019 スカラリー・メイド④:吸血鬼を封じる
露術で食器をタライまで運んでみよう。
皿洗いに勤しみつつ、露術を試すならこれしかない。
そう思い至ったのは良いものの、具体的な方法は依然として思いつかなかった。
ビュンと伸ばして、シャッとすくって、ザパーッ。手掛かりはこれだけ。
試しに水をすくって器にかけてみる。腕を伸ばす感じは、まあ、“ビュン”と言えないこともない。
皿洗いに飽きて水遊びをしている風になってしまった。
(ミキさんのアホー!)
何でもっとちゃんとした説明ができないのだろうか。
訓練を妨害したがっているアルフレッドでさえスルーする、その酷さは伊達ではない。
何か、他に役に立ちそうな話をしていなかっただろうか。
擬音だらけの助言の印象が強すぎて陰っているけれども、ミキは他にも何か言っていたはずだ。
――手のおばけを伸ばすんだよ。ビュン! ってすると、水に混ざった小さな小さな粒々たちと自分が繋がるんだ。
――えーと……小さな生き物?
水のとろみの正体が、その小さな生き物だろうか。
(手のおばけ……ふふ、おばけって)
頭を悩ませてまで教え方を工夫してくれたミキには悪いけれども、比喩の可愛らしさよりもバカバカしさが勝っている。
ラムシング村に来る途中、呪いや怪異は存在しないとイーリャに断言された後だけに、余計におかしい。
(ふふふ、じゃあ、おばけさんの腕前を見せてもらおうかしら。ぷっふふ)
一人で笑いを堪えているヤバい女の自覚はあったけれども、本当におかしいのだからどうにもならない。
ダメで元々、手の感覚を延長させるイメージで洗い待ちの器に手を向けてみる。
エリーにも説明しにくいのだけれど、感覚だけで言えばもう器を掴んでいるつもりだ。
けれども実際には、器は手から離れた位置にある。
手と器の間に空いた空間、そのギャップを水が埋めてくれる。
それが手のおばけの正体――露術とはそういうものだとエリーは解釈した。
けれども。
(……何も起きないわね)
この方法だとおばけは呼べないらしい。
何が足りないのかしら。
いかにも出るって感じの、陰気でじめっとした雰囲気とか?
ミキのような胡散臭さとか? それともイーリャのような険しい表情?
……案外、気合いとか?
その思いつきこそミキの講釈に劣らず霊媒的だけれども、無意識にエリーは自分を棚に上げた。
胸一杯に息を吸う。鼻と口を塞ぎ、別の箇所から息を吐き出すつもりで力を込める。
顔が赤くなっても、胸が熱くなっても、エリーは固く目蓋を閉じて汗を噴き、器に来い、来いと念じ続けた。
(来い!)
指先から何かがビュンと伸びる手応え。
「やった!」
思わず声に出して喜び、エリーは指から伸びる血の糸を目にした。
思考が止まる。
触媒で胸の皮膚が焼けていた。微かに煙が燻って、肉が焦げる臭いが鼻を突く。
アルフレッドが銀のペンダントを無視して表に出たような反応だった。
しかし白目は白いまま、開いた目、瞳――青い虹彩に赤い円が浮かぶ、普段と異なる変貌を遂げたことにエリーは気づかない。
エリーの戸惑いとは無関係に、血は狙った器に命中し、テグスのように器を巻き取る。
勢いついて飛来する器を、訳もわからないままエリーはキャッチした。
好球を受けたような痺れが手に広がる。
「お、おお~……?」
思っていたのと違う。けれども、これって……。
【おい今オレに何しやがった!?】
前身の血管を痙攣させて、アルフレッドが騒ぐ。
この慌てよう、こいつにとっても想定外の出来事らしい。
なら、今の血はアルフレッドの仕業ではない。図らずもエリーが使ったのだ。
【テメエ……はあ!? 今……おい! 器風情がこのオレを使おうなんざ百年早い……!】
アルフレッドの怒りがわなわなとエリーの身体にみなぎるにつれて、胸と触媒の銀が激しく反応し、顔面が煙に燻されていく。
「うわわあちあちあち!」
白目が血走り始める最中、火種を消すつもりで胸を叩く。このままでは銀に構わずアルフレッドが表に出てしまう。
一か八かだ。
「ふんんんーっ!」
今度は逆に、エリーは身体を縮めるイメージで力んでみた。吸った息を胸の中で凝縮するつもりで。
胸元に接する触媒が、更に肉を焼き焦がしていく。
【うおああ!? なんっ……何じゃこりゃあ……!? やめ……っ!】
血管の痙攣が鎮まっていく。白目から血の気が引き、アルフレッドの声が遠のいていく。
ぎりぎりまで息を止め、限界一歩先を越えて、エリーはぶはぁと熱い息を吐いた。
喘鳴と共に瞳の色が元に戻る。
「……レッド?」
返事はない。
「もしもし、レッドさん?」
エリーは両腕を背中に回して組み、息を整えてもう一度呼ぶ。
「やーい。アホホレッド」
返事は、ない。
怒って反撃してくると身構えていたけれど、腕一本動かない。
「……できちゃった」
思っていた方法と違うけれど、一人でアルフレッドを抑えるコツを掴めてしまった上に、あいつの能力まで盗めてしまうなんて。
こんな簡単な方法で良かったのかと拍子抜けもしたけれど。
「できちゃった!」
興奮が冷めない内に皿洗いを急いで片づける。鍋は湯に浸けて様子を見ることにした。




