38.同位体
ある日の午後、オレが作業をしている部屋にニケが訪ねてきた。
今も午前中は教育で、午後はそれぞれ、好きなことを研究している。
カイロスさんとウィリッテさんは、オレの方に居ることが多い。
ニケは、植物を分解したり、何かを混ぜていたり。
見ていて何をしているのかチンプンカンプンらしい。
ニケの助手さん達は、いろいろ勉強しているので、理解できるようだ。
そうでなければ、同じ様な作業を繰り返しているだけなので、理解が難しいのだろう。
一方、オレは、役立ちそうな道具を作っていることが多い。
オレのやっている道具は使い道がはっきりしているので、見ていて解り易い。
『アイル。なんかとんでもない事が判ったんだけど。』
最初から日本語全開だ。このセリフは、この世界の言葉でも問題は……あるのか。
『とんでもないこと』って何だ。
『以前から、何か変だなって思ってたんだけど。この世界の同位体の比率が地球とかなり違っているのよ。』
それから、ニケは経緯を説明してくれた。
『最初に気付いたのは、ステンレスを再度作ったの時なの。
想定される物質の重さが、実際と違っている感じがしたんだ。
それもあって、精密天秤が欲しいと思ったのよ。
それから色々調べてみたの。』
ニケは、化学フェチだ。周期表にある元素の平均原子量や安定同位体の原子量などは、当然頭の中に入っている。まあ、それだけじゃない膨大な化学物質の知識があるのだが。
化合物の元素の比率は、たいていの場合整数比になる。
そういった性質を化学量論と言う。
なかには、そうでない化合物もある。不定比化合物と呼ばれる物質で。二価の酸化チタンなんかが有名。結晶格子に空孔があることに起因する。
ペロブスカイト構造を持った結晶では不定比化合物が多い。高温超伝導物質や最近の太陽電池なんかはそういった構造を持っている。
もともと、原子量というのは、化学量論比が整数の比率になるように定めたものだ。
ところがそうは上手くいかなかった。
整数の比率に近いのだが、微妙に異なる。
同位体が発見されて、その微妙な相違の説明ができるようになった。
原子核の陽子の数が同じでも中性子の数が異なる原子があるのだ。
元素の化学的な性質は陽子の数と同じ数ある電子の数で決まる。
化学的な性質が変わらないのに、重さが異なる原子。それが同位体だ。
『それでね、安定同位体が一つしかないアルミニウムを酸化させて重量変化を調べてみたのよ。
アルミニウムは、比較的半減期の長い原子量26のアルミニウムもあるけど、大半は原子量27のアルミニウムなの。正確な原子量は、26.98。
アルミニウムを量り取って、アルミナを作ってみたのよ。
そしたら、100グラムのアルミニウムから189.7グラムのアルミナになったわ。
地球だったら、189グラムのアルミナになるはずなの。』
『大した違いでは無いように思うけれど。精度が悪いとかではなく?』
『私もそう思ったんだけど、何度やっても同じ結果よ。
それでね、半減期が長いアルミニウム26が混っているのかもと思ったの。
たしか、アルミニウム26の半減期は7万年ぐらいあるから。
それで、安定同位体がひとつしかない、ナトリウムでも実験してみたの。
ナトリウムの不安定同位体の場合は、半減期が長くても2年ぐらいなのよ。
だから本当の意味で、安定同位体しかないと思って良いはずなの。
ナトリウム23の原子量は、22.99。
ただ、金属ナトリウムは、あっと言う間に空気中の水や酸素と反応してしまうので、苦労したわ。』
たしか、アルミニウムの不安定な同位体のアルミニウム26は、隕石の年代測定に使ってたんじゃなかったっけ。
けっこう半減期が長いから、混っているかもしれない。
それで、金属ナトリウムか。
あれは、空気中に放置しておくと勝手に燃え始める。
水を掛けたら爆発的に反応するし。
やっかいな物質だったはず。
『それでね、化学天秤のケースの中の酸素と水を取り除いていったのよ。
いやぁ。便利ね。魔法は。
窒素だけになったところで、金属ナトリウムを作って皿に載せて重さを測って、それから酸素と反応させたの。』
『えっ、どうやって金属ナトリウムや分銅を皿の上に載せたんだ?
ケースを開けたら反応するんじゃないか?』
『そんなの、魔法に決ってるじゃない。風魔法で、空の天秤皿に、金属ナトリウムや分銅を載せていったわ。
それで、金属ナトリウムの重量変化を見たら、100gが170.2gになったわ。
これが地球だったら、169.6g。
アルミニウムと同じ状態だったの。
で、結局、この世界の酸素の平均原子量は、16.14だわ。』
つっこみどころが満載なのだが。
そもそも、原子量が地球と同じである保証は無い。物理法則や物理定数のどこかが地球があった宇宙と違っていれば、原子量は変わるだろう。
そもそも、原子構造は、地球のあった宇宙と同じなのか?
ただ、これまで、ニケの分離魔法で行なったことを考えると、地球と大きな違いが有るとは思えない。
鉄は使われていなかったけれども、元素としての鉄はある。
それもかなりの量がありそうだ。
石や砂は、シリコンとアルミの混合酸化物だった。
地球ととても良く似ているのは確実だ。
ただ、何から何まで同じだとは言えないだろう。
『それでね、同位体を魔法で分離できないか試してみたのよ。
永久磁石を作るときに、原子の電子軌道とその軌道にある電子のスピン状態を弄れたから、原子核の種類によって分けられるじゃないかと思って。
そしたら、できたの。』
『はぁ?』
この子の頭の中は、どうなっているんだ?
『それで、酸素の安定同位体は、酸素16、酸素17、酸素18の3種類あるんだ。そして、酸素17は地球だとほとんど無いのに、9.85%もある。
そして酸素18は地球だと0.18%なのに、2.30%だったわ。
だから、とんでもなく違うのよ。』
『えぇっと。本当に同位体を分離できるのか?』
『そうよ。同位体を分離した酸素でアルミナを作ったら、理論通りの重さになったわ。
ちなみに、アルミニウムの不安定同位体は無かったわ。』
どうやら本当らしい。低原子量の元素の同位体比率が違っている?
それってどういう事だ?
『でね、この比率の違いって、この宇宙が、地球のあった宇宙と違うってことなのかしら?』
うーん。どうなんだろう。
色々なケースがありすぎて、判らない。
ひとつは、ニケの言っている通りに、別な宇宙に居るということ。
それが簡単な答えなのだけど、今回の同位体の比率だけで、そう結論付けられるのだろうか。
同位体の比率が違っているのは、何か理由が有るはずなんだろう。
酸素16が地球で優勢なのは、それが恒星の中で出来易い核種だから。
酸素17や酸素18が出来易い理由が何か無いと。
確かに、両方で11%というのはかなり普通じゃないはず。
そもそも、この世界で、同位体比率以外に変なところは、見られないよな……。
そう考えていたときに、SUPERNOVAの事が思い出された。
とても近い場所で、SUPERNOVAが発生したら、一体どうなるのだろう。
多分、まず、γ線が降り注ぐ。
その後、β線や陽子線が降り注ぐだろう。
少し遅れて、α線も降り注ぐか。
多分、質量が重いものほど速度が遅くなるから、こんな感じだろう。
光速のγ線や、光速に近い速度のこれらの放射線は、まず、大気の成分と核反応を起こす。
窒素14に陽子線が当ると、酸素15か。
これは不安定だから、ベータ崩壊して、窒素15になる。
確か、通常の元素にアルファ線を照射したら、陽子を放出するんだったはず。
窒素14にアルファ線を照射すると、酸素17になるのか。
窒素15にアルファ線を照射すると、酸素18になりそうだな。
酸素16に陽子線が当たると、フッ素17か。
『なあ、ニケ。原子数17のフッ素って、安定同位体か?』
『フッ素も安定同位体は、一つだけ。フッ素19よ。だから、フッ素17は、β崩壊すると思うわ。』
あいかわらず、すごいな。
えぇと、フッ素17は、ベータ崩壊すると、酸素16か。頑丈だな酸素16。
思いついた核反応式を黒板に書いていく。
酸素17が発生するスキームの方が圧倒的に多いみたいだ。
『これ、何しているの?』
『近くで、スーパーノバが起って、ものすごく多量の放射線がこの星に降り注いだとしたときに、大気中の窒素や酸素がどうなるんだろうと思って。
可能性のある核反応をリストアップしてみてる。』
『じゃあ、同位体比率が地球と違うのは、ノバ君の所為だったの?』
なんだノバ君って。
『ああ。その可能性もあるかなと思っている。』
『じゃあ、同位体の比率が地球と違っているからって、この宇宙が地球の宇宙と違うという証拠にはならないのね。』
『判らないというのが正解かな。
ところで、同位体の比率が違っている状態って、何か影響があったりしないのか?』
『うーん。ほんの少し、反応速度に変化があったり、少しだけ沸点や融点が変わったりするだろうけれど。
影響というほどの事は無いと思うけど。
あっ。水の比重が変わるわね……その程度よ。』
その時、まわりを見たら、ウィリッテさん始め、カイロスさんや助手さん達が呆然としているのが分った。
うーん。黒板には、きっと見たことのない記号列がある。説明を求められるかもしれないが……。
どう説明しよう。




