016 スカラリー・メイド①:成功体験
配膳を終え、誕生の喜びに止まない客間から、エリーは逃げるように出た。
「ちょっとレッド、人前で胎盤食べないでよ! 正気を疑われるでしょ!」
口の中が鉄臭い。生のレバーを食べた後のようだ。
【細けえな。別に良いだろ。オレたちのことは割れてんだから】
「人には人の常識があんの!」
【テメエの名前も覚えてねえアマに常識語られてもな】
「言ったわね! やんのかこの野郎!」
【落ち着けって。テメエのご要望通りじゃねえか】
「はあ?」
【人を傷つけずに人の血にありつけたろうが。喜べよ】
「喜べるかい!」
はたから見ればほぼ独り言の言い争い。
騒々しく一階へ降りるなり、エリーはキャスパーに食器室へ呼び出された。
脳天にきつめのチョップを食らわされる。
「いっ……私一応ゲストなんですけれど!?」
「黙らっしゃい。吸血鬼を解放なさったそうですね」
「お、お耳が早いことで」
「ここをどこだと心得ておいでです? 執事が屋敷のことを把握していないとでも? 分娩に当たってらしたアシスタントのお嬢様方から伺ったのですよ。何ともはや……独断で、それも当家で、よりにもよって村の方々が集まる時間帯に怪物を解き放つとは、言語道断です」
「だからって手を出すことない……」
「口答えですか。身の程を弁えなさい」
脳天チョップおかわり。
「大方、今が日中で、ソーマ護律官がご滞在中でいらっしゃるから、吸血鬼も大人しくせざるを得ないと読んでのご決断でしょう。ですが、私めに言わせれば詰めが甘い」
「ですけど、ああしなかったら赤ちゃんを見殺しに……」
「ええ、お手柄です。中々咄嗟に動ける局面ではございません。褒めて差し上げます」
脳天チョップおかわり。
「何で!?」エリーは頭の鈍痛を慰めながら抗議する。
「人命救助と危機管理は話が別です。よしんば嬰児のお命をお救いになったとしても、採った方法が全く褒められたものではございません」
「アルフレッドがいなきゃ助けられませんでした」
「おっしゃる通りかもしれません。ですが、やはりエリー様は見落としていらっしゃる」
「何をですか」
「吸血鬼に成功体験を与えてしまった点です」
「成功体験?」
「エリー様は、状況次第では独断で身体を明け渡すと、吸血鬼に教えてしまわれました」
「そんなの今までだって」
「今回は訳が違うと言っている!」
ぴしゃりと叱られて、エリーは首を縮めた。
「人命が鍵だとあれに学ばせて、今後はどうなさるおつもりなのですか? 敵に体の良い口実を教えたも同然です。吸血鬼は今後、人命救助の大義名分を得るためなら自作自演も厭わないことでしょう。自ら人を傷つけて助ける口実にしようものなら、どう責任を取るおつもりだったのですか?」
加えて、素人に銀のカトラリーを配った程度では、吸血鬼を止められないことが露見してしまった。
村人に持たせたところで、付け焼刃の護身具にすぎない。イーリャもキャスパーも、その点は承知していた。
実際に使うことよりも、肌身離さず持ち歩くことで生まれる抑止力を期待しての施策だったのだ。
実力行使が求められる局面に直面すれば、直ちにメッキが剥がれてしまう。
その点に限れば、ミケーレの脱走、銀器窃盗及び祖霊討伐の実績は、思いがけない威嚇効果をもたらしたと言える。
敵対的ではあるものの、銀器を正しい方法で、率先して扱える人間が一人いる。
この事実の重さを、アルフレッドは無視できないはずだった。
その矢先に、新生児の蘇生にまつわる騒動が起きてしまった。
エリーの決断が、砂上の楼閣である抑止構造を崩壊させてしまったのだ。
本来であれば、キャスパーはエリーにその点も指摘し、反省を促すべきところだ。
しかし、エリーは同時にアルフレッドでもある。
既に露見したコシノフ邸の脆弱性を、キャスパーが白状してしまえば事実を補強してしまう。
キャスパーは口をつぐむ。
【とか思ってる面だなあ、執事さんよお】
エリーの奥底から観察し、アルフレッドが人知れずほくそ笑む。
「……これからはどんなに急いでいても、護律協会の方の許可を得るようにと、ミキさんが」
「ええ、それがよろしい。ですが、もう既に、エリー様は吸血鬼の有利に働く前例をお作りです。この前例はこの先長く、あなたが試練に直面するたびに立ち塞がるであろうことを、肝に銘じておきなさい」
そう言われても、後先考えていられる余裕などなかったのだ。
アルフレッドを恐れるがあまりに、助けられるかもしれない命を見殺しにする。
とんでもないことだ。エリーにはできない。
命を賭してエリーを守ったアルデンスやヘーゼル、危険を承知で延命を許してくれたミキやイーリャ、エリーを助けてくれた人たちを裏切ることになる。
彼らに誇れる人間になるのは、エリーがエリーでいるための柱だった。
けれども。
「……軽率でした。自分の危うさを忘れていました」
立派になるための努力が逆効果なら、元も子もない。
アルフレッドの力を自分の力だと思いこんでいた。
銀のペンダント一つで支配下に置いたと得意になっていた。
無意識にエリーは驕り高ぶっていたのだ。
手痛い勉強料を払う羽目に遭うことだろう。けれども、この失敗から学んだ今のエリーは強くなっているはずだ。
キャスパーがエリーを見下ろしている。エリーはその目を見据える。
自他共に向けられた信頼は、伝わるだろうか。
「ふむ。どうやらご理解いただけたようですね。重畳です」
険しい表情を解いて、キャスパーがいつもの慇懃な笑顔に戻る。
霊髄壁穿孔大隊とかいう部隊に所属していたときの顔だろうか、迫力が違った。
「食事にしましょう。この後は全員分の皿洗いをお任せしますので、しっかり英気を養っていただきますよ」
「ぜ、全部ですか!? 私一人で!?」
村人ほぼ全員分の皿となれば、暴力的な数だ。
「当たり前です」とキャスパーはにべもなく言う。「不始末への罰としては手心を加えた方です。ありがたくお思いなさい」
エリーは一息分だけ項垂れて、再び気を引き締めて返事をした。
「代わりと言っては何ですが、食事のリクエストがあれば承ります。幼子をお助けになったご褒美です」
「あ、じゃあこの際色んな食材を試しておきたいから具を別々にカスタマイズできる料理が良いです。勿論、悪阻を起こしそうなのはダメです。一応ドライベリーと冷たい肉と冷ましたソバのお粥は大丈夫でした。それから……」
胎盤のぶにぶに食感を頭から振り払って、エリーは喜んであれこれ注文をつけた。
説教の仕返しのつもりだったけれど、キャスパーは涼しい顔で逐一頷いていた。




