030 死線を潜り抜けた後に③:名づけの権利
「やだーっ!! やだやだやだやだやだーっ!!」
共生コンビが息の合ったタイミングで唖然とするのを、床に寝っ転がったヘーゼルの駄々が全部搔っ攫った。
「自分がお名前つけるーっ! そういう約束だったーっ! 何であんな野郎に譲んなきゃなんねーのーっ!?」
「相談しなかったのは謝るよ」
そう言いつつ、スペイは悪びれもしない。
「でもヘーゼルあんた、エリーさんと眠ってたんだから。起こすのも悪いだろ?」
「やーだーっ! 姉ちゃんの嘘つきーっ! びえええ!」
(赤ちゃんより泣くじゃない、この十四歳児……)
呆れるエリーと年甲斐もなく両手両足をバタつかせるヘーゼルをよそに、赤ちゃんは満腹になったらしく、口を離した。
「んー? もうお腹ぱんぱん? ごちそうさまでしたねー。ほら、ヘーゼル、げっぷさせて、寝かしつけて」
「うっし、ヘーゼル姉たんとごちそうさんしような」
打って変わってヘーゼルは意気揚々と姪っ子を膝に乗せ、首を支えながら背中をさする。
直前の癇癪はどこへやら、イヌのように舌を垂らしてデレデレだ。
赤ちゃんは上手にげっぷができた。
「うひゃー、姉ちゃんこいつ、げっぷの天才だぜ」
「バカ言ってないで寝かせてやりな」
親バカならぬ叔母バカだ。名づけ親の権利を横取りにするのがはばかられるくらいに。
「あの、やっぱり考え直してくれませんか? ヘーゼル、楽しみにしていたんじゃないですか?」
「はぁー、やっぱエリーは話がわかってんな! じゃあ今日からお前はシュガープディングな!」
「うぉい!?」
ペットの名前じゃないのよ!?
「お、エリーも気に入ってくれたのか?」
【さすがにガキに同情する】
さすがにアルフレッドの言う通りである。
「ごめんヘーゼル! さっき言ったこと、一旦なかったことにして良いかしら!?」
「ええ!? 何で!? ……あ、そっか。言われてみりゃ確かに、パンプキンパイの方が……あいや、プリンセス・マシュマロ! どうだ、これだろ!」
これだろ! じゃないけれど?
「ちょっと一旦静かにしてくれるかな!?」
自信満々に珍名乱発しないでよ! エリーの頭が痛くなってくる。
バーンズ夫妻に視線で訴えると、気まずそうにしていた。きっと妊娠が判ってからずっとこんな調子だったのだろう。
「ハニーパフってどうだ!?」
「却下却下! 全部却下だよ! 出直してきな!」
「ええーっ!? 何でだよ姉ちゃん!」
「とにかく話をつけるまで待ちな!」
浮かれすぎでしょ。親の方が冷静ってよっぽどよ。こういうときに窘めるのが親戚の役割でしょ。
どうやらバーンズ夫妻は、この地雷を避ける口実を探していたらしい。
何が何でも命名権を取り上げないと、子どもの将来に関わってしまう。
けれどもどうしてアルフレッドなんかに?
「話が逸れたな」機を見計らったロバートが話を継ぐ。「という訳で、まあ、何とか良い名前を頼む」
「そう言われても……」
アルフレッドは大量輸血に乗じてラムシング村の全滅を目論んだ極悪人だ。
隠れて血を吸い、力を蓄え、手始めに分娩室の全員を手にかけると、楽しそうに宣言していた。
その企みを寸でのところで阻止し、急場をしのいだ今、振り返れば確かにスペイ救命の立役者だと評価できなくもない。
アルフレッドがいなければ、スペイさんは確実に命を落としていた。
けれども同時に、窮地に陥ったスペイを利用して村人の血を搾取した事実を帳消しにできるはずがない。
そんな大任を拝しても良いほど、先の救命劇の裏側は清廉潔白ではなかった。
【誰がンな面倒臭えこと】
当の本人もこう萎えているなら、断ってしまおうかと考えた。
「ま、確かに、あたしをダシにこそこそ悪さした野郎に頭下げるなんざ、むかっ腹が立つさね」
言い淀むエリーに、スペイは訳知り顔でふんぞり返る。
「けどね、アルフレッド。おっぱいの素は血なんだってさ」
母乳は血液を材料にして、乳腺から分泌される。
「この子が初めて飲んだのはね、悔しいけどあんたがくれた血なんだ。あたしじゃない。この子は人間のくせに、あんたがあたしのために調整した血を飲んでんだ。それがどういう意味か、わかってんのかい?」
アルフレッドが黙っているので、代わりにエリーが首を横に振る。
「血を吸うはずのあんたでも、人間と同じように血を分け与えられるってことだよ。あたしら、案外仲良くなれるんじゃないかって思うんだよ」
それは、エリーも感じていたことだ。
アルフレッドは決しておくびにも出さないけれども、褒められたり感謝されたりすると悪い気分じゃないらしい。
どれだけ悪を気取っていても、人助けに向いている性分のはずだ。
けれども、エリーたち人間と吸血鬼の見る景色は余りにもかけ離れてしまっている。
あくまでエリーたちは食料で、アルフレッドは捕食者だ。
こっちが一方的に対等だと思いこんでも、こいつはそう思わない。
今回のお産でエリーはそのことを痛感したばかりだった。
スペイはエリーの葛藤に頓着しない。
「てのはまあ、建前かな。本音を言うとだね、今回のことで後々利子をせがまれても困るからさ、先手を打っておくのはどうかと思った次第さね」
「先手、ですか?」
「そ。名づけ親になったら、ちっとはこの子に愛着も湧くってもんだろう? 血を吸おうだなんて夢にも思わなくなるんじゃないかってね」
【ハハ。何言ってんだ。ボトルキープの間違いだろ】
とは言いつつも、アルフレッドは強いて拒否する気配はない。
本気で拒むとすれば、普段の彼ならもっと罵詈雑言を混ぜて荒れに荒れる。
けれども、今は黒い冗談を独り言つに留めている。
案外――エリーでも諦めていた人間性を、スペイなら、あるいは。
「嫌ねえ。どう考えたってこいつには無理ですって」
わざとらしくエリーは笑った。
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