039 蠢動②:篭絡の算段
懐から火種入れを出し、蓋を開いて種火を燭台に移す。
たったこれだけのことなのに、片腕なのでいちいちローチェストなどに物を置かないとままならないのが、腹立たしい。
「居間で良いな。ついて来い」
パティソン準男爵が案内する。安普請とまではいかないが、応接間はおろか客間もないと伝える義理はない。
ユィユィはへらへらと媚びて返事をし、蝋燭灯りを頼りに後に続いた。
「あ、そだ……お貴族様、これ」
無造作に渡してきたのは証書のようだった。
「本当、ユィユィ読むます。でも、むつかしい。お貴族様、読むのが良いです」
「後にしろ。今は生憎、燭台で腕が塞がっている。『ごめなさ』は無しだ。良いな」
居間の椅子に着き、文面を燭台で照らす。
曰く――パティソン準男爵に従事した者の失踪が相次いでいると判明した。
同氏並びに同氏所領を捜査、執行するにあたり、次の者を全権者に推薦する。
特務護律官ユィユィ・テンツァイドッター。
推薦者――護律協会情報局、情報管制室臨時付専任補佐官、トトセ・アキラ。
承認者の氏名と捺印が続いている――。
(やはりか)
パティソン準男爵は燭台を卓に置き、背筋を軽く伸ばした。
下から照らし出された表情に、揺らめく影を落としている。
「先祖代々、少々潔癖が過ぎやしないかと指摘を受けてきた。爺様の談だ。私も常々反省に努めているところだが、困ったことに血は水よりも濃い。気の合うような使用人を見つけられず、とっかえひっかえ。彼らには苦労をかけてしまった」
「それ、不忠者言うます。お貴族様、お恵みくれる。下民嬉しい。それ、わからない。おかしい」
初めて話がわかる小娘だと思った。パティソン準男爵は関心をおくびにも出さないが。
「不忠者、どこ行くます?」
「故郷に帰した。道中苦労をさせない程度に握らせてな。連続失踪の話なら私もかねてから耳にしている。一体何の因果か見当もつかないが、何であれ彼らの身を案じない日はなかった」
「労しいです。準男爵様」
ユィユィが目元を指で拭った。素直な田舎娘は扱いやすくて助かる。
「私にできることなら協力は惜しまない。民の安寧を守るのは持てる者の務め……もっとも、木っ端貴族に過ぎない私の力は、たかが知れているがな」
失った腕を掲げて見せる。こうすると、高潔さという空虚のみで紐帯を示しつつ、出費や実務を相手に押しつけられる。
「ありがた……ます」
「今夜はもう遅い。続きは明日にしてくれ。祭服など窮屈だろう。楽な格好で休んで――」
「あら、あなた、どなた?」
暗闇から透けるほど薄いネグリジェの女性が現れる。パティソン準男爵は肝を冷やした。
「お前、客前でそんな恰好……」
パティソン準男爵があられもない姿の女性を背に庇いながら、ユィユィに取り繕う。
「リベット、私の妻だ。リベット、こちらは特務護律官のユィユィ女史」
あたふたとユィユィが席を立ち、お辞儀をする。
「カヴァラン族、テンツァイの娘、ユィユィです」
「まあまあ、可愛らしい護律官様だこと。こんな夜更けにお一人かしら?」
【何やってんのよ。護律官なんか入れて。バカじゃないの】
パティソン準男爵の耳元でリベットの声がした。リベットはユィユィと会話している最中だ。
耳元に蚊が止まって、か細く羽音で人語を奏でている。
「大事な話があるんだ。今日のところは泊まってもらおうとね。着替えの用意があれば良いんだが」
「大事な話?」
【血を嗅ぎつけた協会のイヌに、私のおべべを着せようってかい】
蚊が耳元で鳴く。リベットが振り返ると、充血させた目で夫を睨みつけてきた。
パティソン準男爵はただ、重く頷く。
ユィユィは隙だらけだ。慎重に事を運べば、これまでの従者と同じように捌けるはずだ。
護律官の失踪ともなれば、夜逃げの準備をしなければならないのが口惜しいが。
「疲れているはずだ。うちの寝床でも、ぐっすり眠れるはずだ。大事な話なら、頭をすっきりさせてからの方が良いだろう?」
「……そうね。ねえ、あなた。これでも私、霊髄壁穿孔大隊で鞘女だったこともあるのよ。マイケル・スコットと、リベット・モーニングデュー。……って、知ってる訳ないわよね」
ユィユィがきょとんと首を傾げる。リベットは艶っぽく潤む唇で笑んだ。
「可愛らしい後輩が我が家に来てくれて嬉しいわ。何のお構いもできないけど、ゆっくりなさいね。……不便なところだから来るのにも一苦労だったでしょう。私ので良ければ、寝間着に着替えてお休みになったら?」
恐縮するユィユィにリベットが微笑むのを認め、パティソン準男爵は安堵を覚えた。
護律協会の判断は正しい。従者は全員、リベットが吸い尽くしてしまっている。
銀糸の祭服を着られたままでは、人外の力を誇る妻でも太刀打ちできない。
幸い、この護律官は間抜けそうな面をしている。土着民ながら貴族への恭順意識も備えており、格好の獲物だ。
服を脱がせ、眠りに落ちた隙にユィユィを始末する。
限られたやり取りで、リベットもそれを理解してくれた。
そして、パティソン準男爵自身も、欲望の捌け口にあやかりたいところだった。
リベットは味変を好む。男女問わず、行為中の多幸感や、親類が犯される様を目にして生じる混沌とした情念、それらが血の味に表れるそうだ。
血の味わいのことはよくわからない。しかし、幼げな下民に高貴な血を授けると思うと、中々どうして股座が熱くなる。
護律官であるならば、寝込みに触媒を没収しなければ返り討ちに遭うだろう。
没収する算段を立てていたところに、電話が鳴った。
「ぎゃっ!」
準男爵夫妻の注意が逸れた刹那、リベットの顔から爆炎が噴く。




