90.造幣局
「今のは、何なんですか?」
少しの間、呆然としていた、デニスさんが、我に返って聞いてきた。
日本語で話しているのを初めて見たら、そうなるかな。
「神の国のお言葉です。」
おいおい。ギウゼさん、そんな事を自慢気に言うなよ。
絶対誤解するだろ。
何故か、デニスさん達、財務省から来た人達は納得顔をしている。
「やはり、噂は、本当だったんですね。」
えっ?噂?何それ。気になる……。
「噂って何ですか?」
アイルも気になったのかな。質問したな。
「アトラス領には、神の国の言葉を話す子供達が居て、その子供は物凄い魔法を使うことから、特級魔法使いに認定されている。その魔法で、一日でマリム大橋を作ったとか、工場をあっという間に建てたとか、鉄道を二人で付設していったとか、巨大な船を建造したとかですね。
屹度、話に尾鰭が付いて大袈裟に伝わってきた話だとばかり思っていたんですけど。
この工場を1日で建造したことや、今の不思議な会話を聞くと、どうやら本当の事だったみたいですね。」
マリム大橋を一日でっていうのは、どうかと思うけど、まあ、間違いという訳でもないな。
噂っていうから、もっと、変な話かと思ったんだけど、そうじゃないみたいだ。
鉄道の敷設依頼、特に隠すような事もしていないからな。
「えーと。それでは、紙幣を作る手順について説明しますね。
紙幣を作るのには、大きく分けて、3つの工程になります。
一つ目は、紙幣専用の大きな紙を作る工程、
二つ目は、その紙に多数の紙幣の図柄を『印刷』する工程、
三つ目は、『印刷』した紙を切り分けて、実際の紙幣にする工程です。」
「その一つ目の工程のために、この場所には、紙を作る作業場所があるのですね。」
デニスさんが聞いてきた。
「ええ。そうです。
但し、この紙は、色々特殊な性質が必要になります。
水に濡れても簡単に裂けたり破れたりしない事、インクの滲みが起こらない事、細かな印刷がしやすいように表面が平坦な事などですが、他にも色々必要な要件があります。
目下の課題は、この紙の量産なのですが、そもそも、紙幣に適した紙というものが、今はありません。
そこで、私とアイルで、見本になる紙を魔法で作ります。
あとは、その見本の紙を量産する方法を検討することになります。」
「ところで、『印刷』という聞き慣れない言葉がありましたが、その『印刷』というのは、どういったものなんでしょう?」
「『印刷』というのは、同じ図柄を紙の上にインクで描く方法です。これは、道具を使って、全く同じ図柄がインクで描かれるようになります。」
私に代わって、アイルが説明をしてくれた。
「それは、絵を描く道具を作るという事なんですか?」
「いえ、絵を描くというよりは……。」
即座に撃沈だね。
うーん。この世界には判子とかスタンプとかって無いからね。あるのは焼き鏝ぐらいかな……。
「そうそう。焼き鏝って、同じ文様を焼き付けるじゃないですか。あれをインクでやるようなものですね。」
アイルを手助けしてあげる。ふふふ。内助の功だよ。
「しかし、焼き鏝って、簡単な図柄しか押せませんよ。」
「それを、極々精細にしたものだと思ってください。それを紙に押して同じ図柄を何枚も一編に作成するんですよ。」
アイルは復活したな。
「そういった道具を使うという事なんですね。それは、何処かにあるんですか?」
「これから、作ることになります。紙の性質によって、多少変更することになりますから、まずは、紙が出来てからになりますね。
それで、肝心なのが、紙幣には、1枚1枚、別な番号を付けます。これも、順番に番号を印刷できる道具を作る予定です。」
「えっ、紙幣一枚一枚に別な番号を振るんですか?それは一体何故です。そんなに手間の掛る事をする必要があるんでしょうか?」
「一つの理由は偽造を防ぐ為ですが、他にも、発行した年が何時だったのかが分るというのもあります。
ある一定の年限が経ったら、廃棄して新しい紙幣に交換するのも良いかもしれません。
他には、犯罪に使用された場合に経路を調べることができるというのもあります。
紙幣は紙ですから、色々情報を書き込んでおくことができるんです。」
「なるほど。これまでの貨幣だとそんな事は出来ませんね。
それらの作業は、この敷地の内で行なう事になるんですね。」
「そうです。今話していた道具類は、この敷地の中に設置します。
紙の原料や、インクの原料を運び込んで、あとは、紙幣になるまで、この敷地の中で作業することになります。
秘匿性が必要なんですよね?」
「そうですね。作り方や、それに使用する道具などは、一般の目に触れない方が良いでしょう。
その為には、この敷地で完結しているのが望ましいですね。」
先刻から、アイルとデニスさんが、頻りに「この敷地」と言っているのが気になった。
私とアイルは、適当に造幣所と呼んでいたけれど、この世界の言葉じゃないんだよね。
「バールさん。この敷地の事を何と呼べば良いんでしょう?」
「えっ。私ですか?この敷地の……名前……ですか?」
突然、私に呼び掛けられて、バールさんがワタワタし始めた。
うーん。やっぱり似合わない。
「あんまり直接意味が分る施設の名前じゃない方が良いかと思ったんですけど。どうなんでしょう?」
「え……え……えぇ。そうですね。紙幣製造所なんて名前だと、何をしているところかまる分りですからね。
うーん。何が良いんでしょう。
それこそ、神の国の言葉で、この場所を呼ぶとしたら、何と呼びますか?」
おいおい。考えるのを放棄してるじゃないか。
「『造幣所』とか、『造幣局』とかじゃないか?」
アイルが、私とバールさんの遣り取りを聞いていてコメントしてくれた。
「あっ。『造幣局』か。そういう名前があったね。じゃあ、『造幣局』にしようか。」
「ゾーヘーキョクですか?」
「まあ、そんな名前ですね。この建物は、『造幣局』の『研究室』、隣りの紙を作る場所は『造幣局』の『工場』ですね。」
「じゃあ、それにしましょう。何だか分らないのが良いですよ。」
因に、研究室も、工場も、この世界には無かった単語だ。
私達の中では普通に使っている単語だけど、王宮から来た文官の人達には馴染みのない言葉だ。
ゾーヘーキョクのケンキューシツ……
ゾーヘーキョクのコージョー……
王宮から来た文官に人達は、何度か、ブツブツと反復していた。まあ、そのうち慣れるよ。
大分、話が拡散してしまったな。
今後の事を決めないと。
「では、話を戻しますね。この造幣局では、紙幣用に使う紙の製造と、紙幣の印刷をする事になります。
それで、その工場の運営は、どうする予定ですか?
誰かを雇って工場を動かすんでしょうか?」
「それは、未だ、決まってはいないのですが……。誰かを雇ったりすると、ここでやっている事が漏れるんじゃないでしょうか?」
バールさんが聞いてきたけど、そんな事分らないよ。契約ででも縛ったら良いんじゃないか?
「秘密を保持する契約を結んで、雇うってことは出来ないんですか?」
「そういう契約を結ぶ事もありますが、初めての試みなので、なるべく、外に漏れる事は避けたいのです。
それに、一旦秘匿している事が漏れた場合、秘匿していた事を漏らした者を罰することは出来ても、漏れた内容を無かったことにはできませんから。」
どうやら、秘密厳守みたいだね。
紙幣については、前の世界でも、作り方については、知られてなかったな。
その所為で、これからが大変なんだけど……。
ただ、実際に設備を動かし始めると、絶対に人手が足らなくなるよな。
工場は、ほぼ自動で動くけれど、原料の運び込み、繊維を取り出すための前処理などには人手が掛る。
出来上がった、紙を印刷機に設置するのだって、人手が掛る。
製紙と印刷の両方を、今回、王都から来た人で実施するのは難しいだろう。
そして、安全に操業するためにも、コンビナートで紙を作っている工員さんの手助けがあった方が良いと伝えてみた。
「外部から、人を入れるのは……。当面は、この人員で対応してみて、足りなければ王宮から人を呼びます。」
まあ、様子見だな。そうなると、なおさら、財務省の人達には、製造作業を憶えてもらって、安全教育もしないとならないのか……。
仕様が無いね。試作の紙幣が出来るまで、准教授達に頑張ってもらうしか無いね。




