013 エリー・イン・メイド⑤:道作り
【お願い】
作者は医者でもなければ助産師でもありません。
作中の医学・生理学描写は独自研究なので、間違えている箇所があるかもしれません。ていうかあると思って読んでください。
エログロなんかよりも、こういうところこそ注意喚起って必要だと思う次第です。
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一人目は道作り。
妊娠、出産が、人知の及ばない神秘の位を占める時代があった。
それは流産や死産に嘆く妊婦への慰めであり、親類縁者が悲しみを表明し、諦めと紐帯を促す言葉だった。
また、七つ前は神の内とも言う。
一説によれば、中世ヨーロッパで出生後五歳まで生き延びる子どもの数は、その半数にも満たなかったとされる。
統計は有閑が成せる業のため、残る記録は恵まれた貴い命の数の疑いが強い。
医者の少ない田舎の、それも寒冷化に喘ぐ国の辺境ともなれば、その数字は嘘のような奇跡に見える。
また、産声を上げることも叶わなかった赤子がその数から除かれているとすれば、生き残りはほんの一握りに限られてしまう。
この世に露術がなければ、もっと悲惨だったに違いない。
子を宝と呼ばせるのは誇張ではない。
切実にして率直な親心が、そう言わせたのだ。
「泣かない? 赤ちゃんが?」
助産師助手から報せが届くや、ミキは席を立つ。
食卓の両隣からスープを奪い、酔い覚ましに飲み干した。
「羊水は吐いたんですけど、変なんです」
二階へ急ぐ中、情報共有も早口で進んだ。
「変って?」
「息を吸おうとしてるのか、胸周りやお腹がベコッと凹ませているんです」
「泣いてないんだよね? 声は出してる?」
「うー、うー、と。もう顔も真っ青で」
「羊水の状態は」
「澄んでいます」
「……へその緒、赤ちゃんの首に……二重に巻きついてなかった? それともタスキがけとか」
「え……ええ、はい。だったと思いますけど?」
ミキの酔いが醒めていく。嫌な気分だ。
新生児の命は一刻を争う。
助手の報告と直感のみを頼りに診察するのは無理筋だが、初動を迅速にするため当たりをつけた。
ミキの勘が告げている。
原因は臍帯巻絡だ。
へその緒が胎児に絡まること。それ自体は分娩時によく起きる。
ラムシング村の新生児の内、多く見積もっても三割はこの臍帯巻絡で生まれてくる。
通常であれば直ちに命を左右する状態ではない。
助手の呑気な反応は、至って普通だ。
だが、臍帯巻絡から稀に臍帯圧迫を引き起こすことがある。そうなれば話は変わってくる。
分娩時にへその緒が過剰に圧迫されると、胎児への酸素供給が途絶えてしまう。
胎児が低酸素状態に陥ると、脳や臓器に負荷がかかる。
脳が上手く働いていないと、赤ちゃんは外からの刺激に反応できない。
外からの刺激は、赤ちゃんが呼吸するための重要な引き金である。
幸い、刺激に反応して第一呼吸はクリアしているようだけれど――。
「今、どう対処してる?」
「気道を確保して人工呼吸を。肌を乾いた布でこすったり、産湯につけてマッサージしたり。それから、へその緒をしごいて、中に残った血をしごき入れてます」
それくらいしかないか。わかっていても歯がゆいものだ。
羊水は吐いている。それで息が吸えないとすれば、そもそも肺を膨らませる仕組みが上手くいっていないと考えられる。
肺が膨らまず、ぺしゃんこのままなのだ。
人工呼吸を続ける意味はあるが、焼け石に水だ。肺が膨らむのは神に祈る他ない。
空の麻袋のようにぺしゃんこのままでは、いつまで経っても自発的に呼吸ができないままだ。
奇跡が起きない限り、赤ちゃんは命を落としてしまう。
(露術でいけるかな)
霧を肺に送り、分子運動を促して気化させ、体積膨張で肺胞を膨らませる。
充分に肺胞が膨らむと同時に水を抜き、産声を促す。
荒業だ。
気化熱による低体温症の恐れがある。かといって熱を加えすぎれば肺が火傷してしまう。
気化時の圧力過多で肺が破裂するかもしれない。かといって慎重になりすぎても圧力不足で肺が膨らまない。
そもそも肺胞が膨張しないのは、水の表面張力のせいだ。
露術で水を微振動させれば表面張力を弱められるかもしれない。
だが、管理すべきパラメーターはどれも繊細な上に、種類が多すぎる。
そもそもの原因である水を使うのは本末転倒ではないか。
処置が無駄になる可能性もある。けれども、指を咥えて見ているだけなど話にならない。
自問自答する内にミキは嘔気を覚えて、立ち止まった。
「ソーマ先生? どうかなさったんですか?」
ミキは胸をさすって唾を呑み、「何でもないよ」と歩みを進める。
(ああもう、こういうのはラディの方が向いてるってば……)
自信家の同窓生の顔がよぎる。
成功すれば産声、少しでも加減を間違えれば……――しかし、他に赤ちゃんを救う手立てはない。
生まれたばかりの子には負担が大きいが、今打てる手の中で最善手はこれしかない。
二階に上がると、もう一人の助手がミキを呼んでいた。
現場を離れる暇なんてある? ミキの頭に血が昇る。
「何油売ってんの! 赤ちゃん放って!」
珍しく怒気を露わにするミキにたじろぎながらも、助手は分娩中の客間を指した。
「そ、それが、いきなりメイドさん? が入ってきて、勝手に処置を……」
「はあ?」
エリーさん、一体何を考えて――。
思考を巡らすミキの目に、待ち構えていた方の助手の手元が留まる。
銀のナイフが抜かれていた。
(いや、まさか、アルフレッドに唆されたのかい)
困惑する助手に手心を加えて押し退け、ミキは足音荒く分娩中の部屋のドアを跳ね開く。
「赤ちゃんの容態は――!」
カーテンを閉められた室内は薄暗く、産後の褥婦の嗚咽混じりの息遣いが嫌に耳へ迫った。
父母と助産師が固唾を呑んで見守る中、部屋の中央にメイドがたたずんでいる。
彼らの注目を集めるのは、銀のペンダントを服の外に出し、横抱いた赤子と唇を重ねるエリーである。
開く薄目は、血に染まっていた。
口が離れる。唾液の代わりに、血が糸を引いていた。
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