5.物理法則って
ようやく、首を動かせる状況になって、寝返りを打つことができた。
これで、部屋の中を自由に見ることができる。
オレが居る部屋は、かなり広い。高エネルギー重力研究所の社宅は、3LDKだった。一番広いリビングで12畳だった。そのリビングの10倍ぐらいの広さがあると思う。
中央に、オレが寝ているベッド。ダブルベッドぐらいの広さだ。
壁際には、いくつもチェストがあって、そこに布製のものが収められている。
ベッドから少し離れたところにテーブルがあり、幾つか椅子が置いてある。
そのテーブルは使われているところを見たことがない。
大きめの窓が、二面にある。
日中の日の入りかたから、東向きと南向きに窓があるようだ。
建物の南東の角部屋ということになる。建物の中で、一番良い部屋だろう。
窓にはガラスは無い。木でできている扉のようなものを開閉する仕組みだ。
壁は漆喰が塗られていて真っ白だ。石造りなのか、木造なのかは分らない。
床はたいらに削った石でできている。研究所の床のような光沢は無く、削ったままだ。
部屋の外と内を人が出入りしているのだが、砂や埃などはなく綺麗なものだ。
抱き上げられて窓ぎわから外を眺める時には、東から南に海が見える。この場所は、海の側なのだろう。
蒸し暑いときには、海からの風が気持ちいい。
オレもこの国の言葉で、話が出来る様になった。
いろいろと世話を焼いてくれている女性にいろいろと質問を試みている。
「これ、なに?」というのが、最も効率的な質問だ。
こちらが意図しない答が返ってきても、それを元にさらに質問することができる。
しばらくして、ハイハイをすることが出来た。一気にあちこちへ移動できる。
まだ、足の力が無くて、立ち上がれない。
何とか、病院に居る本体との繋りになりそうなものが無いかと思っているのだが、なかなか見付からない。
部屋の外に出ようとしたら、抱き上げられて、部屋の中心に戻された。
抱き上げた女性は、「綺麗にしているこの部屋から出てはいけない。」と言っていた。
この頃には、少し複雑な言葉も理解できる様になっていた。
そう言えば、この部屋の掃除をしているところを見た記憶が無い。
箒やチリ取りなんて、見たことが無い。
それでも、この部屋の中は塵一つ落ちていない。不思議なことだと思っていた。
ある時、アウドとフローラが二人でやってきた。フローラがおっぱいを飲ませてくれた。
その後、二人にいいだけ、弄くられた。
二人が出ていったあとで、床に土が落ちているのが目に入った。
アウドが靴に土が付いたまま部屋に入ってきて、その土がこの部屋の床の上に落ちたのだ。
土を見ていたら、女の人が土のそばにやってきた。その瞬間、土が空中に浮いた。
その周辺の砂や土が集められて、床の上でぐるぐる回りながら宙に浮いている。
宙に浮いた土や砂は、女性の後を付いて移動していく。
女性が窓の側に立つと、その土や砂は窓の外に飛んでいった。
今のは一体何だ?
部屋が綺麗な状態で維持されている謎は解けた。でも、今の現象は一体何だ?
見事に部屋の異物を窓の外に飛ばした女性に問い掛けた。
「今、何をしたの?」
「部屋を綺麗にしたのですよ。」
うーん聞きたいことはそれではない。綺麗にしたのは見れば分る。
「どうやって、綺麗にしたの?」
「どうって、魔法で綺麗にしたんですよ。」
魔法という言葉は始めて聞いた。
「魔法って何?」
「アイル様は、まだ魔法をご存じではなかったですね。
火を出したり、水を出したり、今の様に風を起したりすることですよ。」
なんか、いとも簡単に、とんでもない事を言っていないだろうか。
「火とか、水とかを出すことってできるの?」
「ええ。でも部屋の中ではあまりしないのですが。小さかったらだいじょうぶかな。
これが、火の魔法よ。」
と聞こえたと同時に、指先に球形のプラズマが発生していた。そしてそれは何の前触れもなく消えていた。
「そして、これが水の魔法。」
突然、空中にテニスボールぐらいの水の塊が現われた。そして、しばらくそのまま空中を浮遊して、突然消えた。
「ね。火とか水とかが出るでしょ。」
この瞬間オレは混乱した。
魔法って、日本語の『魔法』のことか??
今発生した火と言っていたものは、ピンク色をした窒素プラズマだった。プラズマが何もない空中に安定して存在できるのか?
プラズマは、物質から飛び出した電子や、電子を失なった状態の物質のことだ。通常は、高温や高電圧にならないと発生しない。何の前触れもなく空中に突然現われるものではない。ましてや、空中で、特定の領域の空間に保持できるとは思えない。そして、何の前触れもなく消失した。
水にしてもそうだ。空気中にはかなり大量の水が溶け込んでいる。だから、空気から水を分離すること自体は難しいことではない。冷い水が入った容器の外側に結露して水が付着しているのがそれだ。しかし、それを突然何もない一箇所に凝集させて、空中に保持できるものではない。そして、それも一瞬で消失してしまった。
どちらも、物理的に有り得ない現象だ。いや、方法が思い付かないだけで、有り得るのだろうか。いや、どう考えても、実現する物理法則が思い浮かばない。
熱力学に全面的に喧嘩を売っているとしか思えない。
まあ、仮に、これが、閉じ込め症候群状態のオレの頭の中での出来事だとしたら、あまり深い意味はないのだ。
しかし、オレの頭は狂ってしまったのか。いや、夢なのだったらどんな不可能も有り得るのか……。
夢でなかったら、こんな現象が発生することが信じられない。
夢だったら、こんな現象を夢で見るオレの脳味噌が信じられない。
しばらく黙り込んでしまったオレを見て、女性は、
「あれ、驚かせちゃった?でも、アイルさんのお父様やお母様はもっとすごい魔法が使えるんですよ。」
と言っている。
両親はもっとすごい魔法が使えるということは、魔法はこの女性特有の不思議現象ではないらしい。
オレはどう考えたら良いのか途方に暮れてしまった。
それからも、何度か魔法現象を目にすることになる。
洗濯した布があっという間に乾いてしまう。チェストからずれ落ちた物が空中で停まって、元に戻る。
実は、こういった現象を、これまでに何度か目撃していたのかもしれない。でも、オレの意識が勝手に無視していたのだろう。
オレは、これは、夢のなかの現象で、思い悩むことは無いのだと決めつけることにした。
そうしている内に、オレはヨチヨチ歩きが出来る様になった。足の筋力が足りないのか、バランス感覚が育っていないのか、きっと両方なのだろう。少し歩いてはコケている。
歩くことが出来てからは、部屋の中で、練習のために歩き回ることにした。
そのうち走ることもできるんじゃないだろうか。
正月になった。
正月に皆一緒に歳を取ることになっているらしい。
オレはまだ、館の中にいる大人達のお祝いの席には参加させてもらえていない。
生れて1年経たないと、部屋の外に出てはいけないらしい。
生れて1年経ったら、騎士団長のソドのところの娘と会えるらしい。
どうやらオレと同じ日に生れた。そして、オレと同じで、生れて時を置かずに話し始めた。それが珍しいことなのか、どうなのか、オレには分らないが。
ひょっとしたら、外部の体と繋がるようなことが見付かるかもしれない。
楽しみにしておこう。
どうせ夢の中のことだから。