028 死線を潜り抜けた後に①:遠浅の血の夢
何か執筆間に合いました(゜∀゜)アヒャ
見渡す限りの暗闇と血溜まり。いつの間にか一脚の椅子に座らされている。
見覚えのある夢の光景だった。
ただし、以前見た夢だと血は足裏を濡らす程度しか溜まっていなかったけれども、今はくるぶしくらいまでの深さを湛えている。
血は今しがた人体から抜いたばかりかのようにのぼせている。
湯量貧しい打たせ湯のように、エリーの頭頂にも血が注がれていた。
血はどろりと重く濃密で、肌を網目に伝い落ちるにつれて、美酒に酔い痴れたような火照りが身体の奥に溜まっていく。
血熱れで息苦しいのに陶酔に似て、指一本動かす気力も湧かない。
(気持ち良い……)
声を出すのも勿体ないほど。
人形のように背もたれに身体を預け、足元を目に映して微睡んでいる。
【やってくれたな】
血の水面が波紋を打った。アルフレッドが忌々し気に吐き捨てる。
【言い争う気分じゃねえ。オレの傷心を汲んでくれや】
何かされているのは明らかなのに、嫌悪も、反抗する気力すらも湧かない。
むしろ、熱く蒸した寝床を共にし、耳朶を噛むような睦言を囁かれている気持ちになる。
【参った。降参だ。テメエのしつこさを甘く見ていたぜ。これからは露術だろうが何だろうが好きにお勉強すりゃあ良い】
甘い誘惑が夢の中に反響する。
何を企んでいるの。そんな疑念さえ湧かないはずなのに、アルフレッドはエリーの考えを見通したかのように語る。
【まさか自力でコツを掴まれるたぁな。ふん、んなもん防ぎようねえっての畜生。こうなりゃもうお手上げだ。一度覚えちまったもんは、オレにはどうしようもできねえ。ならいっそ、上達してもらった方がマシだと踏んだ】
意味がわからない。アルフレッドにとって脅威となる露術を上達させるのは自殺行為のはずだ。
【万が一露術が暴発でもしちまって、心中なんざ御免だからな。露術を習得されちまった以上、そのボンクラな腕前を人前に出せるくれえには磨いてもらわねえと、こっちまで困るんだよ】
そうよね。エリーは蕩けて笑みを浮かべる。
まるで保身しか考えていない。アルフレッドはそういう手合いだ。
【つー訳だ。こうなったからには速攻で露術をものにしろ。練習怠けたらぶっ殺すぞ】
だとしてもこの変わり身の早さは酷いなんてものじゃないけれども。
(あんたあんだけ足を引っ張ってきたくせに良く言えるわね)
骨抜きになるくらい良い気分だったのに、台無しにしてしまえるのはある意味才能だ。
【用件はそれだけだ。さっさと目ぇ覚まして、ミキ・ソーマでも弱視の小娘でも捕まえてお勉強――】
「レッド」
締めのつもりでまくし立てるアルフレッドに、エリーは声を割りこませる。
茹ったように朦朧とする意識で無理を押して、据わらない首をもたげる。
「どうして、そんな親切に、教えてくれたの?」
行く行くは伝えるつもりがあったとしても、エリーが訊く前にアルフレッドが自ら教えてきた。
親切の数にも入らないような些細なことでも、こいつにされると鳥肌が立ちそうだ。
【もっぺん言うぞ。言い争う気がねえってことは、クソ面倒な説明も抜きってことだ。常識だろうが】
エリーは目病み女じみた眼差しで椅子にしな垂れ、返事を待つ。
アルフレッドに何かされたのだろう。さっきの質問を口にするだけで精いっぱいだった。
長い沈黙。エリーが目を覚まして現実に戻る気配はない。
【……理由がどうあれ、テメエのアイデアで血が集まった。その働きに免じてだ】
床の血が、潮のように引いて行く。
【これでも有用な駒なら可愛がる性質なんだよ】
声を潜めた談笑に誘われて、エリーは重たい目蓋を開いた。
頬を誰かにむちゅむちゅとおしゃぶりのように吸われている。
床で寝ていたらしい。絨毯の上で毛布をかけられていた。
心地良い気怠さと共に身体を起こす。
胸元が中途半端に重い。隣を見下ろせば、添い寝するヘーゼルの腕がずり落ちていく。
むにゃむにゃと寝言を口にし、ヘーゼルが寝返りを打つ。
その拍子に毛布が脱げて、ヘーゼルはくしゃみをした。
毛布を二人で使っていたらしい。
エリーは朝冷えに悩ませない内に、ヘーゼルにかけ直してやった。
頬のよだれを袖で拭う。ちょっと友情が冷めそうなくらいまみれていた。
「エレ、エリーさん!」
死人でも見たかのように声を上げたのはロバートだ。駆け寄るやエリーの両肩を掴む。
「大丈夫か? どこも身体は悪くないか? みんな心配したんだぞ。急に倒れて目を覚まさないから……」
心から心配してくれていたのはありがたいけれども、ロバートの図体と腕力で迫られると迷惑が勝ってしまう。
エリーはやんわりと両肩の手をどかした。
「おはようございます……」
ぼんやりと挨拶をしながら、エリーの頭にかかっていた靄が晴れていく。
土壇場で露術が応えてくれて、無我夢中にミキに危険を知らせようとして――。
そこから先は、記憶に穴が空いている。
一気に目が覚めた。
「あの、スペイさんは――!」
「ああ、ああ! 見てくれ!」
感極まった様子のロバートが前を譲ると、髪の乱れた女性がベッドで上体を起こしていた。
「おはようさん。おかげさまでこの通り、命拾いさせてもらったよ」
疲れた表情で、スペイが振り向く。
「朝っぱらから騒がしくってごめんよ、この人、仕方ないんだから」
「スペイさん……良かった、本当に」
夫に負けず感極まってエリーはスペイを抱擁しようとして、踏みとどまった。
スペイが「ねー?」と、微笑ましく胸元に語りかけている。
スペイは我が子を抱き、乳を吸わせているところだった。
スペイが九死に一生を得たのとは別種の喜びが心を揺るがし、エリーは目頭を熱くさせながら叫びたい気持ちを堪えて、細く絞った悲鳴を上げる。
言葉が出ない。代わりに涙が流れる。
満面の笑顔だけれど、エリーは騒ぐ激情を声と涙に変えて、ひとしきり一人で悶えた。
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