39.ガラス細工
同位体の比率が地球と異なるのは、どうやらノバ君の所為らしい。
同位体の比率が地球と大きく違っている事実を知ったときには、地球のある宇宙と全然違う宇宙にやってきてしまったのかと思って不安に思ったのだけど。
結論は「判らない」だそうだ。
まあ、大した問題が無いんだったら良いけど。
それより、化学天秤が大変なことになっている。
金属ナトリウムの実験をしたら、天秤の受け皿が変色してしまった。
アイルに頼んで、直してもらわないと。
そもそも、腐食に強い容器が無いのが問題だよ。
陶器製の容器は釉も掛けてないし。
まあ、金属ナトリウムなんていう特殊なものを使わなきゃ不要なのかもしれないけれど。
これも、そのうち何とかしたいな。
私には、ガラスの容器が作れそうもないから、アイルに化学天秤の受け皿と一緒に、ガラス製の容器を作ってもらうことを頼んだ。
問題は、ナトリウムを混ぜてガラスにするか、シリカで作るかだけど。
アモルファスな石英ガラスを作るのは上手くいかなかった。
結局酸化ナトリウムを作ってシリカと混ぜるしかない。
手間を掛けて、劣化版を作るって、意味あるのか?
石英でいいじゃない。
最初、ガラス容器と言ったので、アイルは喜んでいた。
天体望遠鏡を作りたかったんだそうだ。普通にガラスを作るのは面倒なので、材料はシリカだと言ったら、複雑な表情をしていた。
まあ、石英はレンズには不向きだろう。石英は異方性の結晶なので、光学的異方性があるからね。
それでも、優しいアイルは、私の頼みに応じてくれたよ。
試薬皿やペトリ皿、秤量瓶、普通のビーカーなどを作ってもらった。
そのうち化学実験用の器具も作ってもらいたいけれど、石英で良いのか?
ホウ素があれば、ホウケイ酸ガラスという手もあるが。
どっちが良いのだろう。
ガラスのねじ口瓶も作った。ステンレスで蓋を作って、余っていたゴムでパッキングを付けた。
試薬の他に、調味料なんかを入れるのに便利だろう。
うーん、地球でも石英のねじ口瓶とステンレスの蓋なんて無かったよな。
せっかくだから、花瓶が欲しいかな。
毎日セアンさんが、花を届けてくれる。
ガラス製の、もとい石英製の花瓶があったら嬉しいかもしれない。
なかなかに美しい花瓶ができた。アイルは本当に器用だね。
領主館に戻るときに、侍女さんに、作ってもらった調理用のねじ口瓶や花瓶を私の部屋に運んでもらった。
ウィリッテさんも侍女さんも目の色が変わったけど、何故だろう。
石英の花瓶が出来たのが、ちょっと嬉しくて、夕食の時に皆に披露した。
その後が大変だった。
大騒ぎになってしまった。
この世界では、ガラスの容器は、国宝らしい。
ガラス容器は、「神々の戦い」以前には沢山有った。
ところが、輸入品のためか製法が伝わってなかった。
「神々の戦い」以降、誰も作れなかった。
沢山あったガラス容器は、その後、割れたりして、失なわれていく。
キズの無いガラス容器は、物凄い金額で取引されている。
ガラリア王国では、博物館のようなところに鎮座している。
ソロバンでもシリカを使ったけれど、と言ったところ、私達が巧妙に隠していたようになっていて、あれがガラスだとは思わなかったらしい。
何か透明な石だと思っていたようだ。
まあ、ある意味正しいのだけれど。
国宝級の素材で、ソロバンを作ったのかと、呆れられた。
知らんがな。そんな事。
追加で、ねじ口瓶の事を話したら、そんなもの恐しくて厨房では使えないと言われた。
せっかく作ったのに……。
仕方が無い。全て研究所で使うことにしよう。
アウドおじさんから、これも鉄のように領地で作ることができないか、と聞かれた。
私が、鉄を作るよりは簡単じゃないかな、と言うと、もの凄い圧で、依頼されてしまった。
仕様が無いな。今度はガラスを作るか。
朝になった。
ふふふふふ。
ガラスの花瓶に花が活けてある。
朝日を浴びて輝いている。
侍女さん達は、うっとりとして見ているよ。
国宝級の花瓶を普段使いするという、王家でも有り得ない状況なんだろうね。
さて、ガラスを作るために、良質の珪砂を手に入れたい。
普通の砂は、アルミニウムと珪素の複合酸化物だ。融点がとても高い。
頑張れば溶解させることが出来るかもしれないが、問題は容器だ。
今、領地で準備できる耐熱容器は鉄だ。
純鉄であれば、融点は1500℃を越える。
鉄が溶ける温度以上に温度を上げるということは、容器が鎔けるということだ。
そんなことはできない。
アルミナの融点は2000℃を越える。
木炭でそこまで加熱できるかという事より、そんな温度に耐える容器が無い。
ガラスの原料には、融点を下げるために、アルミニウムやチタンなどの少ない素材を使いたい。
シリカも融点は、1600℃を越える。
炭酸ナトリウムを添加することで、1000℃ぐらいに落すことができる。
そして、炭酸カルシウムを加えることで耐水性が向上する。
この温度であれば、銑鉄で鋳造をしているから、実現できるだろう。
炭酸カルシウムは、石灰として入手が可能だけど。
炭酸ナトリウムか……。
どうしよう。
木炭の灰を調べてみた。
カルシウムとカリウムが多くて、マグネシウムとナトリウムがその1/20ぐらいだ。カルシウムやマグネシウムは比較的容易に除けるけれど、カリウムを除くのは難しいな。
カリウムも多少入っていてもいいだろうけど、多過ぎると思う。
電気があれば、電気分解で、塩水から水酸化ナトリウムを簡単に得られるのだけれども、それも無い。
時々アイルと電力について話をする。
出来ることは水車で発電機を回すぐらいだ。
それが出来ても水車の回転エネルギー分しか電力は得られない。
かなり大掛りの発電設備を作るのでなければ、動力源として電力は意味が無い。
電気分解だけのためには、大掛りの発電設備を作るのは、パフォーマンスが悪い。
さらに、電気分解するのであれば、電圧調整回路や平滑回路が必要だ。
高電圧や交流を使って電気分解は出来ない。
そして大電流が必要になる。産業用途で使うには、それなりの大きさの発電機が必要になる。
今の段階では、手間の割に、効果が得にくいという事だ。
状況が変われば別だけど……。
炭酸ナトリウムを製造するソルベイ法もアンモニアが必要だな。
アンモニアを作ることはもっと難しい。
アンモニアを作るハーバー・ボッシュ法も硫酸が必要だ。
硫酸を作るには、硫酸化合物が要るのだけど、どこかにころがってないだろうか。
たしか、光反応で、窒素と水素の直接反応の記事を見たことがあるけど、触媒が必要なんだよね。
触媒は消耗する。私以外の人に作れるとは思えない。
ダメだね。これは……。
いずれにしても、鉱物が色々必要になるのだけは確かだ。
ということで、アウドおじさんとバルトロさんに、使用人の人達の貸し出しを願い出た。
大々的にアトラス領の鉱物資源を探索してもらうことにする。
ガラスを作るためと言ったら、一も二もなく、プロジェクトが開始された。
探索者の安全のためと、魔物の生息領域の調査のために、騎士さんも随伴することになった。
ちなみに、これまで領地で、本格的な鉱物の探索をした事は無いと言っていた。
農業主体の古代社会だと、よっぽどの事が無いと、鉱物探索なんてしないんだろう。
それに、専門家が居ないと、鉱石の用途は分らない。
酸化鉄の鉱石は、沢山有って、それをベンガラを作る業者が見付けたものだったらしい。
私が居れば、鉱石から何を取り出せるのかが判る。今回、探索するのにも意味があるハズだ。
珪砂や炭酸ナトリウム鉱石だけでなく、他にも有用な鉱物が領地に眠っていると良いな。
騎士団、使用人による調査チームが編成された。
文官の助手さん達も参加したいと言っていたけれど、許可はしなかった。研究所での手が無くなると、私は何も出来なくなってしまう。
アトラス領の地図で、区画を決めて、60のチームが各地に赴く。そして、各地の鉱石を採ってきてもらう。期間は最も遠い場所でも最長2年間の予定。
近い場所からは、順次戻ってくる。
アイルに頼んで、ツルハシとシャベル、砕石ハンマーを作ってもらった。
アトラス領は、南北にかなり細長くて、北の方は、ほとんどアトラス山脈とその海沿いの土地だ。
高い山脈の裾野は僅かな平野で海に繋がっている。火山も多いらしい。地球と同じだったら、プレートが移動してユーノ大陸で造山活動をしたようにも見える。
地形的には、東西が反転しているけれど、アトラス山脈は、地球のチリ共和国のアンデス山脈やアメリカ合衆国カリフォルニア州のネバダ山脈といった感じだ。
海底隆起した土地であれば、ひょっとすると塩湖の跡とかがあって、炭酸ナトリウムの鉱床があるかもしれない。
火山の側には、貴金属類や希少金属の鉱床があったりして……。
夢が広がるね。
まあ期待しないで待っていよう。果報は寝て待てだね。
その間に、研究所でガラス作りの条件を研究所で詰めていくことにする。
粘土で、取り敢えず、「かまくら」みたいな炉を作る。
ガラスを加工するための炉は、鉄を作るときみたいに、その都度、壊さないから、もう少しまともなものを作った方が良いだろうな。
今回は、試しなので、粘土でガラスを溶かすためと、徐冷するための炉を作った。
炉内の温度が判らないのは困るな。
以前作ったコージェライトとアルミナを極薄い板にして重ね合わせた。バイメタルならぬバイセラミックを作ってみた。
割れそうだけど極薄にしたからなんとかなるかな。
鉄の容器を用意しようとしたところで、容器の鉄がガラスに溶け込むことに気付いた。
たしか、鉄の容器でガラスを作ると、緑色になるんじゃなかったけ。
昔のガラス瓶がその色だったような……。
うーん。坩堝の素材か。
鉄以外で、領地で作れるものが有ったっけ?
良い方法が思い浮かばなかったので、アイルに相談した。
アイルに、耐熱坩堝を作って貸し出ししたらどうかと言われた。
最近、アイルが沢山作っていた旋盤は、管理する文官の人が居て、領民への貸出をしている。
そうか。そういう手があったのか。
それなら、素材はどうしようか。
まさか、白金で作る訳にはいかないよね。間違い無く盗まれる。犯罪者を量産することになりそうだ。
石英だと、鎔けそうだ。
アルミナだったら鎔けるほどの温度にするのがそもそも難しいだろう。
ただ、ガラスで、これほど騒いでいるのだから、アルミナの坩堝なんて、白金以上に騒がれそうだけど……。
ただ、硬いので、割るのも、削って流用するのも難しいだろう。
とりあえず、アルミナで容器を作って、様子を見ることにしようか。
ガラス作りに必要な坩堝の貸し出しの相談をしたいと言ったら、慌ててグルムおじさんと担当文官のベスミルさんがやってきた。
ガラス作りって、問答無用の強制力があるな。
アイルに、アルミナの容器を作ってもらって、それをグルムおじさんとベスミルさんに見せる。
これを、必要に応じて貸し出しできるようにしたいと伝えた。
貸し出し金額をどうするのか、破損したときの弁済金をどうするのかと、色々聞かれたけれど、私には、判断出来ないので答えられない。
アイルの旋盤はどうしているのかを聞くと、紛失、盗難は、そのまま借金奴隷になってしまうほどの弁済金。
破損の場合は、1ヶ月分の貸借費用で修理。
貸借費は、その道具で1日に稼げる金額から妥当な金額を設定している。
まだ、ガラスは作れる状況にない。
作れるようになったら、文官さんが金額を査定することになった。
アルミナ坩堝を、領地で貸与するための準備を依頼した。
アルミナの容器を作ってもらって、中にガラスの材料を入れてもらって、加熱してみる。
シリカ、炭酸ナトリウムと炭酸カルシウムは魔法で準備した。ここだけだね。私がやったのは。
出来る人がやれば良いんだよ。私は、魔法で素材を作るところで頑張るんだ。
アルミナの容器に材料混ぜ入れて、木炭に火をつけてブロワーで風を送ってしばし待つ。
しばらく経つと、だんだん鎔けていく。
ふむ。ちゃんとガラスの鎔融液ができたね。
このときの温度がだいたい1000℃ぐらいだろう。バイセラミックの曲りぐあいが酷い。とりあえず大丈夫そうだけど。
徐冷の炉は、バイセラミックその半分ぐらいの曲りのところになるように、空気の流入量を調整する。
せっかくなので、ガラスのコップでも作ってみようか。
アイルに頼んで、吹き竿を作ってもらった。
他にも、吹き棒を支える台、大きなピンセットやヤットコ、形を整える鉄の板、小さなハンマー、ヤスリなどを作ってもらった。
実際に作業をしてみて、必要なものを加えていくことにするのが合理的だろう。
なにしろ、ガラス細工は、この世界のこの方法では誰も経験したことの無いことだから。
多分、この世界でガラス細工をした事のある人類は、私一人だろう。私は、大学の化学実験の授業で経験している。
ただし、ガスバーナーを使って、ガラス管を使った細工なので大分勝手が違う。
そう言えば、石英アンプルを作るために、酸水素バーナーを使ったこともあったっけ。石英は楽だったな。徐冷しなくても割れない。
助手のジオニギさんを指名して、ガラス細工を実践してもらう。
吹き竿の先にガラスを付けて、回転させながら、均等な肉厚にする。吹き竿に息を吹き入れてもらい、少し膨らませる。
炉の中で再度加熱して、回転させて、均等な形にする。そして少し膨らませる。というのを何度か繰り返して、それなりに膨らませる。
鉄の板で、底を平にして、水を付けた布で側面の形を整える。別な吹き竿の先にガラスを付けて、膨らんだ底の中心にくっつける。
先に使用した吹き竿の根本のところにヤスリで傷をつけて、水を付けて皹を入れて吹き竿を取り外す。
新しく取り付けた吹き竿を使って、ガラスを加熱して、形を整える。最後に、取り付けた吹き竿とガラスを少し叩くと取り外せる。
そのまま、隣に用意してある徐冷炉の中に入れる。
その作業を見ていた助手さん達は、皆やりたがった。特に、アイル付きの助手さんの圧が凄い。
アイルに頼んで、吹き竿などの道具を増やしてもらった。
助手さん達やウィリッテさんやカイロスさんに、ガラスのコップを作りをやってもらった。
皆、ワイワイと楽しそうに作業している。
全てのコップが炉の中に入ったところで、ブロワーの空気を止めて、冷えるのを待つ。冷えきるのは、翌日になりそうなので、そのまま放っておく。
冷えるときに、熱応力で割れなければ良いなと思う。
とりあえず、ガラス細工は、原料さえあれば何とかなりそうな感触だ。よかった。
夕食時、ガラス細工の手順確認ができたことをアウドおじさんに伝えた。
助手さん達もガラスの容器を作ることができたことや素材が見付かったら、この領地で得られた素材でガラスが作れるのかを確認する予定だと報告した。
翌日になった。
ガラスのコップは冷えていた。
徐冷で割れたコップは無かった。よかった。よかった。
助手さん達には、作ったコップを手渡した。凄く喜んでいた。
ウィリッテさんが、潤んだ目で、コップを凝視めていたけど。何か思うところがあるのかな。
なぜか、私とアイルとカイロスくんの両親、沢山の侍女さん達が研究所に付いてきていた。
自分達もやってみたいんだそうだ。
炉の温度調整だけやって、助手さん達に後は任せた。私とアイルは様子を見ていた。助手さん達やウィリッテさん、カイロスさんは再度チャレンジしている。
皆、楽しそうだった。娯楽が少ないもんね。この世界は。




