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【祝15000PV】無原罪御宿の吸血鬼  作者: ごっこまん
4.Εὐλογητοί

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014 エリー・イン・メイド⑥:道標

 スペイに断りを入れて、エリーは客間を飛び出した。


 助産師助手と肩がぶつかる。


「ちっ、邪魔!」


 謝る前に助手はバタバタと階下へ降りてしまった。


 鬼気迫る舌打ちだった。


 隣室で泣き喚く女の声が吹き抜けに響き渡り、屋敷全体が騒然としている。


 エリーは意を決して分娩室と化した客間のドアに手をかけた。


「嫌あぁ! 坊やお願い! 泣いて! ママよ! こっちを見て! ねえ目を、目を開いてよ! 開いてぇえええ……!」


 ベッドの上で、顔面蒼白の褥婦が夫に押さえられていた。


 褥婦は髪も着衣も乱れて、泣き崩れようが意に介さず、夫の制止も振り切りそうな勢いで暴れている。


 助産師とその助手が膝を折り、湯気の昇る木桶を囲んでいた。


 産湯だ。産湯に浸かった何かを、助手が必死にさすり、助産師が手際よく息を吹きこんでいる。


 へその緒も取れていない赤ちゃんに。


 産声を上げていない。静けさを代わりに埋めるのは母親だ。


「ちょっと」


 棒立ちするエリーに気づいた助産師が、助手に顎をしゃくって示した。


 エリーを見るや、助手はまくし立てた。


「お湯が冷める! あと乾いた布! 急いで!」


 母親の悲鳴に掻き消されそうな声だったけれど、エリーにはちゃんと聞こえていた。


 エリーは赤ちゃんから目を離せなかった。


 血色が良いから、赤ちゃんは赤ちゃんなのだ。今のこの子は、青白い。


「ああもう! もうすぐソーマ先生が来ますから! 絶対に助けますからね!」


 助手は諦めて、母親を宥めるつつ蘇生に徹した。


(助け……そうよ、助けなきゃ)


 エリーの感覚から、赤ちゃん以外の全てが遠退いた。


(スペイさんのお父さんが、ヘーゼルを助けたみたいに)


 音も、色彩も、物体も、臭いも、湯気の肌触りさえも。全ての感覚が赤ちゃんのシグナルのみのために研ぎ澄まされていく。


 胸と腹が呼吸に合わせて交互にベコベコと不自然に凹んでいる。


 赤ちゃんは口を喘がせている。


(息ができていない……肺が膨らまないせいだ)


 チリ、とエリーの前頭が痺れた。


(私、今、どうして原因なんてわかったの)


 記憶の火花が弾けて、その内に情景が浮かぶ。


 ――肺の中に、無数の小さな袋が密集していると想像してください。


 知らない記憶の中で、見覚えのない人が講演している。


 記憶の中のエリーは公演に耳を向け、教科書を目で追い、手持ち黒板にチョークでメモをとる。


 ――生まれたての赤ちゃんの肺は、羊水などの液体に満ちています。


 ――その液体を吐き出して、泣いて、赤ちゃんは初めての呼吸をするのです。


 ――ですが稀に、上手く肺が膨らまず、呼吸ができない子が生まれます。


 その症状は、目の前のあの子と同じだ。


 ――現代では人工呼吸、あるいは露術の霧で肺を膨らませて対処するのが一般的です。


 ――ですが、残念なことにそれで息を吹き返す子どもはごく一握りです。


 ――一方で、地変前(ちへんぜん)の医療は、そのような子どもの治療に成功しています。


 ――偉大なる先人たちは、肺の中の小さな袋を膨らませる助けとなる物質を突き止めたのです。


 ――これもまた残念なことですが、今ではその物質を安定して合成、抽出する手段は絶えています。


 ――では何故、こうしてみなさんにお伝えしているのか? 何名か疑問が顔に出ていますよ。


 ――実を言うと、今日お教えする医学知識は忘れられても仕方がないと考えています。


 ――ですので、これだけは覚えておいてください。


(手の届かない知識は確かに無力だけれど、無駄にはならない)


 講演者が言った言葉を、エリーなりに嚙み砕く。


 ――ひょっとしたら、みなさんの内の誰かが、失われた術を今世に蘇らせるかもしれない。


 ――そのチャンスが巡ってきたときに、みなさんに授けた知識が道標になるかもしれない。


 ――長い冬を越えて、いずれ芽吹きの季節を迎えられたのなら、それはとても素敵なことだと、私は信じています。


 ――その奇跡を信じて、私はみなさんにその物質の呼び名と、在処をお伝えしておきます。


 ――呼び名は肺表面活性物質(サーファクタント)


「人や動物の、肺胞の中にある……」


 エリーは呟きながら、独りでに銀のペンダントを襟の下から抜いていた。


「レッド」


   【


 呼びかけに応えて……いや、エリー自ら意識の座を明け渡し、その目が赤く染まる。


【どういうつもりだ】


 表に出たアルフレッドは声にせず、己の血で語りかけた。


 今まで肉体の主導権を争ってきた宿主が、やむを得ない事情がない限りアルフレッドを封じこめてきたエリーが、死にゆく赤子を前にして急に引き下がった。


 力に物を言わせてきた胤族には不可解な行為だった。


】あんた、私の肺を使わなくても、呼吸できたわよね【


 ミルズの森で祖霊を討伐した際、アルフレッドは煙を避けて地面近くに血を降ろし、呼吸器の代わりにしていた。


【それがどうした】


】だったら、私の肺があんたの血で満ちても、呼吸はできるのね?【


【だったら何だ】


】私の肺の中、肺胞の表面に、あの子に必要な薬があるの。それを採って、あの子の肺に塗ってあげて【


 アルフレッドは渋った。


 本当に嫌なタイミングで強請ってきやがる。


 もうじき、産婆がミキ・ソーマを連れて戻って来るだろう。


 そこで目にするのは、アルフレッドに身体を乗っ取られたエリーと、瀕死の赤ん坊だ。


 母親はおろか赤ん坊にも指一本ふれていないアルフレッドだが、真実がどうかは重要ではない。


 赤ん坊の死に際に、アルフレッドが居合わせていた。


 この一点がどれだけ有用か。わからないミキではないはずだ。


 吸血鬼と蔑まれる胤族と、死産。事実がどうあれ悪印象は結びつきやすい。


 出産の成否が存続に直結する遊牧民、スプリグリ族には殊更に悪評が立つだろう。


 ミキがスプリグリ族に目撃談を流布した場合、どう尾ひれがつくか予想がつかなかった。


 アルフレッドはエリーに露術を覚えさせたくない。


 今はスプリグリ族から授かった称揚が、露術訓練抑止の礎となっている。


 狗人の心証を悪くさせる事態は避けるに越したことはない。


(このオレが、器風情の命令に従う……?)


 あり得ない。屈辱だ。だが、耐え忍ばなければ先はない。


「……一つ貸しだ。先にカーテンを閉めろ。オレの出番はそっからだ」


 アルフレッドは声にして、自ら退路を断った。

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