきた後方を振り返った。
そこに立っていたのは背が高く、筋肉質な身体つきが目につく茶髪の男子生徒だった。首元に乱雑に巻かれたネクタイから察するに、カインドと同じ二年生の先輩である。
彼がデータケースを取り出してくれたらしい。リリスはすかさず感謝の意を表そうとした。
「――どうも、ありが」
「本当に小さいなー、お前っ」
あははははー、と自分より遥かに身長が高い先輩に頭をぽんぽん叩かれた。リリスはいきなりのことで目を白黒させる。
「お前みたいなチビは初めて見たよ。いやぁ、アイツの言う通り信じられないくらい小さいなっ」
素性も知れない先輩にからかわれていると悟り、リリスが怒りで顔を真っ赤に染めた。
「私は別にチビじゃありません! 貴方が大きすぎるんですっ!」
ふしゃ~、と猫の威嚇に類似して大きく開いた口で牽制するリリス。
だが、そんな反応にも彼は愉快そうな笑い声をあげるばかりだった。
「おおっ? 返し方がよりチビっぽいな! おもしれー」
再び、彼がリリスの小さな頭を軽く連打する。この時点でリリスは無礼な先輩の裏に潜んだ黒幕の存在を察した。
絶え間ない打診に抵抗したくとも、悔しいことに身長の低さによって叶わない願いだ。よってリリスは小気味良い音が鳴りやむまで思考の切れ味を冴え渡らせた。
「う~」
彼の発言からリリスのことを知っている人物の関与が推察できた。恐らくは彼の友人であり、リリスの知っている者だろう。更に、自分でも気にしている身長の低さを容赦なく突いてくる黒幕。
――どう考えても一人しかいなかった。
「……何やってんの? フリュー」
そんなリリスの推理が導いたように、図書館に新たな男性の声が加わった。柔和な口調ながら、今だけは不審な行動を取っている彼へとぶつけた困惑の意図も読み取れる。
フリューと呼ばれた男子生徒の真後ろから声は響いてきた。リリスは自分の考察があっていると確信しつつ、彼の後方へ顔ごと視線をずらす。
「……カインドさんっ‼ やっぱり貴方でしたか!」
茶髪の無礼な先輩を隔てた先。
これまた彼と同じぐらい背が高い金髪の男子生徒が立ち尽くしていた。顔立ちは温厚一色を漂わせた形だが、リリスはそこに途轍もない腹黒さが潜んでいることを知っている。
「おお、カインド」
自分の頭を叩き続けていた先輩が手の動きを止め、後方を振り返った。どうやら予想通りに彼とカインドは知り合いらしい。
カインド・フェン・エグニーム。ネア・セリニ学園の二年生にして名家エグニーム家の長男である。階級は能天使階級。リリスが大天使階級として覚醒する事件で一番の要因となった人物だ。
「リリスちゃん……とフリュー。君達は知り合いだったの?」
意外そうに尋ねてくるカインドを尻目にフリューが首を大きく左右へ振った。
「いんや。今会ったばかり」
「初対面でここまでチビ呼ばわりされたのは初めてです!」
腹立ちを露見したリリスの様子に、カインドがフリューへ戒めを言い渡す。
「フリュー。君のからかい交じりの挨拶はいつだって受け入れられるわけじゃないんだ。後輩相手にはもっと優しく接しないと」
案外真面目な忠告にリリスが同意して頷く。普段のカインド自身が棚に上げられた発言だったが、この茶髪の先輩に対しては有効な一手だと考えられた。
「だってよー」
フリューが首筋を大雑把に指先で掻きつつ、カインドに視線を合わせる。
「このチビの反応が面白くて……」
「そうか、なら仕方がない」
「何がですか⁉」
掌を返したカインドの妥協にリリスが驚愕する。
「仕方がなくありませんよ! もっと忠告してくださいよ、カインドさんっ!」
「うーん。フリューの言うことにも一理あるし……」
「どこにあるんですか⁉ 私がチビでからかい安いという点のどこに一理あるんですか⁉」
「ごめん。前言を撤回するよ。全ての真理はフリューに味方しているっ!」
「何故ここでドヤ顔を⁉ 自分で言っててちょっと無理があるかなー、って思いましたけど、カインドさんが自慢げに言わないでくださいー‼」
憤慨で感情のパラメーターを振り切ったリリスが、カインドの正面まで小走りで移動する。そして、弱く握った両拳でカインドの胸元をぽかぽか殴っていった。
「あははは。本当に面白いチビだな、お前」
リリスとカインドのやり取りを眺めていたフリューが笑い声を上げる。
「チビじゃありません!」
きっ、とリリスの双眸が後方へと振り返った。
「おいおい、どう見てもチビ――」
「リリスですっ」
フリューが出かけていた言葉を押し留める。幼さを感じさせる顔立ちの奥に凛とした風格が漂っていた。少女が匂わせた毅然さにフリューが想定外といった表情を見せる。
「私は、リリス・エレフセリア、です! チビなんて名前じゃありません」
「……ははっ、面白いだけじゃねえな」
短い微笑をフリューが携え、交互にカインドとリリスへ視線を当てる。リリスは視野上部で先輩同士の秘匿性が高い意思疎通があったと直感した。
最後に、茶髪の生徒がリリスへと右手を差し出す。
「フリューグ・アミスターだ。フル、フリュー、って仲間には呼ばれてる。よろしくな、リリス・エレフセリア」
微々たる損害も与えられないカインドへの打撃を中止し、後ろへと体の向きを整えるリリス。彼女は自分の右手を黙ってフリューの方へと突き出した。
久しぶりにAIRLINEを投稿します。ついに物語の真髄に切り込んでいく3rdに入りました。お話を覚えてもらう為、最初は少なめでお送りします、どうぞ、読んでみてください。
前書きでなんかそれっぽい書き方をしていますが、正確には次話から本格的に話が展開されていきます。次の投稿もなるべく早目に仕上げたいと思います。