58.馬車
アイルは、必要な数表を作り終えたようだ。
今は、発電機や電子回路の検討を始めてくれている。
しかし、あの計算機の騒音は酷かった。
勧めた私が悪かったのかもしれないけど、あんな大掛かりなものを作るとは予想してない。
最初に動作試験をしたときは、防音対策をしてなかったため、研究所に雷でも落ちたのだと思った。
今日は、アイルに頼まれて、永久磁石や銅、鉛蓄電池を作っている。
鉛蓄電池は、硫酸が必要なので、今は魔法を使うしかない。
コンビナートで、色々作れるようにしたいけれど、今は、休耕地をどうにかしたい。
人が増えてきたので、食料が足りなくなるのは時間の問題だろう。
農産物を増やすのは、直ぐにはできないから、なるべく早く対応したいところだ。
しかし、魔法は意味が分らん。
鉛蓄電池は、鉛と二酸化鉛を電極にする。鉛が陰極で、二酸化鉛が陽極だ。
放電が進むと鉛と二酸化鉛は硫酸鉛になる。
でも、魔法で、元の状態に戻せる。
蓄電池と言ってみたけど、全然電気を溜めてない。ただ、化合物を元に戻すだけだ。
私が居れば、永久機関だよ。
『なあ、ニケ。移動のために、馬車を作らないか?』
作業していたら、アイルが提案をしてきた。
私達は、時々、コンビナートへ行ったり、ガラス研究所に行ったり、たたら場に行く。
そんなに頻度が高い訳ではないが、技術指導やメンテナンスが必要な事もある。
何処も歩いて行ける場所じゃないから、馬で移動する。ちょっと大きくなった赤ん坊の私達は、騎士さんか侍女さんに、おぶられたり、抱かれたりして移動だ。
まあ、窮屈ではあるが、耐えられない訳じゃあない。
出掛けるときには、その都度、お父さんが、私達を警護するために、大規模な騎士軍団を編成する。
戦争でもしに行くのかと思うほどの人数だ。
過保護すぎだろ。
ただ、それも理由がある。石礫とか、弓矢とかの攻撃を避けるために、周りを人馬で囲んでいる。
そんな状態だから、馬車を作って、防護しながら移動するというのは良いかもしれない。
『そうね。馬車か。有ったら良いかも。』
『だろ。だろ。それで、こんなデザインを考えたんだけど。』
そう言って、アイルが、馬車と思しき図を見せて説明してくれる。
なに?これ、装甲車じゃない?
いくらなんでも、ないわー。
『アイル。なに、これ?
一体、どうしたいのよ?
攻撃されるとしたって、ライフルやミサイルを打ち込まれたりしないわよ。
第一、こんな鉄の塊、どうやって馬に曳かせるのよ。
却下よ。却下。』
『そんなことないよ。ハニカム構造とか、中空構造とかを駆使すれば、馬4頭ぐらいで曳くことができるはずだよ。』
『あのね。そんなに重い馬車。道が泥濘んでいたりしたら、直ぐに動かなくなるわよ。
軽い方が良いの。軽くてエレガントなもの。
こんな無骨なものに乗りたくないわ。』
まわりに居た、助手さん達や、ウィリッテさんやカイロスさんは、また、私達が何か新しいものを作るのだろうと、興味津々で見ている。
置いてきぼりにするのも何だし、一緒に移動する時には、同乗者になる事もあるのだからと思い、皆に説明した。
女性陣からは、非難の声が上がる。そりゃ、やだよね。こんなのに乗るの。
それからは、助手さんたちを交えて、馬車のデザインの話をする。
発言が多いのは、やはり女性達だ。
普段の服装で、座って移動できるのであれば、その方が良いと思っている。
男性からは、意見が出ない。
皆、馬で移動出来るので、馬車に乗るかどうかはその人次第だ。
男性は、馬車に乗るより馬に乗った方が良いのだろう。
皆で、外観のデザインを考えていく。とは言っても、意見を言うのは女性達だけだ。
アイルの最初のプランと比べて、随分とエレガントなものに仕上がった。
乗車人数は、大人8人にした。
それ以上になると、人の重さだけで、かなり重くなる。
この世界の道は、当然ながら、舗装されている訳じゃない。
この前、コンビナート用地を見るために、大回りしたとき街道を見た。
街道は、踏み固められているだけの土の道だ。
あれで、主要な幹線街道だというのだから、他の道は、もっと酷いかもしれない。
重量のある馬車なんか、雨の後は移動するのに難儀するだろう。
アイルは、設計を始めた。設計も、制作も材料さえあれば、直ぐ終るだろう。
そう思っていたら、アイルから、質問された。
『オイルシールになる材料は無いか?』
『えっ、オイルシール?
うーんフッ素ゴムかニトリルゴムだよね。どっちも無いけど。』
今のところ、有機素材は、天然成分由来の物質以外は、なるべく作らないようにしている。
前世は沢山の化学物質を使えて便利だったけど、後の処理は燃やすしかなかった。
下手に廃棄すると、環境に残ってどう拡散するか分からない。
それに、中には、焼却すると危険なものもあった。
きちんと後の処理とか、再利用の方法とかが確立してからにしようと思っている。
『そうか。オイルアブソーバーを作ろうかと思ったんだけど……。サスペンションはどうしようかな。』
そう言うと、アイルは、鋼を使って、2台の馬車を使って作ってしまった。
段々人間離れしてきてるんじゃないだろうか。
馬車は、有蓋馬車と呼ばれる箱型だ。
馬車の前部には、馭者をする人の椅子が付いている。
本体は結構な大きさだ。大人4人が向かい合わせに座る。
窓としてデザインした所は穴になっている。
後で、ガラスでも嵌めるのだろう。
「こっちが『リーフスプリング』、こっちが『スプリング』と『ディスクアブソーバ』で作った『馬車』なんだけど、どっちが揺れが少ないかは、確かめてみないと判らない。
少し走らせてみようかと思うんだけど……。」
アイルのその言葉を聞いた騎士さんが二人ほど、どこかに走っていった。
あれは、お父さんのところかな?
内装を見てみたら、硬い椅子しかない。
そりゃ鋼で作ったんだから、そうなるか。
ダメだろ。それじゃ。
侍女さんに、布と綿を持ってきてもらって、クッションを作ってもらう。
内装は後回しで、お尻が痛くないようにだけする。
そんな対応をしていたら、走って行った騎士さんが、馬を4頭と何人かの騎士さんを連れて戻ってきた。
なんと、手際の良いことで……。
聞くと、この馬たちは、駄馬で、騎士団で荷台を曳くのに使っている。馬車を曳くのも大丈夫だろう。御者は専門の騎士さんがやる。
馬と取り付ける金具をアイルが作って、とりあえず、領主館内を走ってみることになった。
領主館内の道は殆どが石畳だ。そういう意味ではあまりデコボコしていない。
折角なので、馬車に乗ってみることにした。
馬を軛を付けて、馬車の轅に繋げる。担当の騎士さんが、馭者席に座って、馬の調子を整えて、移動を始める。
助手さんと私達は、箱の中だ。道のデコボコがあまり無い所為か、ほとんど揺れない。
馬車自体は、軽快に走っている。
鋼鉄製なのに?
アイルに聞いたら、車軸はベアリング軸受けで、壁はハニカム構造だと言っている。
轅も、中空構造になっている。その他、強度を犠牲にしない範囲で、軽量化できるところは極力軽量化してる。
まだ、強度と車重の調整が必要だと言っていたが……。
もう、あとは、アイルに任せておけば良いだろうということだけは解った。
結局、2台の馬車を乗り比べてみて、違いが判らなかったので、翌日、コンビナートまで行ってみることになった。
私と私の助手さんたちは、御遠慮することにした。
他にやっていることがある。
物理バカに付き合ってられない。
『なあ、ニケ。窓なんだけど、硬い透明な素材が良いと思うんだ。それで、石英とアルミナとダイヤモンドのどれが良いと思う?』
『えっ。何を窓にするって?』
『石を投げ付けられたり、石の鏃の矢が飛んで来ても割れないっていったら、やっぱりダイヤモンドが良いのかな?』
『なっ。ダイヤモンドの窓!?そんなもの知らないわよ。
ただ、ダイヤモンドは硬いけど靭性は石英と同じぐらいだったと思うわ。
強い力で叩かれたら割れるかもしれない。
アルミナの方が少しマシかもしれないけど……。
そんなもの窓に使った例を知ってる訳ないじゃない。
それに、頑丈さを問題にするんだったら、ウチのお父さんが、確認したがりそう……。』
『あっ。それ良いね。頼んでみようよ。』
やっぱり、物理バカには付き合っていられない。
翌日、アイルとその助手さんたち、ウィリッテさん、カイロスさんは、嬉々として、コンビナートまで走行試験に行った。
私は、これまでの作物の育成記録を纏めていた。
うーん平和だ。
アイル一行は、サスペンションのデータを取ってきたらしい。昼前には戻ってきていた。
サスペンションにどちらを選んだのかは聞いていない。
どっちでも良いよ。揺れなければ。
その後、お父さんが攻め手、アイルが守り手で、馬車の破壊試験をしている。
まあ、男の子たちのゲームみたいなもんだ。
お父さんの雄叫びと、激しく金属がぶつかり合う音。
もう……慣れたよ。騒音には。
最終的には、アイルが勝利した。
お父さんも認めざるを得ないと言っていたから、相当丈夫なものが出来たのだろう。
思っていたよりかなり窓は厚かった。多分1cm以上あるよ……。
その上、中に鋼の網が入っている。
お父さんの打撃に耐えるために工夫したんだろうけど……。
窓の素材が判明すると、大騒ぎになりそうだ。恐しくて直接アイルには聞かなかった。
私に素材の依頼が来なかったことで、何かは想像が付くんだけどね……。
そんなものは、外が見えさえすれば、何だって良いんだよ。
結局、助手さんたちの移動もあるので、研究所で馬車は2台常駐することにした。
完成した馬車の内装を、女性研究者と侍女さん達といっしょにやった。
窓にはレースのカーテンを付けた。大量に綿を使ったシートと、アイルに頼んで、座面にコイルスプリングを仕込んだ。
うん。フカフカだよ。
壁や床は、布を張ることで、快適な居住空間になった。
外壁は、クロムと金で表面処理して、錆を防止するようにした。
なかなか高級そうな佇まいになった。
いや、多分メチャクチャ高級品だよ。窓だけ見ても……。
いつの間にか、アトラス家、グラナラ家、セメル家で、1台ずつ所有していた。
それらは、アイルがほぼ一瞬で作っていた。
私は、外壁のクロムや金の表面処理だけを手伝った。
内装は、各家でやってもらったよ。そこまで面倒見切れない。
その後は、アイルはこの件に満足したのか、興味を失なって、発電機の設計、試験に取り組んでいた。
まあ、いつも通りだ……こうなるとは思ってたよ。
コンビナートに用事が出来て、初めて馬車で移動してみた。
振動はほとんど無くて快適だ。
抱かれたり、おんぶされたりして馬で移動のような窮屈な思いはしなくて済むのは、随分と楽だ。
お父さんは、馬車の安全性が確認できたので、騎士の人数を減らすと言っていた。
それでも暴動鎮圧部隊ぐらいの人数が付いている。
前より大分減ったから良いのか……。これで……。




