ゆき
頬に十字傷がある男は目を覚ました
目の前に土の天井が見える
ここは…………洞窟だろうか
頭がぼんやりとして何も分からない
周りを見回すと、看病してくれたのであろう一人の少女が眠っている
肌が白く綺麗な黒髪がとても魅力的だった
他にも部屋の外で音が聞こえる
何人かいるみたいだ
もう一度、少女に目を向ける
ちょうどその時、少女が目を覚ました
二人の目が合う
「オトコメサマシテル、ヨカタヒトヨンデクルネ」
少女が何かを言っているがよくわからない
言語が異なる
どうやら、どこか知らない国に漂着してしまったみたいだ
少女はそのままパタパタとどこかへ行ってしまった
男の脳裏に、少女の姿が残響のように焼き付いた
ゆきは拾ってきた男が目を覚ましていることに気づいた
目を覚ましたら呼ぶようにと、医局長に言われていたため、言伝通りに探しに部屋を出た
数分経ち、ゆきは一人の女性と共に男の元に戻る
その人の名前はさくら
この洞窟内で一手に医者の真似事をしている40歳前後の女性である
さくらはすぐに診察に取りかかった
頬に傷のある男の瞳孔や、外傷の診察など体の隅々まで調べた
一通り終えて、さくらがゆきに声をかける
「大きな外傷はないわね、今は軽い脳震盪を起こしてボーッとしているけれど、すぐに治ると思うわ」
「そうなのね。助けられて良かったわ!」
ゆきは安堵の声を上げる
「そうね。でも、一つ問題があって、彼……きっと日の本の人間ではないわね」
少し困り顔でさくらが話す
「それは、どういう問題なの?」
「おそらく、言葉が通じないわ。だから、彼がどこの誰なのか調べるのが大変だし、どうやったら故郷に帰せるのかもわからないわ…………ま、そこは連れてきたあなたが責任持って頑張って世話してあげなさい」
そう言い残して、さくらは部屋から出ていった
後には、男とゆきだけが残されていた
「あなた、名前はなんていうの?」
「…………?」
男からの返事はない
じっとこっちを見ているだけ
その雰囲気から言葉が通じていないのがよくわかる
…………
「もう……仕方がないから、勝手に呼び名を決めるわよ。
……そうね……その頬の傷、風車みたいだから颯にします…………
もしいつか、私とおしゃべりできるようになったら本当の名前を教えてちょうだいね」
そういってゆきは自分の小指と颯の小指を無理やり結んだ
颯はなされるがまま小指を結び、よくわからないままニコニコ笑っていた
そこから、ゆきと颯のドタバタな日常が始まった
初めの頃は、颯と意思疎通をとることもままならず多くの苦労を重ねた
それはまるで大きな子供と小さな親のようだった
それがだんだんと、身振り手振りが上手くなり、簡単な意思疎通ができるようになった
それがさらには、簡単な単語を理解できるようになる
そしてついに、颯は片言だが日本語を理解し話せるようになった
もちろん、ちゃんと意思疎通をとるためには身振り手振りはまだまだ必須だった
そんな日々も一年続けば、全てが変わる
颯は日本語を習得した
ゆきなしでも問題ない日々を送れるようになった
しかし、残念なことも一つあった
颯はあの日以前の記憶を無くしていた
ゆきが一方的に結んだ約束はまだ果たされてはいなかった
いつからだったのだろうか、ゆきにはわからない
それでも気づいた時にはもう手遅れで……
ゆきは颯に恋をした
一方、颯もゆきを愛おしく思っていた
初めて見たあの日から、一瞬たりとも色褪せることなく
むしろ日を追うごとに深く色づくように
二人が初めて出会った日から約2年の月日が流れた
ゆきと颯はこの地で、何十年ぶりかの結婚をすることになった
もちろんこれは特例であり、洞窟の中に男が暮らしていたからこそできたことだった
だからこそ雰囲気だけ
ちゃんとした形をとっているわけでもなく、御神酒もない
本当に皆の前で宣誓する程度のもの
…………そのはずだった
多くの人がゆきの行動力を侮っていた
その優しさを理解できていなかった
砂浜で命を救うということがどう言った心境の変化を促すか理解できていなかった
この洞窟には出口が三つしかない
その全てで一つ規則があった
ゆきは16歳まで通してはいけない
その規則は、多くの人が半年もしたら頭の片隅に追いやったが、忘れたわけではなかった
だからこそ、ゆきは外に出られない……普通なら……
ゆきは海にもう一つ自分専用の出口を新たに掘っていた
流石にまともな道具を持っていないのだから、そう簡単に掘れるようなものではない
とくに少女の力では
少女の力だけでは……
けれど、ゆきには颯がいた
ゆきにベタ惚れの颯が
彼女のお願いを断れない筋骨隆々の男が
ゆきは、一年弱でその入り口を作り上げていた
そして、誰にも気づかれないよう夜な夜なこっそりと砂浜を見回っていた
それは、颯を見つけてしまったからこその行動
もしかしたら、他にも人が流れ着く人がいるかもしれないという不安
もしまた見つけたら、颯と同じで助けられるかもしれないという過信
そして何より、颯の知り合いがもし流れ着いた時のためにという慈愛
それらの感情が、ゆきに第四の出口を作らせた
自分のためではなく、他者のために
その思いで、命を危険に晒した
そして、ゆきは結婚式のために、この入り口を利用した
普段ならば、絶対にしない使い方
自分のためだけにそれを使った
御神酒を手に入れるために
言い換えれば、それほどまでに颯との結婚はゆきにとって大事だったのだ
その日、外に出たゆきは帰ってこなかった




