70.別れ
「アウド様。少しよろしいでしょうか。」
今日も、アイルさんとニケさんの報告をした。
ただ、今日は、別件を伝えなければならない。
「なんだ。改まって。また、二人がまた何かしでかしたのか?」
「いえ、お伝えしなければならないことがあります。」
そう言って、上司から届いた封書の中にあった親書を、アウド様に渡した。
今では、王都でも、紙が使われ始めている。
新し物好きの上司は、態々封筒に親書を入れて私の元に届けてきた。
「めずらしいな。封筒ではないか。ん。この封印の紋は……。」
「はい。陛下からの親書です。」
「なぜ、ウィリッテがこのような物を……。」
「まずは、中をお検めください。」
親書に書かれている内容について、私は、既に私宛の手紙で知っている。
そして、私は、今年限りで、この地を離れなければならない。
「こっ、これは。この内容は、本当なのか?」
「はい。その様な事情で、私は、今年かぎりで御暇を頂きます。
私の事情については……出来れば、お二人には内密にお願いいたします。」
親書の内容を、誰に伝えるのかは、受け取った者に委ねられる。
私の希望は、あくまで、私の我侭だ。
「それは……分った。ただ、グルムとソドには伝えておく必要がある。
バルトロ、居るか?グルムとソドを呼んでくれないか。」
家令のバルトロさんが、部屋の外で、返事をしている。
夕食から然程経っていないので、まだ館内に二人は居るかもしれない。
いくつかの質問に対して、伝えられる範囲で応えていると、二人がやってきた。
「アウド様。どうかなされましたか?ウィリッテも一緒なのか?」
とグルム様。
アウド様は、陛下の親書を二人に見せた。
ソド様は無言で、親書を見ていた。
グルム様は、
「なんと。それで、ウィリッテ殿は、どうされるのだ?」
「アウド様にもお伝えしましたが、今年限りで御暇を頂きます。」
「そうか。そなたも大変であるな。」
「ニケが悲しみそうだな。二人には伝えるのか?」とソド様。
「出来れば、お二人には内密にお願いしたいと思います。
実家で不幸があったということで、アトラス領を離れようと思います。」
「そうか。口裏を合わせておく必要はあるな。」とアウド様が仰って、二人が頷く。
これで、私は、アトラス領を去ることが決まった。
二人に嘘で説明するのが辛いのだが、また、そのうち、何処かで会うことも適うだろう。
ーーー
ダムラック司祭は、あの後も、度々領主館を訪れて、父さんやソドおじさんと酒を飲んでいる。
三人が王都で知り合いだったという話は本当なんだろう。
神殿との間には、友好的な雰囲気がある。
まあ、地動説みたいな話をしなければ、多分、大丈夫かな。
グルムおじさんの話では、領都マリムの人口がd40,000人(=82,944人)を越えた。
浄水設備と下水設備を増設することになった。
まだ余裕は有るのだが、余裕が無くなってから対応するのは避けたいという事で、今年の内にと増設した。
先日街を作り変えたときに増設した住居は、半分ほどの稼働率だ。ただし、この勢いで人口が増えると来年には、街を拡張する事が必要になる。
街を拡張するための準備が始まった。
農地を、マリム川の対岸に増設している。
コンビナートに作った橋が重要になっていると聞いた。
マリム川の河口付近に橋が作れないかを相談されている。
河口に橋を作ろうと思うと、差渡し、20kmぐらいになる。
今回も石橋という訳にはいかないだろう。
鋼鉄製の吊り橋が解だと思う。
ただ、こんなに大きな橋は、地球でもそうは無かったんじゃないだろうか……。
それを作るには、大量の鋼が必要になる。
ニケに聞くと現状のクロム鉱石の採掘量では、足りないらしい。
一応の設計だけをしておこうかと思う。
領主館や、街の中で電化が進んでいる。
来年になったら、電力設備も追加で稼動した方が良いのかもしれない。
領主館内の主立ったところにアーク灯を立てた。
各部屋には、電灯を設置した。
魔法で作製した電球を使っている。
電球の寿命を考えると、LEDに変えたいのだが、小型の直流電源が必要になる。まだ、小型の電子部品が作れるようになっていない。
ただ、もう少しのところまで出来つつはある。
鍛冶工房や、ガラス研究所、ガラス工房の軸流コンプレッサーは、モーター駆動に変えた。
これで、ペダルを漕いで空気を圧縮しなくても済む。
騎士さんたちは、「訓練みたいなものです。」と言って、引き受けてくれていたけれど、大変だったのに違いは無い。
電気があるために、磁性体を磁化して、磁石を作れるようになった。
ニケが魔法で磁石を作らなくても良くなった。
上水を供給するタンクは、順次小型のものに変えて、モーター駆動のポンプを採用し始めている。
拡張する予定の街は、海沿いから少し高台になっている。モーター駆動の水のポンプは必須になるはずだ。
そんな訳で、街の中では、多数のモーターが必要になりそうだ。
モーターが領都内で生産出来るように技術指導を始めた。
電力線の整備のための知識を教えるために、文官や希望者に講義をした。
段々と、技術面での進展が進んでいる。
ニケが、59番目の鉱物探索チームが帰ってきたと言っていた。
相変らず、石炭が見付かっている。
随分と広大な石炭鉱床が有るようだ。
電力が使えるようになったので、来年になったら、ニケはコンビナートで製錬、精錬設備を造りたいと言っている。
ニケに言わせると、アトラス領は、金属資源の宝庫らしい。
それを使って、様々な化学品を作るようにしたいみたいだ。
鉱物探索チームは残すところあと1ヶ所だ。
ソドおじさんの話では、60番目の鉱物探索チームは、危険な場所に行っている。
そのチームは、ノルドル王国との国境地域へ向ったのだ。
現状では、特に紛争があるという訳ではない。しかし、北極線よりかなり北に国境があり、かなりの寒冷地らしい。その所為もあって国境線周辺を守れていない。
度々隣国が越境していたりしている。
諍いが発生しなければ良いのだがと心配していた。
研究所の中でも、電気が使えるようになった事から、様々な測定装置を作っている。
オレの管轄では、各種電気測定装置、強度試験装置など。
ニケの管轄では、各種イオン電極を作って、電気化学分析ができるようになった。
以前作製した分光光度計は電池式から電源利用に変更した。
そして、ニケが厨房に電気オーブンが欲しいと言いだした。
ケーキやクッキーを焼きたいみたいだ。
砂糖はどうするんだと聞いたら、トーンダウンした。
今は、必死になって、砂糖の含有量が多い植物を探しまくっている。
有れば良いね。
そんなこんなで、電化に伴う対応が少しずつ進んでいる。
そして、オレは、今、無線通信のための装置を作っている。
マリムダムも、コンビナートも領主館から離れているため、何かが有ったときのための通信手段が欲しい。
最初は、有線通信装置にしようと考えた。なにしろ、電子部品が無い。それを作るところからやらなきゃならない。
とりあえず、無線装置の手前の有線の通信装置を作ろうと思った。
要するにインターフォンだ。
ただ、良く考えてみると、有線の通信装置だと、通信線を遠隔地まで繋がないとならない。
しかもマリムダムほど遠くなると、途中に多数の信号増幅装置が必要になる。
配線工事や、設置の手間を考えると、最初から無線通信を考えた方が楽に出来そうだ。
コンビナートで、定電圧回路を作ったときに平滑用のダイオードや、ツェナーダイオードを作ったので半導体はある。
ただ、力技で作ったダイヤモンドダイオードは、大電流を処理整流するためだけのものだ。p型とn型のダイヤモンドを接合しただけの塊だ。
シリコン半導体で、ツェナーダイオードを作ったけれど、これも不純物濃度を調整しただけで、半導体の塊という点で、基本的には同じだ。
コンデンサーも巨大な電気二重層キャパシターで代用している。
電源回路なのでそれで上手くいってるが、一般的な電子回路を組むための部品としては使い勝手が悪すぎる。
今は、電子部品の、小型のトランジスタと抵抗、コンデンサを試作している。
抵抗はあまり気にしなくても良い。温度特性が問題にはなるが、それも室温プラスαの範囲で安定していれば良い。
魔法があるので、抵抗素子そのものは、作るのに苦労することはあまりない。
コンデンサは少し考えないとならない。
前世で使用したコンデンサは、小容量のものはセラミックコンデンサ、大容量のものはフィルムコンデンサだった。
フィルムコンデンサのフィルムは、プラスチックフィルムだ。
ニケは、この世界でプラスチックを作るのを躊躇している。
ゴムは、天然素材なので、必要なときに大量に作っている。
しかし、合成樹脂のプラスチックで、唯一作ったのはポリカーボネートだけだ。
ポリカーボネートも、防護用メガネの材料として作っただけで、他に使っているのを見たことがない。
ニケは、プラスチックを作るかどうかは検討中だと言う。
完全に管理できる状況でなければプラスチックを作る気が無いみたいだ。
電線を作るときにも、塩ビが欲しいと言ったのだが拒否された。
プラスチックは色々な意味で便利だ。電気的な絶縁性能もある。柔軟性があり、薬品や水に対して安定だ。
ただ、ニケに言わせると、それが問題なのだ。
この世界をどういった方向に進めるのかは、オレ達次第だと言われた。
前世の世界に多種多様にあったモノは、この世界にほとんど無い。
金属やセラミックは、分離するかどうかだけの事で、この世界に既に存在している。
しかし、プラスチックや、特定の有機化合物は、この世界には無いものだ。
薬の開発をしているときに、サルファ剤を作るかどうかも悩んでいた。
サルファ剤があれば、感染症を防げる。
ただ、感染症を防ぐ物質は、この世界で、細菌などを含めた生物にとっては、分解できない物質なのだそうだ。
ニケは、化学物質の影響や、毒物に対して、凄く気を使っている。
バリウムで漂白剤を作るときにも躊躇していた。化学者なので、薬品に対しての環境安全性が気になるのだろう。
そんな状況で、ニケは、今のところ、プラスチックを作ってくれない。
そうは言っても、容量の大きなコンデンサは必要だ。
しかたが無いので、セラミックコンデンサで対応することにした。
コンデンサの容量は、電極間に充填されている誘電体の誘電率と、電極面積に比例して、電極間の距離に反比例する。
電極の間は、何かが充填されていなければならないかというと、そういう訳ではない。
真空でも誘電率があるので、単純には、対向する2つの電極と絶縁層から成り立っているのがコンデンサーだ。
ただ真空の誘電率は、とても小さいので、誘電体を間に挟む。
誘電体とはつまり、絶縁体だ。
前世でも、積層セラミックコンデンサは、それなりに大きな静電容量を持っていた。積層にすることで、電極面積を増加させるとともに、薄く積層することで、静電容量を増加させることができる。
前世でコンデンサ用の誘電体として使われていたチタン酸バリウムと酸化チタンをニケに作ってもらった。
チタン酸バリウムは、強誘電性結晶として良く知られている。そのため、高周波特性は良くない。
酸化チタンは、常誘電体で比較的小容量のコンデンサに向いている。
積層セラミックコンデンサも、魔法があると作る事自体は難しくはない。金属とセラミックが積層しているイメージというか、そういった図面を思い浮べると勝手に構造が出来上がる。
トランジスタも、NPN型とPNP型を作ってみた。
ただ、オレもトランジスタを作ったことは無いので、かなり試行錯誤した。
トランジスタの特性パラメータとして知られているのは、YパラメータやZパラメータ、hパラメータなどの四端子法によるパラメータなのだが……。
測定する装置を組み上げならがら、トランジスタの評価をしていく。
とりあえず作ったトランジスタを利用して、発振器を作ったり、増幅器を作ったりして、評価を進めていく。
良い感じのトランジスタが出来たら、回路のトランジスタを交換したりする。
測定が上手くいくようになってきたので、ベース半導体の上に接合した、エミッタとコレクタの形状を変えて確認していく。
だんだんと、形状パラメータ、不純物量などと特性パラメータ、耐圧性、周波数特性などの関係が判ってくる。
ものすごく時間が掛った。
とりあえずの、無線機第一号が出来たころには、12月の末になっていた。
あと1週間で、年が明けるというときに、ウィリッテさんから、大切な話がありますと言われた。
ウィリッテさんは、寂しげな表情で、実家で不幸が有ったために、この領地を離れて、実家に戻らなければならなくなったと言う。
ウィリッテさんには、もの凄くお世話になっている。魔法を基礎からウィリッテさんに教えてもらった。
教育の時には、あれこれ、質問攻めにした。
感謝の気持で一杯だ。
ニケは、かなり懐いていたので、泣いている。
オレとニケは、ウィリッテさんに、感謝の気持を伝えた。
「本当に、申し訳ないです。
私の我侭で、お二人とはお別れしなければならなくなって……。
アイルさんが作るものには、何時も驚かされていました。私の人生で、これほど驚くことは無いと思うぐらいでした。
ニケさんには、分離の魔法を教えてもらって、魔法使いの格を上げることもできました。
お二人と出会ったことは、私にとっては、かけがいのない事です。
お二人ともお元気で。」
そんな別れの言葉を残して、ウィリッテさんは、領主館から去っていった。
そして、ほどなくして、年が変わり、オレとニケは、4歳になった。




