024 スペイの出産④:こんにちは、さようなら
赤ちゃんの元気な産声が響き渡る。
分娩室は、子どもの誕生を祝っているどころではなかった。
緊迫が泣き声を掻き消すほど、助産師たちがスペイの救命に努めていた。
血圧の計測、裂いて産道に詰めたシーツ、人工呼吸、心臓マッサージ……しかし、スペイは土気色になっていく。
魂が抜けたように呆然と、エリーは分娩室の混乱を眺めていた。
「意識ない! 息も戻らない!」
「血が止まらない……ソーマ先生、どうすれば……」
「止めるんだよ!」ミキが焦燥している。
「姉ちゃん! 起きろよ! 姉ちゃんってば! 冗談やめろよ! おい!」
嘆き、姉の肩を揺らすヘーゼルを、新生児を抱いたロバートが幽鬼のように見下ろしている。
「旦那さんもスペイに声かけてあげて! 赤ちゃん元気だって言って!」
ミキに檄を飛ばされても、愛する妻の名をうわ言のように繰り返すのがやっとだった。
どうして。エリーは声をわななかせる。
どうしてこうなったの。
エリー自身の心音と、過剰な呼吸が耳に迫る。身体が熱を持ち、嫌な汗が流れる。
エリーの意識は現実から乖離し、粘りつく時の流れの中で、赤ちゃんが誕生する瞬間を思い起こした。
――もう少しだよ、スペイさん!
ミキが激励する。妊婦の悲鳴を上塗りする声量だった。
スペイは全身の毛穴から血をにじませるように真っ赤にいきんだ。
スペイの局部から新しい命が頭を覗かせている。
あと少しだ。「頑張って! 頑張って!」エリーはその光景に釘づけだった。
「……今! いきんで!」
ミキの合図に合わせて、スペイが喉から大蛇を引きずり出すかのように絶叫する。
仰け反る背、踏ん張る両足の間から、ぬる、ぐぐん、と小さな命が滑り落ち、肩まで露わになった。
峠を越え、安堵に満たされた妊婦の喘鳴。
ミキは胎脂と羊水にまみれた赤ちゃんへの慈しみをこめて、両手で包んでこの世界に迎えた。
クモの巣を一本の糸に戻すのに似た繊細な手つきで、その子を、この世界に導く。
村の全てが、赤子自身も含めて、その瞬間を静観しているかのような間があった。
にわかに、胸に詰まった羊水を吐いて、元気な産声が上がる。
「生まれた……うおお! 生まれた!」
ヘーゼルが感極まって遠吠えし、ロバートも諸手を挙げてスペイを労う。
「でかしたぞ! スペイ! ありがとう! 本当に、本当に良く頑張ってくれたな!」
ミキが新生児のへその緒を切り、産湯に浸からせて、おくるみに包む。
生まれて初めておめかししてもらった赤ちゃんと、夫婦の対面だ。
「おめでとう。元気な女の子だよ」
疲労の極みであろうスペイは横になったまま、進んで我が子を胸に抱き迎えた。
自分の一部だった温もりが、一個の体温となって、しわくちゃの赤ら顔で、張り裂けそうに声を上げている。
「はぁ……可愛い」
スペイは感無量にこぼした。感無量以外に、言い表せない、母の表情だった。
「初め、まして。これから……よろしく、ね」
「ほら、旦那さんも」
ミキに促され「ロバート」と妻にも勧められて、ロバートが恐る恐る、我が子に小指を近づける。
柔らかなのに、存外強く握り返された。命一杯の握力だ。
親指も覆えないような小さな手で、存外力強い。
「抱いて、あげ、て……」
壊れもののような我が子を、ロバートは恐る恐る預かる。
声を殺した赤ら顔が、男泣きなのか大笑いなのか、忙しく表情が変わっていく。
「ずりい! 自分も……あ、ヘーゼル姉ちゃんも! ねーヘーゼル姉ちゃんも!」
その周りをちょこまかとヘーゼルがうるさく囃し立てる。
早速、姉ちゃん呼びの英才教育を施す腹積もりらしく、エリーは微笑ましく思った。
アルフレッドも、嗤っている。
【ククク……】
血が潮騒を奏でている。
温かな家族の一幕に似つかわしくない悪寒が、エリーを襲う。よろめく。
爪先が、ぱしゃりと湿った音を鳴らした。
「ミキさん……」
神に祈るように、頼れる人を呼ばずにはいられなかった。
赤い。足元、床一面が血溜まりと化している。スペイの産道から、血が滾々と湧いている。
「スペイさん!」
ミキが頬を叩いて呼びかけても、返事がない。
スペイの目は虚ろで、微笑みが次第に弛緩し、崩れていった。
胸に手を当て心拍を、口に濡らした指をかざして呼吸を確かめる。
「心臓マッサージと人工呼吸、急いで!」
緊迫はいよいよ本物となる――。
救命処置に全力が投じられる現場から一歩引き、エリーは俯瞰する。
呼吸の停止に対し、気道確保と人工呼吸で対応中。
急激な血圧低下、心停止。マッサージで対応中。
意識不明。ヘーゼルとロバートが声をかけているけれども、効果は不明。
何よりも、凝固の兆候を見せない血液、大量出血。
スペイの手元の細かな傷はあかぎれだろうか。傷が開いて出血が見られた。
「ミキさん、この前、露術で傷を塞いだって、言ってましたよね」
エリーの紡ぐような言葉が一同には異様に聞こえたらしい。集めた注目は即座にミキに注がれた。
「できない」
黙々と、裂いたシーツを局部に当てる。「冷やして収縮を促そう。誰か雪を」
「雪じゃねえだろ!」ロバートがミキに食い下がる。「そんな良い方法があるなら!」
「スペイさんじゃなくなる」
苦汁を吐き捨てるような一言だった。
それが何を意味するか、判然としなくとも黙らせる迫力が、言葉の底に流れている。
ロバートは我が子を、強くは抱けない我が子を包み抱き、腹の奥で慟哭する。
ヘーゼルが姉を揺り起こそうとする。願いは懇願に、懇願は願望に、願望はわがままに変わってなお、愛する家族の名前を呼ぶ。
――お袋はあたしを生んで逝っちまった。
(そんなところまで親子しなくて良いよ、スペイさん。ほら、あなたの子どもが泣いているのに)
命を懸けるのは、むしろこの後。この先の未来に、家族揃ってでなくてはいけない。
身を呈してエリーを救おうとしたアルデンス、その最期が重なった。
二人目のアルデンスを生んではいけない。
「……アルフレッド」
悪魔に捧げるように、エリーは胸元からペンダントを抜いた。
ずっと耳障りだった嘲笑が止む。冷酷な声が身体の奥底から響いた。
【おやおや、これはこれは。オレの力を奪いやがったエレクトンマ嬢のお出ましだぜ】
(アホホレッドって呼んだの、めっちゃ根に持ってる……)
【気づかなかったぜ。いるならいるって一声かけてくれよ】
「単刀直入に言うわ。スペイさんを助けて」
【知るか。お得意の胤術だか何だかで、勝手にやってろ】
「今の私じゃ治療は無理。お願い」
【図々しい。オレの尊厳を踏みにじりやがって、このアマ。その上、テメエの言いなりに成り下がるなんざ御免だね】
「血をあげるから。お願いします」
【……】
エリーの白目が、赤く染まる。
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【???】
ひょっとして、ブクマとか評価を伸ばす秘訣って、読者さん方とのコミュニケーションなんですか?
作品の中身とかじゃなく?
嘘でしょ?
え、ならどんな雑談とか質問でも答えますよ???




