52.天体望遠鏡
天体望遠鏡の設計を再開した。
紙は順調に生産できている。足りなくなったら、助手さんに頼むとどこからか持ってきてもらえる。
かなり、潤沢に使えるのは有り難い。
できれば鉛筆かボールペンが欲しいのだが……それは、オレが作るしかないのか……。
そのうち気が向いたら考えることにしよう。
インクは、紙の製造を委託したボーナ商店が改良したみたいで、裏に滲む事も無くなっている。
領主館は、領都マリムの北東の丘の上にある。領主館の周辺に高いところは無い。領地の建物は皆2階建てで天体観測に影響は無い。
北の遠方に高い山々が見えるが、視角で5度も無いので、これも影響は無いだろう。
天文台を作る場所は、領主館の敷地の演習場と居住スペースの間になった。
領主館の中には、倉庫や木など、それなりに背の高いものがある。それらが水平線の下になるように、石組みで土台を作った。
土台の上に、雨避けのドームを作って、その中に天体望遠鏡を設置することにする。
ドームは、地球で良く見る半球状になっていて、中央が割れて天体観察が出来るようにしたかった。
しかし、人力で、観察の方向にドームを動かすのは、ちょっとムリだった。
仕方が無いので、ドーム部分は、4つに割れて折り畳まれる構造にした。
天体望遠鏡は、大きく分けて、屈折式と反射式がある。
屈折式は、以前、父さんたちに見せていた望遠鏡と構造は同じ、レンズで構成した望遠鏡だ。
ケプラー式の上下が反転するのを補正する必要は無いので、プリズムを入れたりはしない。
ただし、倍率を上げようとしたり、色収差を軽減しようすると、どうしても鏡筒が長くなってしまうので、あまり口径を大きくできない。
反射型は、屈折型に比べると、鏡筒の中で光を折り返すので、同じ口径でも鏡筒が短くなる。
口径が大きいほど、弱い光を取り込むことができるので、暗い星を見ることができる。
観測する対象は、超新星爆発を起したメクシートとこの恒星系の惑星だ。
メクシートという名前は、もともとこの世界の惑星の名前だった。
「神々の戦い」の後に見られなくなった太陽に随伴していた星が、破裂して星雲になってしまったと言われている。
そのため、この星雲のことを、この世界の人は「メクシートの跡」と呼んでいる。
「メクシートの跡」にある星はそれほど明るくない。
この場所を観測するのならば、口径の大きな望遠鏡が欲しい。
そんな理由から、主望遠鏡は、大口径の反射望遠鏡にした。
大きな望遠鏡は重い。
支える赤道儀式架台も大きく重くなる。
重量の所為で歪みが発生すると、像が歪んだり、経緯度の測定精度が悪くなる。
可動式の重量物を作るために、構造計算に苦労している。
まだ、構造計算には時間が掛りそうだ。
そもそも、この世界の鋼の構造定数が正確に解っていないので、それを測定しながらやっている。
そんな訳で、なおさら時間が掛る。
天文台の場所を作ったので、比較的小型の屈折型望遠鏡を設置して、観測を始めることにした。
口径3デシ、鏡筒長さ、40デシの屈折型の望遠鏡を作った。
それを赤道儀式架台に設置した。
赤道儀の回転部分に角度を刻んで、望遠鏡が向いている方向の経緯度を読み取れる仕組みを作った。
角度は、この世界に合わせて、全周を360度ではなく、12時、12刻、12分、12秒で区分した。
12時で360度。12刻で1時。12分で1刻だ。こうすると、大体5分で1度だ。
秒は、バーニアを使って72倍の拡大率にして、読み取れるようにした。
経緯度のうち、経度はどこかに基準が必要になる。
相対的なものなので、どこに決めても別に構わないと言えば構わない。
基準にする決め手を思い付くことができなかった。
仕方が無いので、この場所で、今年の年変りの0時0刻0分0秒の太陽である恒星ヘリオの位置と思われる方向を経度の基準にした。
そう決めたところで、測定精度が吟味できるほどの情報が無いので、多分、あまり正確ではないと思う。
最終的にどうするかは別にして、この天文台の赤道儀の設定が天球の経度を決めている事にした。
こう決めておけば、指定日時の恒星ヘリオの大体の方向は分るので、まあ良いだろう。
緯度は、天の北極をプラス6時にした。
天の南極は、ここからは見ることができないが、マイナス6時だ。
オレや、ニケの助手さんたちは、今では、数値にはプラスとマイナスが有ることは十分理解しているようだ。
助手さんたちに、出来上がった、屈折望遠鏡を使って、星図の作製をお願いした。
天体観察は、夜にしかできないので、全面的に助手さんたちの手を借りないとならない。
残念なことに、オレは幼児なので、どんなに遅くても、8時(=20時)には就寝だ。
徹夜で観察なんて体力的にできないし、多分許してもらえないだろう。
日中は、オレが、大型望遠鏡の設計をやって、夜間、助手さんたちに、主立った恒星や惑星の経緯度測定をしてもらうことにした。
助手さんたちに、見えている星の赤道儀で測定した経緯度の値と時刻から天球の経緯度の計測方法を教えた。
夜間、観測した日時と星の赤道儀の経緯度、計算した天球の経緯度の値を記録してもらう。
多分、この世界でも通常の恒星は、天球上の経緯度は変わらないはずだ。
違っていれば、それはそれで面白いのだけども……。
一方、惑星は、天球上の経緯度の位置が変わっていく。
目立つ明るい星から適当に、経緯度を測定してもらうことにした。
明るい星には、この世界でも名前が付いているみたいだ。
星図に記載する星の名前はそれを使用することにした。
星の名前は、助手のピソロさんとダビスさんが詳しかった。
助手さんたちに、惑星のことを聞いてみた。他の星と違って位置が変わる星。瞬かない星。三日月に見える星。
いろいろ言ってみたのだが、殆どの助手さんたちは惑星についてはあまり知らなかった。
ダビスさんだけがメゾナなどいくつかの星は、その時々で場所を移動するので、神話の神の名前が付いている事を知っていた。
ヘリオの側にいるヴィナも、季節によって、夕方に見える時と明け方に見えるときがある。
そういった星としてダビスさんが知っているのは、ヴィナ、メゾナ、アストラ、ソタニア、シカニナの五つあった。
ヴィナは、ヘリオの側にいるので、内惑星で決まりだろう。
メゾナとアストラ、ソタニア、シカニアは外惑星の可能性が高い。
それらの三つの星が夜見える場合には、かならず経緯度を測定してほしいと頼んだ。
この世界の暦は、太陽太陰暦なので、新月の日が一日、満月の日が19日だ。
観測を始めたのは、5月の始めだった。
そして、5月19日は天気が良かった。
夕食後に、天文台で月の観察をしないかと両親達を誘ってみた。
オレとニケ、その両親、グルムおじさんの家族、ウィリッテさんも参加した。
日が沈んで、空が暗くなってくると、東の空に明るい満月が見えた。この世界では月の事をセレンと呼ぶ。セレンに鏡筒を向けて、視野に満月が丁度入るように、助手さんたちに倍率を調整してもらう。
衛星セレンは、地球の月と同じで、公転周期と自転周期が一致している。常に同じ面を向けている。地球の月と同じく潮汐ロックという現象が起っている。
衛星セレンには、地球の月に見られる「月の海」は無い。そのため、肉眼で見た、衛生セレン表面には濃淡はほとんど見えず、綺麗に白く輝いて見える。
天体望遠鏡で見た、衛星セレンの映像は、皆に衝撃を与えた。夥しい数のクレータが見える。
「なんと言ったら良いんだ。アバタだらけじゃないか。」とアウド父さん。
「セレンって一体何なんでしょう?」とカイロスさん。
その答は知っているのだが、伝えても良いものなんだろうか。ニケと顔を見合せてしまった。
『これ、どうすんの?ガリレオ的転回が起ってるわよ。』
『ニケ。それを言うならコペルニクス的転回だろ。
しかし、どうするかな。
この世界は天動説の世界観だと思うけど……。
あえて聞いてみたことが無いからな……。』
とりあえず、あれこれ説明する前に、この世界の常識を教えてもらった。
ウィリッテさんが詳しかった。
ユーノ大戦は平らで、その周りに海がある。そして、東の海からこの世界の太陽のヘリオが昇り、西の海に沈んでいく。どういう仕組みか分らないが、太陽は翌日の朝には東に戻っていて、また昇っていく。
同じように衛星セレンも東の海から昇り、西の海に沈む。そして翌日には東に戻る。
やっぱり天動説なんだな。
この世界の生活で、大地が球になっていると考える根拠は無いのだろう。
外洋に出て、陸地を見ると、高い山が最初に見えて、それからだんだん低地が見えるようになる。
反対に、陸地から遠くにある船を見ると帆が先に見えて、船が陸地に近付くにつれて、全体が見えるようになる。
地球では船で外洋に出る人達は、地球が丸いことが実感できただろう。
しかし、この世界の人たちは、強い海流の所為で流されてしまうと危険だから、陸地から遠く離れた海上に出ることが無い。
漁をするのも陸地の側だ。移動するのも陸地沿いだ。
嘘を言ってもしかたがないので、恒星系の概略を話した。
この大地が巨大な球の形をしていること。
球の中心に全てのものが引っ張られているから、空中にあるものは地面に落ちること。
大地は回っていてそのため、ヘリオやセレンが空を巡っているように見えること。
この大地は、ヘリオの周りを回っていること。
遠くに離れているので、あの大きさに見えるけれど、セレンはこの大地の周りを巡っている巨大な物体だということ。
皆に説明したが、受け取り方は人それぞれだった。
グルムおじさんは、信じられないと言っている。納得できないみたいだ。
オレの両親とニケの両親は、信じはするが、納得するのは難しそうだ。
カイロスさんの母親のナタリアさんと、兄姉のグロスさんとセリアさんは、オレ達が前世の記憶が有るという話をグルムおじさんとカイロスさんに聞いて知っていた。
「これが、神々の国の知識なんですね……。」
と盲信状態だ。多分理解はしていないだろう。
ウィリッテさんやカイロスさんは、納得していた。
「それで、毎回ヘリオやセレンが東の海から昇るんですね。
ボクは、ヘリオやセレンが西に沈んだ後、どうやって東に戻るのか不思議だったんです。
理由が分りました。」
というカイロスさんの発言で、なんとなく全員が納得したみたいだ。
そういえば、この惑星の名前は……無いよな。
「さっきまで、説明に、この大地と言っていたんだけど、この大地全体の名前ってあるんですか?」
と皆に聞いてみた。
「大地全体だったら、ガイアじゃないかな。我々の大地神の名前だ。」
とアウド父さんが応える。
皆、同意するみたいだ。
なるほど。それなら、この惑星の名前はガイアで良いのかな。
この惑星の名前は「惑星ガイア」か。
その後で、セレンが満ち欠けする理由を説明した。
セレンは自ら光ってはいなくて、ヘリオの光が当っているところが明るく見えること。
ヘリオとセレンと惑星ガイアとの位置で、惑星ガイアから見たセレンに光が当っている場所が変わるので、光っている場所が変わることを説明した。
分りやすいように、プラズマ球をヘリオに見立てて、魔法でセレンと惑星ガイアを空中に浮かべた。
セレンが、惑星ガイアの周りを回っていて、それがヘリオの周りを回っている。そして惑星ガイアが自転している状態を作った。
セレンがゆっくり惑星ガイアの周りを回り、その間に惑星ガイアが何度も自転する。少しずつセレンの位置が変ることで、光の当っている面が変っていく。
上弦の三日月が直ぐに西の空に沈んでしまうこと、上弦の半月が日が沈んだときに南に見えていること、満月のときには、日が西に沈んだら東から昇ってくること……。
こういったことを説明できると教えた。
今度は、納得してくれたみたいだ。
「惑星ガイアが自転して回っていて、その周りをセレンが回っているということでいろいろな現象の説明が付くのですね。」
ウィリッテさんが、総括してくれた。
「ただ、この話はとても合点が行くのですが、危険です。
神殿が、この世界の説明に使っている聖典の教えと違っています。
この話は、口外しない方が良いかもしれませんね。」
と教えてくれた。
アウド父さんが、
「今日の話は、ここだけにして、くれぐれも口外しないように。その説明をアイルがしたこともだ。」
その場にいた、オレの母親や、ニケの両親、グルムおじさんの家族、助手さんたちは頷いていた。
大分、夜遅くなってしまったので、観測を助手さんたちにお願いして、オレ達は家に帰った。
その後、日中は、反射式の主望遠鏡の設計をしていった。
夜間は助手さんたちが交代で星の経緯度測定を実施してくれた。
やはり、ヴィナとメゾナ、アストラ、ソタニア、シカニナは惑星だった。
天球上の経緯度が変化している。
他には、今のところ天球上の経緯度が変化する星は見付かっていない。
一度測定した星を再度測定するように依頼した。
他に惑星が無いかを探るためと、測定精度を確認するためだ。
1月ほどして、天体望遠鏡の設計は終った。
結局、反射ミラーを3つ組み合わせて、収差を極限まで小さくすることにした。
そして、観測のために光軸を変更するミラーを2つ使用して、見掛けはニュートン式の反射望遠鏡の形にした。
設計計算では、微妙な曲面を持った鏡が必要になるのだが、魔法で形を修正できるので、何とかなるだろう。
設計に従って、赤道儀式の架台を作る。
最近は、何でもかんでもステンレスだ。
クロムが無くならないのかニケに聞いたら、領内に大量にクロムが取れる場所があるらしい。
当面気にすることは無いと言っていた。
ミラーは、熱膨張係数の小さなコージュライトを大量にニケに作ってもらった。
頑丈な外郭を作って、反射鏡を取り付ける。
最近は、魔法で組立が出来るようになった。
助手さんに少し手伝ってもらう程度で、以前みたいに使用人の手を借りなくても済んでいる。
口径15デシ、鏡筒長さ20デシの反射式の天体望遠鏡が出来上がった。




