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第三十九話:人の願いが、想い人への愛を抱きとめた女性

第三十九話

 海の日、学園に通っている俺らはまだ夏休みだ。

「おはようございます」

「はい?」

 朝七時…誰かがやってくるにはまだ早い時間帯だ。うちの両親は引っ越す前の家に居る事が多い為、基本的にこの家に居るのは俺だけだったりもする。

「あれ?住良木晶先生と…」

「一樹です」

「海です」

「江利奈です」

 教師が一人、執事が一人、メイドさんが二人だった。鈴のところにいる使用人さん達だ。掃除洗濯料理洗車ペットのえさやりと言ったお世話がお仕事らしい。最近ではデバガメ根性も強くなってきているようで鈴と一緒に居るとこの人たちを見かけるんだよなぁ…。

「一体、どうしたんですか?」

「実はお嬢様のお母様である黄金椎様が帰ってこられました」

 それだけ言われても良くわからなかった。とっても怖いんだと言う情報しか知らないんだけど…。

「お兄ちゃん、今日は海の日だから任せて」

 そういって確か、住良木兄妹長女の海さんが出てきた。

「挨拶をするのは初めてだと思います。住良木海と申します」

「あ、これはどうも…」

「実はお願いがあるのです。迷惑とは思いますが…こちらに住まわせてもらえませんか?」

「お願いします」

 他の住良木さん達も、俺に頭を下げている。

「いきなり言われても良くわからないんですが…とりあえず中に入ってください」

 一体何だと他の住人達が俺達の事をみている。そりゃそうだ、執事やメイドさんに頭を下げられているんだし…仕方がないだろう。外で話をしていたら他の人たちがなんだなんだと顔をのぞかせているし、変に詮索するのも、されるのもまずい気がした。

 俺を含めて五人がリビングに入るとそれなりに暑い。冷房をつけて、話を再開する。

「要約すると椎様はとても怖…厳しい方でして、機嫌が悪いとこうして避難…ではなく、一時的に住まいを探さなくてはいけないのです」

 これまでは山に潜んでいたり、ビルの一室を借りて隠れていました…とは住良木兄妹からの情報だ。山に居る時はゲリラ戦があったとか…ここ、日本だろう?

「あの、余所様の家庭に口をはさむようで悪いんですけど…そんなに住良木さん達に辛く当たるような人なんですね」

 窓際を撫でて埃を確認する着物を着た女性を想像してしまう。

「またまたーいずれ余所様なんて言えない立場になっちゃうと思いますよ」

「すでに巻き込まれているような気がするんですけど」

「気のせいです…今回は旦那様のR18指定の本がばれてしまったのが原因です」

「いずれ旦那様もこちらにやってきます」

「は…はぁ…危なかったっ」

 転がるようにして初老の男性が家に入ってきた。

「鈴のお父さん…」

「季吉さんで結構だ…誰かお茶を頼む」

 立派なスーツには一体何の傷なのか…刃物跡が残っていたりする。背中にはナイフとか手裏剣とか、とりあえずとげとげしたものが刺さっている。

「あの、大丈夫ですか?」

「あ、ああ…危なかった。あそこで右に飛んで居たら今頃刺さっていた。と、冬治君、住良木達に話は聞いたかね?」

「は、はぁ…一応は」

 背中にモロ刺さってますよと言ったほうがいいのか?

「そうか…わたしからも改めて頼む!生活費も出すし、絶対にここがばれないように約束する…君の身の安全だって保障する…この通りだ!」

「お願いしますっ!!」

 住良木さん達も頭を下げた。季吉さんってこの前テレビに出てたんだよなぁ…そんな人が俺に頭をあげるなんてよっぽど奥さんが怖いんだろう。

「…いいですよ、どうせ俺の両親は当分こっちには来ないみたいですから」

「やった!ありがとう!」

 季吉さんの後ろで住良木さん達が大喜びだった。晶先生なんて涙を流している。

「冬治君、鈴に黙ってエッチな本を隠してはいないか?」

「は?」

 言っている意味が良くわからなかった。

「怒っているわけではないんだ…鈴は小さい頃からわたしたちのやり取りを見ている。悪い事は言わない、今すぐ捨てたほうがいい」

 住良木さん達も頷いていた。冗談とか、茶化すとか、そんな雰囲気じゃなくて…踏み絵に挑む信者の表情もこんな感じかな―と思いました…まる。

「こっちには無いですよ」

 まだ向こうの家に残っている。こっちはこっちで買えばいいかぁと思っていたからな。

「そうか…それは良かった。住良木達、冬治君の家の家事は一樹に任せた」

「はい」

「海は冬治君の護衛、江利奈はわたしの護衛だ」

「わかりました」

「はい」

 一体これから何が始まるんだ。

「冬治様、これから外に出ませんか」

「え?」

 まだ八時前だ。

「近くの喫茶店に顔が利くところがあるんです。改めてそこで話をしたいのです」

「ここじゃ駄目なんですか?」

「狭いですから。まとめて捕らえられた時の事を考えるならやはり別行動が最適です。万が一の事を考えたほうがいいでしょう。」

 他の住良木さん達も頷いていた。

 万が一って、何なんだ。

 海さんの必死の形相に俺も流されてしまい、誰もいない喫茶店へと入る。

 目の前の海さんは水色のシャツにジーパンというラフな格好だった。変装しているそうだ。うん、一瞬前にはお手伝いさんの姿だったのに…さすが、着替え術を習得しているのか。

「お嬢様は一途に冬治様の事を想っています。冬治様の気持ちはどうであれ、これは認めてもらえますか?今回は急ぎの用件なので仮定でも構いません」

「は、はぁ…」

 薄々は気付いていたけど、人から教えてもらうと何だか嫌だよなぁ…しかも、急ぎの用件って…。

「今現在だと冬治様に一方的にお嬢様が気持ちを向けております。椎様と旦那様は夫婦ですので両想いです」

「そうでしょうね」

 鈴の家は季吉さんが婿養子でやってきたそうだ。

「ですが、季吉様は好色でして…椎様の留守をいい事にR十八の本を買って部屋に隠すのです。ざっくり言うのなら椎様はこの行動がとても許せず…手当たり次第に破壊しつくします。別荘が四件、車が三台廃車になっているのです」

 それは夫婦喧嘩…か?

「そんな人間、いるんですか?」

「椎様、そして旦那様の会社…黄金薬品会社では人体強化の薬も作っているのです。お嬢様が椎様と旦那様の愛の結晶であるのなら、椎様が作り出した薬は旦那さまへの想いの結晶でしょうか…その薬を椎様はご自身に使用したのです」

「あのぅ、それが浮気とかそう言ったものを許さない薬なんですかね?」

 副作用で凶暴になったとか?

「いいえ、本来は季吉様を看取る為に長生きする薬です…副作用であんな風になってしまわれたんです」

 あんな風っていったいどんな風だ。

 俺の顔にその言葉が出てたのか、震える手を押さえて海さんは続ける。

「……げんこつで、地面を割りますよ」

 成るほど、あんな必死になって逃げるわけだ。

「それ、普通に人間死ぬんじゃないんですか?季吉さん、これが初めてではないんですよね?」

「旦那様はこれがやめられないんだと言っていました。椎様は元来体の弱い方でしたからだだっこパンチのようだとこの前病院のベッドの上で教えてくれました」

「季吉さんはからかっているつもりなんでしょうね」

「そうだと思います。これも一つの愛情表現なのでしょうか」

 変な性癖の人だ。

 もっと話そうかと思っていると携帯電話が鳴り響く。海さんのものだ。

「緊急の集合がかかりました。まだ、冬治様は大丈夫だと思いますのでここから避難しておいてください…そうですね、学園方面へ向かってください」

「わかりました」

「何かあったらすぐに連絡をお願いします」

 お金を海さんが払って、俺達は別れた。

 俺は、夫婦喧嘩に巻き込まれた…のだろうか?

 他の家の、しかも、後輩の家の夫婦げんかに巻き込まれるなんて早々ないだろう。

 完全に余所様を巻き込んで…夫婦喧嘩をやるのは楽しいだろうか。

「…俺は嫌だなぁ」

 たとえ、結婚してもそうなるのだけは絶対に避けたい。

 海さんが俺に学園の方に逃げろと言ったので大人しく学園側へとやってきた。まぁ、こちらの方は家の周辺よりお店とかが多いので悪くは無い。

 曲がり角を曲がると、一人の女性がいた。

「…鈴、じゃないな」

 鈴によく似た女性だった。和洋折衷な服を着ていて、その人だけ他の次元の人みたいな…何だろうか、はっと我に帰るような恐怖と、美しさを持つような女性だ。

 ああ、わかった。

 今すぐに逃げたほうがいい相手だ、この人は。魔王が居たら多分、こんな感じ。

 相手は俺の事を知らないようだし、このまま道に迷った風に後ろを向いて逃げる事が出来れば…

「あれ?冬治さん?」

「……」

 どうやら店から出てきたらしい俺の後輩、黄金鈴。背後をとられた。

 目の前で誰かを待っていた様子の女性は俺の事を見て、次に鈴を見た。

「鈴ちゃん、お知り合い?」

「はい!この人が冬治さんです」

 鈴という壁は無くなった。しかし、今度は逃げる事が精神的に不可能になったのだ。

 挨拶をしないわけにはいかないだろう。

「えっと、初めまして。白取冬治です」

 目の前の女性…鈴の母親、椎さんは鈴のお姉さん…というにはさすがに無理があったけども、季吉さんに比べればかなり若い。歳の離れたお姉さんなら、多分納得するだろう。

「わたしは鈴の母親、椎と言います」

 でも、妙な話だ。

 てっきり魔王か悪魔か、アサシンみたいな姿を想像していたので目の前の女性が季吉さんのような男性をどうにかできるようには見えなかった。

 雰囲気としては魔王だろう…でも、見た感じは華奢な女性なのだ。

「貴方は、鈴ちゃんの想い人出そうで…」

「お、お母様!」

「あらあら、まだそう言った間柄ではないのね。ごめんなさい、鈴ちゃん」

「…あ、あはは…」

 俺が彼氏だったらまた違うやり取りがあったのだろう。

 でも、完全に外堀は埋まっているようだ…。

「季吉さんは冬治君についてどう言っていたの?」

「お父様は構わないって…言ってくれました。きっといい夫になると…」

 顔を真っ赤にしてはにかむ鈴に母親である椎さんはほほ笑んでいる。

「そう、後は鈴ちゃんが待つだけね」

「はい…」

 そう言って俺の方を見てきた。うう、喋り辛い…。

「あ、えっと、買い物中だったんですか?」

 話をそらしたほうが精神的によさそうだ。

「ええ、家族水入らずで」

「あれ?季吉さんも来るんですか?」

 来るんですか?そう言おうとしたら目の前の女性から日常では味わう事ができない、素っ裸でサバンナを歩くような感覚を教えられた…気がした。

 大気が揺れて、悪寒が走る。足がすくむなんて日常生活じゃ滅多に起きないだろうな。

「今、お母様とお父様…喧嘩しているんですよ」

「ええ、そうなの。困った人でね、ちょっと浮気性のある人なの」

 今頃、季吉さんはくしゃみをしている事だろう…俺の家で。

「本当に、困った人だわ」

 そういってよよよと泣き崩れた先の標識を…握り、潰した。語弊があるな。ちょっと握っただけで千切れたのだ。

「…す、鈴は身体が弱いけど、椎さんは強いんですね」

 物理的に。

「冬治さんには話していなかったもしれません。実は、お父様とお母様の家は薬品会社で…売ってはいないんですけど、お母様の趣味で色々な薬を作っているんですよ」

「へ、へー…」

 海さんに説明してもらった通りだ。

「恥ずかしいけど、季吉さんの最期を看取る為には長く生きなくてはいけないというちょっと青い考えで、ね。元は身体が弱くて…薬の使い過ぎで鈴ちゃんに…影響が出てしまっていたの」

 薬をある程度使った後に妊娠が分かったそうで、それ以降は使わなかったそうだ。もし、続けていたら鈴が…恐ろしいほどの強さで生まれてきた事だろうと椎さんに言われた。

「わたしのせいで鈴ちゃんに辛い思いをさせてしまって…申し訳ないわ」

「お母様、でもそのおかげで冬治さんに出会えましたから」

「そう言ってくれると救われるわ」

 子供の事を本当に思っていると、あんなに優しい笑顔が出来るんだろうなぁ…。

「鈴ちゃんこの後は冬治君と一緒に遊んで来なさい」

「えっと、でもお父様探さなくていいの?」

「大丈夫よ。冬治君、鈴ちゃんをよろしくお願いします」

 そういって深く頭を下げられた。

「あ、頭をあげてください椎さん」

「挨拶に来てくれる日を楽しみに待っていますよ」

 椎さんはそれだけ残して行ってしまった。

「あ、あの、冬治さん…これから一緒に遊びに行きませんか?」

「ああ…あのさ、一つ、聞いていいか?」

「はい、なんでしょう」

「……夫婦喧嘩って、椎さんと季吉さん、するのかな?」

 あんな優しそうな人が刃物で追いかけ回すとは思えなかったのだ。

「冬治さん、浮気は…いけない事ですよ」

 それ以上、聞けなかった。


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