021 スペイの出産①:破水
スペイの顔色が悪い。難しい顔をして、口数が少なくなっている。
夫のロバートに言わせれば、スペイは話題に飢えているらしい。
彼女らしくない大人しさだった。
「あの、どこか具合が?」
入室一番、エリーは様子を窺った。
やっと声に気づいたスペイは、額に脂汗を浮かべた笑顔を作る。
「ああ、何だい。来てたのかい」
エリーとミキの入室にも気づいていなかったらしい。
「本当に大丈夫ですか?」
「いや……朝飯食ってから、どうも腹の調子が……トイレが近くなっちまってさ」
「本陣痛かも」ミキが呟く。「スペイさん、ちょっと診させてもらえるかい?」
「大袈裟だよ、ソーマ先生。こちとら二日三日陣痛と付き合ってきてんだよ? 違いくらい見分けがつくさね」
「万が一、食中りなら他の妊婦さんも危ないからさ。ここはこの藪の顔を立ててよ」
「……まあ、そこまで言うならさ。あいたたた」
身体を縮めて腹痛に耐えるスペイに、エリーは寄り添う。
「スペイさん」
「大丈夫大丈夫。先生、診察は良いけど、先に用を足さしてくれないかい?」
「別に漏らしても気にしないよ」
「デリカシーとかないんですか」
エリーはミキの前に立ち塞がった。
「出産で何のためにシーツを頻繁に取り換えていると思っているんだい? 下の心配なんてナンセンスだよ」
「ああ、もう。私が付き添いますから。スペイさん、一緒に行きましょう」
スペイに肩を貸して歩調を合わせ、エリーは退室した。
スペイは廊下を歩くのもつらいらしく、時折立ち止まっては肩で息をした。
今にも倒れそうな顔色だ。肩を貸すだけでは心配で、エリーはスペイの身重の身体を腕で支えた。
ひゅう、ひゅうと唸るような呼吸、歯を食いしばってまで痛みに耐えている。
見るからに、ただの腹痛じゃない。
「スペイさん、やっぱりミキさんに」
「ヤバい……漏、る……あ!」
バシャシャッ。
カップを返したような音がした。スペイの足元に、大きな水溜まりができていた。
「あ、あ……何か、中で破けた……」
止めどなく流れる透明な液体を、スペイはうろたえながら内股で止めようとする。
「ど、どうすりゃ……止め……止まらな……」
涙目、唖然として腰を抜かしそうなスペイを、エリーは必死に支えた。
エプロンドレス、ワンピース越しに染みこむ液体は生温かく、微かに生臭さと甘みを併せた独特な臭いを漂わせる。
「破水しました! 誰か!」
咄嗟にエリーが助けを呼ぶと「ほら言わんこっちゃない」と文句たらたらのミキが駆けつける。
破水と耳にしたスペイは見る見る青褪める。
陣痛がピークに達し、苦痛を堪えるのがやっとだった。立っていられず、膝から崩れる。
ミキもスペイに肩を貸し、エリー二人で両脇から支える格好になった。
「スペイさん、部屋まで戻るよ。頑張って。お湯とシーツ! 大至急!」
ミキの号令がホールに響く。
ミキの歩幅は強引で、エリーはやむを得ずスペイを宙吊りにし、ミキについて行く。
移動する間にも、スペイの苦しみ方は激しさを増していく。
絶叫に中てられて、エリーも狼狽する。
この数日、嫌と言うほど苦しみ、凄惨な光景を目にしてきて、エリーは慣れていた。
けれども、その苦痛を味わうのが自分ではなく、身近な人となると見るに堪えなかった。
「ほらそこちゃんと支えて」ミキが喝を入れる。「お母さんと赤ちゃんが一番頑張ってるのに、アタシらが先に参っちゃ話にならないよ」
「……はい!」
苦痛に喘ぐ叫び、硬直する肉体。身を寄せるだけでも吞まれてしまいそうな怯えを殺して、エリーはスペイを支え、客間に到着した。
スペイをベットに寝かせ、ミキがリズムをとって呼吸を整えさせる。
「痛いの逃がす呼吸しようか。五秒吸っ吸っ吸うー三、四、五……五秒吐いて―……四、五。良いね。その調子」
五秒で細かく吸って、五秒で長く吐き切る。
ミキが身体を叩くリズムに従って、スペイに深呼吸をさせる。息がまるで唸るようだった。
「同じリズム意識して。吸って……はい吐いて……。エリーさん、ヘーゼルと旦那さん、呼んであげ――」
「うおおお姉ぢゃーん!」
客間の扉をぶち破って、涙目鼻声のヘーゼルがベッド横に飛びついた。
産気づき、強いて呼吸を整えるスペイの胸にドゴンと顔を埋める。スペイが目を白黒させ、泡を噴く。
「ぐえーっ!?」
「死ぬなー!」
「殺す気かこのガキャアッ!」
スペイの拳骨がヘーゼルを壁際まで殴り飛ばす。
「あいててて……」
姉妹揃って痛がり方がそっくりだ。一歩引いて騒ぎを見守っていたエリーに、ミキが訂正する。
「この弟子ときたら耳と鼻ばっかり早いね。エリーさん、呼ぶの、旦那さんだけで良いや」
「あん? そう言や、義兄さんはどこスか」
頭の大きなたんこぶを撫でながら、ヘーゼルが部屋を見渡す。
「火事の後始末で森に」エリーが教えた。
「かぁー、仕方ねえ人ッスねえ! 若隠居、一瞬窓開けるッスよ」
外に向けて、ヘーゼルは遠吠えを上げた。少しの間を置いて遠吠えが返ってくる。
「ライトールが呼びに行ってくれたッス」
狗人で構成されるスプリグリ族、その族長の倅の名である。
ヘーゼル――人狼の遠吠えなら、近しい種族である彼らにも通じるのだ。
「ヒュー、あっと言う間だよ」
ミキと共にエリーも共感している間にも、客間には続々と物資や医療器が運ばれて、着実に分娩の準備が整っていく。
「じゃ、エリーさんは廊下の掃除をお願い。助産に加わるのはその後で良いから」
エリーは面食らった。
「立ち会って構わないんですか? 私も?」
「君の記憶の呼び水になるかも。良いよね? スペイさん」
「何ッでも良いからっ……! どう、どうにか、しとくれぇえ……!」
生みの苦しみ、それと廊下に残した粗相の恥ずかしさ。
両方を合わせたスペイの願いに、エリーは力強く頷いて応えた。
「スペイさん頑張って! 元気に赤ちゃん産んでください!」
掃除用具を取りに、そしてスペイに付き添うために仕事を離れるとキャスパーに断りに、エリーは急ぐ。
スペイの初産は日暮れまで続く長丁場――しかし初産にしては驚異的な進行速度となり、元気な女の子を産んだ。
母体の大量出血、心停止と引き換えに。




