3N.高温炉
ガラスコップの試作は、イベント状態になってしまった。
皆がガラスのコップを作り終える頃には、夕方になっていた。
領主と宰相が丸一日、こんなことしていて良いのか?
ガラスの事は、また別なのだそうだ。領地の一大事と言っていた。
ふーん。そうなのかねぇ。
全てのコップを徐冷炉に入れて、出来上がるのは明日だ。
昨日コップを作った助手さん達は、大事そうにコップを抱えて帰っていった。
普段使いはしないのだろうな。グルムさんのソロバンじゃないけど家宝になるんだろう。
まあ、この世界で、ガラスを始めて再現したものだから、追々骨董的な価値も出てくるかも。
集った人達の中で、私とアイルだけは、手を出さなかった。というより、生れてまだ2年経っていない幼児が吹き竿なんて扱える訳ないじゃない。
ちょっとだけ悔しかったので、アイルに頼んで、残りのガラスで、ペアグラスを作ってもらった。ふふふ。
当然普段使いするよ。当たり前でしょ。
夕食時の家族達は興奮状態だった。
前世で良く見た陶芸体験みたいなものかな。本当に娯楽の少ない世界だな。
多分、徐冷で割れないと思うけど……。
割れたら……失望が酷いだろうな。
割れないでくれと心から祈った。
翌日の朝。
昨日セアンさんが持ってきてくれた花が、石英の花瓶に活けてある。
そろそろ晩秋なのだけど、まだ新しい花があるんだね。
冬はどうなるんだろう。花なんか咲いているのだろうか。
温室を作れば、セアンさんが、色々育ててくれるだろう。
ガラス板が有ればできるか。
今度アイルとセアンさんと相談してみよう。
これは、本格的に冬になる前に、絶対に作らなければ!!
研究所へ行く。
ゾロゾロと家族達と侍女さん達が付いてくる。
ここは……祈るしかないな。
徐冷炉を覗いてみた。よかった。割れてなかったよ。
皆嬉しそうに自分の作ったガラスコップを持って帰っていった。
さて、ガラス作りには、今のところ課題が三つある。
ひとつは珪砂、もうひとつは、炭酸ナトリウム、そして、高温耐性があるレンガ。
珪砂は、なんとなく、どこかで見付かると思っている。
問題は、炭酸ナトリウムだ。
陸上の植物より、海中の植物の方がナトリウムの含有量が多いかもしれないと思って、助手さん達に、海藻を集めてもらった。
漁師さんにも手伝ってもらう。
取ってきた海藻を水で洗う。海水は塩化物と硫酸化物の塩だらけだからね。
よく洗ったら、魔法で水分を除去。燃やして灰にして、ナトリウムの含有量を調べる。
海藻には、ナトリウムもそれなりにあるけど、やはり、カルシウムとカリウムが多いなぁ。
このナトリウムの内、食塩の分はどのぐらいあるのだろう。
まあ、木炭灰よりは随分とましだな。
しかし、海藻ってほとんど水なんだね。
取ってきた量から灰の量を考えるとかなりの海藻が必要だ。
それでも、炭酸ナトリウム鉱床が見付からなかったら代替案にはなるだろう。
焼いた後の灰でナトリウム含有量が多い海藻の種類を把握しておいた。
これ、なんか見覚えがある海藻だよ。ひょっとすると、海苔の原料じゃないか?
とりあえず、ひと安心かな。
これは、継続して検討する。他に、含有ナトリウムの多いものがあったら、まとめて、食塩とか他の成分を分析しよう。
助手さん達には、継続して、別な種類の海藻を集めてもらうことにした。
そして、最後の高温耐性があるレンガだ。
ガラスを鎔融させる炉は、1000℃の温度に長時間晒されていることになる。
鉄を鎔かして使って終りのたたら製鉄のような訳にはいかない。
ガラスの加工をしている間、高温に保持しておかなきゃならない。
高温耐熱炉が必要だ。
ガゼルさん達は、粘土で炉を作って、熱で罅割れたりしたら作り直しているらしい。
青銅の鋳物を作っていたころは炉の材料に素焼きのレンガを使っていた。
その時はそれなりに形を保つ事が出来ていた。
でも、銑鉄を鎔かすほどの高温に晒されたらレンガは崩れた。
レンガの焼成温度が低い所為だな。
高温耐熱レンガが出来たら、ガゼルさん達も使えるね。
高温耐熱レンガを作るには、焼成温度を高くする。
熱効率を考えたら、なるべく気泡の多いものを作る。
シリカよりアルミナが多い方が耐熱性が上がるだろう。
素材のことも含めて、そろそろ職人さんの意見を聞いた方が良さそうだ。
ボロスさんを呼び出した。
助手さんに呼びに行かせたら、あっという間に来たよ。汗だくなんだけど、走ってきたのかな。
なんか圧が凄いのだけど、なんかしたっけ?
「ニケ様!今度はガラスを作るそうですが!」
息を切らせながら叫んでいる。
どうやら、ガラスコップを作った侍女さん達から噂が広まったらしい。
まあ、侍女さん達も自慢したくなるよね。今現在、国宝級のものだから。
でも、そのうち普通になると思うんだけどね。
それにしても速いな。
今朝だよね。
侍女さん達がガラスを持ち帰ったのは。
領主館にボロスさんのスパイでも居るのかな。
とりあえず、落ち着いてもらった。そして陶器職人で、ガラス作りに興味がありそうな人を連れてきてほしいと言ったら、あっという間に去っていった。
それから四半時もしない内に、汗だくの人が一人増えた。
やっぱり私の認識がズレているのだろう。でも、ガラスだよ。地球じゃ、そこらへんに有り触れた素材だった。
ボロスさんが連れて来た職人さんは、レオナルドさんという人だった。陶器の工房を運営している。
実用的なものから、美術的に価値があるものまで、様々な陶器を生産している。
ただ、素焼きなんだよね。彩色も無い。
まあ釉があるぐらいだったらガラスもあるのだろうけど。
工房で使用している炉や、陶器に使われる粘土のことを聞いてみた。粘土はいろいろな種類があるらしい。一番多いのは、茶色の粘土。これは酸化鉄の色だね。きっと。
基本、火力が弱いので、素焼きになってしまう。
木炭を使ってみたことがあるかを聞いたら、無いと言う。
ガラス作りに興味がある人を呼んでもらったはずなので、あらかじめ研究所の炉に火を入れておいた。
ガラスが鎔けた頃合いに、炉を見てもらった。レオナルドさんは、ガラスが鎔けているのを見て驚いていた。
青銅や黄銅なんかの金属が鎔けるのは知っていたけれど、鉱石が鎔けるのは初めて見たらしい。コンプレッサーで空気を強制的に送り込んで木炭を燃やすと鉱石が鎔けるほどの高温になると説明した。
一通り説明したら、自分達もガラスでコップを作りたいと言ってきた。「達」って、ボロスさんもだよ。
この世界にはガラス職人なんていう職業はまだ無いので、誰がやってもそれほど出来、不出来に遜色ない。
どちらかというと不出来側に寄っている。ボロスさんが作ったって別に構わない。
助手さん指導の元、二人にガラスコップ作り体験をしてもらった。
コップを徐冷炉で冷し初めたところで、二人の食い付きが半端なかった。
材料は私の魔法で作ったものだから、このままで生産はできないと言うと、物凄く落胆していた。一応、ご領主様の号令で、素材になるものを領内で探しているところだと説明しておく。
ガラス作りに必要な炉の説明をした。今体験してもらった炉も粘土を固めたもので、あと何回か火を入れると、皹が入って崩れてくるだろう。
高温でも耐えられるレンガを焼くための手伝いをしてほしいとお願いすると、ぜひ協力したいということになった。
否も応もないんだろうね。ガラスを作れることがとにかく大事みたいだ。
明日、各種の粘土を持ってきてもらう事になった。できれば、かなり加熱しないと陶器になりにくい粘土を選んで欲しいとお願いした。
朝になった。
ガラス作りを始めてから、教育は一時中断になっている。
教育の方は、歴史や地理や社会制度は一通り終っていて、今は、法律の教育になっている。
この前教えてもらった内容は、こんな感じだ。
この世界の罪は、窃盗、暴行・傷害、毀損、誘拐、殺人、領地運営への妨害。この順で罪が重くなる。まあ日本の罪と大きく違わない。
罪を裁くのは、警務団長だ。
奉行所の大岡越前みたいなものかな。
罰は、罰金刑。
罰金が払えなければ罰金分の強制労働。
そして、強制労働奴隷、これはどこかの鉱山で強制的に働かされるらしい。
刑期は一応あるらしいのだが、刑期を完了する前に半分以上は死ぬらしい。
過酷だ。
そして死刑。
地球のように禁固刑とか懲役刑とかは無い。
犯罪者を収容する場所もない上、犯罪者のために手間も掛けられない。
そこで、ある程度以上重い罪を犯したら、処刑されてしまう。
仕方が無いのかもしれないが、恐しいことだ。
そんな教育、幼児に要るんかいな。
アイルは、ガラスの材料で、レンズを作って、望遠鏡の試作をしている。
天体望遠鏡を作って、観測をしたいらしい。
朝一番で、ボロスさんとレオナルドさんがやってきた。様々な粘土を持ってきている。
私は、粘土の組成を調べる。
シリカとアルミナの含有比率ではシリカが多い粘土だけだった。
「これは、王都あたりの陶器職人が好んで使うものです。硬くて緻密な陶器ができると言われているのですが、アトラス領では使い熟せてません。」
とボロスさんがそう言って、渡された粘土があった。
組成をみたら、アルミナの含有量がとても多い。この領地の作り方では、火力が足りないのだろう。
昨日見せたガラスを鎔かしている方法を使えば焼けるかもしれないと伝えた。
レオナルドさんは、試してみるそうだ。
吹子が無いというので、アイルに軸流コンプレッサーを作ってもらって貸し出すことにした。
ボロスさん曰く、この粘土の入手は容易。
価格も特段高くはない。
ただ、アトラス領にはあまり無い。
使えないものは売れないものね。
耐火レンガは、この粘土を使うことにした。ボロスさんに大量に準備してもらうことを依頼した。
料金を支払うと言ったら不要と言っていた。
ふーん。恩を売っているのかな。
こちらで、しばらく検討することにした。実際に耐熱レンガを作る段階でまた、手伝ってもらうことをお願いする。
頼んだ粘土が来るまでの間、炭酸ナトリウムの検討を再開した。
とりあえず、ナトリウムが豊富な海藻は既に見付かってはいる。
助手さんに、この海藻の生育状態を調べてもらった。採りすぎて、無くなっちゃったら困るからね。
更に集めた海藻類を調べていった。
結局、最初に見付かった、海苔みたいな海藻がナトリウムが多いようだ。
調べたら、そこらの岩場にへばりついて、ふつうに沢山生育している。
食品ではないようだ。
見た目食べ物には見えないしね。
でも、これ本当に海苔じゃないのかな。魔法で水を取り除いたら、どうみても青海苔なんだけど。
でも、海苔は食べないんだろうな。
地球でも東アジアの一部でしか食べてなかったからね。
この海苔のような海藻はカリウムもマグネシウムもナトリウムより少ない。
食塩の量を調べたのだけど、ほとんど無かった。ある意味理想的な炭酸ナトリウム源になる。
ただ、量が必要なんだよね。炭酸ナトリウムは乾燥重量の1/20しか取れない。岩にへばりついて生育するぐらいだから、そもそも、そんなに採れない。
まあ、方法が無いよりましだろう。
量が欲しくなったら、海苔養殖みたいにして育てるか。
そんなことをしていたら、粘土が大量に届いた。
ガラスの鎔解炉で焼いてみる。上手くいくみたいだ。
ただし、レンガのブロックを焼くには予備焼成が必要だった。最初から高温で焼くと割れてしまった。
アイルにお願いして、バイセラミックスを温度計にしてもらった。今度は目盛が付いたので、炉内温度の再現性が格段に上ったよ。
あとは、レンガブロックの気泡をどうするかだな。
いろいろ考えて、木炭の粉を混ぜてみることにした。アルミナやシリカは、酸素と強力に結合しているので、炭素があっても還元されない。
炭は、時間とともに、燃えてなくなってしまうだろう。
高野豆腐みたいに水を凍らせるというのも考えたけど、この世界で凍らせるのは魔法を使わなければ無理だ。
魔法を使っても良いことにしたら、魔法使いが必須になってしまう。
ウィリッテさんに聞いたら冷却や氷の魔法を使える人は殆どいないらしい。
冷却や氷を思い描くことが難しいと言っていた。
ますます無理だね。
炭の粉の粒子径や混合比率、焼成温度、焼成時間を様々に変えて、気泡の入り具合と炭の残り方、レンガの強度を調べていった。
粒子径を揃えるために、アイルに篩を作ってもらった。粒子径が小さすぎるものも燃料としては使えるから無駄にはならない。
納得できる条件が決まった。レンガの重さは、気泡無しの1/4ぐらいになった。
強度を考えると、良い線だろう。
早速、レンガを量産した。
研究所では、たたら製鉄の時から、高温炉を作ったり壊したりしている。
研究所の隣に、高温炉を常設する高温研究室を建ててもらった。
アウドおじさんに頼んだら、他の仕事は後回しにしたみたいだ。即刻建ててくれた。
ガラスの威力かな。
耐熱レンガの炉を設置して、アイル謹製のコンプレッサーも置いた。
耐熱耐久性を確認する。これは時間が掛りそうだ。毎日火を入れて、1000℃以上に温度を上げて、上ったら火を消す。
それを繰り返してもらった。
騎士さん達にお願いして、三交代で継続してもらう。
気泡が入ったレンガブロックで組み上げた炉の側はあまり熱くなくない。
気泡の保温性のため炉の外壁もそれほど熱くならない。
燃料消費に貢献するかもね。
そんな事を検討していたら、鉱石探索チームの第一団が帰ってきた。アトラス山脈東の海岸沿いで一番南の場所を調べていた探索チームだ。
多種多様な鉱石を持ち帰ってきた。成分の分析で俄に忙しくなった。
耐熱レンガの量産製造は、レオナルドさん達に丸投げした。若干見切り発車の感はあるけれど、今のところ耐熱耐久性に問題はなさそうだったから、まあ良いだろう。
そして、有ったよ。
炭酸ナトリウムの鉱石が。その付近は、岩塩もあった。
きっと、造山活動で海底が隆起して塩湖ができて、それが干上がったのだろう。アメリカ合衆国のソルトレイクみないなものかな。
その近場の海岸には珪砂もあった。
他にも、クロムやニッケル、マンガン、タングステンなどの元素の鉱石があった。
今は精錬は無理なので、マッピングだけして、後日検討ということにした。
グルムおじさんにお願いして、採掘と運搬をしてもらうことにした。
アウドおじさん達にお願いして、耐火レンガの製造工場と炭酸ナトリウム粉体を生産する工場を作ってもらうことにした。
「たたら場」と違って、大量の廃棄物は出ないはずだ。
そんな訳で、街の郊外に建設した。
耐火レンガ製造用の炉に使うレンガは、レオナルドさんが作ったものを購入した。
この製造所は、文官の人が管理をすることになった。
この作業場の為に、文官さん達は、新たに作業員を雇ったらしい。順調に生産が始まった。
レオナルドさんは、ちゃっかり自分の工房の炉を耐火レンガ仕様にしたらしい。
ガゼルさん達に、耐火レンガを紹介したら、喜んでいた。
やっとガラス工房を立ち上げられるよ。




