王女様は婚約を破棄してでも、故国に帰りたかった。
王女×男爵令嬢百合です。ざまぁ成分もふわっと。
5000字ほどでさっくりお届けいたします。
「ジェリンク王国第二王女ヴェロニカ。
ピオニーをいじめ抜いた貴様の非道、許しがたい!
我がファルス帝国の皇室に迎えることなど、断じてできぬ!
婚約は破棄だ!」
昨日まで会えば穏やかに談笑し、茶会に夜会にとパートナーとして振る舞ってくれていた皇太子スチュアート。
卒業記念パーティで豹変した婚約者に糾弾され。ヴェロニカはそっと、彼の隣に立つ令嬢を見る。
黒髪黒目の地味な少女。ここ帝国ではなく、ヴェロニカの国・ジェリンク王国の男爵令嬢・ピオニーだ。
「認められません。
破棄と申されましても。我々の婚約は、両国で交わした契約に基づくもの。
皇帝陛下はこのことをご存知なのでしょうか」
「侮るな。この私が、そんな手抜かりをすると思うのか?」
皇子の後ろには、証人と思しき者たちや使用人が控えている。
彼らは切り裂かれたドレスや装飾品、教科書などを手にしていた。
「いじめの証拠・証人もそろえ、父の了解は得た」
スチュアート皇子は控えていた使用人から丸められた羊皮紙を受け取り、紐を解いてその表面をヴェロニカに向かって掲げてみせた。
「万の精霊に愛される巫女、ピオニーが直々に作成した精霊契約書だ。
効力は国家間契約を上回り、これで婚約破棄は成立する。
さすがピオニー。ただ魔力が多いだけで役立たずの貴様とは、大違いだな?」
ヴェロニカはジェリンク王国の王侯貴族の中でも、際立って魔力が高い。
様々な物に宿り、人類に多大な恩恵をもたらす〝精霊〟に近いことが可能だ。
その力ゆえ、王国と帝国の融和派の後押しを受け、スチュアート皇子と婚約することになった。
だが。なかなか人に従わない精霊たちと対話し、思いのままに操れる人物が現れた。
それが〝万の精霊に愛される巫女〟ピオニーである。
この帝都学園に入ってから、ピオニーはその類まれなる才能を開花させた。
「至宝たるピオニーを、貴様は傷つけたのだ!
さぁ、罪を認めてピオニーに詫びろ、ヴェロニカ!」
そして皇子は彼女に高い価値を見出し……乗り換えた、ということである。
「いじめたなどと、認められません。
ですがそこまで仰るなら……婚約の破棄は、受け入れましょう」
「……チッ。しつけのなってない女め。まぁいいだろう。ピオニー」
「はい」
男爵令嬢が進み出る。
端に涙を溜めた、黒い瞳に。
「では。精霊契約を、執り行います」
赤い輝きが、煌めいていた。
◇ ◇ ◇
【婚約を破棄する】契約を結んだヴェロニカ。
彼女は契約内容に基づき、帝国から追放され、一人王国へ向かう馬車に揺られていた。
だが。
(やはり魔力が通らない。この馬車、帝国に多数生える〝不浄の木〟で作られていますね……。
しかも帝国国境を出ると、精霊も魔力も当てにならない〝不在の地〟が続く。
そこでわたくしをかどわかし、秘密裏に連れ帰って研究材料にするのか、あるいは暗殺するのか……)
己の暗い未来を思い、ヴェロニカの表情は暗く沈む。
(この展開は聞いていない。
…………いえ。ですかこれで、よかったのです。
契約書にはピオニーが、両国同盟堅守を盛り込んでくれました。
わたくしの目的は、果たされました。祖国が帝国に種々の手段で併呑される未来は、潰えた)
ヴェロニカは自身の左肩を、ちらりと見た。そこには、半透明の小鳥がとまっている。
先の契約を尊守させるために現れた、精霊の一体だ。
この精霊がいる限り、ヴェロニカの身の安全は保証されている。
だがそれも……帝国から出る、その時まで。
(心残りなのは。約束を、果たせないこと)
幼き日に祖国で交わした、想い人との約束を果たしたい。
そのためにもヴェロニカは皇子との婚約を破棄し、国に帰りたいと願っていた。
しかし。
(【もう一度祖国で会いたい】と、そうも言われましたが)
その望みは、叶いそうになかった。
その時。
ヴェロニカの肩に乗っていた霊鳥が、消え。
馬車が、止まった。
「降りろ」
馬車の扉が開けられ……覚えのある声がして、ヴェロニカは目を見開いた。
「スチュアート皇子!? これは――――いたっ」
腕を強く引かれ、ヴェロニカは馬車から出される。
見るからに屈強な男たちが、彼女を取り囲んだ。
「しつけ、というやつだ」
皇子の冷酷な言葉と、下卑た笑い声。
彼らの輪の外に、令嬢ピオニーの姿を見つけ。
「悪趣味な!!」
ヴェロニカはそう、口走った。
「貴様が頭を下げないので、私が連れて来た。いい機会だろう」
ヴェロニカの元婚約者は表向きは紳士であったが、やはりその中身は帝国を象徴するかのような獣であったようだ。
恐れに身を縮め、手を握り締めるヴェロニカ。
そんな彼女に。
「…………どうしますか? ヴェロニカ様」
問いと視線が、向けられた。
黒い瞳が、赤く輝いている。
「さぁ! 泣いて跪き、ピオニーに詫びろ! ヴェロニカ」
王女ヴェロニカは、顔を上げて。
多くは語らぬ、彼女を。
信じた。
「受諾、いたします」
「―――――――― 契 約 完 了 !!!!」
天に両手を掲げ、高らかに宣言したのは、ピオニーであった。
意味の分からない彼女の行動に、男たちが動きを止める。
否。止められた。
彼ら全員を、半透明の太い尾のようなものが縛り上げている。
「精霊だと!? 不在の地で、いったいどこから……ヴェロニカ、貴様!!」
精霊の尾は、ヴェロニカから生えていた。
「ピオニー、これはいったい?」
ヴェロニカは、歩み寄ってきた令嬢に問いかける。
「ヴェロニカ様の承諾で、かねてより用意していた契約が成立しました」
ピオニーは懐から一枚、細長い四角の紙を取り出した。
彼女は紙を、ヴェロニカの額に押し当てる。
張り付いた紙――――お札にびっしりと書かれた文字が、赤く輝いた。
「私が10年、力を込めた契約書です。
これで精霊の尾を、自由に操れますよ。
この不在の地であろうとも……今のあなたは、無敵です」
言われたヴェロニカは、ぼんやりと尾の一本に力を込める。
すると皇子の身が締まり、彼が苦しげに呻きだした。
「ピオニー! これは、いったい、どういう!!」
「【婚約を破棄に至らせたら、結婚していただく】。
私とそういう契約を結びましたね? 皇子」
「そうだ! 君の尽力で、婚約破棄は成った!
だから君は、私と!」
「でもその契約、最初から無効なんです」
「……………………は?」
ピオニーがヴェロニカの肩に手を置き、そっと撫でた。
「先約がいるんです。同じ契約を、以前から結んでいまして。
同等かつ、相反する内容となる場合は、契約は先に結んだものが優先されます」
「た――――――――謀ったのか、この私を! 帝国を!? ふぐゅ!」
尾に包まれ、皇子が言葉を紡げなくなる。
「あんまり力を込めると、死んでしまいますよ? ヴェロニカ様」
「いえ。聞きたいことがあったのに、うるさかったので。
つまり、わたくしがした先の承諾は?」
ピオニーは問われ、穏やかな笑みを浮かべた。
「もちろん【婚約を破棄に至らせたら、結婚していただく】の〝結婚〟の部分にかかります。
さすがにこれは、承認なく結べないので」
二人の契約を尊守するべく。
尾がゆっくりと、皇子や男たちを絞め落としていった。
◇ ◇ ◇
二人。無事に祖国の土を踏んでから、しばらく。
(皇子は国に帰しましたが、廃嫡。
わたくしばかりか、ピオニーにまで逃げられたのですから、当然でしょうか。
非人道的な精霊・魔力の研究を行っていたことが諸国にバレて、帝国自体も大わらわですし。
しばらく、平和を謳歌できそうですね)
ヴェロニカは、幼少期からお気に入りだった庭園でお茶を楽しみつつ、向かいの席を見やる。
そこには、肩口に半透明の小さな鳥を乗せ、静かに本を読む黒髪黒目の少女がいた。
(精霊の力で諜報・情報収集も思いのまま。破格の力、ですが。
…………なぜこの子は、ここまでして)
先の婚約破棄劇は――――ピオニーが仕掛けたものである。
学園高等部で入学してきて、ヴェロニカのルームメイトになったピオニー。
彼女は「この世界の〝筋書き〟を知っている」とヴェロニカに打ち明けた。
筋書きに従わないとピオニーは「バッドエンド」を迎えるらしく、彼女はヴェロニカに協力を求めた。
その一環としてピオニーは【婚約を破棄に至らせたら、結婚していただく】という、なんとも不思議な契約を提示した。
筋書きでは皇子と同じ契約を結ぶらしく、事前にヴェロニカと契約をしておくことで、結婚を回避する算段なのだそうだ。
ヴェロニカは様々なことを勘案し、これを了承。ピオニーの共犯者となった。
ヴェロニカは表向き人前でピオニーをいじめ、裏では結託して、筋書き通りの行動をとっていたのだ。
(ですが。ただ不幸を回避したいだけなら、皇子とそのまま結ばれればよかったはず。
ピオニーは、なぜ)
どうにもピオニーは、ヴェロニカを助けるためだけに、長く尽力を重ねてきたようであった。
その結実たる半透明の尾が都合九本、今もヴェロニカの尾てい骨あたりから生えている。
(不在の地での一件だけ聞いていなかったので、肝を冷やしましたが……。
この契約も、10年かけて準備してきたらしいですし。
10年、ということはやはり)
10年前、といってヴェロニカが思い出すのは。年賀会の折に会った、黒髪黒目の幼い子のこと。
おてんばだった当時のヴェロニカは退屈な席を抜け出し、その先で幼子……ピオニーに出逢ったのだ。
珍しいことをたくさん知っていたピオニーを、ヴェロニカはいたく気に入った。
「どうされました? ヴェロニカ様」
視線を気取られたようで、ピオニーが顔を上げた。
ヴェロニカは胸の内に渦巻いていた疑問を、口にする。
「結局、あなたはわたくしを助けるために筋書きに従い、備えをしてきたのですか?
わたくしを起点にした契約を準備し、長年かけて契約書を作成し。
あの荒野でこれを成立させ、わたくしの命を救おうと」
「ん……はい。そうです」
「なぜ」
問いかけるヴェロニカに対し。
ピオニーは本を閉じ、沈痛な面持ちを見せる。
「約束を、果たしたかったのです」
「小さい頃のですか?」
「小さい? あ、【大きくなったら結婚する】?」
「…………はい。それです」
出逢った当時、札の素材を収集するために王城周辺に入り込んでいたピオニーのことを、ヴェロニカは男児だと思ったのである。
「えと。それではないです」
「では学園の時の【婚約を破棄に至らせたら、結婚していただく】?」
「ん……それも大事ですが、それでもありません」
「他に約束、しましたっけ」
ヴェロニカは考えるが、思い至らない。
「ヴェロニカ様が学園を出るとき、最後に私。
【もう一度祖国で会いたい】って言いました」
「ああ……確かに。約束しましたね。なぜ、それが?」
ピオニーは長く息を吐いて。
そうして、長く語った。
「ゲームの最後、立ち去る悪役王女に声をかける選択肢があるんです。
でも物語の流れは変わらず……どれを選んでもヴェロニカは〝亡くなった〟とだけエンディングで言及される。
それまでの選択肢は全部、間違うとすぐにバットエンドになるのに。あれだけ、意味がなかった。
私は、何かあるんじゃないか? って、何度もやり直して。
調べに調べて……でも、何も出てこなくて!
だから」
その黒い瞳に。
少しの涙が浮かぶ。
「もしもあなたに会えたら、必ず約束を果たしたいって、そう思っていたんです……!」
「皇子と結ばれるより、その方がよかったというの?」
「はい! ヴェロニカが死んでしまったら、私……! 変だって、思われるかもしれませんけど!」
「――――いいえ。素敵だと、思いますよ」
応える王女に。
ピオニーが、鼻を鳴らす。
「…………後悔していませんか? ヴェロニカ、様」
彼女はぽつりと、問いかけた。
「何のことです?」
「あなたを、助ける、ためとはいえ。こんな、契約結婚、みたいな。
女同士で、なんて」
「ああ、そんなこと」
ヴェロニカは、ため息交じりに応えた。
「そんなこと、って。いやだって」
「女同士で結ばれたければ、こうでもするしかないでしょう?」
「――――――――――――――――え?」
黒い瞳を大きく丸くし、何度もまばたきをしているピオニーに笑顔を向けて。
ヴェロニカは自身の秘めた想いを、口に上らせる。
「10年前にあなたと出逢って、わたくしはあなたに恋をしました。
ですが翌日調べてもらって。あなたが男の子ではなく、男爵家の令嬢だと知ったのです。
身分と性別。政治的にも、法に照らし合わせても、結ばれることはない。
ですが。強力な精霊の力なら――――法を越え、これを叶えることができるでしょう?」
「え、え? じゃあ」
「最初は自分の魔力で実現する気でした。
婚約を破棄し、国に帰って何としてでも。
ですが、あなたがよい提案をしてくれたので。それを信じたのです」
そういってヴェロニカは、呆然とするピオニーに自らの左手を見せる。
薬指に光る、結ばれた証を。
彼女の背後では、その結婚を尊守する精霊の尾が。
静かに揺れていた。
「あなたとの約束をすべて果たせて。わたくしは実に満足です」
王女はどうしても、皇子との婚約を破棄したかった。
国家間の契約を上回る、精霊の力をもってして。
幼き日に出逢った、故国の想い人と。身分も性別も超えて、結ばれるために。