42.メガネ製造方法
夕食時、グルムおじさんに、今日の午後の文官さんが増えた件について確認した。
若い文官が多い状態で、年寄扱いされるのは恥ずかしいようだ。
年配の文官が引退するのは目の霞み。
目が霞むのは、仕事ができない老人と揶揄されるらしい。
オレも35歳になったときにアラフォーと呼ばれて何となく悔しかった記憶がある。分らなくもない。
「それでなのですが。隠れ老眼を見付ける方法はありませんか?」
年寄扱いが嫌で、隠れ老眼持ちが居るようだ。
目が霞んで見えないと、作業効率が下がる。
メガネで良く見えるのだったら、恥ずかしがっている場合じゃないだろうに。
視力検査をすれば、と考えたところで、老眼の視力検査ってどうやるんだろうと思った。
普通の視力検査は、近視を調べていたな。
そういえば、研究所に入所した当時、上司がレポートに使用するフォントの下限を言い渡していた。
なんで、9ポイントの字がダメなんだ。紙の枚数が増えるじゃないかと思った記憶がある。
老眼になったことが無いから分らないけれど小さな字は良く見えないのだろうか。
試みに、アルミニウムの板に、左側に0から1Wまでの連続した数字、その右側に例の視力検査のCの文字をランダムに並べたものを作ってみた。
文字の大きさは9ポイントぐらいにした。
Cの開いている幅は、インクの線ぐらいの幅だ。
ニケは、『視力検査だ』と叫んでいたけど日本語じゃ意味が通じないよ。
当然、オレもニケも、両親達も普通に見えていた。
でも、グルムさんは裸眼では無理だったようだ。
「これは、メガネの有難味が解りますなぁ。申し訳ないのですが、これを並び方を変えて24枚ほど作ってもらえませんか。文官には優秀な者が多いので、並びを覚えられてしまったら、調査になりません。」
面倒な作業が増えているな。
ランダムに並べるのを考えるのは面倒だったので、正12面体のサイコロを作って、出た目に合せてCの向きを変えた。
皆、何故かサイコロに食い付いていたけど、無視だ無視。
その翌々日。新年になった。
オレもニケも3歳だ。去年の新年は部屋から出られなかった。
新年の初日は、朝から晩まで宴会だった。
オレ達は、乳歯も生え揃ってきたので、大人と同じ物を食べている。
あまり気にしていなかったのだが、いつのまにか、領主館の食器類は、釉付きのものに置き換わっていた。
陶器に釉を付けて焼くことに、ニケが拘っていたと言うが、清潔感があって良いな。
ニケの大好物のパスタとハンバーグも出てきた。そういえば、鉄を作ったときにハンバーグを食べそこねたのを、暫くブチブチ言っていたな。
相変らず、ソロバンは売れ続けている。
鉄の農具は作っても作っても需要に足りていない。
ガラス研究所で修行した人達が、自前の工房を立ち上げ始めた。
アトラス領の陶器は、炉の温度が上ったことで品質が上昇して、釉の所為で、飛ぶように売れている。
グルムおじさんは、昨年の出来事と税収が上ったことを嬉しそうに話している。
ソドおじさんは、鋼の武器が増えたことで、魔物討伐が格段に楽になったと言っている。
父さんは、領地の繁栄を喜んでいる。領都マリムは、ここ何十年も人口が変わらなかった。昨年は移民が増えて、人口がかなり増えてきたと言っていた。家の建造や農地の開拓の件数がとても多いらしい。
それから1週間は、天体望遠鏡と天文台の設計に取り組んでいた。
そして、ここに来て挫折している。
設計要因が多すぎるのだ。天体望遠鏡は、様々な方式がある。架台は赤道儀式架台一択なのだが、それでも種類は何種類もある。
望遠鏡の様式を決めようと個別に設計してみる。すると重量によって、架台の強度設計が変わる。
一応大口径の望遠鏡を目指しているのだが、鏡筒の歪みを減らすために設計をしなおすと、また重量が変わって、他の項目に波及する。
最初は、黒板に計算を書いていたが、書ききれる訳がない。計算途中の式や結果を木簡に書き写して、新たに計算をする。
こんなことを繰り返していたら、部屋の中は木簡だらけになってきた。
過去の計算を見直そうと思うと、木簡の探索に時間が取られる。
最近は、新たな計算より木簡の探索の方の時間が多くなってきた。
ダメだ。紙が必要だ。
ニケに紙を作ってもらえないか相談した。ニケの部屋も木簡だらけになっている。そろそろ紙に変えないと収拾がつかなくなってるみたいだ。
「それは私も必要に感じてきたところなので良いけど。多分時間が掛るよ。」
と言われてしまった。仕方がない。
交換条件として、化学器具を作らされた。
それで、あんなに硼珪酸ガラスを作っていたのか。
スタンドやアームも作らされた。
紙を作るんだったら実験しないとならないんだと。
黒板と木簡を使った効率の悪い作業を繰り返すより、メガネの製法の検討をしておこう。
助手さん達に、望遠鏡の検討は中断することを告げる。
メガネ生産の問題点を抽出すると伝えた。
手始めに、助手さんにお願いして、レンズの研磨をしてもらった。焦点距離の長いレンズを作るので、それほど大きく削ることはない。
ニケに聞いたところ、レンズの仕上げ研磨には、酸化セリウムが良いらしい。
化学研磨というもので、大きな傷が付きにくい。
ただ、セリウムは希土類元素で、今、領内で調達するのは無理だ。
「代りにベンガラが良いかも」
と言っていた。昔はベンガラでレンズを磨いたらしい。
厚目の青銅板の中央部分を浅く皿状に抉って、そこに放射状に溝を作る。
削れたガラスが溝に落ちて研磨している面を傷つけないために溝が掘ったのだ。
凸部分にペースト状の研磨剤を塗る。その中を硼珪酸ガラス板を円を描くように動かす。
本当は、青銅は錆びるので、アルミニウムや錫の方が良い。
しかし、この世界では入手困難な金属だ。
柔らかくてある程度強度のある金属として青銅を選んだ。
研磨剤は、高温耐熱レンガを作った粘土を水に溶いて、沈殿速度で粒径を3種類に分けた。
粗い砥粒から順番に使用していく。そして最後にベンガラの粉を使ってみた。
確かに、アルミナで研磨すると細かな傷が付くのだが、ベンガラだと付き難いみたいだ。
研削はアルミナで、最終研磨はベンガラで行なうことにした。
研磨剤の検討は、担当する職人さん達にまかせよう。
今は領内の人手で実施できるかどうかの検証だ。
砥粒の種類を変更するときには、レンズを水で良く洗って、その砥粒用の青銅板に変えてもらった。
そうして細かな砥粒で研磨するときに、粗い砥粒が混入しないようにした。
アルミナが主成分の砥粒は、青銅の板にめり込んで、適度に研磨の効果を示す。
時々水を掛けて、砥粒ペーストを加えて根気良く研磨してもらった。
助手さん達は、苦労しながら、レンズを磨いてくれた。
出来上がったレンズのニュートンリングを見てみた。
綺麗に研磨できていれば円形の濃淡縞が見えるのだが……見事に全て歪んでいた。
これは、助手さんが不慣れで上手くいかないのか、そもそも不器用なのか……こんなものなのか……。昔、高校でやったときも結構悲惨な状況だったな……。
あまりレンズを作るのに手間がかかるようだと、オレは文官さん達にメガネを作り続けなきゃならなくなる。
決めた。機械化しよう。
今回は、出来るかぎり、領地の今の技術で実現できるものにしよう。
これまで、様々な道具類の生産の相談に乗っていた。
領内では様々な鉄製品を作れるようになってきている。
そろそろ、機械製品を作れるようになってもいいかもしれない。
まずは、フライホイールを作って、人力で高速で回すようにする。
多分、ギアは未だ作れないだろうから、プーリーで変速させる。
回転を円形運動に変換するようにシャフトを作って……
ガラスの取り付けは、治具にガラスを接着して、固定マトイにとりつけられるようにした。
研磨する部分は、青銅で形を作って、鋳鉄の錘に取り付けて、ガラスの上部の円形運動しているアームに固定する……
とりあえず、鋳造品で構成できるようなものにしたけれど。
魔法で作った回転軸受を鋳造で作れるだろうか……。
回転軸受は後で考えることにして、とりあえず研磨作業をするのに必要なものがある。
研磨するガラスを鉄に接着する方法があるだろうか。
ウィリッテさんとカイロスさんと助手さん達に相談することにした。
接着の方法というのは、あまり多くないらしい。一般的なのはニカワだ。
ただ、ニカワは、水に溶けやすくて、温度が高くなると剥れてしまう。
色々な意見が出ているが、これという物が無い。
そのときカイロスさんが、
「魔物から採れるニカワがあるんですが、それは温度が高くなっても簡単に柔らかくならないらしいです。
熱湯を使わなければ外せないと聞いたことがあります。」
と貴重な意見を出してくれた。
カイロスさんは、オレと一緒のときが多い。オレがやっている事の方が解り易いのだろう。
まだ、幼ないのだけれど、助手さん達と議論していることも多くなってきた。
機械の構造や、道具類についても自分で調べたりしていて、段々頼もしくなってきている。
早速、各種のニカワを取り寄せた。魔物から採ったニカワも。若干色が濃いみたいだ。
魔物のニカワは接着力も強くて、カイロスさんが言うように一旦固めてしまえば、外れてしまうこともなかった。沸騰直前のお湯にしばらく漬けておくと綺麗に外れた。
理想的だな。しかし魔物のニカワなんて容易に入手できるんだろうか。
アトラス領は、辺境のため、魔物の生息域が広く、生息数も多い。度々騎士団が討伐をしている。そのため、アトラス領では、普通に流通しているのだとか。
他の領地では、それほどでもないらしい。ますますアトラス領に好都合だ。
準備が出来たので、硝材をセットして機械を動かして研磨してみる。研磨する曲率は8種類にした。研磨する砥粒にあわせて各4種類ずつのお碗形の研磨治具を作った。
出来上がったレンズのニュートンリングを見ると、リングの歪みはほとんど無くなっていた。
手作業でやると、力の入り方が不均一になるんだろう。機械だとそれが無くなっていることが良かったんだろう。
これでレンズが出来た。
問題の回転軸受けが出来れば終りかな。
そう思ったのだが、これまで、気にもしていない重要な事が抜けていた。
フレームにどうやってレンズを取り付けるかだ。
これまで魔法でレンズを切り取っていた。ほぼ無意識にやっていたので忘れていた。
丸いレンズをフレームの形にどうやって加工すれば良いんだ?
また、助手さん達に集まってもらって、硬いモノを削る方法を聞いた。
刃物に刃を付けるために、最近は、砥石を使うようになった。
砂岩を砕いたものを互いに擦り合わせて平坦にしたものを砥石として使っている。
砥石でガラスを削り取るのは、流石に大変すぎる。
グラインダーが有れば良いのだが、グラインダーの砥石は円盤形だ。
砂岩を円盤の形に加工できるか聞くとそれはもっと大変だと言われた。
たまたま通りかかったニケに聞いてみた。
「鋳物になる金属にアルミナを混ぜて固めればいいんじゃない。
アルミナは、高温炉を作ったときの粘土が使えるよ。」
あっけなく答が出てきた。ニケ様様だな。
早速、青銅にアルミナを混ぜて鋳物を作ってみた。
グラインダーも作った。
足踏みで回転するようにして、一人で操作できるようにした。
研磨したガラス面には魔物のニカワを塗って保護した。
助手さんに頼んでその硝材を削ってもらった。
良い感じでガラスが削れていく。
もう少しアルミナが多い方が良いかもしれないが、それは、職人さんに検討してもらおう。
さて、問題の回転軸受けだな。
ベアリングは、今の領地の技術で作れるんだろうか。
作れる方法を考案するしかないな。
問題を先送りしていた訳ではないが、思い付いていなかった問題がけっこうあった。
あとは、忘れていることは無いだろうか。
レンズの硝材をつくって、磨いてレンズを作る。フレームは、要相談だな。
レンズを削りだしてフレームに嵌め込めばメガネは完成する。
メガネを作るために今回作った道具は、可動部以外は鋳物で作ることができることは確認した。
よし、今度こそ、回転軸受を考えよう。
回転軸受けとは、ベアリングの事だ。
ボールベアリングは、この世界で作る方法が思い浮ばない。
地球では、短く切った鋼線に強力な圧力を掛けて、押し潰してボールを作っていたはずだ。
鋳物と鍛造以外の鉄の加工方法が無いこの世界で、同じ形状の球を多数作れるとは思えない。
そこで、ローラーベアリングを作れないか考えてみた。
ローラーベアリングであれば、湯口が端面にあっても削りさえすれば、回転に影響はないはずだ。
ただし、同じ形状のコロを作れないとダメだ。
ロストワックスという製法が思い浮かんだ。
昔、鋳物で部品を作ろうと思っていたときに、安く大量に作る方法として、鋳物技術者に勧められたことがある。
この世界で実現しようとすると、こういう手順になる。
ワックスつまり蝋を準備する。
木型で、コロの型を作り、そこに温めて液体になった蝋を流し込む。
木型を分解すれば、コロの形をした蝋が出来る。もし、バリが有ったらここで取り除いておく。
これを多数作って、蝋で出来た柱にくっ付けていく。
コロが沢山くっついた蝋を、耐熱煉瓦を作った粘土と漆喰を混ぜたもの中に入れて漆喰が固まるまで待つ。
固めた漆喰を温める。蝋が鎔けるので、蝋を流し出す。その後、型を高温で焼き、固める。
これで、同じコロの形を沢山内包している型ができる。
そこに金属を流し込む。
冷えたら、漆喰を叩き壊す。沢山の同じ形のコロが枝のように付いている鋳物ができ上がる。
ベアリングを作ろうと思ったら、他にも外輪、内輪、保持器が必要だけど、これもロストワックスで同じ形のものが作れるんじゃないだろうか。
ここまで考えたところで問題が一つある。
この世界に蝋は有るんだろうか。
蝋燭を見たことがない。夜間の灯りは、油を燃やしていた。
何の油か解らないが、大量にあるオリーブオイルかもしれない。
ハチミツを見たことがないので、ミツバチがいるか解らない。ミツバチがいなければ蜜蝋は無いだろう。
最悪ラードか牛脂を使うことになるのだろうか。
牛脂はともかく、ラードは体温で鎔けたんじゃなかったっけ。
あまり使いたくは無い。
また、ウィリッテさん、カイロスさん、助手さんと相談だ。
『蝋』とか『ワックス』に相当する単語が解らないので、かなり苦労して説明をした。
ウイリッテさんは良く知っていた。
「蝋燭ですね。有りますよ。」
「見たことが無いのですが。」
「そういえば、領主館では使っていませんね。
神殿では使っているはずです。
神殿は、天井が高くて、高所に灯りを置きます。交換が大変なので、長時間灯る蝋燭を使うんです。それに交換のときに油が溢れることがないですから。」
「蝋燭は、どんな蝋を使っているのですか。」
「パームという植物の実を絞って得たものです。蝋燭に獣脂を使うこともあるみたいですが、臭いので嫌われますね。」
パームという植物の事を聞くと、どうやらヤシの木のようなものらしい。
パームは温暖なところで栽培していて、パームから得られる油や蝋は比較的簡単に手に入るらしい。
領都内にも蝋燭を作っている工房があるはずだと言っていた。
その蝋は、沸騰しそうなお湯の温度ぐらいで鎔けて、お風呂の温度ぐらいまで下げると固まる。
かなり好都合だ。
早速蝋を入手して、先に考えたスキームでベアリングが作れるかを試してみた。
木枠を手作りするのはメンドウなので、魔法で削った。
あとは、スキーム通りに実施して、コロと外輪、内輪、保持器をロストワックスで作った鋳物型を使って製造した。
魔法で作ったベアリングと比べると、多少、回転抵抗があるものの、十分使えそうなベアリングが完成した。
素材が手に入る日まで、あと4日になっていた。けっこうな手間が掛ったな。
これまでの事を纏めると、メガネを作るには、メガネ用のレンズ、フレーム、レンズをフレームに合わせて削るための砥石。
装置を別にしても、これだけのモノが作れないとならない。
まずい。ガラス職人だけを呼んでいてはダメだ。




