35.たたら場と鉄製品
グルムおじさんが言っていた通り、「たたら場」を建設するための話し合いのために、担当の文官さん達が私の研究室にやってきた。
今回、私が研究所で実施した「たたら製鉄」を大規模にした「たたら場」を建造する候補地をいくつか教えてもらった。
現状4ヶ所あるらしい。一通り説明してもらったけれども、どこも決め手が無い。
視察してみるかと聞かれたので、一も二もなく承諾した。
少し離れた場所へは、馬を使って移動するんだって。それも楽しみだ。
「たたら場」の構造について相談した。
前世では、鉄について色々と調べた。
高炉と「たたら製鉄」の相違についても、調べたことがある。
まさか異世界に行って、「たたら製鉄」をするとは思っていなかったので、なんとなく朧げな記憶しかない。
「たたら製鉄」をする場所は、地面から湿気が昇ってこないように、石組みや粘土層などを積層していた。
これは、いたるところで水が出てくる日本だからなのかもしれないし、そうでは無いのかもしれない。
アトラス領は、東の海に面しているが、比較的乾燥している場所の様だ。
一応の防水のための構造を用意することにはしよう。
この前は、魔法で水分を完全に飛ばしたっけ。
「たたら場」で粘土で炉を作った後は、炭の火力で十分に粘土を焼き固めなきゃならないな。
炉の大きさは、成るべく大きい方が良いはずだ。
鉄は底に近い場所で炭素や炉材に囲まれる。
鉄の塊の一番外側は炉材が溶け込んで鉄滓になる。
その鉄滓の内側は、鎔けた鉄に周辺の炭素が拡散して銑鉄になる。
そして、その銑鉄に囲まれ、中心の温度が高く、炭素が欠乏している場所に鋼ができると予想している。
鋼の量が欲しければ、炉を大きくして、砂鉄の投入量を増やす必要があるだろう。
基本的なレイアウトを定めた。あとは、実際の現場でどうすることができるか考えた方が良いな。
「たたら場」の担当文官さん達が帰っていった。
「たたら場」で加熱炉を運転するためには、ゴムのパイプが絶対に必要になると思う。
炉を大型にするのに伴なって、さらに大型のコンプレッサーをアイルに作製してもらう。
そして、空気を導入する場所は、何ヶ所にもなるだろう。アイルが居れば、魔法で鉄のパイプを何本も繋げることができる。ただ、私達が常にそばに居ることはできない。
魔法とは無関係に鉄の製造が出来ないとまずい。
昔の人は炉に空気を導入するのに、どうしていたのだろう。
竹があれば、竹の節に穴を開けてパイプみたいなものが作れるかもしれない。しかし、この世界には竹や笹は無いみたいだ。
竹や笹って、便利だよね。何で無いんだろう。
無い物 強請りをしても意味が無いので、結局、ゴムを作ることにした。
たたら場で使わなくても、研究所のブロワーで必要になるから無駄にはならない。
助手さん達に採ってきてもらった植物の葉の重さを量って、イソプレンを取り除く。
そしてまた重さを量って、その差と元の重さとの比を求める。それを様々な植物に対して繰り返す。
そうやって、イソプレンが豊富な植物を探す。
候補が二つほど見付かった。
植物の名前は知らない。
もし、同じ植物が地球に有っても、その植物自体知らない。ようするに、私には、名前を知っても意味がほとんど無い。
イソプレンを取り出しながら、重合反応できるかと思ったんだけど、それほど甘くなかった。
イソプレンは、二重結合が二箇所ある比較的単純な有機化合物。ただし、二重結合が二箇所あるため、重合の仕方が何種類もある。
生ゴムになるのは、シス型の重合率が100%のものが必要だ。
取り出す時のイソプレン分子のイメージと反応した後の高分子のイメージの両方を思い描くことは流石に出来なかった。
残念。
仕方が無いので、氷で冷したステンレス容器の中にイソプレンを溜めることにした。
イソプレンは、30°Cちょっとぐらいが沸点なので、冷さないとどんどん蒸発してしまう。
氷で冷やしても、ゴムの臭いが酷いので、窓を開けて作業した。化学実験器具が必要だな。
ある程度イソプレンが溜った。
その後、シス結合したイソプレンの分子の形をイメージして重合させて生ゴムを得た。
それに、海水から取り出した硫黄を混ぜる。生ゴムは粘度が高いので、普通は、加熱して、時間を掛けて、硫黄とゴムを反応させるんだけど……。
そこは魔法で一気に無理矢理イオウで架橋した。
透明に近い白い色のゴムになった。
うーん力技だ。
最初、硫黄をどこから持ってこようか考えたんだ。
ふと、海水の中には硫酸イオンがあるんじゃないかと思った。
それなりの量の硫酸イオンが有ったみたいだ。
海水から、硫黄を分離魔法で取り出せた。
魔法は便利だね。
なんだか無理矢理ゴムを作ってみたのは良いが。これを本当にたたら場で使うかアイルに相談する事にした。
ゴムの劣化を改善するための酸化防止剤は手元にない。
生ゴムは、二重結合が随所にある高分子だ。
硫黄による架橋でこの二重結合の一部は潰されている。
ただし、柔軟性のために架橋は一部に留めてある。そのため、時間とともに空気中の酸素と反応したりして、結合が切れて劣化する。
ゴムが劣化して切れたら、交換すれば良いのだが、無限にゴムを用意できる訳じゃない。足りなくなれば補充が必要だ。
なるべく、たたら場にしろ、工房にしろ、私達の手が掛らない状態を構築しておかないと、後々、皆が困る。
研究所のブロワー用のホースなら、自分達で直せるけど、「たたら場」ではそういう訳にいかない。
アイルに相談したら、ステンレスで、フレキシブルホースを作ってくれた。
こんな形をしたホースは、前世で見たことがある。
給湯器かなにかで使っていたような気がする……。
簡単な方法があったのだ。アイルを尊敬した。
合成したゴムは、研究所のブロワーに使った。ゴムパイプに銅製の網を被せて、エアーガンを繋いだ。アイル様々だよ。
かなり、ゴムが余ってしまった。いつか、ガラス瓶を作ったときに、気密シール材として使用することにしよう。
候補地の視察を始めた。
候補地のひとつめは、マリムの側を流れている大きな川の河口付近の小高い丘の上。
ふたつめは、そのマリム川を少し上流に行った丘。
みっつめは、アトラス山脈の山麓。湧き水が出るのだそうだ。
よっつめは、領主館とマリムの街の間にある丘。
ここは近い。歩いて行ける。水は井戸があるらしい。
近いところから順に回ることになった。
まず、領主館のそばの丘を見に行った。ここは、街に近い。
予定している施設は十分建設できるだろう。
なんか、ここでも良さそうなのだけど、他を見てからとなった。
次に近いのは、河口付近の丘。
騎士さんに抱かれて、馬に乗った。アイルも一緒だ。
初めて、遠出をした。
そういえば、馬車というものは無いのだろうか。
4輪の荷台というものは有るらしいが、人が乗るものは無い。
車軸が壊れると事故になるので、物を運ぶ以外には使われないらしい。
広さはそれなりにある。水は川があるので、そこから運び上げることになるそうだ。
川の水面との標高差が大分ある。
アイルによると、押し上げ式のポンプだったら、ポンプで水を上げられるかもしれないと言っていた。
ここに決まったら、何か考えると言ってくれた。
丘の上に立つと、なかなか見晴らしが良い。遠くに領主館のある丘が見える。丘の下にはマリムの街が広がっている。家はあるが、空間の方が遥かに多い。人口は2万人ぐらいといっていたから、小さな地方都市という感じだ。
次の日に、川の上流にある候補地に行ってみた。
周辺は農地だ。実り始めた麦が風に揺れている景色が綺麗だ。
ここは、それほど広くない。ただ、予定していた施設には十分な広さはある。
ここも、川の水面から標高差があるので、水を得ようと思うとポンプが必要だろう。
ここを選ぶのだったら、街が近い河口付近の丘を選んだ方が良さそうだ。
四つ目の候補地になっている山麓の場所を見に行く。
1日で行ける距離なのだけれど、私達を連れて1日で往復するのは無理と言われた。
そのため、候補地に野営する予定になった。
これまでの候補地とは違って、騎士さん達や侍女さん達がたくさん付いてきた。
森の側なので、魔物の対策も必要らしい。
この場所は、農地から少し離れている。
地面は土だが、少し掘ると岩が出てくるために、農地には適さない場所。
少し離れた場所から木が生えていて、山に続いている。農地と森林の間にポッカリと空いた草原だった。
近くに小川があって、湧き水があるというのは本当だろう。
ここは巨大な岩盤の上ということらしい。広さは十分すぎるぐらいある。
ベンガラの原料の鉱石のヤマが近くにある。そのうち、三酸化二鉄を原料にしてみても良いかもしれない。
不純物がどのぐらいあるか確認しないと。
アルミニウムやチタンの酸化物だったら、融点が高いので鉄を作るのにあまり影響は無いかもしれない。
始めて、外で一泊した。
野営地には大きなテントを張って、そこで休む。
沢山付いてきてくれた侍女さん達も普通に馬に乗ってきた。
これが当然の世界なんだろう。私も大きくなったら馬に乗る練習をするのかな。
風呂は無かったけれど、何不自由無い野外宿泊をして領主館に戻った。
一通り候補地を見たので、場所を決めることにした。
ここで、重大な事に気付いてしまった。
作ることばかりに気が行っていたのが悪いのだけれど、鉄滓の扱いをどうするかということを考えていなかった。
生産場所が街に近い方が良いのだが、廃棄物が出るので、それをどう処理するかだ。
地球だったら、再利用したりしてどうにかなる事も、この世界だと難しい。
そこらへんにポイする訳にもいかないだろう。
危険な元素が含まれているかもしれない。
操業を継続していくと、廃棄物は増えていく。
処理方法が固まるまで、廃棄物を保管しておくのなら、かなり広い場所が必要になる。
こうなると、1択だね。
少し街からは離れているけれど、山麓の場所にたたら場を作ることにした。
大きな岩盤があるのも良い。
ここは、日本ほどじゃないけれど、時々地震がある。岩盤の上だと少し安心だ。
日本で見た昔の「たたら場」の資料には、地面の下に防湿をするための巨大な仕組みがあった。
岩盤の上に造るのだったらそれも考えなくて良いだろう。
それから、文官の人達は、準備のためにバタバタし始めた。
アイルも何やら忙しそうだ。旋盤の追加発注があったらしい。
私も鋼を作るのを手伝った。
たたら場を建築する準備が出来て、建築作業を始める。アウド様達も今回は一緒だ。父さんは警護のため。グルムさんは、現地視察すると言っていた。
今回は二泊すると言われた。たった一日で何ができるのだろう。
移動して、一泊して、作業を開始した。
アウド様が魔法で、岩盤の上部の土を使って、草原の外周に土塁を作っていく。
わたしとアイルも手伝った。
あっというまに、岩盤が剥き出しになって、周辺を土塁で囲まれた広場ができる。
陸上競技場3,4個ぐらいの広さだ。土塁は魔物の侵入を防ぐために必要で、盛り上げた土を魔法でカチカチに固めた。
その後は、岩盤を削って、平にしていく。こちらは三人で魔法を使ってもそれなりに時間が掛った。
削った岩の粉を固めて、岩を作って、それで建物を作っていく。
その日の終りには、予定していた建物が全て出来上がっていた。
魔法を使った建設を初めて見たけど。すさまじいものだった。
私達は言われた通りに手伝っただけだけど、アウド様一人だと何日もかかったらしい。
役にたてて嬉しい。
この世界には鉄の道具がない。
木でできた鍬を使っているぐらいだ。
青銅の道具なんて、硬い地面には無力だ。曲るか割れるかしてしまうので使いものにならない。
魔法が使えるということが領地開発に必須なんだと知った。
強力な魔法が使えないと領主になれないのも道理だ。
この日の作業後は、文官の人達と、魔物警備のための騎士さん達が何人か残る。
今は、収穫するまで間がある時期だ。
比較的時間がある周辺の農村から人足を集めて、細部の建設を進めるらしい。
それもそれほど時間は掛らないと言っていた。
原料が集りしだい、「たたら製鉄」を開始する。私は指示を与えるだけで、文官の人達が検討してくれる。
ガゼルさんとの約束の2週間になる。
鍛冶師の人達も来るので、実演する準備をした。
研究所に窯を二つ粘土で作った。一つは鋳物用。もう一つは鍛錬用。アイルに小型の軸流コンプレッサーを作ってもらった。このコンプレッサーは横にあるハンドルを回すことで送風できる。
約束の日になった。ガゼルさんと、ボロスさんの他、30人の鍛冶師の人達がやってきた。今日は心無し騎士さん達の人数が多い。
騎士さんには、作業補助を頼んだ。
ガゼルさんから、既存の設備で鉄を扱った結果を聞く。鍛造は木炭を使ってそれなりに上手くいった様だ。
鍛造した短剣を見せてもらった。
試作の段階で何度か出来合いの青銅の武器と打ち合わせてみたそうだ。
鋼はとても強固で青銅の時代は終ったとガゼルさんは寂し気に言っていた。
銑鉄の鋳物は、現在の設備では木炭を使っても鎔けなかったらしい。
もっと強力な吹子が要ると言う。
いっしょに来た鍛冶師の人達は、真剣にガゼルさんの話を聞いている。ガゼルさんが打った短剣を真剣な眼差しで見ている。
ある程度は情報を共有していたらしいが、鋼の短剣を初めて見た人が多いようだ。
ガゼルさんから、作業をするのに不足している道具が無かったかを聞く。鋳物が作れなかったので、まだ良く判らないらしい。
とりあえず、アイルに頼んで、ガゼルさん以外の工房のために、ガゼルさんに渡した道具類を鋼で作ってもらう。
参加した鍛冶師さん達は、アイルの魔法にものすごく驚いていた。
今後、必要になるものは、自分達で作って下さいと伝える。
その後は、研究所に設置した炉を使って、実演してみせた。小型の軸流コンプレッサーで炉に空気をを送り込む。
鋳物用の炉で銑鉄を鎔かして鋳物を作ってみせた。
作ったのは鍬と釜だ。
錆を防止するため、加熱による黒色皮膜の作り方も教えた。
皆が軸流コンプレッサーを欲しがったので、各工房に2台ずつ作って貸し出すことになった。
銑鉄で鋳物を作るときに、必要になりそうな道具がいくつか出てきた。
鋳物の実演だけで一日が終ってしまったので、翌日鍛錬をすることになった。
炉は二つも要らなかったよ。一つ作れば良かったんだな。
翌日は、道具類と、材料の鋼と銑鉄を渡すので、人足を準備してもらった。
鍛錬では、何度も鍛造を続けると、鉄に溶けている炭が燃えて無くなってしまうこと。
そうなると、鉄は柔らかくなってしまう。
それを防ぐには、麦藁を燃やして作った炭を付着させながら鍛造すると良いこと。
銑鉄を鍛錬して炭素を飛ばしたものの中心に、鋼を挟んで鍛造することで、切れ味が良く折れにくい剣が作れること。
同じように挟んだ鉄を何度も折り重ねていくととで、折れ難くて、刃毀れし難いナイフや包丁が作れること。
そういった事などを伝えていく。
熱い鉄を水に付けて焼入れすることで、硬い鉄が得られることなどを伝えていった。
騎士さん達には、鎚を振ってもらって、鍛造をしてもらう。
流石、何時も剣を振っていただけあって、鎚を打つ場所がブレないね。
せっかく炉が二つあるので、鍛冶師の人達にも、実践してもらった。
二日目の最後に、アウドおじさん達がやってきた。
アウドおじさんは、2ヶ月後に、作った剣の品評会を実施すると宣言した。
今回、ここで、道具類、鉄素材を受け取った全ての工房が参加しなければならない。
工房には、参加手当として144ガリオン(d100ガリオン)を支払う。
最も良い剣を作った工房には、1,728ガリオン(d1,000ガリオン)の優勝賞金を渡す。
まだ、作り方が明確でない新しい素材なので、作製した方法を開示することを義務にした。
良いアイデアを見出した工房には、報奨金として、576ガリオン(dL400ガリオン)支払うと約束した。
これには、集まっていた鍛冶師達が沸き立った。
オレこそが優勝賞金を貰うんだと意気込んでいた。
随分と領の財政は潤っているようだ。
ソロバンの分配で言い合いをしていたのは、それほど前じゃなかったんだけど……。
グルムさんは、ボロスさんに、「たたら場」が動き始めたら、騎士用に、1,728(d1,000)振りの剣を納入するように要請していた。
たたら場の建設を開始して1ヶ月経った。今日はたたら場に必要なコンプレッサーを設置する。大量の鋼素材を運び込んでもらった。
たたら場の側には、小さな街が出来ていた。
各地から砂鉄や木炭を運び込むために人足が泊まる場所。
食事をする場所。
ボロスさんの店舗もあった。
「たたら場」の建物の脇に、直径2m、長さ10mの巨大な圧力タンクを設置した。
そのタンクには、足漕ぎ式の軸流コンプレッサーを6台取り付けた。
タンクから「たたら場」の内部に圧縮空気を引き込んで、分岐させてフレキシブルホースが繋げられる様に、ジョイントを設けた。
常駐している文官さん達は、素材は順調に集まっているので、そろそろ初回の製鉄を実施すると言っていた。




