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4th Record:together⑥

約一か月ぶりに投稿しました。時間を空けてしまい申し訳ありません。

【6th Flight】

 リリス及び、彼女の関係者が通されたのは学園の会議室だった。長方形のテーブルが四角の辺を作る様に並んでいる。上座を占領しているのは使者であるクレインだ。カエルムの総艇長ボーデンがその対面に座した。

 左右平等の距離が保たれた席を、リリスは一番に選んだ。自分が話題の中心となる。最初に着席するのは自然だったのだが、どちら寄りの位置を取るかは迷ってしまった。

後にリリスの隣をアネットやミテラが埋めていく。ミエンは何故か会議室の外に留まっていた。心細くて仕方がない。彼女の胆力を分けて貰いたくなり、リリスは背後の扉へと意識を回そうとする。

「では、始めようか」

 クレインの声が針の如くリリスの神経に突き刺さった。もう少し待って欲しい、と頼みたくなる。

「……すぐに終わる」

 しかし、彼はリリスの不安を読み取った上で宣言していた。安心しろ、と言わんばかりの微笑がリリスに向いた。ロージナへと大天使階級を連れて帰れる、という未来も彼の顔にははっきりと刻まれている。クレインはリリスがロージナへの帰還を決断すると確信している様だった。

 ――まだ何も言っていないのに。

 むくむくと反発心が芽生える。

 気構えはどんどん尖ってゆき、そして、すぐに萎えた。

 私はカエルムに残るとさえ、口にしていない。そんな私があの人を敵視するのは、お門違いなのでしょうね……。

「リリス、ちゃん?」

 囁きによってリリスは我に返った。アネットが心配そうに自分の顔を覗き込んできている。笑顔を真似ようと、反射的にリリスが口元を動かそうとした。

「大丈夫」

 台詞を奪われてしまった。

 彼女の言葉が胸に染みる。自分の葛藤を既に理解しているのだろう。承知の上で、アネットは負担をかけてこなかった。信じてもいい。リリスは優しさに顔を温め、無言のまま首を縦に振った。

「――はあっ?」

 折角養った安堵が大声で吹き飛ばされた。聞こえて来たのは背後からで、叫んでいるのはミエンだった。

「時間を稼げっ!? 何言ってんだ、兄貴! それよりも、早くここに――」

 ミエンの話し相手が一瞬で分かり、リリスは極端に目を開いた。どうやらミエンは会議室の外で誰かと電話していたらしい。その相手は彼女の兄に当たる人物、カインド・フェン・エグニームとしか考えられなかった。

「何を……話して」

 扉の向こうを気にかけ、リリスが椅子から立ち上がろうとする。

 とん、と打音が会議室に響いた。

「随分と面白い話をしているようだが……時間をかけるつもりはないぞ?」

 クレインがリリスを引き止めた。彼の声音に思わず鳥肌が立つ。

リリスはカインドと会話を交わす事は叶わないと悟った。カインドが会議室に来るまで、最低でも十分はかかってしまうからだ。

 リリスに問われる問題はたった一つ。

 ロージナへ帰るか、カエルムに残るか。この二択から片方を選ぶのに、下手をしたら五分も要しないのだ。短い時間内に彼が到着できるかはあまり期待出来ない。

「……我が校の生徒が粗相をして済まない。彼女を室内に居れても大丈夫だろうか?」

「ああ。構わない。何しろ大天使階級の御友人なのだ。別れを告げるには今しかない。多少の失礼は大目に見るとするよ」

 承認を終えるや否や、ボーデンが会議室の扉を開ける。紙状の携帯デバイスを睨んでいるミエンの後姿がリリスの横目に映った。通話終了の表示が画面に表示されている。カインドとは連絡が切れたのだ。

 ボーデンから入れと促され、荒立ったミエンが会議室へと入室する。彼女の着席を見守り、総艇長は引手に指をかける。茶色い両開きの扉が再び閉ざされていった。

「ふんっ」

 盛んな鼻息と共にミエンが腰を据える。機嫌が悪いのは誰の目から見ても明らかだった。

「ど、どうしたのよ。……お兄さんは何て言ってたの?」

 付き合いの深いアネットが恐る恐る尋ねた。第三者が居る場なので、小声で彼女等はやりとりを交わしている。だが、リリスはどうしても聴覚を済ませてしまった。二人の話が耳に流れ込んでくる。

「時間を稼げ、だとよ」

「それは聞こえてたわ。その理由をミエンには言わなかったの?」

「……どっか寄り道するって」

 ――寄り道?

 アネットの鸚鵡返しと胸中の呟きが重なった。リリスは引き続き情報の収集に努める。もっとカインドについて把握したかったのだ。

「何処に寄るっていうのよ?」

「知らねーよ。あたしが尋ねてもすぐ近くとしか言わねえんだ」

「何しに」

「そこは訊けなかった。急ぐ、って切りやがったんだよっ」

 リリスから席一つを隔てたミエンが踏ん反り返る。腕を組み、兄への憤りを露わにしている。ボーデンが厳つい視線で彼女を戒めたが、治ったのは姿勢だけだった。態度までは良好に至っていない。

 カインドが欠けているが、クレインはその場に揃ったリリスの関係者を見回した。ボーデン、ミテラ、アネット、ミエン。彼等の様々な顔色を疑いつつ、クレインは遂に案件を語り始めた。

「さて、諸君等に集まってもらったのは他でもない。リリス・エレフセリアの今後についてだ。……既にご存知かもしれないが、彼女はカエルムの出身ではない。我が国――ロージナの住人だったのだ」

 一呼吸を挟み、クレインは再びリリス達を観望した。

「…………」

誰も異論を唱えようとはしていない。ロージナでリリスが生まれたのは事実。おかしな点点もなく、直後に訪れる要求を断りたくても、時期はまだ不相応だった。

「九年前。あろうことか彼女の父親はロージナから無断出国し、逃亡した。その行き着いた先がここ、カエルムだ。無断出国はロージナにとって罪である。しかし、逃げてしまった彼を罰したくとも、不幸な衝突事故で既に亡くなっている」

 ミテラの肩がびくりと動く。彼女は話に上がった衝突事故の被害者であり、後遺症として小鳥を操縦出来なくなっている。忌まわしい過去を示され、無意識に動揺を示していた。

 彼女の反応に、クレインは全くの興味も抱かなかった。それどころか、更に語勢を盛り上げていく。

「問題はここからだ。父親が死亡し、リリス・エレフセリアは仕方なくカエルムで生活する事となった。そして数年後、彼女はカエルムにて天使階級の検査を受けるも……結果は無し。小鳥の操縦者としての未来は絶たれた――と思われた」

 饒舌に語るクレインを、アネットが腹立たしそうに睨み付ける。話の具合からして彼はカエルムを見下す傾向にあった。正確には、自分が住まうロージナ以外を容認していない口振りである。

 アネットの隣に座るミエンも眉を顰めていた。彼女は目前の男が発する雰囲気事態を毛嫌いしている。内容の云々以前に、ロージナ副艇長の本質を見抜いていた。

「ある日、リリス・エレフセリアは小鳥へと搭乗することとなった。偶然だ。……単なる偶然。だが、その偶然は奇跡を引き起こした!」

 芝居かかった口調の矛先はリリスだった。捕食者の如き怪しい眼光に捕まったリリスが、緊張と硬直に全身を晒してゆく。

身体が言う事を聞かなかった。

ごくり、と生唾を呑む音が自分の内側から響いていた。

「一世代に一人としか出てこないと言われる大天使階級。――その二人目が、一人目の居るカエルムから発見されたのだ! これを奇跡と呼ばずして何という!? その報告を聞いた時、私は純粋に貴国を祝福したものだ」

 クレインはこれまでの出来事に酔っている様だった。その素振りを傍から眺めていたリリスは少しだけ気味悪がる。純粋、とは縁遠い企みが隠れていると感じたからだ。

「……そして、大天使階級の存在が世間に広まっていく最中、私達は君がロージナの出身だと知った」

 声の調子が真実味を帯びていく。上っ面の演技と相反して、彼の言葉はリリスの両耳に深く刻まれた。

「リリス。エレフセリアを故郷へと連れ戻す。……それが、それこそが、私の使命だ。九年間の空白があろうと、君は伝説の大天使階級だ。皆が受け入れてくれる。さあ、ロージナへと帰ろう」

 知的に見えた強面が崩れ、リリスに柔らかな笑顔を向けた。

「…………っ」

 自分が揺れている、とリリスは自覚する。選択の針がロージナとカエルムの二つを忙しなく指し示す。クレインの高説が正論だと認めたくなっていた。駄目だ、と己に言い聞かせても、彼への警戒を解いてしまいそうになる。

「……九年間」

 リリスの隣から、訝しげな声が発せられた。

「九年間も放っておいた癖に、それは都合が良すぎませんか?」

「ほう? どういう意味かな? それ、とは」

 クレインの鋭い眼光がリリスから外れ、真横へと移動した。次に対峙したのは、理的な表情を持ち合わせた少女だった。

 彼女はゆっくりと立ち上がり、最初に一礼を施した。

「アネット・レンヴェルフです。リリス・エレフセリアの同級生、及び……親友です」

「……アネット……さん?」

 委員長の肩書を持つ眼鏡をかけた少女が、クレインと真っ向から面していた。

 当の本人は驚いて見上げるが、アネットは気付いていない。多弁を延々と並べたクレインに固執している様だった。

 決して友好的とは言えない声音で、アネットが直球の疑問をぶつける。

「九年間……いえ、そもそも逃亡した時点から、リリス・エレフセリアを連れ戻せば良かった筈です。だけど、貴方達は放置する事を選んだんじゃないのですか? そして九年が経った今になって、彼女が大天使階級だと知り、慌てて連れ戻そうとした」

 その先は流石のアネットも語らなかった。しかし、室内の全員が結論に待っている意味合いを受け取っていた。

 個人の帰還ではなく、優秀な操縦者の確保だけが、ロージナの望みである。

 アネットの声なき声が痛い位に耳へと染み込む。同時に、彼の顔は変幻自在だと驚愕していた。クレインは段階的に語り、心を揺さぶろうとしていたのだ。

「ふむ、若干…………解釈が違うな。長年探していた国民が、大天使階級として有名になった為に見付かったのだ」

「では、リリス・エレフセリアが大天使階級ではなかった場合、どうするつもりだったのですか」

 もしもの前提を尋ねられ、クレインが面白そうに鼻を鳴らした。眉間の辺りを指先で摘み、失笑を誤魔化している。

「勿論、探していたさ。……逆に聞くが、どうして探さない等と考えている?」

「それは――っ」

 返答に詰まり、アネットの勢いは失速した。下を向いて、落し物を探す様に視線を彷徨わせている。続くべき言葉は中々見つからなかった。認めたくもないが、アネットはクレインに言い負かされたのだ。

 アネットが論争の根拠に選んだのは倫理的思考である。あの場合はこう思ったのだから、以下の様にすべきだった。現状は違っているので、前述の如く感じていなかった。故に、ロージナへ帰ってはならない。そうした論法を彼女は考えていたのだ。

「どうやってその判断を着ける? 感情論で話を進めていては、下らない水掛け論にしかならない。もう少し現実を見つめる事を推奨しよう、アネット・レンヴェルフ」

「く……」

 クレインは彼女の戦法を逆手に取っていた。ロージナはきっと九年間も自分の探索に当てていない。長すぎる期間はまるで脆弱部だった。しかし、見つからなかったから探していない、も通じはしないのだ。

 アネットにも相手の嘘を暴く事は出来ない。飛行艇としての矜持は傷付くかもしれないが、今はこうしてリリスの存在が知れ渡っている。そこまでの証明は不可能であるが、これからの姿勢は幾らでも整えられた。

「……九年間も異国で一人にさせたのは済まないと思っている。だからこそ! こうして迎えに来ているのだよ」

 副艇長の地位にある男は畳みかける。彼も頭が回る、と思い知らされた瞬間だった。

「分かり……ました」

 悔しそうに俯きながら、アネットが着席する。

「ふむ。他に疑問がある者は居るかな? 居ない様なら、話を元に戻そう」

 会議の流れが再開しても、その空気は同じとは言えなかった。クレインが数秒の時間を待ってくれたが、無言だけが時間を埋めていった。

 猶予の時刻は過ぎ、クレインが大天使階級を手中に収めようとする。

「本題は言ったな。後は、リリス・エレフセリア、お前の判断を聞くだけだ」

「わ、た、し、は……」

 リリスが唇を震わせる。答えるべき言葉を思いつかず、ただ戸惑うばかりだった。崖の縁に立たされていたのは疾うの昔に知っている。それでも、リリスの心が決まる事はなかった。

 ここまで粘るには意味がある。自分でも把握しきっていないが、カエルムに残りたいという気持ちが強いのだ。だが、ロージナを選ばなければ、生き別れた実母には二度と会えなくなるのだろう。

 か細い声で、リリスはクレインに思いを訴えた。

「ママに……会いたいです」

 隣に座っていた義母のミテラがどんな顔をしているのか。怖くて、直視出来なかった。九年と言う長い歳月を世話になったのだ。そうした恩義を忘れた娘だ、と批判されているのではないかと恐れてしまう。

頼んでもいないクレインの笑みだけが正面を横切った。俯いていれば、誰の顔もリリスの視界には触れてこない。周囲の人間を疎ましく感じ、リリスは更に首を曲げようとした。

耳の中で、不思議な音響が広がる。

――だめ。

数時間前に聞いた幼い少女の声がリリスの失意を妨げる。残響なのか区別がつかなかったが、自分は彼女に共感していた。これではいけない、と。

「そうか……! ならば、ロージナへと」

 先程の発言を誤解したクレインが、リリスをかつての故郷へと誘う。

 ……せめて、自分の言葉で言ってしまおう。事情がどうとかを考えないで――もっと、気楽に。もっと自由に。

 仮面をつけた役者を見上げ、リリスは否定を掲げた。

「でも、カエルムに残っていたいです」

 鐘の如く、会議室に静寂の波紋が広がっていく。リリスを中心とした音響は、クレインを暫くの間だけ黙らせた。

「そんな事が可能だと思っているのか?」

 演技の狭間から、冷徹な権力者の顔が覗いた。クレインはリリスを敬う立場をかなぐり捨て、鋭い声音を振りかざしていった。

「君のお母さんは我が国にいる。そして、我が国は他国との関係を断っている。この二つがどう関係しているのか、分かっているのだろう? 私がこうしてカエルムに来ているのは特別だ。……今後、この様な使者はロージナからは出ない」

 段階を踏んで、クレインは要約する。

「ロージナへと帰れば、君が他国へと行く事は殆どないだろう」

 覚悟していたとはいえ、実際に耳にするのは辛かった。誤魔化しのない真実が、リリスの胸に突き刺さる。推測でしかなかった恐れが現実味を帯びてしまった。

副艇長のクレインが口にしたのだ。大天使階級をみすみす手放すつもりはない、と。これはロージナ全体の意見だと考えても良い。ここでの選択によって、リリスはロージナと言う鳥籠に囚われる事となる。

嫌だった。本音を言えば、誰とも別れたくなかった。我儘だと大人に罵られようが、自分はこの願いを貫きたい。

「……クレイン、副艇長」

 そんなリリスの心を汲んだ様に、ミテラが申し出る。

「お言葉ですが、その様な考えならば……リリスは、私の子供《、、、、》は、預けられません」

 子の思いを知る母親がクレインの前へと立ちはだかった。サファイア色の髪を揺らし、アネットを習ってミテラは直立する。

「リリス・エレフセリアは、たった一ヶ所に留まっていい操縦者ではありません。カエルムに残り続けるかどうかは本人の自由です。……しかし! リリスを何処かに縛り付けるのは許しません」

 声を張り上げ、ミテラが主張する。彼女の風貌は凛とした威厳を備えていた。譲れない一線を下に踏みとどまっている。

「お……母……さん?」

 急遽として異議を申し立てたミテラに、リリスは驚いていた。彼女へと呼びかけたが、ミテラは気にも留めずに続けた。

「大天使階級は、一世代に数える程しか生まれません。それをカエルムや……ロージナと言う飛行艇の規模で閉じ込めてはいけないんです」

 クレインの眉が不愉快そうに吊り上がる。

「君がロージナの操縦士となった場合、私と同等――いや、それ以上の地位が与えられるのだ。これでも、我が国では不十分だと言いたいのか?」

 首を横に振り、ミテラは告げた。

「いいえ。これはロージナに限った話ではありません。私は……このカエルムだけにも留まって欲しくはないのです。リリスに…………私の娘に、もっと多くの道を見て欲しいと私は思っています」

 ミテラが両腕を広げた。その仕草は広い会議室の壁を越え、蒼天の世界へと伸びてゆく。

「この空には、様々な飛行艇が――国が飛び回っています。カエルムとロージナが異なる様に、それらには各自の生活があります」

 それがどうした? と、クレインが視線で異議を唱える。

 だが、相反するかの如くミテラの声量は増大した。広げた腕の関節を伸ばしきり、広大な空間を抱こうとしている。

「リリスにはそうした世界を見る権利が! 行ける翼があるんです!」

その叫びによってリリスは架空の蒼天を目の当たりにする。操縦士としての足を模した腕に記憶が蘇ったのだ。

蒼一色の光景。そして、自分の身体を覆う女性の腕。

淡い水蒸気の群れだけが境界を引く世界へ、背後の女性はゆっくりと指を指す。果てが見えない空気の海を自慢する様に、彼女は笑っていた。

 その微笑みがとても綺麗で、誇らしげで、自分は気付かぬ間に憧れていたのだ。

 ミテラ・ツァールトの夢を奪った事にずっと責任を感じていた。しかし、それ以上に彼女の夢が輝いて見えた。リリスも同じ道を進んでみたいと思った。

 リリス・エレフセリアの今を作ったのは、確かに彼女なのだ。血のつながりなど関係ない。

この人は、やっぱり私の母親なんだ。

――気づけて、良かった。後悔をしないで、私は飛んでいける。

リリスの瞳に涙が滲んだ。それを周囲に悟られる前に、リリスは指先で拭う。

悔しさや驚き、感動で閉じていた口が開いた。束縛と正面から対峙をし、逃げずに結論を出した少女は言う。

直後。考え抜いた末の答えが、会議室内に短く響いた。



 二つの足音が廊下を駆け抜ける。

「お、おい! そんなに走って大丈夫なのか、カインド!?」

 後方を走る茶髪の男子生徒が問いかけた。体躯の良い彼からの疑問を受け、前を走るカインドは叫ぶ。

「時間がないんだ!」

 金色の髪をなびかせ、カインドがリリス達の居る会議室を目指す。胸中では焦りを募らせていたが、頭だけは必死に冷静さを保っていた。

 ――まだ、仮説にしか過ぎないけど……。あれ(、、)が、僕の望んだ最高の手掛かりのはずだ!

 先程の行動と推論を脳内に巡らせつつ、カインドは正面へと加速していく。身体が鈍痛の悲鳴を上げる。気を抜いたら倒れてしまいそうだった。実際に自分の具合を心配してフリューも追ってきている。

 胸が苦しくなった。立ち止まって空気を吸いたいという欲望が生じる。後続の友人と比べて昔から体力がない方だった。ましてや小鳥の操縦で全力を使い果たした後だ。自分でも無茶のしすぎだと理解出来た。

「い……そげ……っ」

 しかし、カインドは妥協を許さなかった。精神の鞭を両足に打ち、ひたすら床を蹴り続けた。ばくんばくん、と鳴り響く心臓。逸る気持ちと消耗された体力が混じり合い、カインドの聴覚を縁まで満たしていった。

 数秒後、カインドの目が会議室の扉を捉えた。

「ここだっ」

 誰に言うまでもなく断言をし、カインドが取っ手を握る。回すと、がこんと重い音が鳴った。金属独特のひんやりとした感触が掌に密着する。カインドは息を止めつつ、一思いに目前の扉を開け放つ。

 両開きの扉が会議室の光景を晒していく。端同士の隙間が徐々に大きくなっていった。

 視界に、銀色のお下げを垂らした小柄な少女が飛び込む。

「リ――」

 カインドが真っ先に少女の名を呼ぼうとした。だが、それよりも早く彼女の周辺を見据えてしまう。

 ミテラ、ミエン、アネット。自分よりも先に集まっていた彼女等は誰も芳しくない顔色だった。少し離れた場所に座っているボーデンは不愛想に表情を固めている。対して、扉の向こう側に座っている男性の表情は異様に浮いていた。

 満足げに、笑っているのだ。

「――リスちゃん?」

 言い知れぬ不安を覚えたカインドの呼びかけが、小さく窄んでいく。場の雰囲気だけでカインドは何が起こったのか悟っていた。けれども、声に出す事は躊躇われた。

「…………」

 無言で正面を見つめるリリスの横顔に、カインドは勇敢とも呼べる凛々しさを目撃した。

 まさ、か。

 走った影響で熱の籠っていた肉体が冷える。心臓が凍り付いたかのように、極端な寒気を感じる。自分の頬に流れたのが汗か冷や汗なのかも判断が付かなかった。

 ふと、誰かの喉が少女の名前を口にした。

「リリス・エレフセリア……」

 乱入した自分に気づいての事なのか。リリス達の奥を陣取っていたロージナの副艇長が吊り上がった唇を開いていた。笑いを隠し切れない表情で、カインドを意識した上で、鋭利に事実を発する。


「……よくぞ、帰還を決心してくれた。我が国(ロージナ)大天使階級(ルシフェルクラス)よ」


カインドが会議室に到着したのは、リリスがロージナへと戻る事を決めた数秒後だった。




一週間後に更新したいと思います。

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