034 死線を潜り抜けた後に⑦:トップコッツ
食堂は“血の聖女様”の噂で持ちきりだった。
というか、何の捻りもなくエリーのことだ。
朝食トレイを受け取りに行く間もそこら中から視線を感じるし、何より「おはよう血の聖女様!」と挨拶の嵐が吹き荒れるのだから嫌でもわかる。
「ミキさん」
「アタシのせいじゃないよ。君の努力の結晶」
腕に包帯を巻いて誇らしげにしているのは、昨日献血に協力してくれた人々だ。
「俺たちの血を、あちらの聖女様が命の妙薬に変えちまったのさ!」
「そんでスペイを死の淵からお救いなすった! ならこの傷は勲章って訳だ!」
「私らだけ肉食ってズルいだって? 寝言は寝て言いな! これは褒美なんだよ!」
「ははぁー、度胸あるな、お前ら。命の妙薬? ったって、吸血鬼の力って話だろ? よくもまあそんな得体の知れないもんに噛ませることができたな」
「血を吸わせたんだろ? 吸血鬼が力を蓄えて、村が襲われたら……」
「そこで“鍋の小人”様のご登場だ!」
「吸血鬼をしっかり見張ってよ、悪さをしたら玉杓子でこう……ガツンだ!」
「あれ結構可愛らしかったよねえ」
「そうかあ?」
何だかちょっと加熱しすぎじゃないかしら。
曰く、赤子を接吻で蘇らせ、止めどない血もたちどころにピタリと治めてしまう。
曰く、血の災厄を祓うために天が遣わした使者に違いない。
曰く、ラムシング村に兆した祝福の化身であり、豊作の予兆である。
曰く、ヘンリー大公に並ぶ今世の傑物だ。
(め、滅茶苦茶よ。噂に尾ひれがついてふさふさになってるじゃない)
もはや尾ひれがつきすぎてカーニバルの衣装のようだ。
エリー――エレクトラ・ブランは村の外から来たという。
棚の中身まで筒抜けな顔見知りたちとは違って、得体の知れないよそ者は空想を重ねるのにうってつけなのだろう。
ひょっとしたらミキの異名かと期待したものの、この人は血を清める側だし、どちらかと言うと“水割りの聖女様”って感じだ。
「いいや、アタシはストレートかロックだね。水は一滴だけ、ぴちょん」
とか妄想の中でミキに言わせていると、本物が「失礼なこと考えてない?」と鋭く察知する。
今朝の献立はオーツ麦のミルク粥。ベリーとナッツを散りばめていて、湯気が立っている。
エリーには受けつけないので腰を落ち着けて冷ませる席を探していると「ここ空いてるよ」「こっち来なよ」と引く手数多で困ってしまう。
特に昨日の朝、エリーに色目を遣ってきた三兄弟のアプローチは熱烈で。
「聖女様! ぼ、僕とご一緒しませんか! 今朝、道端に花を見つけて、ほら、花瓶に挿してみたんです! 綺麗ですね! ハハ!」
「おめえ綺麗だなんて普段言わねえだろ。聖女様、騙されちゃダメですよ。花を言い訳にして面と向かって女を褒められない男は意気地なしですからね。それに引き換え俺の筋肉!」
「他人を下げるのも卑怯だって。それに、筋肉は村の男衆なら備えつきだろ。さ、聖女様。食堂はごたごたしていていけないから、テーブルクロスとクッションを布いたこちらの席に」
肝っ玉の強そうな女将さんの拳骨が三連、鮮やかに入って三人とも伸びた。
「傷が浅い内に言っとくけど、多分、エリーさん人妻だからね」
三兄弟にミキがトドメを刺す。
首根っこを掴まれて引きずられていく三兄弟を尻目にどこに座ろうかと迷っていると、どこからか「お姉ちゃん」「こっち」と聞き慣れた声がした。
獣追いの一家が揃い踏みで手を振っている。
「そろそろかと思って、冷まして待ってたよ」
母親のささやかな気遣いが一番嬉しい。エリーは喜んでお呼ばれに応じた。ミキも一緒だ。
聖女だなんて持ち上げられながらだと、食事も味気がなくなりそうだ。
ただのお姉ちゃんとか、エリーとか呼ばれながら口にするミルク粥のまろやかなこと。
しばらく兄弟たちの取り留めもない話に頷きながら食卓を囲んでいると、また声がかかる。
「あのう、聖女様」
そう呼ばれると鳥肌が立ちそうになる。噂で囁かれる方がまだマシだ。
振り向くと髭もじゃに毛糸のニットの男が、巨体を丸めるようにたたずんでいる。
「えっとその、聖女のつもりじゃないんですけれど、私ですか?」
「へえ、まあ」
「お話するのは初めてですね。エリーです。よろしくお願いします。あなたは?」
男は名を訊かれるとは思ってもいなかったのか、少しだけどもった。
「こいつぁすまねえ。フォードっちゅうんだ。何、ただちょいと見てもらいたいのがあるもんで。こいつでね……」
フォードは削りたての木のような香りをまとって、大判の紙を広げて見せてきた。
獣追いの兄弟たちも興味津々で覗いてくる。
中身を目にして、お粥を噴きそうになった。
黒焦げ鍋を被った小人を忠実に再現した図面だ。玉杓子を聖剣よろしくヒロイックに掲げたポーズの。
あの露術を使ったときはエリーも必死で、意識も朦朧としていたので、朧げにしか覚えていないけれど、他に考えられない形が描かれている。
無理にお粥を呑みこんで喉が詰まった。胸を叩き、ミキに背中を叩いてもらって、やっと息が通る。
「どうじゃろ」
「何これ」「変なの」
兄弟たちから手厳しい評がつく。変だけれどお姉ちゃんの頑張りでもあるんだよ。
「どう、とは」息も絶え絶え、エリーは尋ねた。
「似てるか?」
「似てる似てる。見てきたみたいに」
ミキも感心する出来栄えだ。フォードが髭の奥で笑みを噛み締めた。
「似せてどうするんですか?」エリーが尋ねる。
「像を彫るんでさ」
エリーが絶句する。
「何でまた急に」ミキにとっては他人事である。
「簡単な祭壇でも建てて、祀り上げようかって話が出て……」
血の聖女の噂が流れる前のこと。
鍋兜を騒々しく叩き、コシノフ邸を練り歩く小人の目撃談が村中を席巻した。
余りにも馬鹿馬鹿しく他愛もない話なので、最初は誰も取り合わなかったのだけれど、これがまあまあ無視できない人数から異口同音に出てくる出てくる。
いよいよこれは何かがあったと村人たちが勘づき始めた折に、スペイ・バーンズの奇跡の生還を果たす。
誰が言ったか、鍋の小人とは安産の守護者である。いや精霊だ。果ては守護神だ。
まだ目撃談の信憑性は疑われているものの、鍋の小人を縁起物と持て囃す流れは一晩で広まってしまった。
「……っちゅう次第で。目撃証言を集めて起こしてみたのがこの図面でさ」
「うっそだあ」「でも面白くない? 兄ちゃん」
兄弟があーだこーだと騒ぎ始める。
「ならお前、鍋被れよ? 面白いんだろ」
「うん。そんでさ、妊婦さんたちんとこ遊びに行って、お小遣いもらうんだ。カンカンカン! 鍋をひっくり返したみたいに、するりと赤ちゃん生まれるよ! とか賑やかすんだ」
「……おお、天才か?」
「バカなこと言ってないでさっさと席に戻って食べな!」
母親のお叱りをよそに、エリーの匙が手からこぼれて、器の中に沈んだ。
あの小人はそんな大層なものではない。
絵も知らない子どもの頃にクレヨンで引いた一本線が、額縁に入れて永久に保管されるような羞恥が噴出する。
【おいおい、冗談じゃねえぞ。オレの汚点を形にして残されちゃ敵わねえよ】
エリーもアルフレッドに同意する。
【だが、テメエの不格好を残すのは悪い気がしない】
こ、こいつ……。
「ちょっと困るよお」
待ったをかけたのは魂が抜けたように白目を剥くエリーではなく、隣でお粥を平らげたミキである。
「護律協会が苦労して宗教色抜いてきたってのに、無断で新興宗教立ち上げられちゃあ面目が潰れちゃうよ」
「宗教じゃねえです。こいつぁ象徴……」
ミキが耳を塞いで「あーあー」騒ぐ。
(ミキさん、その調子!)幽体離脱した方のエリーが応援する。
「……ああいや、あれだ。マスコット」
「ああ、何だ。マスコットね。最初からそう言ってくれれば良いんだよ。良いんじゃない。愛嬌あるし」
変わり身鮮やかに話が決まりかけて、たまらずエリーは我に返った。
「ま、待ってください。これ」図面に目を走らせる。「本物の鍋とお玉を使うみたいですけれど? さすがにキャスパーさん、ダメって言うんじゃありませんか?」
「大丈夫だそうでさ。元々騙し騙し使ってた鍋だそうで、打ち直しても高くつくし、売ろうと思っても逆に処分費用を毟り取られるしで、買い替えるにゃ好いきっかけになるそうで」
(そんな手に負えない物を何で洗わせようとしたの!)
実際には厨房の女衆の洗い物なのだけれど、エリーの訓練のためしっかりキャスパーが手を回していたので、一周回って怒りの矛先を正しく向けたエリーなのであった。
ミキが勝手にゴーサインを出してしまった上に、獣追いの兄弟たちも現金なところではしゃいでいるので、エリーに口出しする余地は残されていなかった。
「ねえ、その子の名前は?」弟の方が突拍子もないことを訊く。
「ああ確かに」ミキが顎に手を添えて考える素振りをする。「鍋の小人とかでも良いけど、親しみやすい呼び方があればもっと良いよね。そう思うよね、お母さん」
「お母さん呼ぶな」エリーはムスッとした。
【トップコッツ】
いきなりアルフレッドが聞き慣れない言葉を唱えて、エリーは難しい顔をした。
【逆さの深鍋だからトップコッツ。これで充分だろ。付き合ってられっか。適当に答えとけ】
一刻も早くこの話題から離れたかったのはエリーも同じなので、恐る恐るトップコッツの名を提案する。
ひょうきんな響きは思った以上に受けが好く、この日からトップコッツは村人の口に馴染んでいった。
(赤ちゃんの名前、こんな調子でつけられたらどうしよう)
おっぱいをたらふく飲んでいたから大食い娘とか。
そうならないように、念のため代替案を考えておこうと思うエリーであった。
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