51.計算尺と計算図表
ようやく、紙の製造工場が立ち上がった。
紙も沢山手に入った。
今は、助手さんに、これまで計算した結果を記録していた木簡の内容を紙に書き写してもらっている。
ニケは、あれから、時々コンビナートへ行って、安全に作業ができているか確認している。
発電装置作製の要求があったが、製紙工場が安定操業が出来るようになってからの方が良いだろうと言って、納得してもらっている。
オレもようやく、天体望遠鏡の設計に再着手できる。
しかし、掛け算や割り算をソロバンでやるのは、あまりに手間だ。
コンピュータとまでは言わないが、電卓があったらどんなに楽だろうか。
このまえ、測量の結果を計算していたときに、ニケに概算でいいと言われた。
その時にニケには、図形で求めろと言っていたが、確かに、精度がある程度で良いのだったら、ソロバン以外の計算手段があるのかも知れない。
しかし、掛け算や割り算を簡単に計算する方法なんてあっただろうか。
対数なら、掛け算は足し算に、割り算は引き算になるんだけど、そもそも対数の表が無い。
そんな事を考えていたときに、ふと昔の事を思いだした。
中学生だったときに、理科の先生が計算尺というものを持っていて、見せてもらったことがある。
その先生は、昔は、計算尺の珪酸を中学校でも教えていたと言っていた。
はるかに便利で計算桁数の多い電卓が普及したために、計算尺は製造が中止され、学校でも教えなくなった。
計算尺は、定規のようなものに対数目盛が振られていて、スライドする透明な板で目盛を合わせて計算ができると教えてもらった。
実際に計算をして見せてもらった。
もっと良く見せてもらえば良かったな。
その時は、時代遅れの骨董品だと思ったのだが……。
ニケの化学天秤も、化学教室にある骨董品だと思っていた。
ただ、こんな世界だと役に立つのだと熟々思う。
電卓にしても、コンピュータにしても、20世紀の末に現われている。
それ以前も、物凄い勢いで、科学技術は発展していた。
第二次世界大戦のときの、戦艦や戦車や航空機の設計は、どうしていたんだろう。
コンピュータなんかを使ったりしていなかったはずだ。
電卓は、コンピュータより後に発明されていたから、電卓の訳も無い。
間違ってもソロバンや筆算じゃあ無いよな。
計算尺だったのかな。
そうすると、色々な計算をする前に、計算尺を作っておいた方が良い。
計算に使う時間を考えると、最終的には、計算が早く終ることになる。
昔、誰かが言っていた。
毎年コンピュータの処理速度は早くなる。
もし、今のコンピュータで10年掛る計算をしなければならないとする。
もし、コンピュータが毎年1.3倍早くなるとしたら、今のコンピュータで今から計算を始めても、計算速度が速くなったコンピュータで9年経った後で計算しても、計算が終るのはほぼ同時になる。
だから、今、手間の掛る計算をするよりは、道具のコンピュータが速くなるのを待つほうが合理的だ。
という話だった。
コンピュータは、毎年1.3倍どころではない率で速度が速くなっていたから、もし10年の掛る計算が本当に有ったら、そうした方が良いのだ。
ま、この話を実際に試したヤツが居るかは知らないけれど。
今オレが置かれている状況を考えると、計算が速くなる方法があるんだったら、それを先に作ってしまった方が良い。
計算尺を作るために、昔の記憶を掘り起こしてみる。
上と下に固定した目盛の付いた物差しがあった。多分対数目盛だったと思う。
その上下の固定している物差しの間に横にスライドすることができる物差しがあった。
固定してある物差しには、1から10までの目盛が振ってあった。
1と2の間が随分と広いなと思った記憶があるから対数目盛で間違いは無いだろう。
上の目盛と下の目盛では、目盛の位置が異なっていた。下は1から始まっていたけれど上は、真ん中に1があった。
真ん中のスライドする物差しは、固定している物差しと同じ位置に目盛が振ってあった。
あとは、外側にスライドする透明なものがあった。縦に赤い線が引いてあった。目盛を合わせるのに使うのだろう。
そういえば素材は竹でできていた。竹に白い塗料が塗ってあったと思う。竹なのは、熱膨張が小さな素材で、普通の物差しにも竹製のものがあった。
やはり、作るとしたらコージュライトだろうか。
懐中時計のテンプを作るときにニケにもらったものが大量にあったはずだ。
外側でスライドする透明なものは……。ダイヤモンドにした。これが一番安上りでお手軽だ。
何かが変なのは、分る。
変な原因は魔法だから変でもないのか。
その後、目盛を振るのが大変だった。
この世界で使うので、12を底にしたLogを求めなきゃならない。
ここで苦労した分は、後での計算が楽になるんだと思って、頑張った。
なんとか、計算尺が完成した。
あまり自信は無いが、確かに計算尺だと思う。
目盛を振るのは大変だったけれど、修正は魔法で一瞬で出来るので何とかなった。
真ん中のスライドする定規を動かして、掛け算や割り算をしばらく試してみた。3桁ぐらいの有効数字の計算ならなんとかなるようだ。ソロバンを使うより、確かに計算が早い。
出来上がったものをニケに見せたら、凄い勢いで強請られた。
「ほしい!ほしい!ほしい!ほしい!ほしい!ほしい!ほしい!ほしい!……」
「なんか、お前、作ったものを何でも欲がらないか?」
「そんなことないよ。こんなものがあるんだ。」
と言って見せられたものは、計算図表というものだった。
気体の圧力と体積と温度のように、複数のパラメータが一つの式で記述できる場合に、そのパラメータを表す線が別々に配置されている。
線には数値が目盛られている。
そして、どれか二つの値を、それぞれの線の上で選んで直線で結ぶと、他の値が簡単に求められる。
これも、計算尺と同様に、電卓とかコンピュータが無かった時代には、良く使われていたそうだ。
ニケは、それを中学校の理科室で見て知っていた。この世界だと便利なのも分っていた。
コンビナートのボイラーの調整や、紙の乾燥室の温度調整なんかで使えないかと思っていた。ただ、大量に計算しないと目盛を振ることもできないので、どうしようかと思っていたらしい。
この計算尺を、職人さんに作ってもらえるようにしても、オレとニケとその助手さん達以外に需要が無いだろう。
ということで、助手さん達の分も含めて、オレが作ることにした。
流石に、対数目盛を魔法でパっと作るのは無理だった。
ただ、既に一つ雛形があるので、比較的楽ではある。
面倒だけど……。
全く同じ形の中央の物差しを新たに作って、既に有る計算尺に差し込む。固定物差しの目盛と同じ場所に新しい中央の物差しの目盛を付ける。それを別に作った固定物差しに差し込んで、目盛を同じ場所に付ける。
そんな作業を繰り返して、助手さんたちの計算尺を作っていたところに、ウィリッテさんとカイロスさんが来た。そして、何を作っているのかを問われてしまった……。
結局二人の分も作るはめになった。
この二人は間違い無く使わないと思うんだが……。




