34.ソロバンの増産
ニケが鍛冶師とボロスさんと会ってから、1週間ほど経った。
またボロスさんが訪問してくるとグルムおじさんから言われた。
グルムおじさんと担当するという文官の人が立ち会うらしい。
一体何事なのかと思ったら、木工用の旋盤の台数を増やすことについてと言っていた。
研究所の二階で、軸流コンプレッサーの研究をして待つ。
軸流コンプレッサーは、新しく建設する「たたら場」で使用する。
羽の枚数、羽の形状、羽のとりつけ角度などによる、効率を確認していく。
前回、この研究所で作ったときは、やっつけ仕事だった。
今度は、かなり大きな炉を造るので、能力を向上させておきたいと思う。
しばらくして、侍女さんから来客を知らされる。
1階に降りてみると、来客スペースに、ボロスさんとルキトさん、グルムさんと文官の人が一人居た。
来客スペースは、オレとニケの開発品について話し合いをするために新たに作られた。
南東の隅をあまり高くない板で囲って中にテーブルと椅子を配置しただけの場所だ。
ただ、外と中に騎士さんを配置して安全に配慮しているらしい。作業する場所と打ち合わせをする場所を隔離しておくのも理由だ。
中に入ると、全員が立ち上がって挨拶をしてくる。かなり畏まられている。
最初の話題は、ルキトさんの工房の現状だった。主にボロスさんが話をした。
現在、日産72台。三交代で2台の旋盤がフル稼働している。組立のための人員も12人に増やした。工房が手狭になったため、組立のための部屋を借りている。
領内の主立った商店は、既にソロバンを1台は購入している。
今は、各商店で所有する台数を増やしたいと考えているようだ。
王都に本店がある商店に納入したところ、一気に噂が広まった。
今では、王都含めて、他領の商人、文官からの注文が大量に入ってきている。
今の生産量だと、1年から2年待ちになる。
ちなみに、他領では、コピー商品を作ろうとして、ことごとく失敗したらしい。
独占販売状態なんだ。
まあ、鋼や加工機が無いと作れないよな。
増産の要請圧力が酷くなってきたので、旋盤の追加ができないかを宰相に相談したところ今日の話し合いになった。
「数字の説明と、簡単なソロバンの使い方を説明した木簡を付けたことも、成功に寄与しているのですよ。」
と自慢気にボロスが言う。
今や、数字を使えない商人は、半端者扱いらしい。
それ自体は意図したことなので良いのだが。知らないうちに世の中がそんなことになっていたんだ。
「それに、先日、神殿の鐘の鳴り方が変ったじゃないですか。あれもアイル様達の作った道具によるものということで、今や、アイル様とニケ様の人気はうなぎ登りです。」
騎士さん達の表情が、警戒からか、少し厳しくなった。
「それで、何とか、旋盤を貸してもらう台数を増やしてもらいたいんです。如何でしょう?」
それに対してグルムおじさんが応える。
「貸し出す旋盤を増やすのであれば、無償貸与の契約を見直す必要がある。買取をするか、これまでの無償貸与を有償貸与の形に切り替えたい。
買取の場合は、1台、d1,000,000ガリオンになる。」
この前、神殿に時計を売ったときの、最初のこちら側の言い値が、それより2桁高かったな。
これは、適正価格なのだろうか。ボロスさんとルキトさんは、目を剥いて驚いていた。
まあ、そうだろう。1ガリオンは、オレの感覚で大体2万円ぐらいだから、この金額は、日本円で600億円ぐらいの感じかな。
とんでもない金額だ。
まあ、この世界で、あの技術だったら妥当なのか?
「どうする?買取を希望するか?」
二人とも、首が捻れそうなぐらい首を横に振っている。
「まあ、無理なのは判っている。そこで、有償貸与として、1台1日あたり、2ガリオンを考えている。」
今度は、凄くホっとした表情だ。
「ただし、もの凄い勢いで利益を上げているルキトの工房に領内の木工工房からのやっかみが酷い。
領主様は、ルキトだけ贔屓しているのかと領主館に陳情が上っている。
当初、領主館からの注文品を納入していた時は、領主館で使用する特注品を作るため道具を貸しているという説明で納得させていた。
今は、他領へも出荷するほどになった。
陳情に対応せざるを得ない。
そういう訳で、今後は、希望する木工工房にも、この金額で貸与する。」
今度は、酷く気負ちしている。
「但し、不当な競争が生じて、税収が減るのも困る。
他の木工工房への貸与は1台とするつもりだ。
工房の税の納入額が上れば、倍までは増やすのも可能とすることにした。
優秀な工房にはそれなりに利益を上げてもらわなければならない。
ボロスは、今捌けない注文を、他の工房にも回してやれ。
ルキトのところほど効率的にソロバンは作れないだろうがな。
この技術が深化していけば、鉄と併わせて、木工製品は、アトラス領の特産品になるはずだ。」
少しホっとした表情に変わった。大変だね。感情のジェットコースターだよ。
そこで、オレに相談が来た。ルキトさんのところの追加の2台。
貸与を希望している木工工房分として12台の計14台の旋盤を新たに作って欲しいそうだ。
作るのは一向に構わないが、原料が不足しそうなので、ニケに頼んで作ってもらわないとならない。
ニケはたたら場の建設準備で忙しいんじゃないだろうか。
そう言うと、「たたら場」の建設は気にしなくて良い、時間が掛ることなく終る。そんな風にグルムおじさんに、言われた。
「たたら場」の建築がそうそう簡単に終る訳が無いと思ったのだが、アウド父さんの魔法で本当に直ぐに終るらしい。
さっき、しきりに税収と言っていたな。
そう言えば、ニケの件で、「たたら場」の建設予算は気にしなくて良い理由に、ソロバンの売上が大きくなっていると聞いていた。
税収について聞いてみた。
税は、主に二つ。利益に対して、その1/3が領地に支払う税。1/72が考案税。
考案税とは何か、と聞いたら、特許だったよ。
随分昔、まだ、神々の戦い以前の生活が記憶に残っていた頃。
神々の戦い以前は、他国と交易をしていたため、生活の質は年が経つにつれ向上していた。
それが絶えてしまってからは、何年経っても生活の質が向上しない。世の中の停滞を憂えた国王が、生活を改善する道具を作ったものに、生涯金を出すようになった。
それが、考案税なのだそうだ。
考案税の権利は、領主の承認が必要で、その上で王国の承認を取って成立する。
同じものを複数の人が作り出したらどうなるのかを聞くと、王国で裁定することになっている。ほぼ同時であれば、作り出した人達に分割することになっている。
地球のように単純な早い者勝ちではないんだ。
それもそうかも知れない。この移動や情報に時間が掛る世界では、早い者が誰か決めることが難しい。そのため、仲良く山分けになっているらしい。
知らなかったのだが、ソロバンに関しての考案税は、オレとニケに支払われているそうだ。それが、今では相当な額になっていると聞いた。
ちなみに、今回の賃貸金額の半分は、オレとニケの取り分にしてくれると言ってくれた。
貸与金額だけでも、オレもニケも一日8ガリオンの収入になる。日本の価値で1ヶ月500万円の収入に相当する。
その他に、ソロバンの利益からも膨大な収入が入っている。地球だったら、信じ難い高収入だ。このまま鉄の収益が加わったら、もの凄い事になりそうだ。
とは言っても、この歳で、使い道が有る訳じゃない。貯まる一方だろうな。
一体、幾らでソロバンを売っているのかを聞いたら、少し前までは、4ガリオンだった。注文が多くなりすぎたため、最近5ガリオンに値上げした。
今は原価が3/24ガリオンなので、かなりの利益を上げている。というより、ボロ儲けじゃないか。
最近になって、納入が滞ってきて、税収が頭打ちになった。
今回、増設を決めた理由の一つがそれだと言うことだ。
いちおう、ルキトさんのところの増設の話が済んだところで、契約書の取り交しが終了した。
いっしょに居た文官さんは、この貸借契約の責任者で、ベスミルさんという。オレが作った旋盤などの管理もしてくれる。
ずっと黙って座っていたから何をする人なのだろうと思っていた。
道具類を管理するための倉庫も新たに建てたので、出来上がった道具類は、そちらで保管する。旋盤の引渡しなどの手続は、この文官の人が行なう。旋盤が出来たら、新しい倉庫に移動させるので教えてほしいと言われた。
その後は、街の状況についての意見交換になった。グルムおじさんも、あまり、時間を取って商店主と話をする機会は無いらしい。
先日から始まった、木炭の生産と砂鉄の蒐集作業で、職を求める人の流入が起き始めている。特に近隣の領地の農家を継げない子息、子女達が多い。
目端の利く、王都の商店が、アトラス領に支店を構えることが増えた。
ソロバンの技術を持った者が、他領や王都に引き抜きされたりするが、総じてソロバンを習得したくて、王都や他領からアトラス領に移ってきた者が多い。
そういったことから、以前と比べて、人が増えて街は活況になっている。
人の口に入る魚介類の消費が増えたため、漁師も儲けが増えている。
終始、グルムおじさんは機嫌が良かった。経済的に上向いているのは良いことだろう。




