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無原罪御宿の吸血鬼  作者: ごっこまん
4.Εὐλογητοί

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035 死線を潜り抜けた後に⑧:名づけの参考に

 朝食後の約束だった露術訓練は延期された。


 エリーにしてみれば踏んだり蹴ったりだけれども、今回ばかりはやむにやまれない事情がある。


【本でも何でも良いから字の書いてるもん読ませろ。ガキの名前の参考にしてえ】


 いつになくアルフレッドが人間に配慮している。この椿事を逃す手はない。


(まあ、延期であって中止じゃない分、前進しているってことにしておきましょ)


 イーリャも事情を説明すると、割とすんなり納得してくれた。


「そういうことでしたら、当家の書庫にご案内しましょう。ご参考になるかは定かではありませんが」


 そうして案内された書庫は慎ましくも、前言が謙遜に聞こえる程度には書架に厚みがあった。


 そうして今、ひんやりした書庫内でアルフレッドは黙々と本に目を通している。


 イーリャの監視付きで。


   【


「そう言えば」


 同じく本を読んでいたイーリャが、ふと紙面から面を上げた。


 露術で作った水のレンズ越しに、彼女本来の柔和な眼差しがあった。


「こうして何でもないときにご一緒するのは初めてですね」


「黙れ。読書中に話しかけるな」


 これを読書と呼んで良いのかしら。エリーは意識の内側で首を傾げた。


 書見台を掻き集め、所狭しと並べた本が一斉にパラパラとめくられている。


 それを読んでいるのはエリーの身体を借りたアルフレッドと、血が擬態した目と指の群だ。


 身体から伸びた血の糸の先で、果実のように生った目と指が、黙々と文字を追っている。


 少なくとも集中しているようだけれども。


「確かに。失礼しました」


 再び紙をめくる音だけの間があった。


「読書がお好きなんですか?」


「黙れ」


「とても昨日今日思いついたテクニックには見えなかったもので」


「テメエにゃ関係ねえ」


「かもしれませんね」


 再び、紙をめくる音だけの間があった。


「あの」


「良い加減にしろよ」


「聴覚だけエリー様にお返しになれますか?」


「あん?」


 鈴生り目指が一斉に止まり、アルフレッドは鬱陶しくイーリャの方に振り返る。


「いえ。露術訓練を後回しにするのは少し勿体ない気がしまして。座学だけでもと考えたのです。聴覚のみを明け渡せば、あなたは読書に集中できて、エリー様は私の話に集中できます。一挙両得です」


「的外れだぜ、弱視女」アルフレッドがせせら嗤う。「オレたちは一心同体だ。こうしている今もアイツは外の世界を感じているし、この会話だって聞いている。キッチリカッチリ切り替えられるもんでもねえよ」


 実際、エリーは意識の内側で、人間では体験し得ない並列的な文字情報の嵐に揉まれて、熱が出そうだった。


 五感の取捨選択ができれば便利だろう。


 過集中で似たような状態になれなくもないけれど、身体はあくまで一つしかない。


 アルフレッドが読書に集中していると、エリーの感覚も釣られて読書へ向かう。


 二人で身体感覚の取捨選択ができるとしても、練習を積まないと難しそうだ。


「となると、読書の邪魔ですか」


「そういうことだ。胤術(ハイマ)で目と指を生やせるなら、勝手に自習でも何でもやらせりゃ良いけどよ」


】そんな想像を絶する芸当、できる気がしないわよ【


「ギャハハ。中で『びええ、ワタチ、できないでしゅうぅ』って泣きべそ掻いてやがる」


 エリーは腕を奪い返してデコピンを見舞ってやった。


 鈴生りの目指たちが止まる。新しく一つ、資料を紐解いたところだった。


 アルフレッド本体がその資料を取り、ペラペラとめくる。


 無数の人物名の羅列。人物名鑑の断片か、いや、この筆跡や掲載順の散らかり具合は名簿のようだ。


 あるページで指が止まる。紙面の名前を昇順に撫で、ある名前で指が留まる。


 アルフレッド・ヴァルケル。その下に、ネロ・ヴァルケル。


】同じ苗字……【


「おい、弱視」


「良い加減、イーリャ・コシノヴァとお呼びなさい」


「ヘルシング家とは親戚か?」


 手にした名簿の束をアルフレッドが示す。


「違います。ここに保管している資料は、開拓計画を拝命するのと同時に借り受けた物です。旧領主一族が何か?」


「知っての通り、教授の道楽絡みだよ」


 イーリャの読み物の上に名簿を無造作に重ね、アルフレッドはふらふらと出口に向かう。


「ちょっと、勝手にうろつかないでください」


「頭を冷やしたい。横になったら中身に変わる。見張りたきゃ見張ってろ」


   】


 エリーに割り当てられた客間に戻った。アルフレッドは素直にベッドに横たわり、目を閉じる。


 けれども入れ替わった途端、エリーは天井が回転するような眩暈に襲われた。


「おええ……」


「お加減、いかがですか?」


 覗きこむイーリャの顔も風車のように回って見える。


「目玉は、二個で、充分って、お加減です……」


 銀のペンダントも上手く摘まめない。見かねたイーリャが代わりに胸元に仕舞ってくれた。


「ご無理なさらず、午前中いっぱいはお休みください。何かあれば私かキャスパーをお呼びくださいね」


 エリーが礼を言うと、イーリャは静かに客間を出ていく。


 カーテン越しに窓明かりが仄明るく、外で遠くから喧騒が届き、さえずりのように聞こえる。


 村の営みを感じながら微睡むのは、ちょっぴり贅沢な気分だ。


 もっとも、目が回るのが治まるまでは休めそうもないけれど。


【おい】


「何。今、誰かさんのおかげでフラフラなんだけれど」


【テメエ、あの唄、どこで覚えた?】


「今訊くこと……? 知らないわよ。記憶が無いんだから」


【そうだったな】


 天井の回転に合わせて身体が、あるいはベッドごと回っているような気になってくる。


【おい】


「何」


【歌え。ガキの名前を考えるにゃ静かすぎる】


「ええ? 本当にいきなり何? あんた、さっきからちょっとおかしいわよ」


【つべこべ言うな。歌え。さもなきゃテメエがガキの名前考えろ】


「じゃあ、あんたが答えてよ。どこでその唄を聴いたの」


【……】決まりの悪そうな間があった。【オレを生んだ女と、乳母がよく歌っていた】


 驚きが目眩の渦に融けていく。


 アルフレッドが出自について話すのは、初めてのことだった。


「生んだ女って……吸血鬼?」


【もう良いだろ。歌えってんだよ】


 いかにも母親が恋しがってそうな反応をからかってやろうかと思ったけれど、目眩が酷くてそんな気も霧散する。


 長大に溜め息をつき、エリーは不承不承、唯一記憶に残っている子守唄を口ずさんだ。


 悲し気で、けれども祈りたくなるようなメロディを、アルフレッドの家族も知っていた。


 どこでどんな縁が巡って、同じ唄を知っている二人がこうなってしまったのだろう。


 血流の(さざなみ)が、子守唄を聴いて凪いでいく。


 運命の悪戯に思いを馳せる内に、エリーも穏やかな寝息を立てていった。


 寝起きでも見つけられないほど、ささやかな血の涙が一滴、頬を伝い落ちた。

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