018 スカラリー・メイド③:エリーがやらねば誰がやる
何はともあれ、一歩間違えれば遭難しそうな洗い物の山を前にして、非力な人間が取れる手段は一つ。
黙って洗うことである。
たった一度の食事のために、生まれ変わった木彫りのお皿。頑固汚れをフスマで落とす。
エリーがやらねば誰がやる。
(なーんて)
遊んでいても仕事は進まない。粛々と勤めよう。
大見得を切ったおかげか、今のエリーは謎の使命感に燃えている。
汚れを全部洗い落として、ついでに新品同然になるまで磨いてやろうかしら。
そして「誰が買い替えろと言いましたか?」ってキャスパーを理不尽にキレさせたりして。
「買い替える? 洗えばこんなもんですよ」
「な、何と! 御見それしました!」
(ふふふ、結構気分良いかも)
妄想に逸れても、仕事の手は休めない。
汚れた皿にフスマ――ライ麦やソバなどの脱穀で出た外皮をまぶす。
余分なフスマを落とすと汚れを吸ったフスマが残る。
それを布巾で拭い落とせば汚れの大部分が落ちるのだ。
食べ物汚れを吸ったフスマはトナカイの餌行き。
フスマが無くなったらおが屑で同じように拭い落とす。
そっちは焚きつけに使えるだろう。
問題は鍋だ。
スープを継ぎ足して長い時間焚き出した歴戦極まる汚れと焦げが異様な妖気を放っている。
もはや堅牢な外殻と化した汚れは、砂で研磨してもビクともしなさそうだ。
表面を引っ掻いた手応えからすると、鑢か鑿が要る。
(後回しにしよう)
どこからどう見ても歴代の皿洗いを打ち負かしている貫禄をしている。
名のある名工が打った珍奇な鎧か、岩の怪物のようだ。
幸い鍋の回転は余裕があるようなので、食器類の水洗いを先に済ませることにした。
タライに張った湯に灰を溶き、これですすぐと汚れが浮く。
「うわ、すごい。軽くすすぐだけでも結構落ちる」
水が良いのか、灰が良いのか。面白いほど汚れが落ちていく。
ウマの毛ブラシでごしごしと磨かなくても充分だ。
ほとんどの食器が木製の中、陶器を洗うのが一番楽しい。
綺麗に洗えば釉薬で表面が輝き、指でこすればキュッキュと好く鳴く。
「キャスパーさん、あらかじめ洗剤を混ぜておいてくれてたのかしら」
厨房の人は「そんな贅沢品無い」と言っていたはずだ。
しかし、何と言ってもここはお金持ちのコシノフ家である。
きっと秘蔵の洗剤があるのだろう。
それに、キャスパーは腹黒い反面、細かいところで気が利く殿方でもある。
きっとこっそり混ぜておいてくれたのだ。
それにしてもすごい洗剤だ。
泡一つ立たないしさらりとしているのに、洗えば洗うほど洗浄力が増していく。
皿を湯に浸して、引き上げてみればもうつるすべだ。
これだけ強力なのに、手もしっかり保湿されている。
(あらやだ奥さん、これ、とんでもないお値打ち品ですわよ)
エリーの鑑定眼が光る。是非とも作り方が知りたい。買った物ならどこで売っていたか知りたい。
ひょっとしたら、灰と混ぜた相乗効果かもしれない。
色々と考えている内に皿洗いが楽しくなってきた。
とんとん拍子で洗い物を半分済ませた頃だった。
「それにしてもこの水、全然濁らないわね……」
灰を混ぜた湯は濁るどころか、丸っきり澄んでいる。
(あれ……?)
灰どころか、フスマやおが屑の欠片も浮かんでいない。
フスマやおが屑は、湯ですすぎ洗いする前に大体皿から落としている。それでも全部ではない。
完璧に落としたつもりでも、ほんのわずかな汚れと一緒に皿に残っているはずだ。
これだけ洗えば、湯面に浮かんだり、タライの底に沈んでいなければおかしい。
湯をかき混ぜてためつすがめつ観察しても、一欠片さえ見つからない。
「いやいやいや……おかしいでしょ」
灰もそうだけれど、フスマやおが屑は水に溶けて消える代物ではない。
一体どんな洗剤を使えばこんなことが起きるのだろう。
エリーは湯を手柄杓ですくって、注ぎ返してみた。
湯はやはり透明で、濁る代わりに気持ちだけとろみが出たような指通りだった。
「……あ」
ひょっとして。声を呑む。アルフレッドに気づかせたくなかった。
アルフレッドに聞かせたくない、突拍子もない閃きをエリーは得た。
メイド服越しに胸元を握り締める。
銀のペンダント――露術の触媒が、体温に馴染んでいる。
†
「それではみな様、本日もご安全に」
班長会議を切り上げる。ぞろぞろと食堂を出る村人たちを、イーリャとキャスパーが見送る。
肩の力を抜き、イーリャは息をついた。
「エリー様のお仕事ぶりはいかがですか?」
キャスパーが答える。
「不測の事態に直面しましたが、現在はお嬢様の思召す通りに。水回りの仕事に就かせております。これより先は、エリー様次第かと」
「そう――」
エリーに露術を授ける。
アルフレッドの妨害という難題に対し、イーリャが出した結論は一つ。
エリーを一人きりにし、露術に触れさせ、どういうものか独力で気づかせる。
要するに放任である。
しかしながら、触れることの学習効果は計り知れない。
手触り、重さ、温度、固さ、伸びる、縮む、千切れる、壊れる、音が鳴る……力を加えて起こる変化は、手放したときの変化は。
物に触れるという簡潔で無邪気な体験を通して、幼児は科学理論と物理法則に触れる。
ましてや、エリーは聡明な人物である。
記憶を失う前は露術の素養を持っていた可能性があると、ミキが診療録に記している。
露術とは、かつて聖マトゥリが編み出した水を操る術。
触媒を通した精神感応により、特殊な水生微生物を活性化させることで、まるで命を吹きこむかのように水を操れる。
その微生物の名はアンスロ――露術と同じ名である。
イーリャは自前で培養したアンスロ入りの瓶をキャスパーに託し、食洗水にあらかじめ混ぜておいてもらっていた。
汚れ物を洗う内に、アンスロは有機物を取りこんで更に増殖するだろう。
加えてエリーは今、触媒を所持しているのだ。
汚れを落とす一念にアンスロが感応し、積極的に汚れを取りこむはずだ。
加速的にアンスロが増殖する。
露術の素が凝縮した食洗水の変化を、見落とすエリーではない。
エリーは誰よりも切に露術の習得を望んでいるのだから。
「アルフレッドに勘づかれないかが気がかりですが……」
「先に申し上げた不測の事態を口実に、食器洗いは罰として申しつけております。成り行き任せでカモフラージュすれば、多少の猶予は生まれるかと考えました」
「良い機転です、レンスキー」
「恐悦至極にございます」
「と、なりましたら……やはり懸念はあれですか」
顔を覆って食卓に俯くイーリャに、キャスパーが尋ねる。
「あれ、とは?」
「エリー様は一応、露術を使う方法をご存じではあるのです……。あれを方法とは呼びたくありませんが……教官のあの世迷言だけなら、一応……」
「……ああ……ソーマ護律官の」
キャスパーも眉をひそめる。
男である以上、露術とは縁もゆかりもない。しかし、それにしたってあの教えは酷すぎた。
柱時計が時刻を告げる。イーリャが席を立つ。
「レンスキー、後を頼めますか」
「……善処します」
キャスパーは眉間を揉み、渋々と拝命した。
†
――ビュンと伸ばして、シャッとすくって、ザパーッ。
(――って、ミキさんは言ってたけれど、全然そんな感じしなかったわよ……?)
洗い物エリーは小首を傾げた。
ただの水ではあり得ない現象が起きている。露術を連想するのは焦りすぎだろうか。
アルフレッドは静かにしている。
けれども、こうしている今も、エリーの身体を通して水の感触を感じているはずだ。
変化に気づかないなんてことがあるのだろうか。
吸血鬼は全身が血でできている。そのせいで水に触れると溶けてしまうらしい。
(そっか。アルフレッド、私の中に入る前じゃ、水に指一本触れられなかったんだ)
アルフレッドにとって露術は害だ。
露術への対策を講じることはあっても、実際の手触りまでは知りようがない。
この現象が露術の糸口だとしたら、露術のコツを掴む絶好の機会だ。これを逃す手はない。
エリーは時間を稼ぐため、それとなく食器を洗うペースを落とした。
汚れが落ちるにつれて、湯のとろみは微かに増していくようだった。
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【余計な一言】
たった一つの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体。鉄の悪魔を叩いて砕く、キャシャーンがやらねば誰がやる。




