32.精密化学天秤
日没を過ぎた頃、魔法を使わずにニケが鉄を作り出した。
その後は、そのまま宴会になった。
この世界は、青銅器時代まっただ中だ。
この世界には魔法でニケが作った以外に鉄は無かった。
今回、魔法を使わずに鉄を作り出したことで、ようやく、この世界は鉄器文明に移行するということになるのだろうか。
たたら製鉄をしていたこの3日間、ニケは、ずいぶん頑張っていた。
実際はその前から、永久磁石を作ったり、炭焼き窯を検討したりして大変だっただろうな。
疲れていたんだろう。宴会の最中、大好物のハンバーグを前にして、突っ伏して寝ていた。
主役のニケは、侍女さんに抱え上げられて退出した。
オレもそろそろ寝よう。その後も宴会は続いていた。
翌朝、ニケが精密化学天秤が欲しいと言いだした。
熱膨張係数が小さなセラミックスを作るので、それを使用して精密化学天秤を作ってほしいと言う。
以前、オレが懐中時計のテンプに使用するためにインバーが欲しいと言ったときに、インバーを作るのに必要な金属元素が手に入っていないからムリと言っていた。
何か方法が有ると言っていたのは、これのことかな。
鉄が出来たあとで、と言われた記憶はある。
ウィリッテさんの教育は、出来た鉄の調査が終了するまでお休みになった。
朝食を食べて、研究所に移動する。
ウィリッテさん達も付いてきた。
使用人の人達に、大量の海水と砂を運びこんでもらうことになった。
コージュライトという名前の膨張係数が小さいセラミックスを作るための原料らしい。
マグネシウムとアルミニウムとケイ素の酸化物と言っていた。
海水からマグネシウムを採って、砂からアルミニウムとケイ素を採る。
一昨日と昨日の日中、オレは何もすることが無かった。
あまりにも暇だったので、全ての部屋に時計と重量計を作っておいた。
研究所の1階で、ニケは、海水と砂から、マグネシア、アルミナ、シリカを作って、重量計を使ってそれらを量り取って、大量のコージュライトセラミックスを作っていく。
元素の原子量は覚えているんだろうな。頭の中がどうなっているのか本当に知りたくなる。
そのとき、何か不思議そうな表情を浮べて、ニケはセラミックスを何度か作り直していた。何かあったのだろうか。
なにか気になることがあるのかを聞くと、地球と違って、変なところがあるような気がすると言っていた。
詳細は、天秤が出来てから調べるそうだ。
大量のコージュライトが出来たので、それを騎士さんたちに、二階の実験室の一室に運んでもらった。
ニケが自分の研究室に選んだのは、窓が北向きの部屋だった。
日当たりが良くない北向きの部屋を、何故、自分の研究室に選んだのだろう。
薬品によっては、紫外線や直射日光が当たると分解するものもあるので、日が当たらない部屋にしたらしい。
ニケの指示で、天秤の竿の部分を作る。天秤の竿を支持する箇所はナイフエッジと言うのだが、適当な素材もないので、ダイヤモンドにした。
ニケは、作業しているオレの脇で、「天秤、天秤、天秤」と唄いながら、良く分からない踊りを舞っている。
以前、中身がアラフォーなのに、幼児化していないかと言ったことがある。生まれ変わったんだから別人格になったっていいじゃないと言っていた。
まあ、嬉しそうだし、可愛いから良いかと思う。
化学天秤は、杏樹の研究室で見たことがある。ガラスのケースに収められていた。最初見たときは、貴重な骨董品なのかと思った。
大学を作ったときに、老齢の化学者が、研究室に必要な機材として化学天秤をリストアップしていたらしい。そのため、化学系の研究室に1台ずつ置かれていた。
ガラスのケースは、風の影響を排除するための囲いで、別にショーケースという訳では無かった。
今の時代、電子天秤を使用しているのに、こんなものを使うのかと聞いたら、使わないと言っていた。それでも、高価な機材なので、捨てる訳にもいかない。
やっぱり貴重な骨董品の類じゃあないか……。
竿の部分だけが、熱膨張の影響を受けて精度に影響するのなら、他は金属で良いと思ったのだが、全てをコージュライトで作らされた。
磁気の影響を排除するために、構成してる素材は非磁性じゃなきゃならないと言われた。
ならば、真鍮でも良いだろうと言ったら、「錆て重量変化する」と一蹴されてしまった。
ニケは事細かく化学天秤の構造を知っていた。その所為で細かな部分まで作らされた。
ダイヤモンドをナイフエッジにしているのなら、竿を上下する機構は要らないんじゃないかと言ったのだが、そういった構造も全て再現させられた。
なにやら測定する手順の一つに竿を上下させる事があるらしい。
レガシーな装置には、色々と手順を踏む必要があるみたいだ。
シリカの板や、それを取り付ける木製のケースを魔法で作って、助手さん達に手伝ってもらって組立た。
出来上がった天秤本体を、やはり助手さん達に手伝ってもらって収納した。
これで終りだと思ったら、地獄が待っていた。
分銅を作らなければ重さを量ることが出来無い。
アトラス領で、重さと長さを布告した際に、長さと重さの標準原器を作っている。どちらもその時に最善の素材だと思っていたアルミナで作った。長さの標準原器は、コージュライトで作り直した方が良いのかもしれない。
この化学天秤の最大秤量は、多分、1キロは無いんじゃなかろうか。ナイフエッジがダイヤモンドだから行けるか?
その上で、正確に12分の1の分銅をどうやって作ろう。かなり難しいというか面倒くさいことになりそうだ。
もし壊れたら、もう一度作り直すからと言って、この化学天秤で強行することにした。ニケは悲し気な表情をしている。分銅を作るために必要だと説得した。
標準原器とほぼ同じ重さのアルミナを載せてみる。
おぉ!。大丈夫だった。ニケは、ぱぁっと笑顔になった。少なくともこの天秤の最大秤量は1キロ以上あることになる。
新たに作ったアルミナを若干減らして、1キロに満たない重量にする。アルミナの粉を加えて、標準原器と釣り合うように秤量する。それらを纏めた塊を作って、標準原器と重さが同じであることを確認した。
これで標準原器と同一の重さのコピーが出来た。
ここからが地獄の始まりだった。新たに作ったアルミナの塊を12分割して、重い順に並べる。一番重いものと一番軽いものを一つの塊にして、なるべく均等になるように2分割する。
二番目に重いものと二番目に軽いものを一つの塊にして、以下同様。
再度、重さ順に並べて……。
際限なく、この作業を続けて、12個のアルミナの塊が全て同じ重さになった。
単純な作業だからニケにも出来るだろうと思って、途中で手伝ってもらった。
ところが、2分割が上手くできない。分割する前より重さの偏差がデカくなる。結局オレが全てする羽目になった。
秤量は、助手さん達が、手伝ってくれたけれど、何も言わずによく手伝ってくれるなぁ。
できあがった瞬間、「やった!」と思わず声が出てしまった。
12個の分銅を皿に載せて、標準原器と同じ重さなのを確認した。標準原器は、保管場所へ戻してもらう。
個別の塊を分銅の形に変えて、100という数字を刻印する。
ニケと相談して、ミリキロという不思議な名称をグラムと呼ぶことにした。1キロの重量は、1キログラムだ。まぁ、あまり気にしないことにしよう。
今作った分銅は、d100(=144)グラムということになる。
一つの地獄が終ったが、第二弾の地獄が始まる。
d100(=144)グラムの分銅を使って、d60(=72)グラム、d20(=24)グラム、d10(=12)グラム、6グラム、2グラム、1グラム、d0.6(=0.5)グラム、d0.2(=0.166…)グラム、d0.1(=0.0833…)グラム……の分銅を順に作っていった。
この天秤の精度はダイヤモンドのナイフエッジの所為かかなり高い。最小秤量値は、d0.001(0.00057……)グラムよりは小さいみたいだ。
ただ、これより小さな分銅は、小さくて、使うのが難しいそうだ。
そこまでで分銅作りは勘弁してもらった。
分銅用のピンセットと分銅を仕舞うための木の箱を作ってあげた。
終ったころには、昼の時間になっていた。
研究所の1階で、皆で昼食を食べた。
鉄の塊と、鉄滓と粘土の台座はそのままだけど、木炭の燃え残りや破壊した炉は綺麗に片付いていた。侍女さん達が掃除してくれたようだ。
ニケは、午後から、鉄や鉄滓の成分分析をすると言っていた。早速化学天秤が役立ってなによりだ。
オレは折角手に入れたコージュライトでテンプを作ろうと思っていた。
その時、ニケが、コンプレッサーはどうするのかと聞いてきた。
また、たたら製鉄をするときに使うんじゃないか?
ここでは、もう鉄は作らないと言う。
アウド父さんに相談した上で、どこか、適切な場所に「たたら場」を作る。
そこには、ここに有るコンプレッサーより、さらに大型の物を導入したいと言う。
つまり、研究所にあるコンプレッサーは、その新しい「たたら場」では使わないのだ。
ニケは、
「研究所のコンプレッサーは、各部屋に高圧空気を配管して、ブロアーが使えたら良いな」
と言う。
「それって、オレに配管をしてくれって言っているんだよな?」
と聞き返したら、ニッコリ笑っていた。
随分、今日は人使いが荒いと思う。
ひょっとすると、昨日、ハンバーグを食べそこねた恨みを晴らしてるんじゃないか。
あれは、オレの所為じゃないよな。
オレ自身、実験室にブロアーがあるのには、異論が無いので、配管作業をすることにした。
助手さんと騎士さん達に手伝ってもらいながら、壁に配管を作っていく。ブロアーのためのフレキシブルなホースはどうするのかと聞いたら、そのうちゴムを作ると言っていた。
ゴムからゴム管を作るのは、またオレなんだろうとは思ったけど、それは言わなかった。
配管が全て完了したところで、南側の日当たりの良い実験室に、懐中時計の材料を運び込んだ。
コージュライトでテンプを作るのは明日だな。




